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「冤罪疑惑は100件超」警察が殺人事件の捜査でやたらとごり押ししてくる"ある死因"

プレジデントオンライン / 2021年11月1日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/RgStudio

死因のよくわからない事件では、警察や検察は「絞殺」にこだわることがある。国際ジャーナリストの山田敏弘さんは「首絞めだと加害者の殺意を明確に立証できる。その結果多くの冤罪事件が生まれている」という——。

※本稿は、山田敏弘『死体格差』(新潮社)の一部を再編集したものです。

■「警察や検察で事件のストーリーが作られてしまう」

玄関を開けると、はにかんだような柔らかい表情を見せる大野曜吉が、「ああ、こんな所まで足を運んでくれて、ありがとうございます」と言って出迎えてくれた。10年ほど前に知り合ってから全く変わらない。

大野は日本の法医学分野で知らぬ者がいない著名な法医学者である。事件史に残る業績を残している人物だ。

私は、新型コロナウィルス感染症の感染状況が小康状態になったタイミングで大野と会うため、こぢんまりとした賃貸マンションを訪問していた。

というのも、2019年3月いっぱいで日本医科大学を定年退職した大野が、そこにひっそりと「法医学相談室」なるものを開設したと耳にしていたからだ。

大野と私は、マンションの一室で、お互いの近況を報告し合った。

その流れで、どうして退職後も法医学にかかわる仕事を続けているのかと質問すると、大野は「まあ、やり残したことがあるってことですよ」と言った。

法医学の世界でやり残したこと——。

おうむ返しに尋ねると、大野は続けた。

「一つには、冤罪(えんざい)事件の多さが気になりますね。警察や検察で事件のストーリーが作られてしまうことがあるんです。私たちだって、いつ巻き込まれるかもしれません。いつ事件の当事者にされるかもしれないのです。ほんとうに冤罪かどうかわからないけども、冤罪の可能性があると再審の請求が出てくる。明らかに有罪だろうと思うような無理筋のものも少なくないけどね。でも、冤罪事件に法医学が加担することがないように、やはり死因究明の鑑定は続けないといけないと思い至ったのです。若い法医学者たちがよくわからないまま警察などの主張に流されてしまわないようにね」

■解剖所見が正当に扱われないケース

死亡事件が発生した際に、被害者がどのように死んだのかを医学的見地から専門的に調べることができるのは法医学者だけだ。事件に巻き込まれた、またはそれが疑われる遺体は、主に大学の法医学教室に運び込まれ、司法解剖が実施される。

警察は司法解剖の結果などをもとに、さらに捜査を行って証拠を集め、必要に応じて被疑者を逮捕する。その後、被疑者は検察に送致され、起訴される。そこから裁判が開かれ、被告となった被疑者が有罪かどうかの審理が行われる。

そのような刑事手続きの中で、法医学者が死因を究明した解剖所見は重要な証拠となるのだが、その客観性や正当性が適切に扱われないケースがある、と指摘する法医学者は少なくない。そうなると結果的に、冤罪が生まれてしまう可能性が出てくる。

「警察や検察が捜査によって自分たちの都合のいいように組み立てた見立てを“補完する”証拠として法医学が使われてしまうこともあるのです。その見立てが、ご遺体から判明した法医学的な事実と矛盾していてもね」

■法医学の鑑定を巡り見解がぶつかり合った

そう言って大野は、最近公判で法医鑑定をめぐって争ったケースについて解説を始めた。

神奈川県相模原市にある墓地で、都内在住だった阿部由香利さん(事件当時=以下同=25歳)の遺体が土の中から発見されたのは2015年のことだった。

この事件は14年に阿部さんの父親が、阿部さんと阿部さんの幼い子どもである響輝(ひびき)ちゃんがともに行方不明だと警視庁に相談をしたことで捜査が始まっていた。

警視庁捜査一課はすぐに、阿部さんの元交際相手だった佐藤一麿被告(29歳)を特定。相模原で遺体が見つかったことで、佐藤被告を逮捕した。また、佐藤被告の別の交際相手だった23歳の女性が、佐藤被告とともにレンタカーで阿部さんの遺体を運んで、墓地の空き地に掘った穴に埋める手伝いをしたとして死体遺棄容疑で逮捕された。

