「事故に見せかけて焼き殺す」年間8000人以上が犠牲になったインドの持参金殺人の手口
プレジデントオンライン / 2021年11月18日 11時15分
※本稿は、池亀彩『インド残酷物語 世界一たくましい民』(集英社新書)の一部を再編集したものです。
■アジアでは1億人以上の女性たちが“消えて”いる
「消えた女性たち(missing women)」という表現をご存知だろうか?
これは、ノーベル経済学賞を受賞したアマルティア・センが1990年12月20日付けの『ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス』で発表した「1億人以上の女性たちが消えている(‘More Than 100 Million Women Are Missing’)」という論文で初めて使われた表現だ。日本の人口に匹敵する数の女性たちが消えているとはどういうことなのか?
自然な状態であれば、100人の女児に対して105から106人の男児が生まれることはほぼ世界共通である。しかし男性が有利なのはここまでで、なぜか女性の方が病気などへの抵抗力が強く、単に女性が男性よりも長生きするだけでなく、成長期においても、同じ栄養状態、医療体制であれば女性の方が生存しやすい。そのため、ヨーロッパ、北米、日本では女性の人口の方が男性よりも多い。
だが、この女性と男性の割合は場所によって大きく異なる。他の地域に比べて女性の割合が著しく低い地域が中国、南アジア、西アジアなどである。
もし男女比を1:1とすると、この地域では1:0.94(1990年時点の数値)であり、他の地域では生存しているはずの女性がこの地域では6%も「いない(消えている)」ことになる。
さらにいえば、男性と女性が同等に扱われている地域での男女の人口比は1:1.05であるから、それと比較すると実に11%の女性が消えているわけだ。こうした計算によって導かれたのが1億人という数字であった。つまり本来ならば生きているべき1億人もの女性が何らかの原因でいないのだ。
■中国では7200万人、インドでは4580万人が消えている
センの論文以降、人口学者や社会学者たちは「消えた女性」を社会問題として議論してきた。
国連人口基金(United Nation Population Fund, UNFPA)による2020年のレポート(UNFPA 2020 State of World Population)によれば、世界人口約76億人のうち、本来生きているはずであった女性たち1億4260万人が「消えている」という。消えた女性の数は1970年の6100万人から過去50年で倍増している。
消えた女性が圧倒的に多い国が2つある。中国とインドだ。中国では7200万人が、インドでは4580万人が消えている。世界から消えた女性の実に過半数が中国から、そして約3分の1がインドからなのだ。
では女性たちはどうやって「消える」のか?
まず女性が消えている地域ではそもそも女性の生まれる数が少ない。男児が一人生まれれば次の子供は望まないという選択をするだけでも女児の数に影響するが、それだけでは説明できない。男児が圧倒的に多い地域では、女児とわかった段階で堕胎しているのだ。
これは超音波診断の技術発展によって、胎児の性別判断ができるようになったことが大きい。インドでは胎児の性別判断は違法であるが、それでも2013年から2017年の間に年間約46万人の女児が誕生の段階で消えており、出生前の性選別(prenatal sex selection)がインドで消えた女性の約3分の2を占めるという。
では残りの3分の1の女性はどう消えたのか?
■男児が好まれる地域では、女子は無視され雑に扱われる
彼女たちは出生前の選別を逃れ、生まれてくることができたにもかかわらず、何らかの性選別のために男性よりも死に至る可能性を高めたのだ。
男児を好む文化のある地域では男児は祝福されて育つが、女児は生まれた瞬間から失望の原因であり、後述するように将来の経済的負担でしかない。だから女児は無視され、忘れられ、雑に扱われる。意識されるにせよ、されないにせよ、こうしたネグレクトにより女児は男児よりも死にやすい。
男児が好まれる地域においては、女児は母乳を与えられる期間が男児より短く、また食事も少なく与えられるというレポートもある(*1)。インドにおいては、5歳以下の女児の実に9人に1人は、こうしたネグレクトなどの出生後の性選別(postnatal sex selection)によって亡くなっているとされる。
こうした数字には、インド国内においても大きな地域差があることを留意しておきたい。インドでは男女の人口比が自然な値から離れている地域と出生後の性選別による女児の死亡数の高い地域はほぼ一致していて、いわゆるヒンディー・ベルトといわれるウッタル・プラデーシュ州、ビハール州、マッディヤ・プラデーシュ州、そして北西部ラジャスターン州でその傾向が強い。
一方でケーララ州などの南部では、男女の人口比も先進国とほぼ変わらず、5歳以下の女児の死亡もそれほど多くはない。
(*1)Guilmoto他 2018. “Excess Under-5 Female Mortality Across India: a Spatial Analysis Using 2011 Census Data.” The Lancet Global Health
■高級車やマンションを要求されることもある「持参金問題」
さて、なぜ女児よりも男児が好まれるのか?
