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「タイやベトナムは本来なら中国のモノ」中国のエリート学生たちも信じる"国恥地図"の正体

プレジデントオンライン / 2021年11月4日 9時15分

小学校生用の地理教科書に収録されていた「国恥地図」。太い赤線が「かつての中国国境」と主張している。 - 『中国「国恥地図」の謎を解く』より

中国人には、戦争で外国に侵略されたことを「国恥」とし、その屈辱を決して忘れないという「国恥意識」がある。作家の譚璐美さんは「政府が1930年代に始めた愛国教育で、多くの中国人に刷り込まれている。これが誤った歴史観や領土問題の根底にある」という――。

※本稿は、譚璐美『中国「国恥地図」の謎を解く』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■「私たちの心に深く刻みこまれた九段線」というコラム

中国共産党は1949年、中華人民共和国を建国した。一度は忘れられたかに見えた国民政府の「国恥意識」は、そのまま共産党政権に引き継がれ、国恥地図(上画像)も地理や歴史の教科書に取り入れられて、学校教育や社会教育の場で教えられてきた。

建国当初、中国はまだ貧しく、食うや食わずの人民を団結させ、破綻した経済を復興させるために、「外部の敵」が必要だったからだ。

だが、中国は80年代の改革開放政策によって経済成長し、今では世界第二の経済大国になった。そうした中で、「国恥」教育は、いつ頃まで続けられてきたのだろうか。

アメリカの大学教授である中国人のワン・チョン氏は、サイト「The Diplomat(外交官)」に「私たちの心に深く刻みこまれた九段線」(2014年8月25日付)と題するコラムを掲載している。

「昨年(2013年)、私が訪問教授として中国のトップクラスの大学で教えた際、学生たちに『九段線は正しいと思うか』と質問したところ、ほとんどの学生が手を挙げた」

「九段線」とは、国民政府が1947年に『南海諸島位置略図』を刊行して、南シナ海の海上国境線を破線で描いたことに始まる。破線が十一本あったことから「十一段線」と呼ばれた。

1953年、建国から4年後の貧しい時代に、中国共産党の最高指導者の毛沢東が、当時まだ数少ない友好国だった北ベトナムに友好を示すために、ベトナム北部と海南島の間にあるトンキン湾に記されていた破線を二本消して、「九段線」に変更したとされる。

現在でも、中国の一流大学の学生たちが「九段線は正しい」と思うのは、学校教育でそう教えられてきたからであり、南シナ海の「南沙諸島は中国の領土」だと思っている点では、「国恥地図」が生み出された国民政府時代と変わりない。

■アメリカで働く大学教授も信じている

中国で生まれ育ったワン教授自身も、子供の頃、中国の中学校の地理の授業で、南海(南シナ海)は中国領であると教えられ、「(授業中に)物差しを使って南沙諸島と中国大陸の距離を測った記憶がある」と、書いている。

ワン教授が中学生だったのは1980年代頃だろうから、少なくともその時代まで国恥地図を使って教育していたということになる。

私は確認のために、日本の有名大学の中国人教授A氏にも聞いてみた。

「あなたは、中学時代に『九段線』について習いましたか?」
「ええ、習いました。中学でも高校でも習いました」
「では、南シナ海の南沙諸島は、中国の領土だと思いますか?」

すると、教授は少し困った顔になり、小声になった。

「あまり、大っぴらに言えませんが、実は、本心ではそう思っているのです」

教授はそう申し訳なさそうに答えた。

A教授は40代。人柄が誠実で、教養高く、だれからも好かれる研究者だ。それでも子供時代に刷り込まれた価値観は一朝一夕には変えられないという。

■子どもたちの脳に刷り込まれた「南沙諸島は中国領」

2、30代の中国人留学生にも聞いてみると、こんなことを言う人がいた。

「中国では、小学校からそう教えられ、テレビや新聞などでも中国のものだと見聞きしてきました。日本に留学してから別の考え方もあるのだと知りましたが、幼い頃から教えこまれたことは、なかなか考えを改められないのですよ」

無論、中国育ちの中国人がすべて「南沙諸島は中国領である」と、信じ切っているわけではないだろう。だが、子供時代にそう教えられたことは、外国へ出ても、いくつになっても、記憶の奥底に残っているし、もう教科書を読まない年齢になっても、国恥地図とあの赤線が頭に入ってしまっているのかもしれない。

だとすればそれは、中国政府が絶えず「国恥」教育を行い、今も繰り返し子供たちの頭脳に刷りこみ続けている成果にほかならない。

■海底に作られた、あまりにも都合の良すぎる標識

ところで、ある地図研究者を訪ねた時に、「こんな雑誌もありますよ」と、言って見せてくれたのが『中国国家地理』97号(中国科学院地理科学と資源研究所ほか編、2013年3月号)だった。大判のカラー刷りで、160ページもある政府系の雑誌だ。

