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「子供に介護されるくらいなら死にたい」ヨーロッパに安楽死のできる国が多いワケ

プレジデントオンライン / 2021年11月12日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bymuratdeniz

オランダやスイスなどでは安楽死が法的に認められており、希望者を支援する団体もある。「自殺幇助」という批判を受けながら、なぜ安楽死を制度化できたのか。宗教学者の島田裕巳さんは「死生観や家族観が日本とは根本的に違う」という――。

※本稿は、島田裕巳『無知の死 これを理解すれば「善き死」につながる』(小学館新書)の一部を再編集したものです。

■安楽死の間際で抵抗した74歳女性は何を考えたのか

オランダやスイスで安楽死が認められるようになってから、大きな問題になっているのは、安楽死が認められる要件からはるかに逸脱したケースが増えているということである。

オランダでは、2001年に安楽死が合法化された後、2016年4月に次のような事件が起こっている。

患者は認知症を患っている74歳の女性だった。彼女は、認知症がまだ軽い段階で、老人ホームに入居しなければならないほど症状が悪化したときには、安楽死を望むと事前指示書に記していた。

そこで、老人ホームで主治医となった女性の医師は、彼女の意思にしたがって女性のコーヒーに鎮静剤を混ぜて、それを飲ませ、安楽死させるための薬を注射しようとした。

ところが、そのとき女性が目を覚まし、抵抗した。そこで医師は家族に彼女を押さえつけるよう依頼し、その上で注射を行い、彼女を安楽死させたのだった。

■オランダの司法は医師を罪に問わなかった

医師は、安楽死を行う際に、改めて女性の意思を確認していなかった。そこで、安楽死が正しく行われたかを審査する地域安楽死審査委員会は、この件を検察庁検事長会議に送り、捜査の結果、医師は2018年11月に起訴された。

しかし、ハーグ地方裁判所は、2019年9月11日、医師に対して無罪の判決を言い渡した。安楽死法が定める要件をすべて満たしているというのである。

認知症になることを恐れ、そのときには安楽死させてほしいと願う人はいる。しかし、認知症になった人間が常に正しく物事を判断できるかは怪しい。実際、この女性は暴れ出したのだから、その時点では安楽死を望まなくなっていたと見ることもできる。あるいは、ただ注射されるのが嫌だったのかもしれない。

私の母も、亡くなる前には認知症がかなり進んでおり、病院に入院しなければならなくなったときには、点滴が嫌で、それを外そうとしたため、手を拘束されたらしい。

■夫を亡くした悲しみだけでは安楽死は認められない

スイスでも事件は起こっている。

2019年10月17日、ジュネーブの裁判所は、フランス語圏の自殺幇助組織エグジット(EXIT)の副支部長で医師のピエール・ベックに対して、健康な女性の自殺幇助を行ったとして有罪判決を下した。120日の執行猶予付き罰金刑だった。

事件が起こったのは2017年4月のことで、医師は致死量の鎮静催眠薬ペントバルビタールを当時86歳だった女性に処方した。催眠薬は女性本人が服用している。女性の夫はすでに亡くなっており、深い悲しみにあるというのが自殺の理由だった。

この女性は、深い悲しみに包まれていたとしても、病にかかっているわけではなかった。それでは安楽死の要件はまったく満たしていない。裁判所は、そうした実存的な理由での自殺幇助は認められていないと判断したのだった。

有罪とする上で決定的だったのは、この医師が、他の医師から助言を得ていないことだった。自殺幇助を行う際には第三者の医師に診断を求める必要があった。ところが、医師はそれを怠った。医師本人も、「エグジットの自殺幇助基準を少し上回る」行為だったことを認めていた。

病院と医療
写真=iStock.com/vmargineanu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/vmargineanu

■精神疾患を抱えた人の安楽死を巡る是非

実は、NHKスペシャル「彼女は安楽死を選んだ」(2019年6月2日)で取り上げられた日本人女性の自殺幇助を実際に行ったエリカ・プライシック医師も裁判にかけられている。容疑は、2016年6月に行った自殺幇助に関するものである。対象となったのは精神障害に苦しむ60歳代の女性で、検察は、プライシック医師は精神科医の助言を得ないまま自殺幇助を実行したとして5年の懲役刑を求刑した。

その女性は、最初エグジットの方に自殺幇助を依頼した。ところが、エグジットは、彼女が精神科医の診察を拒否したということを理由に、自殺幇助を認めなかった。

そこでプライシック医師に依頼したわけだが、彼女は、女性がしっかりとした判断力があると考えた。別の医師も、それに同意したが、その医師は精神科医ではなかった。

自殺幇助で亡くなった女性を死後に調べた大学の精神科医は、女性は重度の鬱病と身体障害に苦しんでおり、自殺幇助を求めたのは精神病の結果で、合理的な判断にはもとづいていないという報告を行った。これで、検察はプライシック医師を起訴した。

裁判所は、この件についてはプライシック医師を無罪としたが、自殺幇助に用いる薬を適切に管理していなかったとして、執行猶予付きの15カ月の禁固刑と罰金2万フラン(当時のレートで約200万円)を科した。さらに裁判所は、プライシックに、今後4年間、精神的な疾患を抱える患者に対する自殺幇助を禁止した。

その後、2021年の控訴審では、薬の管理にはやはり問題があったとし、有罪判決が支持されたものの、執行猶予付きの懲役刑は破棄され、罰金も減額された。そして、精神的な疾患を抱える患者に対する自殺幇助の禁止も解除された。

■ヨーロッパで合法化が進んだ宗教的理由

こうした自殺幇助に対して、それは死をビジネスとするものだという批判がある。安楽死が合法化されていない国の人間がスイスに来て、自殺幇助によって安楽死を遂げていくことについても、「自殺ツーリズム」ではないかという声もあがっている。だが、スイスでは、自殺幇助を禁止する方向には向かっていない。

