「死者2000万人超は人類史上最大」いまの中国にも残る"太平天国"という未解決問題【2020年BEST5】
プレジデントオンライン / 2021年12月19日 10時15分
※本稿は、菊池秀明『太平天国』(岩波新書)の一部を再編集したものです。
■太平天国の乱とは何だったのか
14年にわたる太平天国の内戦は1864年に終わった。戦場となった地域とくに江南三省(江蘇、安徽、浙江)の被害は大きく、江蘇だけで死者は2000万人を超えた。読書人たちは流亡の苦しみに遭い、死んだ男女を「忠義」を尽くした者や「烈女」として顕彰した。死者の記憶は儒教を中心とする伝統文化の再興という形をとって伝えられた。
清朝は南京占領後も太平天国の生き残りに対する捜索と弾圧を続けた。捻軍などの反乱勢力と合流して抵抗を続けた者はやがて敗北した。楊輔清は上海からマカオへ脱出し、10年間潜伏した後に捕らえられた。また逃亡先の香港で李世賢の軍を支援しようとして捕まった者、苦力(クーリー)となってキューバへ移住した者のエピソードもある。
太平天国に献策したことが発覚して清朝の追及を受けた王韜は、逃亡先の香港でキリスト教と儒教の接点を追い求めた。南京を訪問して太平天国の近代化改革を提案した容閎は、曽国藩の招きを受けて李鴻章と兵器工場の設立に尽力した。
太平天国に共鳴したイギリス人のリンドレーは、帰国後に太平天国に関する著書を出版した。彼はイギリスが太平天国に対して取った態度はどうかと問いかけ、「私はイギリス人であることが恥ずかしくて顔が赤らむ」と述べている。そして植民地を擁した帝国の多くが没落した歴史を振り返り、今こそイギリスは「非侵略(Non-aggression)」の政策を取るべきだと訴えた。
日本の伊藤博文も晩年、イギリス人の記者に対して「あなたたちイギリス人が、中国との交渉で犯した一番の誤りは、清朝を助けて太平天国を鎮圧したことだ」と語ったという。
洪秀全が創設した上帝教は、太平天国の滅亡と共に中国社会からその姿を消した。それは一つの宗教が信徒の内面的な実践に充分な時間を割かずに政治運動化した結果だった。また読書人の太平天国に対する反感はキリスト教への拒否反応となって残り、反キリスト教事件がくり返し発生した。
20世紀に入ると、香港の中国人キリスト教社会から「第二の洪秀全」を自任する孫文が登場し、太平天国を反満革命として評価する動きが始まる。ただし辛亥革命によって太平天国の評価が一気に変わった訳ではなく、1930年代になっても江南では太平天国に対する否定的評価が残った。
■現代中国に通じる「他者への不寛容さ」
太平天国がその掲げた理想にもかかわらず、矛盾と混乱に満ちた運動であった。これは新著『太平天国』(岩波新書)で詳述した通りである。
洪秀全は「神はただ一つであり、偶像崇拝は誤りだ」というキリスト教のメッセージから、中国の歴代皇帝は上帝ヤハウエを冒涜する偶像崇拝者であり、清朝を打倒して「いにしえの中国」を回復すべきだという主張を導き出した。
そして太平天国は上帝の庇護のもと、これを信仰する「中国人」の大家族を創り出そうと試みた。また彼らは公有制の実現をうたい、人々は「天父の飯を食う」ことで生活の保障と死後の救済が与えられると説いた。
だが太平天国は、満洲人や漢人の清朝官僚、兵士とその家族を「妖魔」と見なして排撃した。彼らは太平天国の言う「中国人」の範疇には入らなかったのである。
太平天国の「われわれ」意識はヨーロッパとの出会いのなかで発見されたものであったが、同時に客家など辺境の下層移民がもっていた「自分たちこそは正統なる漢人の末裔である」という屈折した自己認識に裏打ちされていた。また彼らが「大同」世界の実現のために実行した政策は強圧的なもので、江南の都市など他地域に住む人々の習慣や考え方に対する包容力を欠いていた。
こうした不寛容さは元をたどればユダヤ・キリスト教思想の影響にたどりつく。抑圧された民の異議申し立ては、しばしば自分たちがかかえた苦難の大きさゆえにエスノセントリズム(自民族中心主義)に陥り、他者の苦悩に対する理解を欠いてしまうからである。
また宣教師の活動を含むヨーロッパの近代が「文明」を自任し、それと異なる他者を「野蛮」とみなして攻撃する側面をもっていたことも影響した。「唯一の神を信じるか」という問いは、それを受け容れない他者に対する暴力を後押ししたのである。
■分権か、権力の独占か
さて太平天国は皇帝の称号を否定し、洪秀全と彼を支える5人の王からなる共同統治体制をしいた。軍師として政治・軍事の権限を任された楊秀清と、主として宗教的な権威として君臨した洪秀全のあいだには一種の分業体制が生まれた。
それは秦の統一以前の封建制度を模範とした太平天国の復古主義が生んだ結果であり、皇帝による専制支配が続いた中国に変化をもたらす可能性をもっていた。占領地の経営のために実施した郷官制度も中央集権的な統治の弊害を改め、新興の地域リーダーに地方行政への参加を促す分権的な側面をもっていた。
だが太平天国の分権統治には大きな矛盾があった。洪秀全に与えられた「真主」という称号は天上、地上の双方に君臨する救世主を意味し、中国のみならず外国に対しても臣従を求める唯一の君主だった。そこには権限を明確に区別し、分散させるという発想が欠けていた。
また洪秀全の臣下で「弟」だったはずの楊秀清は、シャーマンとして天父下凡を行うと洪秀全の「父」として絶対的な権限をふるった。彼の恣意的な権力行使に対する不満が高まると、楊秀清は「万歳」の称号を要求して洪秀全の宗教的な権威を侵犯した。