「中国国家地理」の表紙 『中国「国恥地図」の謎を解く』より
「中国国家地理」の表紙 『中国「国恥地図」の謎を解く』より

表紙には、「海南探秘 中国人の海洋ドリーム」と題して、海南島と西沙諸島、南沙諸島など、1冊丸ごと南シナ海の特集記事が掲載されていた。

ページをめくると、美しいサンゴ礁と熱帯魚のカラー写真がふんだんに盛りこまれている。その中で私は一枚の写真に度肝を抜かれた。

南沙諸島南方に位置するジェームズ礁の海底に、なんと、クリスタル製の三角錐の形をした標識が置かれているのだ。それには、「SOUTHMOST CHINA 二〇〇九年五月一日 中国国家地理」と、刻まれている。

キャプションによれば、2009年に同雑誌社の編集チームがジェームズ礁を取材した際、これを海中に沈めて「中国領の南限」であることの指標として残したのだという。

前述の通り、この暗礁は「島」でも「岩」でもないが、中国とマレーシアが領有を主張し、ブルネイなども同じく主張しているとされることがある。

また「標識」については、当時こんな記事が「読売新聞」に掲載されていた。

中国 海島保護法を制定 海洋権益確保を徹底

中国の全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会は26日、離島の管理強化などを定めた「海島保護法」を可決、同法が成立した。来年3月1日に施行する。(略)

新華社電などによると、(中略)政府の許可なく観光活動を行った者には罰金など法的責任を追及するほか、「領海の起点となる標識を破壊、あるいは勝手に動かした者は法に基づいて処罰する」と定めた(2009年12月27日付朝刊)

勝手に標識を設置しておいて、「標識を破壊、動かした者は処罰」とは、あまりに都合が良すぎるではないか。

■「貧しいときは我慢し、富んだときに復讐する」

中国の人々は今、「国恥」について、なにを思っているのだろうか。

「中国には『貧しいときは我慢し、富んだときに復讐する』という伝統的な考え方があります。それは今も変わらないのですよ」

と、知り合いの中国人学生が解説してくれた。

「たとえば、欧米の高級ブランドが中国の領土を無視して、Tシャツに勝手なことを描いたりする。それを見た過激な中国人ネットユーザーがSNSで批判して、謝罪に追いこんだりしていますよね。

譚璐美『中国「国恥地図」の謎を解く』(新潮新書)
譚璐美『中国「国恥地図」の謎を解く』(新潮新書)

批判する人たちは、『あいつらは中国のことを全然わかっちゃいないのさ。香港や台湾がどこにあるかも知らないんだから』、『中国市場で儲けているくせに』というのが、口癖になっています。

経済大国になった今こそ、『国恥』である過去の屈辱の歴史を晴らしているのだと感じて、留飲を下げているのでしょう」

その一方では、中国の若者世代は両親や中高年の人から「骨がない」と陰で言われていることも、よく分かっている。外国の高級ブランドをSNSで批判して謝罪に追いこんでも、それはいっときのことで、批判の熱が冷めれば、彼らはまた大好きなナイキの靴を買い、NBAの試合に熱狂しているからだ。

■南シナ海の実効支配を続ける中国人の意識

ただ、気になるのは、外国企業を批判するのが中国政府ではなく、もっぱら中国の一般人が自ら進んで世界中の企業活動に目を光らせ、少しでも中国の尊厳を傷つけたとおもう企業を見つけたら攻撃しようと、待ち構えていることだ。

中国政府が南シナ海問題で強硬姿勢を崩さず、着々と軍事拠点化を進める背景には、歴史的に生み出された「空間認識」と「失地意識」が潜在的にある一方、国際的に「弱腰外交」を許さない国民気質によって、激しく突き上げられている面もあるのではないか。

愛国主義に基づく「国恥意識」は、自覚しようとしまいと、中国人の心の奥底に深く根を張る偏った歴史認識であり、トラウマなのだ。

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譚 璐美(たん・ろみ)
作家
東京生まれ。慶應義塾大学文学部卒業。元慶應義塾大学訪問教授。革命運動に参加し日本へ亡命後、早稲田大学に留学した中国人の父と日本人の母の間に生まれる。著書に『中国共産党を作った13人』『阿片の中国史』『戦争前夜—魯迅、蒋介石の愛した日本』(すべて新潮社)など。最新刊に『中国「国恥地図」の謎を解く』(新潮新書)。

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(作家 譚 璐美)

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