「幕府に打撃を与えつつ、自分たちは大儲け」坂本龍馬が実行寸前まで進めていた驚きの奇策
プレジデントオンライン / 2021年11月23日 10時15分
※本稿は、河合敦著『関所で読みとく日本史』(KAWADE夢新書)の一部を再編集したものです。
■日本に巨大な利権を生み出した「海の関所」
箱根や白河など、よく耳にする関所は「陸の上」にあるのでそういうものだと思われがちだが、敵の侵入を防いだり、怪しい者を臨検したり、金銭を徴収したりするものを「関所」と呼ぶならば、海から陸へ上がる港湾にも多くの関所が存在した。
すでに古代から重要な港湾(津)には、兵士が派遣され、常に不審な船を臨検し、怪しい者については取り調べをしていたことがわかっている。
さらに中世になると、港湾の支配者は、入港してくる船から港(津)の使用料を徴収した。その金銭の呼び方はさまざまだが、一般的には「津料(つりょう)」と呼んでいる。
ただ、朝廷や幕府がそれを公認しておらず、勝手に現地の有力者が徴収するケースが多かった。中世で最も栄えた海の関所は、摂津国兵庫津におかれた兵庫関だが、そこで徴収された津料は、東大寺や興福寺など有力寺院の懐を潤したことがわかっている。
大島延次郎氏によれば、「地方の豪族も加わり後には京都の等持寺、相国寺、北野社なども、兵庫関の利権を得ようと介入した」『関所その歴史と実態』(新人物往来社)という。まさに利権に群がるアリである。
これは兵庫関に限った話ではない。栄えている港のほとんどを寺社が管理するようになり、津料を徴収した。
のちには戦国大名も港の利権に目を付け、領地を拡大していく過程でその経済力を吸収して財力を伸ばした。織田信長の祖父信定や父信秀は港町・門前町として栄えていた津島(愛知県西部)を支配下におき、織田家を豊かにしたといわれる。
■奇抜プランの発端は「亀山社中」の経営危機
権力者が海の関所をいかに重要視していたかを理解していただいたところで、表題に移ろう。
坂本龍馬がつくった、日本で最初の商社といえば亀山社中だ。亀山社中は慶応元(1865)年に結成された浪士結社・貿易結社だが、龍馬はその解散を決意したことがあった。その理由は、不運が続いて経済的に苦しくなったからだ。
つまずきは、ワイルウェフ号の遭難だった。
この船は、亀山社中が薩摩藩の後援で、英国商人グラバーから6300両で購入したばかりの木造小型帆船であった。このワイルウェフ号が暴風雨に巻き込まれ、長崎県の沖合で沈没してしまう。慶応2年5月のことである。
さらに翌6月、幕府の征討軍と長州藩の戦争が勃発する。そのため約束により、社中の主力船だったユニオン号を、長州藩に引き渡さざるを得なくなってしまう。
もともとこの船は、長州藩の金で購入し、社中が借りていたものだった。船2隻を失った亀山社中は、商活動がほとんど困難な状況に陥り、営業を停止せざるを得なくなってしまう。
この頃、龍馬は、下関の豪商で支援者の伊藤助太夫にだけでも、800両もの借金をしていた。ただ、借金で社中50人を養うのも限界があった。
そのため、水夫(かこ)たちに暇を出したが、辞めたのは3人ほどで、残りはみんな龍馬にどこまでも付いていくと言って聞かない。そのため、仕方なく社中を継続することにしたのだが、食えない状況に変わりはない。万事休すである。
■関門海峡を通る船をすべて止めて「通行税」をとる
しかし龍馬はあきらめなかった。起死回生の策として、薩長合弁商社の設立を推進したのである。
慶応2年11月下旬、龍馬は、薩摩藩の勘定方(かんじょうかた)(財政担当)・五代才助(友厚)と長州藩の実力者・広沢兵助(真臣)とはかり、薩長による合弁商社設立を下関(馬関)に設立する。
このとき締結された馬関商社議定書には、次のように記されている。
一、商社盟誓之儀者、御互の国名を顕(あらわ)さず、商家の名号相唱え申すべく候(商社は薩長の藩名を表に出さず、商家の名を使用する)。
一、商社中の印鑑は、互いに取り替え置き申すべき事(商社の印鑑は、薩長で交換して保管する)。
一、商社組合の上は互いに出入帳を以て、公明の算を顕し、損益を折半すべき事(商社が結成されたら、薩長互いの出納帳で金銭の流れを明確にし、損益は折半する)。
一、荷方船三、四隻相備、薩船の名号にして国旗相立て置き申し候(貨物船を三、四隻常備する。船は、薩摩藩船のかたちをとり、薩摩藩の旗を立てる)。
一、馬関通船の儀は、何品を論ぜず、上下共になるべく差し止め、たとえ不差通候て不叶船といえども、改め済まず趣を以て、なるべく引き上げ置候儀、同商社の緊要なる眼目に候事(下関を通過する船は、いかなる荷物を積んでいてもなるべく停止させ、臨検する。これが本社の重要な仕事である)。