事件当時、佐藤被告は東京都渋谷区の高級住宅街にある実家に暮らし、仕事はアルバイト店員だったが、テレビ業界人のふりをするなど変わった言動などが報じられたり、佐藤被告とともに逮捕された23歳の元交際相手が名門女子大の出身で実家は地元・静岡では知られた豪農だったことからメディアでもセンセーショナルに取り上げられた。そんなことから、この事件を記憶している人も少なくないかもしれない。

2015年12月には、東京地裁が、阿部さんの遺体を遺棄したとして佐藤被告に懲役1年8カ月執行猶予3年の判決を下している。そして翌年の16年3月、佐藤被告は阿部さんに対する殺人罪でも起訴された。同年6月には、川崎市麻生区の畑で、1~2歳児の骨や乳歯、子どものおもちゃやおむつなどが発見され、DNA鑑定によって行方不明になっていた響輝ちゃんのものと判明している。

この事件では、佐藤被告が一度は死体遺棄を認めたが黙秘に転じ、阿部さんの殺人についても「気がついたら死んでいた」「殺したと疑われたくないので捨てた」などと供述した。つまり、殺意については完全に否定したのである。言うまでもなく、殺意があるかどうかは判決や量刑を決める上で重要な判断材料となる。

公判では、阿部さんがどのように死亡したのかについて、法医学の鑑定をめぐって見解がぶつかり合う事態となった。

■薬物中毒か、首絞めか

阿部さんの遺体は、土の中から発見された時にはかなり腐乱していた。遺体は警視庁管内の法医学教室に運ばれ、司法解剖が行われた。

裁判資料などによれば、遺体は腐敗していたために死因特定は容易ではなかったが、遺体に致命的な損傷がないことから執刀医は警察に当初、「首絞め(絞殺)かもしれないが、他の死因も否定できない」と伝えていた。鑑定の死因は不詳となっている。

そのうえで、解剖後の薬毒物検査によって、ジフェンヒドラミン(睡眠導入剤の成分)が高濃度で検出されたため、「薬物中毒」、つまり、市販の睡眠導入剤を大量に服用したことによる中毒死の可能性も考えられると指摘している。逮捕された元交際相手の女性が佐藤被告に頼まれて市販の睡眠導入剤を大量に購入していたことも判明している。

多量の錠剤をのせた手のひら
写真=iStock.com/ozgurdonmaz
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ozgurdonmaz

ただ警察や検察によれば、「首絞め」による殺人だと意見を述べる別の法医学者がいたという。執刀医は首絞めを主張する捜査側からのプレッシャーを感じつつも法医学者として阿部さんの遺体から得られる「メッセージ」に忠実かつ誠実に耳を傾け、考えにくい「首絞め」の可能性を殊更強調することはしなかった。

周辺捜査や事情聴取といった捜査から積み上げられる警察の見立てと、被害者の亡骸を徹底して調べることで知り得る医学的な調査の結果とが衝突する——。こんな死因をめぐるせめぎ合いが、ドラマや映画ではなく、実際に行われているとはにわかに信じ難いかもしれない。ただこうしたケースは少なからず存在する。

■警察・検察の主張をサポートする法医学者を連れてくる

首を絞めて人を殺害するのと、睡眠導入剤の中毒による死では、刑事事件においてその意味合いは大きく変わる。

大野はこう話す。「首を絞める行為には明確な『殺意』があり、殺人罪で判決も重くなる傾向があり、睡眠導入剤の中毒なら『過失』だとも考えられる」と。つまり、警察と検察の見立てでは、これは殺意ある首絞め事件だということになっていた。

公判で検察側は、執刀医が行った司法解剖の鑑定書は採用しなかった。代わりに、別の法医学者に依頼し、自分たちの主張をサポートするような鑑定を採用する展開となった。実は、検察が都合のいい鑑定結果を自分たちで持ってくるのも、日本ではよくある話だという。