しかも、自殺幇助の対象となる人間の範囲は拡大されており、安楽死の要件をはるかに逸脱してきたようにも見える。それは、自殺を望む人間に、その機会を与えているだけであるようにも見える。ではなぜ、その方向に進んできたのだろうか。一つは、自殺に対する宗教的な禁忌の存在である。

オランダにおける安楽死について取材した三井美奈氏は、『安楽死のできる国』(新潮新書)のなかで、キリスト教には自殺を神に対する罪悪とする考え方があるとする。

中世のヨーロッパでは、罪ということが強調されたが、自殺者は教会で葬儀ができないばかりか、遺体は街中を引きずり回され、頭を割られ、財産は没収された。そうした伝統は19世紀まで生きていたという。「生命は共同体に帰属し、個人が勝手に処分できないものだった」のである。

こうした宗教的な禁忌への反発があり、そうしたなかから、「自分の意思を死の瞬間まで貫いて生きる」ことをめざし、安楽死の合法化が進められてきたというのである。

■日本には自殺に対する禁忌がない

たしかに、その面はあるだろう。安楽死が合法化されているのは、オランダをはじめとするベネルクス三国、カナダ、アメリカ、オーストラリアの一部の州であり、プロテスタントが多い国や地域が大半を占める。逆に、カトリックが多いフランスやイタリアでは認められていない。

スイスで自殺幇助による安楽死を遂げる外国人としてはドイツ人がもっとも多いのだが、ドイツはプロテスタントとカトリックが拮抗している国である。ただし、ナチスのことがあり、安楽死が認められるような状況にはない。それでも、ドイツ国民のなかには、それを望む人間たちが少なくないのである。

日本にも、キリスト教は明治以降、カトリックもプロテスタント、さらには正教会も入ってきて、宣教活動を行った。信者の数はさほど増えなかったものの、教育や医療の分野ではその影響は大きい。しかし、自殺を禁じるような考え方も、逆に、死を自ら選択することの自由を確立しようとする方向にも向かっていかなかった。実際、日本の自殺率はかなり高い。

あるいは、自殺に対する禁忌がないということが、日本で安楽死を合法化させようとする方向にむかわない一つの理由かもしれない。だが、それ以上に重要なことは、家族のあり方の違いというところにあるのではないだろうか。

ジャーナリストの宮下洋一氏が自殺幇助の現場に立ち会ったイギリス人女性は、老人ホームに入ることを忌み嫌い、それが自殺幇助を望んだ大きな動機になっている。年老いても、他人に助けてもらいたいとは思わない。それが嫌で仕方がない。安楽死を望む人々が次々とあらわれ、安楽死が合法化された背景には、そうしたことが関わっているのではないだろうか。

■「他人に依存するより自分で生命を終わらせたい」

オランダの元最高裁判事、ハイブ・ドリオン氏は、1991年に、「高齢者が自殺薬を保持する権利」を求める論文を寄稿した。それ以来、そうした薬は「ドリオンの薬」と呼ばれるようになったという。

三井氏は、ドリオン氏に2000年にインタビューを行っているが、氏はそのとき、「人間として、尊厳を持って死にたい。他人に依存して生き存ながらえるより、致死薬をもって自分で生命を終わらせたい」と語ったという。ドリオン氏は、尊厳と他人に依存することを対比させている。他人に依存することは、個人の尊厳を損なうことになるというのである。

どうしてそういう考え方が生まれてくるのか。京都大学名誉教授で産婦人科医である星野一正氏は、「オランダで、安楽死の容認はなぜ可能なのか」(『時の法令』1650号、2001年9月30日発行)という論文で、そうした考え方とオランダの国民性との関連について述べている。

オランダでは、18歳で成人となるのだが、「成人となった息子や娘は、親の家から独立して個人として、自己決定権を行使して自由に生活をするのが、当たり前」とされている。そして、「成人した子供は、親の家を出るので、年老いた親と同居して世話をする習慣がない」というのである。

では、年老いた親は、自分の世話ができなくなったときどうするのか。その際には、「買い取りマンション」「ワンルーム・マンション」「レストハウス」「ナーシングホーム」など、ケア付きの住宅が集まった一戸建てのビルなどに移ることになり、最期は定められたホームドクターが看取ってくれる。生活面の他のケアもあり、その結果、オランダでは自宅で亡くなる人間が多い。ただ、働いている間は、「驚くほど高率の所得税などを」収めなければならないのである。

■家族の介護が当たり前の日本とは根本的に違う

老いても、子どもに介護されることはない。介護してくれるのは他人だが、それを望まない人たちがいる。彼らは、自立して生きることを第一に考えていて、他人に依存することをよしとしない。そこで、自立した生活ができなくなると、安楽死を望むのである。

島田裕巳『無知の死 これを理解すれば「善き死」につながる』(小学館新書)
島田裕巳『無知の死 これを理解すれば「善き死」につながる』(小学館新書)

日本でも、介護保険が導入され、高齢者のケアは進んでいる。しかし、オランダほどには進んでいない。福祉国家の典型とされる北欧などでも事情はオランダと同じだろう。

日本では逆に、家族が、介護の中心となり、介護される高齢者も、それを受け入れ、望む。介護されるようになったからといって、自分の自立が脅おびやかされ、人間としての尊厳が失われたとは考えない。

日本で安楽死の合法化に向けて動いていかないのも、こうしたことが関係している。個人としてのあり方が、合法化されている国とは根本的に異なるのだ。

そしてこのことは、在宅死、あるいは在宅ひとり死や孤独死の問題とかかわっていくのである。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)など著書多数。

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(宗教学者、作家 島田 裕巳)

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