「2年間、笑顔を封印していた」渋野日向子が復活Vを遂げるために捨てた"ある常識"
プレジデントオンライン / 2021年11月13日 11時15分
■「もう二度と勝てないのではないかと思えました」
シブコこと渋野日向子から笑顔が消えて2年近くが経っていた。
プロデビューから2年しか経っていないあどけない女の子が2019年夏、いきなり世界のメジャー大会、AIG全英女子オープンで優勝、一躍スターになった。シンデレラガールの誕生であり、プレー中終始笑顔を見せていたことから海外メディアが「スマイリング・シンデレラ」と書き立てた。帰国後の凱旋試合は空前の人気でシブコタオルは1時間で完売、地上波の放映も高視聴率だった。それ以降もシブコフィーバーは続いていた。
ところが、その2019年の終わり頃からシブコは勝てなくなった。スイングが乱れ始め、ここ一番で左に引っ掛けるミスショットを放って自滅する。
得意のパッティングも入らなくなった。2020年は追い打ちをかけるようにコロナが押し寄せ、海外挑戦も思うようにできなくなり、何とか出場しても結果が出ない。ならば日本で活躍しようとしても調子が上がらない。
しかし、人気選手だけに成績が悪くてもマスコミに追いかけられる。ひどい結果もシブコだけは報じられる。インタビューにも呼ばれるが、弱気なところは見せられない。愛称だけは維持しようと,作り笑いを浮かべる。それが、自嘲にしか見えない。2020年は1勝もできなかった。
「もう二度と勝てないのではないかと思えました」
■石川遼にアドバイスを求めて得た結論
心と体がかけ離れる。ジレンマが心も体も蝕(むしば)んだ。追い詰められたシブコは脱出の糸口を探し、そのヒントを石川遼に求める。
石川は高校時代のアマチュア時代に並み居るプロを破って優勝を果たし、「スマイル王子」と呼ばれ、笑顔とともにスター選手になった。アメリカに渡りメジャー優勝を目指すも挫折、日本に戻ってからも完全復活ができない。悩み多き日々を送っている。同じ境遇の石川にシブコがアドバイスを求めたとしても何の不思議もない。
そうしたことなどからシブコが得た結論は、<自分を捨てる>ことだった。
「2019年の自分を捨てることに決めました」
それは日本人女子選手として2人目、42年ぶりにメジャー優勝を成し遂げたことを忘れようということである。どこへ行ってもメジャーチャンピオンの冠が付いてくる。試合が始まるときの紹介も「全英女子オープンチャンピオン、渋野日向子選手」とアナウンスされる。
そうなれば下手なゴルフはできない。世界王者にふさわしいプレーを見せなければならないと力が入る。良い結果になるわけがない。名誉が重圧になってくる。勝てない日々が続けば何トンもの重石が背中にのしかかってくるというわけだ。
だったら重石はもちろんのこと、もはや何もかも捨ててやろうと決意するのである。
■なぜメジャー優勝をもたらしたスイングを捨てたのか
シブコが捨てようとしたものの中で、物理的なものはスイングである。
自分を世界のメジャーチャンピオンにしたスイングを捨てる。その決断は並大抵のことではない。子供の頃から培ってきたスイング。自分をプロにしてくれ、日本の女子ツアーで4勝を挙げさせてくれ、世界のシブコにしてくれたスイングと決別するのだ。
「このままのスイングでは世界では通用しない」
それは日本ツアーしか見ていなかった女の子がいきなり世界の頂点に立って思い知らされたことだった。全英女子オープンに優勝して、アメリカのLPGAツアーへの出場権を獲得、世界のトッププロたちと毎週戦うようになった。そこで思い知ったのは世界の実力と自分の実力との歴然とした差である。
当初は戦えると思っていたはずである。なにせメジャーを獲得したのだから。しかし、いざ、アメリカで毎週戦ってみると、まず飛距離が大幅に違う。
アメリカでは飛ばす選手は280ヤードを超す。自分はといえば240ヤードも超せない。グリーンを狙うクラブは4番手以上も変わってしまうのだ。池越えのホールも多く、グリーン手前から乗せることはできない。スコアを作るには飛距離アップは必然だった。
■予選落ち症候群に苦しむ