逆上した洪秀全は楊秀清の殺害を命じて天京事変が発生し、石達開の離脱によって建国当初の5人の王はすべていなくなった。その後諸王による統治は復活したが、洪秀全は独占した権力を手放さず、かえって中央政府の求心力の低下と諸王の自立傾向を生んだ。
この結果をどのように考えればよいのだろうか。
下層移民の異議申し立てから始まった太平天国は、同じ境遇にある人々に希望を与えたが、自分たちと異なる相手を受け入れ、これを包摂していく寛容さを欠いていた。この排他性は満洲人など清朝関係者を太平天国の掲げる「上帝の大家族」に包摂できなかっただけでなく、偶像破壊に反発した読書人や豊かな江南に住む漢族住民を遠ざけ、太平天国が新王朝として彼らの支持を広げるチャンスを失わせた。
■くり返し現れる排除の論理
また太平天国のかかえた不寛容さは、その後の中国で進められた西欧諸国および日本の侵略に対する抵抗運動へと受けつがれた。中国だけではない。ヨーロッパとの出会いをきっかけに始まったアジア近代の歴史は、しばしばその内部に復古主義的な傾向をもち、列強の植民地化が深まるほど抵抗は激しく非妥協的なものとなった。
だが、この抵抗の歴史においても、異質な他者に対する排斥の論理はくり返し現れた。外国勢力に対してだけでなく、国内においても「敵」を創り出し、これを攻撃することで「われわれ」の結束を強化したのである。
中国の場合はこれに階級闘争の理論が結びつき、毛沢東によって「一つの階級が他の階級をひっくり返す」革命の暴力が肯定された。それが中華人民共和国の建国後、反右派闘争や文化大革命などの政治運動で「革命の敵」とみなされた人々に対する迫害を生み出したことはよく知られている。
いっぽう太平天国の王制や地域支配に見られる分権的な傾向は、郡県制の中央集権的な統治がかかえる構造的な問題を改める可能性を含んでいた。だがその実態は混乱していた。洪秀全と5人の王たちは身分のうえでは同じであったが、厳密に等級づけられており、権限にも大きな差があった。郷官に与えられた権限も小さく、中央から派遣される軍や上級将校の命令と地域社会の板挟みになることが多かった。
■「権力を分散させれば破滅をもたらす」太平天国の教訓
そして何よりも問題だったのは、様々な王位や官職がもつ権限が曖昧で、複数の権威や組織のあいだで常に激しい競争原理が働いていたことだった。
その最たるものは「万歳」の称号と救世主の権威をめぐる洪秀全と楊秀清の争いであり、他の王たちも庇護を求める人々の声に応えるために競合した。公有制が充分に機能せず、中央政府の求心力が低下するほど、諸王の地方における勢力拡大は進み、中央以上の富と兵力を蓄積する者も現れた。そして洪秀全とその側近によるコントロールのきかない諸王に対する不信と抑圧は、政権そのものの崩壊を招いたのである。
その結果、後世の人々は太平天国が失敗した原因を内部分裂に求めた。そして「中国は常に強大な権力によって統一されていなければならない。少しでも権力を分散させれば破滅をもたらす」という、中国の歴史においてくり返し唱えられてきた教訓を読み取ろうとした。
実際には清末に李鴻章をはじめとする地方長官の権限が拡大し、20世紀に入ると省を単位とした連邦政府構想である「聯省自治」論が模索された。だがいっぽうでそれを「軍閥割拠」あるいは外国勢力と結託する「分裂主義」と批判する傾向も強まった。そして蒋介石の国民党であれ、中国共産党であれ、強大な権力を握って異論を許さない「党国体制」が生まれていくことになる。
■太平天国に現れた問題点は未解決のままだ
急速に大国化へ向かう現在の中国を見るとき、太平天国に現れた中国社会の問題点は、なお未解決のまま残っていることがわかる。自分と異なる他者を排斥してしまう不寛容さと、権力を分割してその暴走を抑える安定的な制度の欠如は、中国国内だけでなく、台湾や香港、少数民族をはじめとする周辺地域に深刻な影響を与えている。
あるいは「それが今も昔も変わらない中国の姿なのだ」と醒めた見方をすることも可能だろう。もはや中国に「民主化」を期待できないのであれば、外圧で抑え込む以外に方法はないと考えるのもやむを得ないことかもしれない。
だがそれは中国が多様な相手の存在を認め、権力の一極集中を是正することにはつながらないだろう。西欧世界や日本にとって普遍的な価値も、中国にとっては近代社会の「排除」の論理がもたらした「屈辱」の歴史を想起させるものであり、今なお中国が引きずる被害者としてのトラウマから解き放ってくれるものではないからだ。
「中華の復興」を掲げて強国化の道をつき進む中国に、我々は粘り強く冷静に向き合うしかない。そのために中国社会がもっていた異なる可能性を発見し、検証していくことが求められていると言えよう。
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国際基督教大学教授
1961年生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。専攻、中国近代史。
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(国際基督教大学教授 菊池 秀明)
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