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父に下着へ手を入れられ、母に育児放棄され、夫に骨を折られ…廃人同然だった女性が正気を取り戻した瞬間

プレジデントオンライン / 2021年11月13日 11時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kieferpix

母親からネグレクトされ、父親からは性的虐待を受け……現在、関東地方に住む50代既婚女性の生い立ちは壮絶だ。高卒後に入社した自動車販売会社では上司にセクハラされ、結婚した夫からもDVを受け、肋骨を2度折られた。人を見下し高圧的な物言いの義父母にも悩まされ、次第に心を病む。そうした中、娘が自分の腕をカッターで切る場面を目撃して――(前編/全2回)。
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

■ネグレクトの母親と性的虐待未遂の父親

関東在住の鳥越香さん(50代・既婚)は、豪農の出で中学を卒業以来、製造業で働く父親と、代々続く歯科医の家の娘だった母親のもとに生まれた。政略結婚のような形で結ばれた両親は、仲がよいとは言えず、大げんかを繰り返していた。

主なけんかの理由は、母親が家事や育児をしないこと。母親は、「食費や光熱費を節約するため」と言って料理を全くせず、掃除も月に2〜3回。風呂は4日に1回で、鳥越さんは常にお腹をすかせており、小学校に上がってからは給食が栄養源の中心だった。今でいう、ネグレクトの状態だ。鳥越さんには4歳離れた姉がいるが、小学校3年生の頃から登校拒否をしていた姉は、毎日1個の菓子パンで過ごしていた。

節約してできたお金を何に使っていたかと言えば、母親は自分の服や靴、貴金属類を購入するために使っていた。そのため、県営団地でさほど広くない家の中は、母親の服飾雑貨類で溢れかえっていた。

服飾雑貨類の購入資金は、ほとんどが歯科医である自分の父親(鳥越さんの祖父)からもらったもの。家事も子育てもしない母親に父親は度々怒ったが、「あんたの稼ぎだけだったら、とっくに破産してたわよ!」と聞く耳を持たない。

生まれてくる前、男の子だと期待されていた鳥越さんは、幼少の頃、父親からはバットやグローブ、釣具や虫取り網を買い与えられ、母親はリボンやフリルが付いた服は避け、常に青系の服やズボンを着せた。

そのため、鳥越さんに初潮が訪れたときも、すぐには母親に言えず、トイレットペーパーを丸めたものでしばらくやり過ごした。しかし量が多くなると、トイレットペーパーでは追いつかない。ついに母親に打ち明けると、母親は舌打ちして、生理用品を投げてよこした。

その数日後の深夜、父親が酒を飲んで仕事から帰宅。まだ起きていた鳥越さんを見つけると、「お前、男の子じゃなかったのか。確認してやる」と言って下着に手を入れてきた。びっくりした鳥越さんは父親の手を払いのけて逃げる。このときから鳥越さんは、父親と2人きりになるのが怖くなった。

そんな家庭に育った鳥越さんだが、品行方正、成績は中の上。だが、両親は子どもたちの学歴に全く興味がなく、義務教育を終わらせれば親の責務は果たしたと考えていた。しかも、2人の娘への教育方針はあべこべ。4歳上で成績がよくなかった姉には私立高校へ行かせ、鳥越さんには、中卒で働きに出た父親をモデルケースに、母親は「高校進学なんて不要だ」と言った。それでも鳥越さんが必死に頼み込むと、やっと「通学費がかからないから」と、母親は渋々名前を書けば受かる近場の公立高校を勧めた。

「姉は無条件に私立高校と専門学校に行き、私は公立高校に頭を下げて行かせてもらい、卒業後は就職。子の学歴は親の教育概念に大きく左右されると、この頃の私は打ちのめされました」