このときに並の選手ならば、今のスイングを基にして飛距離を出す方法を求める。体の回転や腰のキレを鋭くしたスイングでヘッドスピードを上げる。パワーアップのための筋力トレーニングを行うといったことである。つまりは、「捨てる」のではなく、「加える」ことを行うのが普通なのだ。
しかし、トレーニングはしっかり行っているし、現状のスイングも可能な限り改善している。もはやそんなことでは外国人選手と肩を並べる飛距離は得られない。しかも世界のトップ選手たちはショットの精度も遥(はる)かにシブコを上回っている。ビシビシとピンにつけてくるのだ。
実際に2020年前半のシブコの海外成績は優勝争いをすることもなく、30位以内にも入れない。前年優勝した全英女子オープンは105位タイでの予選落ちという惨敗だった。
こうした成績からの反省からシブコは自分なりにスイングを変えていこうと一人で模索し始める。コロナ禍でコーチがアメリカの大会には入れない以上仕方がない。
ようやく後半になって光が見え始め、12月の全米女子オープンで3日目を終えて首位に立ち、優勝争いを演じたのである。とはいえ競り負けて4位に終わるが、このときにスイングを変えていく気持ちが固まったのかもしれない。
■コーチからも離れ、孤独の戦いを選ぶ
新たにシブコが目指したスイングは、海外トップ女子プロのそれではなく、何と海外男子トッププロのスイングだった。全米オープンやマスターズなどを制したダスティン・ジョンソンなどが行っている「シャロースイング」である。
インパクトゾーンでヘッドが低く入って抜けるスイングで、フェースにボールが真っ直ぐ長く乗るため、飛距離も方向性も向上するという新打法である。
シブコはこの「シャロースイング」を行うために、スタンスを狭くして屈み込まないようにし、トップを小さくしてシャフトを左に向けるようにした。まさしくダスティン・ジョンソンのスイングであり、これまでのシブコのスイングとは明らかに異なるものである。
このスイングを身につける決断をしたシブコはコーチからも離れた。自分ひとりで完成させようとするわけだが、コロナ禍で孤独の戦いを強いられてきたシブコからすれば可能な決断だった。
■「見返してやりたいと思うたんよ」
とはいえ、スイング改造は一朝一夕にできるものではない。特にこのスイングは小さなトップだけに最初は飛距離が落ちる。新たなリズムを掴(つか)むまではショットの方向もバラバラになる。コーチがいなくなった以上、誰もが好き勝手なことが言える。「あのスイング改造は失敗だね」と口々に罵(ののし)られた。しかし、シブコはめげなかった。
「私は今ではなく将来を見据えている。自分が信じたことをやり遂げるまで」
猛練習を重ねるシブコ。新しいスイングをものにするため、短いウェッジでのスイングから身につけていく。大好きなドライバーもものにできてきたこの10月、遂にスタンレーレディスでほぼ2年ぶりという優勝を成し遂げた。ウィニングパットを決めると、涙が溢れ出た。
さらに3週後の三菱電機レディスでも優勝を果たす。もはや涙はなく、満面の笑みで「スマイリング・シンデレラ」の面目躍如となった。
「見返してやりたいと思うたんよ。ああじゃこうじゃ言いよったヤツを」
シブコは生まれ育った岡山弁で言い放った。自分がやってきたことは間違いないと実証することができた。シブコ、意地の優勝だった。
■勝ちの意識を前面に出すと「村」から孤立する
女子プロの練習を見るとわかるが、若い選手の多くは仲の良い選手とともに行動し、練習も一緒に行う。そこには黄色いはしゃぐ声が聞こえ、和気藹々の楽しいムード満載である。女子高生の修学旅行や合宿遠征のような感じがある。そこには勝負師としての顔や姿はない。
毎週毎週知らないと土地に行き、美味(おい)しいものを食べ、楽しく戦う。それはそれで悪くはないが、彼女たちはアマチュアではないのだ。賞金稼ぎのプロである。ライバルたちとしのぎを削って優勝を目指さなければならない。
もちろん、そう思っているに違いないが、誰もが女子プロの「村」から外れたくはない。勝ちの意識を前面に出しては孤立する。本音を隠して村はずれにされないようにしているようにも見えるのだ。
