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京セラ、銀行、財閥系…大学2部リーグ最下位の部員を一流企業に入れる監督のすごい「SDGs力」

プレジデントオンライン / 2021年11月12日 11時15分

撮影=清水岳志

横浜市郊外の築50年の団地に部員が住み、地域の高齢者の手伝いなどをして、人々が共に住み続けられる街づくりを目指す取り組みをしている大学サッカー部がある。スポーツライターの清水岳志さんは「チームの監督はサッカーの練習だけでなく地域貢献活動にもとても熱心。部員を地域のリーダーになれる人材に育てようとしている」という――。

■サッカー日本A代表に名前を連ねる「意外な大学出身」の選手2人

以前、ある大学サッカー部関係者の友人がこうつぶやいた。

「サッカー日本A代表に神奈川大学(以下、神大)出身者が2人いて、しかも地元の県立高校の出身。これ、珍しくない?」

伊東純也(28歳、ベルギー1部ゲンク)は逗葉高校から神大に入った。11月11日に行われたカタールW杯アジア最終予選のベトナム戦でチーム唯一の得点をあげるなど、勝利に大貢献した。

また、サンフレッチェ広島の主将、佐々木翔(32歳)は、直近は招集されていないが今春まで代表の常連だった。マリノス・ジュニアユースから相模原市の城山高校を経て神大へ進んだ。2人は確かに神奈川の県立高校の出身だ。

神大は現在、関東大学リーグの2部(全12大学)に所属している。1部(全12大学)の明治・早稲田・筑波ほどの実績を誇る強豪ではなく、2部内での順位も下位であることが多い。また、そもそも多くのA代表選手はJリーグ傘下のユースチーム出身者で、大学出身者は少数派だ。

にもかかわらず、A代表に神大の体育会サッカー部出身者が2人いるのは特筆に値する。偶然なのか、必然なのか。指導する監督の大森酉三郎(52歳)に特別な育成方法があるのではないか。本人に直接尋ねてみた。

「プロに行く子は育てようと思っても育つものじゃないですよ。2人は能力があって、たまたま育っちゃった。いい素材には邪魔しないようにしています(笑)」

■4年間でサッカーだけでなく人間の基本の資質を学んだ

大森監督は謙遜した。そして、こう続けた。

「テクニックは後から何とかなる。サッカーの技術の前に、2人には、いい人間性があった。佐々木はハーフで、日本人のお母さんと祖父母にすごく優しいんです。そんな場面をよく目撃しました。伊東は大学受験で実技の試験を受けた時、試験官が見ているのに動作が緩慢に見えたので僕が叱ったら、ポロポロ涙をこぼした。心身は未熟なところもあったけれど、素直な心の持ち主だと感じました。2人のように、ナチュラルなその人なりの個性は社会に出て大事にしなきゃいけないもの。そういう本質を持っている人間になってほしいと、今も選手たちには伝えています」

佐々木と伊東は大学の4年間でサッカーだけでなく人間としての基本の資質を学んだ、ということだろう。

「A代表に2人出してる大学?(他に)ないんですかね。ビーチサッカー、フットサルの日本代表も(教え子が)いるんです」

大森は頬を緩めてちょっと自慢顔になった。

■異色の経歴「海上自衛隊→大学監督→湘南ベルマーレなど→大学監督」

ここで大森の略歴を簡単に振り返ろう。1969年に神奈川県茅ケ崎市で生まれ、地元の中学から藤嶺藤沢高校に入学。推薦で進んだ中央大学を卒業後は海上自衛隊に入隊すると同時に、神奈川県の社会人サッカーリーグの「厚木基地マーカス」に所属する。同チームでは、全国自衛隊サッカー大会や国体で全国優勝をした。

35歳で選手引退後、2004年神大サッカー部監督に就任。神奈川県大学サッカーリーグ(1部)だったが4年後、よりハイレベルな関東大学リーグ1部に昇格させた。

2011年以降、40代になった大森はJリーグのプロサッカークラブ「湘南ベルマーレ」(平塚市)や、教育事業などを展開する「星槎グループ」で地域スポーツ振興に携わった後、2019年4月から神大監督に復帰した。