■愛する夫は、DVで平気で浮気もした

高校3年になり、就職活動を始めた鳥越さんは、就職先を自動車販売会社に決めた。とにかく早く家を出たくて、高校1年のときから付き合っていた彼と結婚するつもりだったが、この頃から彼がよそよそしくなり、不眠症に。心療内科に通い始め、睡眠薬を処方されたが眠れず、38キロまで体重が激減した。

彼の浮気相手が鳥越さんの幼なじみと分かると、鳥越さんは抗議のため、幼なじみの家を訪ねる。すると、彼と幼なじみが服を着ながら現れ、絶句。何もかもどうでもよくなった鳥越さんは、家で睡眠薬2カ月分を一気に飲み、朦朧としていたところを姉に見つかり救急搬送される。近くの総合病院で胃洗浄を受け、一命を取り留めた。

それから1カ月間、高校を休学し、3月に無事卒業。4月からは社会人になった。

やがて鳥越さんは、大卒で同期入社の男性から猛アタックを受け、付き合うことに。自動車販売会社の営業に配属された鳥越さんは、メキメキと頭角を現し始めた。入社3年目には、営業所での成績がトップ級になるまでに成長。大卒同期の男性との交際も順調で、やっと鳥越さんにも幸せが訪れたかのように思えた。

ところが、ある出張帰りの夜……。

上司が営業車で家まで送ってくれると言うので、鳥越さんは素直に従った。すると上司は、人通りの少ないところに車を停めると、鳥越さんに襲いかかった。鳥越さんは激しく抵抗し、やっとの思いでドアを開けて脱出。

さらに驚いたのは翌日の会社だ。その上司は、なぜか自ら鳥越さんと不倫関係にあるということを人に伝え、それはまたたく間に社内に拡散した。会社は、上司と鳥越さんに事情を聞くが、あろうことか上司は、「鳥越さんから迫られて行為があった」と言った。鳥越さんは「そんな事実はない」と言ったが、会社の判断は、ケンカ両成敗。鳥越さんには新人教育係への異動を命じ、上司は左遷となった。

あとで鳥越さんがその上司に食ってかかると、「入社2年目で実績を上げ、収益は女性トップに登り詰めたお前を、潰してやりたかった」と顔を歪めた。出張前に部長から鳥越さんと比較されたことを屈辱に感じた上司は、暴力でねじ伏せる凶行に出たわけだ。

当時付き合っていた大卒同期の男性とは、結納を交わしたばかりだった。このことは当然、彼の耳にも入る。彼は激昂して豹変(ひょうへん)し、暴力を振るい、鳥越さんは肋骨を折る大けがを負った。だが彼自身、鳥越さんを疑う心と信じる心とで葛藤していたのか、鳥越さんを襲った上司に社内でつかみかかる騒ぎを起こし、減給処分を受けた。

女性を平手打ちする男性のシルエット
写真=iStock.com/Ljupco
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ljupco

それから彼と結婚するまでの3年間、彼は鳥越さんを毎日家まで送るようになった。

「彼には、守ろうとする気持ちがあった一方で、私を監視する気持ちもあったと思います。彼は事件以降、何かあるとすぐに手を上げるようになり、結婚するまでにもう一度肋骨を折るけがを負わせられたほか、彼に突き飛ばされて家具に踵をぶつけ、足の骨にヒビが入ったこともありました……」

それでも、1994年5月、鳥越さんは24歳で結婚。結婚後は身体への暴力はなくなったが、代わりに食費・生活用品費・医療費以外はお金を渡さない経済的なDVが始まった。

「私は被害者であり、上司から逃げ切ったのに、上司が『私から迫り関係を持った』と陳述したため、夫は私の言うことを心の底からは信じてくれませんでした」

翌年、長女を出産したが、妊娠がわかった時の第一声も「本当に俺の子か?」だった。

「上司は、私も夫も壊してしまいました。それからはずっと夫の監視下です。子どもたちが学校に行っている間にママ友とお茶をしても、証拠を残すか、アリバイを作らないと出られなくなりました。私を知っている人は、『夫婦ラブラブだね』と勘違いするけれど、生存確認と称した監視は息苦しさしかありませんでした」

