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「早くしなさい、ちゃんとしなさいと言ってしまう」藤原和博が息子との関係で抱えた苦悩

プレジデントオンライン / 2021年11月25日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Juanmonino

「早くしなさい」「ちゃんとしなさい」「いい子ね」は子育ての場面で多用される言葉だ。だが、教育改革実践家の藤原和博さんは、ある時から、なるべく使わないようにしようと決めたという。きっかけは、4歳の息子を連れて家族でロンドンに引っ越したことだった——。

※本稿は、藤原和博『60歳からの教科書』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■「父親としての私は子どもたちに育てられた」

我が子との関係について述べてみたいと思います。

まずお伝えしたいのは、「子が、親を育てる」ということ。

私の場合も「父親としての私は子どもたちに育てられた」と言い切れます。

私が「親」になった1990年代、すでに述べたように、成長社会から成熟社会への大転換が始まっていました。それが意味するものは、20世紀の高度経済成長期に「正解」と考えられていた、力強い家長的な「父性の時代」の終焉でした。

「正解」のない時代には、父親自身が子どもに教えてもらいながら、ともに学び続けるしかなかったのです。私自身も七転八倒しながら、学んでいきました。

そもそも独身のサラリーマンだった私です。結婚して家族2人になり、子どもができて3人になったというだけで、家族の中で父が果たす役割については考えたこともありませんでした。子どもを育てる喜びはありましたが、「たまごっち」のような育成ゲームをしているような感覚で、父という存在について真剣に考える機会はなかったと思います。

一方で私は、仕事の行き詰まりを感じていました。時代を先取りして会社が保有する情報のデジタル化と、それを活用したマルチメディアソフトの出版を始めたものの、その意義を会社がなかなか理解してくれない。

ついには進めていた事業に上からストップがかかり、集めたスタッフを解散しなければならない事態に追い込まれたのです。私はリストラを実行する過程で、新規事業を担当する者が時折陥る、会社と自分の関係における「閉塞感」に襲われるようになりました。

■ロンドン暮らしで自覚した「古い日本の影」

閉塞感は、同じ場所に留まっている限り、打破することはできません。だから私は家族を連れて、一度海外に出ることにしました。そのとき4歳の長男の他に、妻のお腹には妊娠8カ月になる赤ちゃんがいました。

ロンドンでの4歳の息子との暮らしは、自分自身がどれほど無意識のうちに父の姿を真似していたかに気づく機会になりました。それまでの私は、まだ反抗期の延長で、父を反面教師に「できるだけ逆の生き方」をしようとしていたのです。

それにもかかわらず、長男を叱る場面では、なぜか父から受けた「父らしさ」から逃れられない。息子に対して「こんな人に成長してほしい」という願いにさえも、自分の父や母から影響を受けた古臭いイメージが忍び込みます。

さらにやっかいなのは、私自身が日本の戦後教育で刷り込まれた呪文の数々でした。高度経済成長を担う“経済戦士たち”を大量生産した受験制度。それに直結した企業でのサラリーマン教育。それらの影が、自分と息子の関係性をも覆ったのです。

私の言葉や態度の端々に、古い日本の影が染み着いていることを感じ、それが子どもに伝わっていることが分かって、文字通りゾッとしました。知らず知らずのうちに、我が子を自分と父のコピーにしようとしていたのです。

■「早くしなさい」「ちゃんとしなさい」「いい子ね」

父は子どもに、何ができるのか。

初めてそれを真剣に考えました。

同時に、自分自身が生きてきた環境や、父母との関係、通った学校、受験の経験などを思い返しました。生まれたときから一貫して成長を続けてきた日本経済と社会が自分に与えている影響は何か。さらには、サラリーマンとして働く自分の考えや価値観にどのような影響を及ぼしているかについて、一つひとつ読み解いていったのです。

すると、次第に分かってきました。私の何げない妻への態度や、息子に何かを要望するときの言動が、遠く離れた「日本」の成長社会の呪文の数々から計り知れない影響を受けていたことを。