現在は、サッカー部監督だけでなく、神大スポーツセンタースポーツ戦略室専任職員を兼務している。

ボール
撮影=清水岳志
 神奈川大学サッカー部の練習風景  - 撮影=清水岳志

■大多数の部員はサッカー選手として食ってはいけない。だから……

大森の実家は会社を経営していて経済的には余裕があり、大学時もサッカーに没頭できる環境だった。だがその一方で、大学時代の寮暮らしでは毎日酒を飲んでサッカーをするだけの日々。生活を律する力が足りず、自立するためのライフスキルが低かった、という。そのことを社会に出て痛感する。

自衛隊は米軍も共同の基地生活。仕事に上も下もなく、日々の生活で自立を求められた。食事の用意、給与計算、住まいの修繕も芝刈りも、自分たちでやった。凡事徹底。当たり前な日常、というものを自衛隊に入って理解できたという。大学までのサッカー中心の生活がどれだけ自分に甘いものだったかを思い知ったのだ。

しかし、この気付きがサッカー指導に大きな影響を与えることになる。

「フォワードも仲間のために守備をしないといけません。サッカーの基本と日常は同じ。日々の生活の常識を学べば、サッカー選手としても成長するし信頼もされる」

神大サッカー部には『F+1 新たな可能性』という理念がある。Footballに加えて何かひとつ。これはサッカーだけではなくて、それ以外に新たな可能性を見い出そうというものだ。大多数の人間はサッカー選手として食ってはいけない。生きていくには自分に合った仕事を見つけないといけない。そのために、ふだんから意識付けしている。

具体的にはサッカーに関係ある、なしを問わずさまざまな形での地域貢献を模索してきた。例えば、「中山トラッシュバスターズ」というボランティア活動。サッカー部で地元の中山商店街などのゴミ拾いを定期的にやってきた。サッカーだけでは得ることのできない経験を部全体で積み重ねている。

■Jリーグのクラブで地域貢献の大役を命じられた

サッカーだけじゃないプラスワン。それは自立するためのライフスキルになる、と考えるようになる。

大森
撮影=清水岳志
サッカー部を指導する大森監督(右)  - 撮影=清水岳志

地域活動の重要性を大森がより強く意識するようになったのは、2011年に当時、Jリーグのクラブ「湘南ベルマーレ」の強化部長・大倉智(現いわきFC代表取締役)に誘われ、いったん神大からベルマーレに移った経験が大きい。Jリーグの理念として、地域貢献の大きな命題が与えられていて、大森がその大役を任されたのだ。

「ちょうど東日本大震災の直後で、(被災地・福島県をホームとするサッカーのクラブチーム)『福島ユナイテッド』の子供たちを受け入れてみたらどうか。その際は、お菓子メーカーさんにお菓子をいただいたり、街の食堂に食事を提供してもらったり。そんなプランをいろいろ考えました」

Jリーグのチームの一員になったことで「地域おこし」を勉強し実体験できたのだ。

■イベント成功のため首長、地元商工会、教育委員会、バス会社と折衝

その後、湘南を退社して働きはじめた星槎グループでも地域活性化を推進する。グループ内の総合型スポーツクラブ代表理事として、地元の人々を巻き込みながら大きなイベントを仕切った。それが2018年の「ワンネーションカップ湘南大会」だ。

「ドイツ、ロシア、トルコなど7カ国から128人の子供たちを招待したんです。夢のような大会になった」と大森が顔をほころばすこのイベントは、市政70周年を迎えた茅ケ崎市を巻き込むことに成功したからできたことでもある。

すでに40代となっていた大森だが、現場担当者として協力を仰ぐため資料を持って茅ケ崎市長を訪ね、またスポーツクラブの上司にあたる元サッカー日本代表のレジェンド・奥寺康彦さんに大会の実行委員長に就任してもらった。さらに広域での連携を目指して、近隣の平塚市長と大磯町長にも話をつなげることに成功した。

もちろん商工会会議所の会頭や会長を訪ねて実行副委員長に就任してもらって、経済界の側面協力も取り付けた。教育委員会、ホテル、バス会社などとの折衝も抜かりなくやった。