■見下す義父と支配したがる義母、夫は「年寄りの戯言を聞いてやって」

当時、58歳で大手製造業の会社の課長を勤めていた夫の父親は、鳥越さんの高卒という学歴を蔑(さげす)んだ。53歳の夫の母親は、自分の実家のほうが鳥越さんの母親の実家より格が上だと言い、鳥越さんに見下した態度を取り続けた。

義母はさらに、わざわざ2時間かけて鳥越さんの家にやってきては、「子育て中はスカートはダメ」「主婦にピアスは必要ない」「ヒールは贅沢品」などと言って、鳥越さんを自分のルールの中に閉じ込め、がんじがらめにした。

「普段の私は、年齢や立場だけで押し切る人に対して意見が言えるのですが、義母には逆らえず、言いなりにさせられてしまうのです。それがなぜなのか、自分でもわかりませんでした」

夫には弟が2人いるが、義母は上の弟の嫁である義妹には一切口出しせず、実家のことを手伝わなくても何も言わないどころか、「義妹ちゃんだから、しかたない」と言う。

義妹は結婚後、義母が「婿にとられた!」と愚痴るほど夫の実家に寄らなくなった。そのため、あまり口出しして嫌われると、全く実家に寄らなくなってしまうのを恐れたのかもしれない。

鳥越さんは義母から、「主婦は髪を下ろしちゃダメ」と言って、無理矢理美容室に連れて行き、ボブに切られたこともあった。にもかかわらず、義妹はゆるふわパーマのロングヘアに、きれいに塗られたマニキュア。家事には邪魔になる、フリンジたっぷりのボヘミアンブラウス……。

「気づけば私は、一本結びにした髪。汚れてもよく、動きやすいパーカー。膝の柔らかなスキニーパンツ。よくよく考えれば『私が全てやりますよ』と表明しているような服装を、私は自分から選んでしまっていました」

念入りに掃除する手元
写真=iStock.com/Dusan Sapic
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Dusan Sapic

鳥越さんが夫に抗議しても、「年寄りの戯言だから聞いてやって」と言って庇(かば)うのはいつも義母のほう。

さらに義母は、自分の息子が結婚してから、鳥越さんに、最低限の生活費と医療費しか渡していないのを知っていながら、何も言わない。鳥越さんは、髪を切るのも自分で切ったり、知り合いに頼んだりしていたが、そうそう知り合いに頼んでもいられず、時々美容室に行った。だが、そのことを義母は誰かから聞きつけると、義母は夫に告げ口。すると夫は、「俺のやり方に文句があるのか」と言わんばかりに荒れ狂い、壁に穴を開けたこともあった。

ただ幸いなことに、義両親は、孫たちはかわいがってくれた。人見知りが激しかった次女はそこまでではなかったが、長女は服やおもちゃを大量に買い与えられ、まるでお姫様。そしてそれは、鳥越さんの両親のほうも同じだった。

■何もしない母親は父親定年後にさっさと家出

2001年6月。父親が60歳で定年退職。毎日家にいるようになった父親は、あまりにも家事をしない母親を怒鳴るようになる。定年退職から3カ月後、ついに母親は家出し、鳥越さんの姉が一人で暮らすマンションへ逃げ込んだ。

「母が、高齢の夫を残して家出し、姉のところへ行くということは、私に父の介護を丸投げしたということになります。私は子育ても家事もろくにせず、さらに自分の夫の将来の介護まで私になすりつけ、姉の人生まで潰そうとする母の身勝手さを許せませんでした」