一、馬関通船相開き候節は、日数二十五日前社中へ通信の事(薩摩籍の船が下関を通過する際は、二五日前までに本社に通告する)。
このように、下関の関門海峡を通過する船舶をいったん差し止め、すべての船をチェックするとともに、通行税を取ろうという計画だったらしい。そう、海の関所である。
■日本経済の大動脈を押さえて、幕府に経済的大打撃を与える
これは、かなり斬新な構想といえる。
周知のように、瀬戸内海は、当時の日本経済の大動脈である。天下の台所・大坂に集まる物品の過半は、このルートから流入した。下関の関門海峡を押さえるとはすなわち、この大動脈の一部を押さえることを意味し、日本経済にも当然影響を与えることになる。
なおかつ、一日に関門海峡を通過する船数は夥しい。たとえ微銭であっても、全船から通行税を徴収したなら、一年で巨万の富が懐に入るだろう。
龍馬は、翌年2月から下関の伊藤助太夫方に拠点を移した。助太夫の屋敷は、目の前に瀬戸内海が横たわる場所にある。10分も東へ歩けば壇ノ浦があり、石を投ずれば対岸の門司港(九州)に届きそうなほど海の幅は狭隘(きょうあい)である。まるで河川といってもおかしくないほどだ。
おそらく龍馬は、このあたりに税関をつくって、海を塞き止めてしまおうと目論んだのだろう。
一説には、下関を国際港にして自由貿易を奨励するとともに、関門海峡を完全に封鎖して、西国の物資集散基地を大坂から下関へ移してしまおうと企図していたともいわれる。
地形上、大坂への物資流入を完全に塞き止めるのは不可能だが、下関繁栄策によって大坂の繁栄にくさびを打つことは十分可能であり、幕府の経済的打撃は計り知れない。
まことに、恐ろしい怪物をはらんだ商社の誕生といえた。
■坂本龍馬ほど「経済」を重要視した志士はいなかった
しかしながら、この商社は、結局十分機能しないまま、自然に消滅した。噂を聞いた運送業者がパニック状態になったこともあるが、やはり大きいのは、それから数カ月後、龍馬が土佐藩の後援を得ることに成功し、商社設立にこだわる必要がなくなったからだ。
おそらく、時間ができたら税関設営に取りかかろうと思っていたのだろうが、その余裕ができないまま、龍馬は命を絶たれてしまった。以後は戊辰戦争と、それに続く明治維新によって、関門海峡を封鎖する意味は消失する。
このように坂本龍馬という人は、ほかの志士とは違って、経済を重要視したことに大きな特徴がある。龍馬は、こんなことも言っている。
まず将軍職云々(大政奉還)の御論は兼ねても承り候。此余幕中の人情に行われずもの一ヶ条之在り候。江戸の銀座を京師(京都)に移し候事なり。此の一ヶ条さえ行われ候得バ、かえりて将軍職はそのままにても、名ありて実なけれバ恐るるに足らずと存じ奉り候。
(慶応三年一〇月、後藤象二郎宛書簡)
龍馬は「大政奉還ももちろん大事だが、それより江戸の銀座を京都に移して貨幣鋳造権を幕府から奪ってしまえば、将軍職がそのままであっても、幕府など恐れるにたりない」と、後藤象二郎に幕府の貨幣鋳造権を奪ってしまうことを進言している。
■「大量の贋金を作る」というプランまで持っていた
また、薩摩藩へ出張する海援隊士の岡内俊太郎に、「君必ず新貨を得て帰れ。土(土佐藩)もまた之に倣(なら)はざるべからず」(千頭清臣著『坂本龍馬』)と告げている。
新貨とは、偽造貨幣のことである。薩摩藩は、天保通宝などを大量に偽造して、莫大な利益を上げていた。龍馬は、これを真似て土佐でも贋金造りに精を出すべきだと主張し、岡内に贋金を持ち帰るよう命じたのである。
銀座に匹敵する量の莫大な贋金をつくって、これを巷に流通させたなら、いったいどういうことになるか。おそらく、貨幣鋳造の実権は、おのずと薩長土のほうへ移行していく。龍馬はそう読んだのである。
このように、金融・経済の重要性というものを熟知していたからこそ、龍馬は下関の関門海峡に「海の関所」をつくるという大胆な計画を立てることができたのだろう。
そのプランは、中世の海の関所をバージョンアップし、さらに天下の情勢を左右するものだった。もし龍馬が暗殺されていなければ、歴史は変わっていたかもしれない。
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歴史家
1965年、東京都生まれ。早稲田大学大学院卒業。高校教師として27年間、教壇に立つ。著書に『もうすぐ変わる日本史の教科書』『逆転した日本史』など。
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(歴史家 河合 敦)
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