海外からやってきた子供たちはサッカー大会に参加するだけでなく、鎌倉大仏の見学や、建長寺の座禅などの文化体験もした。それもすべて、大森のプランだった。

「ちょうど平塚七夕太鼓の催しがあって、南アフリカの選手が即興で叩いてくれたんです。こんなうれしいことはなかったですね」

そうやって19年4月、神大の監督に戻ってきた。自衛隊やベルマーレ、星槎グループでのさまざまな経験をしてきた大森は、学生たちがサッカーをやりながら社会貢献できる機会はないかを常に考えた。

■築50年の団地に神奈川大学サッカー部の寮をつくったワケ

横浜市緑区。JR横浜線、神大サッカー部のグラウンドがある中山駅の隣、鴨居駅から歩いて20分ほどの丘陵地帯におよそ6600人が暮らす団地がある。竹山団地だ。

バス停
撮影=清水岳志
サッカー部の寮がある竹山団地近くのバス停  - 撮影=清水岳志

神奈川県住宅供給公社が作った分譲団地で一部に賃貸がある。開発販売されてからすでに50年が経っていて、住人も相応の年齢になっており、65歳以上が43%を占める。団地内に溌剌とした雰囲気は感じられない。

「(都市部も含め)30年後の日本の社会はこうなる。それを見せつけられていると思いました。その時に地域社会を引っ張るにはどうしたらいいか。今から未来の勉強をしよう」

そう考えた時、大森は思いつく。

「住み続けられる街づくり……これって、SDGs(17つの持続可能な開発目標)の11番の項目じゃないか!」

大森の最初のアイデアは、竹山団地に神大サッカー部の寮をつくり、若者の力で盛り上げることはできないだろうかというもの。だが、団地には公社法という法律があって制約がある。まず、大学の学長と公社の理事長が協定を結ぶところからはじまった。2020年3月のことだ。

幸いにも団地の側にも若い世代を入れて突破口を作ろうという機運もあった。家族の制約やルームシェア禁止だった空き部屋が使用可能になって4、5階の空き部屋を部員が寮として使えるようになった。

3Kと2DKタイプで寮費は食費込みで6万5000円だ。部員は一区画に3人の共同生活。コロナ禍で大学の講義をリモートで受けられるようネットインフラも整備した。来年以降も入寮できるように部屋を増やしていって、いずれは全寮制にする予定だ。

■部員が食堂運営し、地域の草むしりもする

団地内には幼稚園が2つと小学校もある。商店、病院もある。中心部の商店街の一角にサッカー部の食堂を作った。元は魚屋で空いていた店舗だ。来年は食堂用にもう1店舗、借りることになっている。食堂は部員が使っていない時は地域の人が使えるカフェにできたら、という構想も浮かんでいる。

これまでに団地内の草むしり、倉庫の片付け、池のかいぼり(農作業が終わる冬にため池から水を抜き、一定期間干して、清掃、堤や水路の点検補修を行う作業)などを手伝った。食堂の並びの八百屋の店主は商店街の副会長で、気軽に挨拶が行きかう。学生と住人の距離は着実に縮まっている。

次のターゲットはスポーツジムだ。かつて横浜銀行が入っていたモダンなスペースが残っていて、そのガラス張りの部屋にエアロバイクなどを置きたいと考えている。

「みんなが踏ん切りがつかなくて、そのままにしているから、何かを作ったら」と住人がせっつくそうだ。ジムができれば、高齢者も予防医療として運動が気軽にできるだろう。

■月2回、地域のスマホ教室で高齢者に操作の方法を部員が教える

筆者が現地の食堂を訪ねた日、大森が調理担当の部員に声をかけると、こう返答があった。

「横浜が3つ、みなとみらいが4つ、今日は残っています」

弁当の名称と個数だ。昼食は一合入りのプラスチック容器に入れてLINEで呼ぶと希望者が取りに来る。授業に行っている者には部員同士で届けることもある。夕食はこの食堂に集まって食べる。

食堂
撮影=清水岳志
 部員が食堂を切り盛りしている  - 撮影=清水岳志

メニューは管理栄養士が中心に作り、学生やスタッフも考える。食材の発注はそれを見ながら、学生自身が行っている。

緑区にはまだまだ農地が残っていて、なかでも有数の収穫量を誇る小松菜をつかった“小松菜カレー”の開発を進めている。地産地消のメニューを高齢者に提供できる日も近い。

食堂の内装は、以前からのコンクリートうちっぱなしを残し、他は部員で壁を塗装した。机は豊洲のカフェから、角材は大磯の三井財閥の別荘から、大森が知人を介して譲ってもらったものだ。大きな釜は自治会が譲ってくれた。工事費用は1000万円かかるところを500万円ほどに抑えられた。

