なぜ北朝鮮は「横田めぐみさんは死んだ」とウソをつき続けるのか【2020年BEST5】
プレジデントオンライン / 2021年12月6日 10時15分
■「横田滋さんの娘を拉致したことが、北朝鮮の最大の失敗だった」
めぐみさんと再会させてあげたかった。だれもがそう思ったに違いない。
北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(当時13歳)の父親、横田滋さんが2020年6月5日、老衰で亡くなった。87歳だった。拉致被害者の家族会に参加し、拉致被害者の救出活動で先頭に立って家族会を引っ張ってきた。被害家族の象徴的な存在だった。
新潟市の中学1年生だっためぐみさんがバドミントン部の練習の帰りに行方不明になったのが、1977年11月。北朝鮮の工作員による拉致だった。あれから42年余り。その間、横田滋さんは決してあきらめることなく、拉致問題の解決を訴え続け、政府関係者をして「滋さんの娘を拉致したことが、北朝鮮の最大の失敗だった」とまで言わしめた。
横田滋さんは生きて娘と再会できなかったが、めぐみさんら拉致被害者全員が無事に帰国できることを願う滋さんの魂は消えない。
■娘に対する熱い思いが横田滋さんの原動力だった
2002年10月15日の羽田空港。政府チャーター機のタラップから地村保志さんや蓮池薫さんら5人が降り立ち、親や兄弟と抱き合った。拉致被害者の喜びの帰国だった。しかし、そこには横田めぐみさんの姿はなかった。
この1カ月ほど前の9月17日、小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮を訪問し、金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時)=2011年12月17日に70歳で死去=と初の首脳会談に臨んだ。この会談で北朝鮮はそれまで全否定していた拉致の事実を認めて謝罪した。だが、北朝鮮は5人の生存を認めたものの、めぐみさんら8人については「死亡した」と説明した。「めぐみは本当に死んだのか。信じられない」。横田滋さんは絶望の淵に立たされた。
その後、北朝鮮はめぐみさんの遺骨の一部を日本に提出したが、日本側のDNA鑑定によって別人のものと判明した。滋さんは記者会見で「めぐみの生存の可能性が強くなった」と語り、拉致被害者の救出活動に力を注ぐことを誓った。そこには父親の娘に対する熱い思いがあった。
■めぐみさんの娘にも会ったが、めぐみさんの消息は不明のまま
小泉首相の訪朝後、めぐみさんの娘だという少女(当時15歳)が現れた。現在32歳になるとみられるキム・ウンギョンさん(※)である。日本のDNA鑑定によって彼女がめぐみさんと血のつながりがあると証明されたが、横田滋さんは北朝鮮が拉致問題の幕引きに利用する恐れがあると考え、訪朝してウンギョンさんに会うことを止めた。
滋さんがウンギョンさんと会ったのは2014年3月だった。日本政府が北朝鮮と交渉して第三国のモンゴルで面会した。女の子のひ孫とも会えた。しかし、めぐみさんの消息は分からなかった。
めぐみさんは生きているのか。生きているとしたら、なぜ北朝鮮はめぐみさんを日本に帰さないのだろうか。
※年齢は執筆当時。
■韓国紙は「精神安定剤の過剰投与で死んだ」と報道したが…
2014年11月7日付の韓国紙の東亜日報が突然、「めぐみさんは精神安定剤や睡眠薬を過剰に投与されて1994年4月に29歳で死亡し、病院近くの山に埋められた」と報じた。しかし、日本政府はこの記事を「事実関係と異なる部分が少なくない」とすぐに否定した。
少しこの記事に触れてみよう。東亜日報は日本政府の拉致問題対策本部が2014年9月に韓国の「拉北者家族会」の代表と共同で脱北者の調査を行ったときの報告書を入手したと報じ、記事はその報告書がもとになっている。
記事によると、2人の脱北者が東亜日報に証言した。2人はめぐみさんが入院していた北朝鮮の平城にある国家安全保衛部の病院に勤務。めぐみさんの朝鮮名「リュミョンスク女」と書かれた診療記録を見たことがあり、そこには「1964年10月5日生まれ。1977年に日本で北朝鮮につかまって連れてこられた」と記載されていた。さらに2人は「めぐみさんは1994年4月10日に死亡した」と話し、「死因は睡眠剤などの過剰な投与だった」と述べたという。