このときから鳥越さんは、母親との連絡を絶つ。自衛隊の入隊経験がある父親は、調理師免許を持っており、しばらくは一人暮らしでも問題はなかった。

■ドアを開けると、長女は自分の腕にカッターナイフでリストカットを

2002年、長女が小学校に上がると、鳥越さんはPTA活動に参加。最初は他になり手がいなかったため、学年委員長を引き受けたことが発端だったが、その後、文化部長、会長に選出され、経験が長くなると、住んでいる区の連合会役員に推薦され、最終的に副代表まで務めた。

「はじめは、社会とつながりたい気持ちからの参加でしたが、学校でイジメがあると、親と学校との間に入らされるなど、土日祝日関係なく仕事が入り、やることが増える一方で、それをよしとしない夫から『お前じゃなきゃダメな仕事なら、給与をもらってやれ!』と度々言われるなど圧力もひどく、私は精神的に病んでいきました」

鳥越さんは、子どもが小さいうちは家にいてやりたいと思い、自ら仕事を辞めたが、子どもたちに手がかからなくなったら、また働きに出たいと思っていた。しかしそんな思いもむなしく、夫はそれを認めない。相談しようものなら、「お前が働いて稼ぐ金なんてたかが知れている。切り詰めろ!」と怒鳴られるのが関の山だった。

専業主婦の「社会とつながりたい」という思いの多くは、「誰かに存在価値を認められたい」という思いと同義だ。次第に鳥越さんは、責められたくない一心から、完璧に家事をこなし、食事の用意をした上で、休息や睡眠の時間を惜しんでPTA活動を継続。身体的にも精神的にも疲弊していき、心療内科で処方された睡眠薬や安定剤を疑いなく服用。すると、丸3日目覚めないこともあった。

2009年。長女中学2年生、次女小学6年生となっていたある日、鳥越さんは薬の効果が切れ、3日ぶりの深夜に目が覚めた。トイレに向かうと、長女の部屋に明りがついている。不審に思った鳥越さんがドアを開けると、長女は自分の腕にカッターナイフを当てていた。慌てて鳥越さんが駆け寄ると、長女の腕は傷だらけ。よくよく部屋を見渡すと、長女の中学の制服も、カバンも傷つけられ、安全ピンやバンドエイドだらけになっていた。

カッターでカットするイメージ
写真=iStock.com/stoickt
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/stoickt

鳥越さんは愕然とした。

「この頃の娘たちは、自分たちのことをそっちのけでPTA活動に夢中になり、睡眠薬や安定剤を飲んで廃人のようになっていた母親を見限り、口もきいてくれなくなっていました。社会とつながりたくて始めたPTAでしたが、多分、夫や義両親の支配から逃れたい気持ちもあったのだと思います。病的にのめり込み、薬を大量に出す心療内科の薬に依存し、まともに考えられなくなっていました。でも、長女のリスカ現場を目撃して、『私は何をしていたのか?』と、頭を殴られたような思いがしました」

目が覚めた鳥越さんは、区の連合会の副代表を辞め、母親として、娘たちの信頼を取り戻すことに努めた。以下、後編へ続く。

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旦木 瑞穂(たんぎ・みずほ)
ライター・グラフィックデザイナー
愛知県出身。印刷会社や広告代理店でグラフィックデザイナー、アートディレクターなどを務め、2015年に独立。グルメ・イベント記事や、葬儀・お墓・介護など終活に関する連載の執筆のほか、パンフレットやガイドブックなどの企画編集、グラフィックデザイン、イラスト制作などを行う。主な執筆媒体は、東洋経済オンライン「子育てと介護 ダブルケアの現実」、毎日新聞出版『サンデー毎日「完璧な終活」』、産経新聞出版『終活読本ソナエ』、日経BP 日経ARIA「今から始める『親』のこと」、朝日新聞出版『AERA.』、鎌倉新書『月刊「仏事」』、高齢者住宅新聞社『エルダリープレス』、インプレス「シニアガイド」など。

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(ライター・グラフィックデザイナー 旦木 瑞穂)

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