「保健所の指導もしっかり仰ぎ、靴とかエプロンとか衛生管理は徹底してやっています」

将来、飲食店を経営したいものがいたら、こうした経験も参考になる。

■サッカー教室、高齢者向けのランチ提供、子ども食堂の展開……

今は月に2回、住民を対象に地域の施設で開催されているスマホ教室を手伝う。今の社会は人と人のつながりが希薄化したのに加え、新型コロナの感染防止のため人との濃厚接触を避けるようとネットの活用が推奨される時代だ。

IT機器の苦手な高齢者に電話番号登録の作り方やLINEの使い方も教えている。スマホを使えば医療のインフラの一部になり得る。途絶えがちな高齢者の健康観察も可能になる。またZoomができるようになれば体操の指導もできる(一部実施済み)。

当初、地域密着型コールセンターの「スマホセンター」設立計画には、疑心暗鬼の住人もいた。そこで、大森はならばサッカー部が仲立ちしよう、と立ち上がる。

「サッカーで一つにまとまってということは学んできました。“チーム竹山”の推進力で前進していきましょうと協力を申し出ました」

スマホの基本操作ができれば、今後は、健康の相談を気軽に医療従事者にできるようになっていくはずだ。

子供たちのサッカー教室はお安い御用だし、高齢者のためにランチを提供したり、子ども食堂を展開したりすることも可能だ。そう、大森は思い描いている。

■「竹山団地は表現の場。部員を地域のリーダーに育てたい」

部員は仕送りなしで自活できるのが究極の理想。就職するときは企業にとって即戦力になっている。そうやって日常生活を充実させた上に、サッカーも強かったら最高だ。

サッカー部監督に復帰するとき、社会活動のロードマップを示して大学当局に評価されて採用された、という。今や監督業よりも“地域貢献担当事業部長”役が忙しい。将来は監督業から身を引いたとしても、地元に根を下ろして、いろんな学生と野菜を作ったり、地ビールを作ったりしたいという。

「サッカーは好きだけど、詳しくない(笑)。地域活動の比重が大きい。こんな監督いないですよね」

いたずらっぽく笑う大森だが一転、マジメな顔をしてこう語ったのが印象的だった。

「これからリニアエコノミー(物資を大量消費する線形経済)を脱する時代です。SDGsとの親和性の高いサーキュラーエコノミー(循環経済)を標榜する時代になると思う。そういう社会をけん引する人材を育てることが大学スポーツの役割になると思うんです」

地元選手を大事にする監督どころか、町おこしを率先し、地域を活性させようとしている。大森はそんな実業家であり、プロデューサーのような存在だ。

神大サッカー部は今、「地域連携による中正堅実な人材を育成」を掲げる。巣立つ時は自立と共生ができる力が育まれているように、という思いがそこにはある。

「竹山団地が表現の場であって、ここで地域のリーダーになれる人材を育てていきたい。学生はいい社会を作るお手伝いをリアルな活動の中でやっています」

団地
撮影=清水岳志
 部員が住む竹山団地 - 撮影=清水岳志

就職面接でも、学生時代にやってきたことを言語化できれば企業も興味を示す。最近は、神大サッカー部から京セラ、住友林業、横浜銀行など大手企業への就職も増え、教員になる部員もいる。

持続可能な開発目標、SDGsの11番。〈住み続けられるまちづくりを都市と人間の居住地を包摂的、安全、強靭かつ持続可能にする〉

残念ながら、今シーズンは関東大学サッカーリーグ2部で最下位が確定し、来季は下部リーグに降格する。ただし、竹山団地プロジェクトで大森の指導の下、神大サッカー部員はSDGsの只中で着実に成長を続けている。(文中敬称略)

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清水 岳志(しみず・たけし)
フリーライター
ベースボールマガジン社を経て独立。総合週刊誌、野球専門誌などでスポーツ取材に携わる。

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(フリーライター 清水 岳志)

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