そこで鍵となったのは「歯」だった。大野が言う。

「執刀医の解剖所見には、確かに、遺体の歯が少しピンク色に着色していると書かれていたし、もちろんそれを示す写真もあった。これは法医学者には知られた『ピンク歯』といわれるもので、主に溺死の時などに、鬱血してヘモグロビンがやや変性して歯がピンク色になる現象がある。溺死は窒息死ですから。ただそれを拡大解釈して、言わば、逆手にとって、ピンク歯があるから窒息、すなわち、首絞めでの殺害であるとする乱暴な結論の鑑定が出てきたのです」

そして検察はそれを裁判の証拠として採用し、自分たちの主張に沿うように証拠を解釈したのである。

「これは危険ですよ。犯行について医学的な根拠を示す法医学者が、検察の都合の良い話に合わせて鑑定をするようなことがあれば、事件が作られてしまうかもしれないからです」

大野は続ける。

「外国の論文を読んでも、ピンク歯を根拠にして死因を突き詰めるというのはよくないという書き方をしているものもある。例えば、海の中で溺れると、どうしても水死体は重い頭が下の位置になるので、顔面が鬱血しやすくなるのです。それでピンク歯はできるんじゃないかと言われている。であれば、どんな遺体でも頭が少し下がっている位置なら、同じようにピンク歯になるのではないかという話になる。

この事件、もしかしたらほんとは殺したのかもしれない。だけど、被疑者はそれを語ってはいないんですね。個人的に見ても、事件としては怪しげで、ほんとは首を絞めたのかもしれない。ただその証拠として、根拠の乏しいピンク歯を使っていいのかという疑問が法医学的にはあるのです」

■「裁判では法医学者は代理戦争の駒」

そして大野は、現在日本では冤罪ではないかと揉めるケースが、「数多く出てきている」と指摘する。

そのなかには、到底、冤罪とは考えにくい事件もあるし、「念のために」というニュアンスで再審請求をしている場合もあるので注意が必要だが、それでも冤罪の可能性が検証されている事件は100件を超えるほどだという。

そうした冤罪疑惑が取り沙汰されるケースで、法医学者の提供する法医学的な証拠が時に軽視されたり、思惑をもって利用されたりすることは決して少なくない。

2019年7月、東京地裁は、佐藤被告に対して殺人罪で懲役17年の判決を言い渡した。判決文では、佐藤被告が阿部さんに睡眠薬を飲ませたうえ、首を圧迫して窒息死させたとして殺人を認定している。検察の選んだ証拠を採用し、検察側が勝利した。

山田敏弘『死体格差』(新潮社)
山田敏弘『死体格差』(新潮社)

だがそこから急展開があった。弁護側は判決を不服として控訴。その際の協議で、弁護側は大野に、死因について再鑑定を依頼したのである。大野は「ピンク歯」を窒息の根拠とした鑑定の妥当性に懸念を示した。

そして2020年12月、東京高裁は一審の判決を破棄し、審理を同地裁に差し戻す判決を言い渡す展開となった。その大きな理由の一つが、やはり、ピンク歯だった。

裁判官は一審判決について、「(ピンク歯について)法医学分野で広く承認された手法ではなく、刑事裁判の証拠としては不十分」であるとし、「被告が被害者に睡眠薬を大量に服用させた可能性は非常に高く、被害者を殺害する目的があったと推認できる」と語っている。最初に遺体を法医解剖した執刀医と同じく、「首を絞めて窒息させた」かどうかは法医学による検案では証明されていない、と。

私はある法医学者が以前、語った言葉を思い出した。

「検事や弁護士の演出する“裁判”という劇場の中で、法医学者は彼らの代理戦争をする“駒”として弄ばれ、結果的に法医学者同士がお互いにいがみ合う様は、哀れでもあり、不快でもある」

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山田 敏弘(やまだ・としひろ)
国際ジャーナリスト
1974年生まれ。米マサチューセッツ工科大(MIT)元フェロー。講談社、ロイター通信、ニューズウィーク日本版などに勤務後、MITを経てフリーに。雑誌、TV等で幅広く活躍。著書に『ゼロデイ 米中ロサイバー戦争が世界を破壊する』(文芸春秋)、『CIAスパイ養成官 キヨ・ヤマダの対日工作』(新潮社)、『世界のスパイから喰いモノにされる日本 MI6、CIAの厳秘インテリジェンス』(講談社+α新書)など。

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(国際ジャーナリスト 山田 敏弘)

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