この東亜日報の記事は事実なのか。韓国の「拉北者家族会」は「東亜日報の報道は欺瞞(ぎまん)に満ちている」と全否定している。どうやら東亜日報が工作をたくらむ北朝鮮にのせられた可能性があるというのが一般的な見方のようである。
■めぐみさんは金正恩委員長の日本語教師の可能性がある
拉致問題を精力的に報道し、日本新聞協会賞も受賞している産経新聞は、2017年11月29日付紙面でこんな記事を掲載している。
記事は「乗客乗員115人を乗せた大韓航空機が1987年に爆破されたテロ事件から29日で30年となる」と書き出し、同事件の実行犯である金賢姫(キム・ヒョンヒ)元工作員が韓国国内で産経新聞のインタビューに応じ、横田めぐみさんについて「生存情報を確認している。めぐみさんは生きている」と証言。北朝鮮が帰国させない最大の理由は「めぐみさんが金正日一家の秘密を知ったからだ」と語ったと報じている。
産経の記事によると、金元工作員は1984年6月ごろ、同僚工作員の日本語教育係だっためぐみさんに会っている。金元工作員は「めぐみさんは韓国人拉致被害者の夫との間に女児を出産したが、工作員教育に関わったうえに公にできない『秘密』を知ってしまった。それで北朝鮮は死亡したことにしている。一番は金正日一家との関わりだ」と話した。
金元工作員は、「めぐみさんは離婚した後、金正日一家の日本語教師をしていたとの情報を得た」とも話した。産経の記事は、金正日の息子で現在の最高指導者の金正恩(キム・ジョンウン)朝鮮労働党委員長が幼少時に日本語を学んでいたことから「金一家の子供たちが対象だった可能性もある」と指摘している。
■北朝鮮が公にできない「秘密」とは何なのだろうか
北朝鮮が公にできない秘密とは一体、何なのだろうか。さまざまな情報や推測が飛び交い、謎は深まるばかりだが、北朝鮮にとってよほど国際社会に知られては困る秘密があるのだろう。
そもそも日本から無理やり連れてきた13歳の少女がいかにして北朝鮮の最高指導者一家に信頼され、家庭教師という側近中の側近にまで上り詰めたのだろうか。めぐみさんは「必ず日本に帰れる。優しい父が助けに来てくれる」と固く信じ、北朝鮮で相当な努力を続けたはずだ。あの横田滋さんの娘であることから考えると、賢くしっかりした女性に成長したことは間違いない。
滋さんは体が弱り、2017年4月の拉致被害者の救出を求める国民大集会を欠席した。そのときにこんなビデオメッセージを寄せている。
「めぐみちゃん、お父さんですよ。ここら辺で必ず解放されると信じています。いま、めぐみが隣の部屋で待っているような感じがしています。もうすぐ会えるかもしれませんが、体だけは気をつけてください」
このメッセージをテレビのニュースで見て目頭が熱くなったのを覚えている。北朝鮮の金正恩委員長も見ていたと思うが、彼に人の心というものがあるのなら、めぐみさんたち拉致被害者全員を早く帰国させてほしい。
■横田滋さんは講演の依頼を断らない人だった
横田滋さんの死去については新聞各紙が一斉に社説で取り上げた。2020年6月7日付の朝日新聞の社説はこう指摘し、滋さんの死を弔う。
「滋さんは、拉致被害者家族連絡会の代表に就き、妻の早紀江さんとともに全国で1400回以上の講演に駆け巡った」
「やさしい表情で親の情を貫徹する姿を通じて、北朝鮮問題の現実を知り、被害者に思いを寄せた人々は数知れない。重く、つらい人道問題の象徴的な存在だった」
滋さんは講演の依頼を断らなかった。その講演で話す、滋さんのめぐみさんを思う心根に感動した人は多かったはずだ。沙鴎一歩もその1人である。
朝日社説は「2月には有本恵子さんの母、嘉代子さんが亡くなった。未帰還の政府認定被害者の親で生存しているのは、(横田)早紀江さんと有本恵子さんの父の明弘さんだけになってしまった」と高齢化の問題も指摘する。安倍政権はこれまで以上に全力で拉致問題に取り組んでほしい。
最後に朝日社説は「日朝間には、(2002年9月の小泉首相訪朝の際の)平壌宣言を踏まえて6年前に結んだ『ストックホルム合意』がある」と指摘し、こう主張する。
「当時、横田さん夫妻がモンゴルで孫娘と面会したことで機運が生まれ、この合意ができた。滋さんの遺志を引き継ぐためにも、安倍政権はこの合意にもとづく交渉を再開させるよう全力を注ぐべきだ」