数十年前の日本でも女児よりも男児、そして長男が「家」にとって大切な存在とされていたのだから、これはそれほど想像に難くないだろう。
男性が財産を相続し、家の名前やビジネスを継承し、先祖代々の墓を守る。だからこそ、男性が教育を受け、良い仕事に就き、家族を支えることが当然と考えられてきた。こうした家父長主義においては、実は男性自身もそのイデオロギーの犠牲者として苦しむことが多いが、女性は生き続けることはもちろん、生まれてくることそのものも困難なのだ。
インドにおいて男児が好まれる原因の一つに持参金問題がある。
娘を嫁に出す側が現金や金・銀などを持参金として婿側の家族に渡す習慣は、女性がより地位の高い家へと嫁ぐ上昇婚が多い北インドで行われた慣習だが、現在ではかつてイトコ婚などの同位婚が多かった南インドにも広がっている。また持参金はヒンドゥー教徒だけでなく、クリスチャンやムスリムの間でもみられる。
持参金の額は、婿となる男性の教育レベルや給与の額などで大きく異なる。またカーストによっても要求する額は変わってくる。インド西海岸部に多いコンカーニ・クリスチャンは多額の持参金を求めることで有名だが、現金や貴金属の他に、高級車や値段の高騰しているムンバイ市のマンション(これだけで何千万円とするだろう)などの不動産を要求されることもあるという。
こうして伝統的な家父長制・男性中心主義に加えて持参金の負担もあり、女児よりも男児を好む傾向に拍車をかけることになっている。
■嫁を生きたまま焼き殺す「持参金殺人」
そして持参金が少なかったからと夫やその家族からハラスメントを受ける女性も多い。
持参金で揉めて、結婚後に殺される「持参金殺人(多くは生きたまま火をつけられて殺される)」も一時ほど社会問題とはなっていないが、最悪だった2011年には年間8618人の女性が犠牲になった(インド国立犯罪記録局調べ)。
典型的な持参金殺人では、嫁に来た若い女性は、夫やその家族によって灯油やガソリンなどをかけられた後、火を付けられ、生きたまま焼き殺される。殺した側は、彼女が揚げ物をしている時に誤ってサリーに火がついたなどと供述し、事故を装うことが多い。
ちなみにインドでは持参金を要求することも支払うことも1961年以降、違法である。〔持参金問題などインドのジェンダーに関する情報は粟屋利江・井上貴子編『インド:ジェンダー研究ハンドブック』(東京外国語大学出版会)に詳しい〕
さて女性の数がこれだけ減れば、需要と供給の関係から結婚市場における女性の価値が上昇してもよさそうだ。だが、そう簡単には物事は進まない。むしろ収入の安定した職持ちの男性が少ないため、そうした男性に女性が集中する。
さらに女性が若い方が持参金の額を低く抑えられるため、法律で決められた18歳を下回る年齢で結婚させられる女性も少なくない。
■2年間で13万人もの“買われた女性”たちが見つかっている
結果的に、多くの女性が「消えた」地域では、結婚できない若い男性が多く残ることになる。レイプなどの女性への暴力事件が多いのも同じ地域だ。
首都デリーに近い北インドのハリヤーナー州などの比較的裕福な地域では、アッサム州など北東地域から仲買人を通して花嫁を購入する事例が増えているという(前掲書の中谷純江論文参照)。
ハリヤーナー州は女性の割合が極端に少ない州の一つであるが、あるNGOが2017年7月から2019年9月に行った調査では、他州から「買われて」きた13万人もの女性を発見したという。
女性たちは、健康や年齢、外見や処女かどうかなどによって、7000円から6万円程度で買われる。「買われて」きた女性たちは侮蔑的な名称で呼ばれる他、言葉の違う土地のコミュニティーに溶け込むことができず、さまざまなハラスメントを受ける。
そして彼女たちは、正統な妻とはみなされず、遺産相続などで本来であれば得られるはずの財産を得ることができない。持参金を持ってきた女性たちですらハラスメントにあうのだから、「買われた」女性たちの困難さは想像に難くない。
■過酷な状況のなかでも絶望しないインドの女性たち
インドの女性たちの置かれた状況は過酷である。2021年3月に発表された世界経済フォーラムによる「ジェンダーギャップ指数」は、経済参加・機会、教育、健康、政治エンパワーメントの分野での男女差を数値化したものである。
これによるとインドは2020年から28もランクを落とし、156カ国中140位である(ちなみに日本も同じランキングでは120位であまり褒められたものではない)。
だが、インドの女性たちは絶望してはいない。日本と比べるとむしろインドの女性たちの方が元気であるとすら思える。農村の女性たちによる自助組織は数多くあり、さまざまな形のフェミニズム運動も長い歴史の中で根強く続いている。女性差別がきついと言われる北インドで、女性だけの自警団を結成し家庭内暴力や性暴力を働く男性を懲らしめる女性たちもいる。
インドの女性たちの元気はどこから来るのだろうか。私たちはインドの女性たちの置かれた悲惨な状況を同情して憐(あわ)れむだけでなく、彼女たちのパワーからも学ぶべきであろう。自分や周囲の女性たちの傷に共感し、怒り、そして行動にうつす勇気を持つ。
もしかしたらインドの女性たちは、そこにいたはずの女性たちに突き動かされているのかもしれない。
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京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授
1969年東京都生まれ。早稲田大学理工学部建築学科、ベルギー・ルーヴェン・カトリック大学、京都大学大学院人間・環境学研究科、インド国立言語研究所などで学び、英国エディンバラ大学にて博士号(社会人類学)取得。英国でリサーチ・アソシエイトなどを経験した後、2015年から東京大学東洋文化研究所准教授を経て、2021年10月より現職。
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(京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科准教授 池亀 彩)
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