しかし、熾烈な海外の試合を経験するとその意識は豹変する。仲良くプレーしましょうと思っても、実力が伴わなければすぐに蹴落とされてしまう。実力があってこそ認められる。
言葉のできない日本人であってもそれは同じだ。素晴らしいショットを毎回放てて、優勝を何度もすれば、勝手に自分の居場所ができる。以前の岡本綾子であり、今の畑岡奈沙である。
■ゴルフ仲間との楽しい食事や練習は封印
しかし、2020年のシブコには海外ツアーでの居場所はなかったはずだ。いくら全英オープンに優勝したといっても、普段の試合で優勝争いから遠く外れていれば、単なる旅行者で終わるのだ。負けず嫌いのシブコにとって、それがどれほどの屈辱になるのか。言わずもがなである。
「もっともっと実力をつけたい。優勝できた三菱電機でのスイングだって100点満点の50点。もっともっと再現性を高めて、常にナイスショットがしたい」
シブコは日本で優勝できたことで満足などまったくしていない。実力を上げて、海外の試合で常に優勝争いを演じたいのだ。そのためには、ゴルフ仲間との楽しい食事も練習も封印して構わない。仲良しゴルフはシブコの中にはもう微塵(みじん)もない。日本でも一人で練習ラウンド行うシブコの姿をカメラマンたちが見ている。
スタンレーレディスはシブコを含む4人のプレーオフとなった。他の3人には応援する仲間たちの選手が集まっていたが、シブコには一人の選手も待っていなかった。ギャラリーもいない孤独な闘いを勝ち抜いたのだ。もちろん、試合後はSNSで大里桃子など親友が祝福メールを送ってはいたが、たった一人でやり遂げたシブコには新しいシブコの晴れ姿があった。
海外の試合はいつだって孤独だ。キャディもマネジャーもいるが、自分一人で模索しながら新しいスイングを完成させるしかない。真剣に練習し、真剣に試合に臨む。休むことのないハードな日々。日本でもそうありたいし、海外なら絶対である。
だから、日本も捨てる。今年の暮れは日本の最終戦を欠場してアメリカLPGAツアーメンバーになるための最終予選会に挑む。もはや日本は眼中にない。
■「グランドスラム」のためにすべてを捨てた
LPGAで勝利し、メジャーにも勝つ。全英女子オープンの覇者として、目標はあくまでメジャー大会の完全制覇だ。世界中の女子プロの憧れである全米女子オープンのタイトルを獲り、全米女子プロやANAインスピレーション、エビアン選手権にも勝つ。こうしてグランドスラムを達成するのだ。
男子のグランドスラムは4冠だが、女子のグランドスラムは5冠である。男子よりも一層達成が難しいのが女子である。
この5冠は時代とともに変遷しているため、本当に達成しているのは、カリー・ウェブだけ。かのアニカ・ソレンスタムも成し得ていない。それだけにシブコは密かにこの5冠女王、完全なるグランドスラマーを目指しているのだ。
メジャーチャンピオンの名を捨て、スイングを捨て、コーチを捨て、仲良しグループを捨て、人気をも捨てたシブコ。すべてを捨てたシブコは新しいシブコとなって、グランドスラムという世界を君臨する女王の座を獲得するつもりなのだ。
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『書斎のゴルフ』元編集長、スポーツライター
1956年東京生まれ。スポーツライター。武蔵丘短期大学客員教授。1998年に創刊した『書斎のゴルフ』で編集長を務める(2020年に休刊)。倉本昌弘、岡本綾子などの名選手や、有名コーチたちとの親交が深い。著書に『中部銀次郎 ゴルフの要諦』(日経ビジネス人文庫)、『トップアマだけが知っているゴルフ上達の本当のところ』(日経プレミアシリーズ)、訳書に『ゴルフレッスンの神様 ハーヴィー・ペニックのレッド・ブック』(日経ビジネス人文庫)など多数。
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(『書斎のゴルフ』元編集長、スポーツライター 本條 強)
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