この朝日社説の主張は正しいと思う。なぜなら安倍政権は、日朝平壌宣言とストックホルム合意を有効に利用していないからである。
■安倍首相は就任前から「拉致問題解決」を使命とするが…
毎日新聞の社説(6月7日付)は後半で安倍政権に発破をかける。
「会談に官房副長官として同席した安倍晋三首相は拉致問題での強硬姿勢で存在感を高めた。政権に就いてからは自らの手で解決する決意を繰り返し語ってきた」
会談とは、小泉首相訪朝の際の金正日総書記との会談のことである。安倍氏は首相に就く前から拉致問題解決を自らの使命に挙げている。政治的に利用するのはまだ許せるが、一度ぐらいは解決に政治生命をかける強い意志を示し、その結果を私たち国民に見せてほしい。
毎日社説も指摘する。
「ただ取り組みは、ほとんど実を結んでいない」
「14年のストックホルム合意では北朝鮮に再調査を約束させたが、何も得られないまま終わった」
「その後は核・ミサイル問題と同時に解決を図ろうとトランプ米大統領の『最大限の圧力』路線に同調したが、昨年5月には一転して無条件の首脳会談を金正恩朝鮮労働党委員長に呼びかけた。北朝鮮が前年に米韓との対話路線に転じたことを受けたものだが、いまだに反応はない」
要は、金正恩氏は安倍首相を相手にしていないのだ。金正恩氏はトランプ氏と直接交渉できればそれで十分だからである。安倍政権は前述したように、拉致問題の包括調査などを盛り込んだストックホルム合意などを駆使して国際社会に日本の立場を主張して北朝鮮に圧力をかけていかなければ、秘密のベールに覆われた拉致問題の解決はできない。
■「最重要、最優先課題である」と繰り返してきた安倍首相
次に6月7日付の産経新聞の社説(主張)を読んでみよう。他紙とは違い、大きな1本社説である。
その産経社説は「改めて、拉致誘拐という北朝鮮の国家犯罪に怒りを新たにする。北朝鮮は拉致を認めて謝罪した後も再調査の約束すら反故にしたままだ」と強調した後、安倍首相に要望する。
「怒りを国民全ての思いとして結集し、これをぶつけるべき相手は北朝鮮であり、独裁者である金正恩朝鮮労働党委員長である」
「そして国民の怒りを突きつけ、被害者全員の奪還を実現させるのは、日本政府の責務である」
「とりわけ安倍首相は拉致問題の解決を政権の『最重要、最優先課題である』と繰り返してきた。なんとしても自身の手で、めぐみさんらの救出を果たしてほしい」
拉致問題の解決は安倍首相の手腕にかかっている。問題はそれを安倍首相自身がどこまで自覚しているかだ。安倍首相はどんなに忙しくとも、産経新聞の社説だけは読むと聞いたことがある。今回の産経社説の「自身の手で、救出を果たしてほしい」との呼びかけに即時に応えてほしい。
■安倍首相には日朝間の膠着を打開する義務と責任がある
産経社説は「拉致問題は膠着(こうちゃく)状態に陥っている」とも指摘し、こう書く。
「5月19日の閣議で報告された『外交青書』は拉致の解決を『最重要課題』と位置づけ、安倍首相が昨年5月に『条件を付けずに金正恩朝鮮労働党委員長と会い、率直に話をしたい』と表明したことを盛り込んだ。だがその表明からも、すでに1年を過ぎている」
繰り返すが、結局、安倍首相は金正恩氏に馬鹿にされているのである。しかも米朝首脳会談は2度の開催でストップし、北朝鮮は今年に入って短距離弾道弾ミサイルを何度も発射してアメリカをはじめとする国際社会を挑発している。国際社会が経済制裁を緩和しなければ、核・ミサイルの開発を続行するという挑戦状である。
産経社説は訴える。
「安倍首相は滋さんの死去に『痛恨の極み』と言葉を詰まらせ『チャンスをとらえて果断に行動し、(拉致被害者の帰国を)実現したい』と強調した。だが、待っていてもチャンスはやってこない。政府は自ら膠着を破る行動を起こすべきだ。拉致の解決なしに北朝鮮は未来を描けないと理解させる、交渉の原点に返るべきだ」
大賛成だ。安倍首相には膠着状態を打開する義務と責任がある。「拉致の解決なしに北朝鮮は未来を描けないと理解させる」には何が必要か。やはり、トランプ氏に頼らず、既存の日朝平壌宣言とストックホルム合意をうまく使うのがベストだろう。
(ジャーナリスト 沙鴎 一歩)
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