「早くしなさい」
「ちゃんとしなさい」
「いい子ね」

息子にこの言葉を何度言ったことでしょう。この三拍子を常に求められるのが、典型的な日本のサラリーマンでもあります。

だから、この呪縛から息子を解き放ってやらねばならない。そう、気づいたのです。

思えば私は、指折りの「早く、ちゃんとできる、いい子」のサラリーマンでした。子育てを通じてようやく、自分に刷り込まれたものの根の深さに気づくことができたのです。

ビルを見上げる、スーツを着た人
写真=iStock.com/bee32
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bee32

■新しい父性の型が形づくられていった

自分の中での「聖戦」が始まりました。

幾度となく、自分に言い聞かせたものです。

「早く! と、言わない」
「ちゃんと! も、言わない」
「いい子にしなさい! も、禁句」

強烈な呪文の呪縛を解くかのように、何度も何度も心の中で繰り返しました。

こうして私にとっての新しい父性の型が形づくられていきました。まず、「自分がどんな呪縛を受けてきたか」に気づいた上で、子どもをその呪縛から「逃がしてやること」こそが、父性なのではないかと考えたのです。

父という存在の意義は、自分の父親を真似て子どもに常識を押しつけるためにあるのではなく、子どもと一緒に常識を覆すことにあるのではないか。

父らしく振る舞うことで父になるのではなく、世間で常識と思われている概念に「なんか、変だな」とむしろ子どもと一緒に爆弾を投げること。それができる意思を育むことが、父という存在の意義なのではないか……そう考えたのです。

■息子との関係が教育改革実践家の活動につながった

こうして、息子との関係を築く上で得た発想が、そのまま教育改革実践家としての活動につながってきます。ミッションとなるものは、教育界に蔓延(はびこ)っている「正解主義・前例主義・事なかれ主義」を排して、一斉授業を超える新しい仕組みづくりに奔走すること。

その原体験には息子を通して知ったこと、つまり、無意識に自分が囚われていた「呪縛」の存在があります。

私自身の呪縛を解くことから、すべてが始まったのです。

ちなみに、長男はその後、どんなふうに成長したか?

私が自分の「60歳成人」パーティーを銀座で開いたとき、実は、隣の店を息子が使っていました。彼は自分自身のプロポーズのサプライズパーティーを開いていたのです。息子はその相手と翌年結婚し、今はリクルート出身者が起業した会社のグローバル担当をしています。

彼がこれからどういう人生を歩んでいくのかは分かりません。私にできることは、これからも、学校教育界から滲み出して日本社会を覆う「正解主義・前例主義・事なかれ主義」を自分自身が脱し、壊し、突破し続けることです。

「聖戦」は今も続いています。

■仕事、結婚、子育ては「無限のベクトル合わせ」

本書では、家族の営みは「無限のベクトル合わせ」だという話をしています。

つまり、人生とは「無限のベクトル合わせ」の連続なのです。

藤原和博『60歳からの教科書』(朝日新書)
藤原和博『60歳からの教科書』(朝日新書)

「正解」がどこにもないからこそ、さまざまな人と関係性を更新し、「納得解」をつくりながら、「修正主義」で生きていく。

それこそが、成熟社会の生き方だと思います。

この「無限のベクトル合わせ」はパートナーとの関係性だけではありません。あなたの親や、子どもがいれば子どもとも、ずっと継続してほしい考え方です。

繰り返しますが、人生には、唯一の正解はありません。3択問題でも、4択問題でもないのです。

「無限のベクトル合わせ」のことを、仕事、結婚、子育てと呼ぶ。

そのような感覚が大切だと思います。

これまで数十年もの仕事人生で、ありとあらゆるベクトル合わせをしてきたあなたならば、「家族」における「無限のベクトル合わせ」もきっとできるはずです。

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藤原 和博(ふじはら・かずひろ)
「朝礼だけの学校」校長
1955年、東京都生まれ。教育改革実践家。78年東京大学経済学部卒業後、リクルート入社。96年同社フェローとなる。2003~08年杉並区和田中学校校長、16~18年奈良市立一条高等学校校長を務める。21年オンライン寺子屋「朝礼だけの学校」開校。主著に『藤原和博の必ず食える1%の人になる方法』『10年後、君に仕事はあるのか?』など。

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(「朝礼だけの学校」校長 藤原 和博)

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