「やっぱ仕事せなあかん」創業者利益でブラブラしていた起業家が5年後に会社を買い戻すまで
プレジデントオンライン / 2021年11月19日 15時15分
■ヤフーから会社を買い戻した異色の起業家
「最も優秀な学生の進路は研究者や官僚。これが一昔前の定番だったけれど、今は起業家がダントツだよ」。東京大学で教鞭を執る知り合いにそんな話を聞いたことがある。「2、3年で辞めて会社を立ち上げようとする人が絶えない。うちに入ることがそのステップアップになっている」。大手商社首脳はそうぼやく。
起業は特別ではないという時代の到来。それはきっと喜ばしいことに違いない。しかしこれまでにないビジネスを立ち上げ、価値を創造しようという人がいる一方で、バイアウトで巨万の富を得ることが目的化している人も少なからずいる。
谷井等氏は今から20年前、まだ起業が特別だった時代に企業向けマーケティング支援事業を手掛けるシナジーマーケティングを起業した。2014年、これをヤフーに売却したものの、5年後に買い戻した。「一周回った起業家」は何を思って返り咲いたのか。その目に今の起業家はどう映るのか。話を聞いてみた。
■「家を捨てる気か」と怒られてもインターネットの世界へ
——起業の経緯を教えてください。
大学を卒業してNTTに入社したのですが、水に合わなくてすぐ辞めちゃったんです。それで昼間は大阪の実家で働き出した。洋服屋なんですよ。17坪のお店で紳士服を売っていました。
一方、夜はメールをグループでやり取りできるサービス、メーリングリストの事業化を進めていました。NTTでは自由に作れたのですが、外に出ると無料で使えるものがない。それなら自前でやろうと思った。それで1997年にデジタルネットワークサービス(その後、インフォキャストに改組)という会社を友人と立ち上げました。
この会社は幸いうまくいったのですが、おかげで岐路に立ちました。洋服屋を継ぐか、インターネットのビジネスに踏み込むかという二択を迫られたんです。結局、ネットビジネスを選んだのは成長分野だから。一方の洋服屋は在庫を抱えるのがしんどいなと思ったからです。親父には「谷井の家を捨てる気か」って怒られましたけれどね。
——インフォキャストは2000年、楽天に売却しました。
もともとは上場を目指していたんです。それで監査法人や証券会社の世話にもなっていたんですが、途中で断念して楽天に買ってもらいました。ネットバブルが弾けたのが理由の一つ。もう一つは同業がアメリカにあって、それが米ヤフーに買収されたからです。当時の顧客数は30万人くらいでしたが向こうは1000万人。それをヤフーが買えば、日本にも入ってくるだろうし、そうなれば太刀打ちできないと思ったからです。
■洋服屋をやっていたからアイデアが浮かんだ
——今でこそ起業した会社のバイアウトは当たり前ですが、当時は珍しかったんじゃないですか?
そりゃもう。ネットの掲示板みたいなところでかなり叩かれましたよ。でも米国の同業も上場間違いなしと言われていたのにヤフーに買われた。ビジネスとして先を見通すのが難しかった。当時、ベンチャーキャピタルからは合計4億円の出資を受けていて、彼らに損をさせるわけにはいかない。それでインフォキャストは楽天のお世話になることにして、今のシナジーマーケティングの原型となる会社を立ち上げました。
——アイデアが続々と出てきたんですね。
昼間に洋服屋をやっていた時に着想はしていたんです。当時お店は赤字。売り上げを増やさなければならなかったから接客のロールプレイングをしたり、目新しさを演出するためにディスプレイを変えたりしたんですが、全然業績が上がらない。
それでお客さまに「誕生日おめでとうございます」とか「新入荷がありました」というようなメールを送り始めたんです。そのうちお客さまの属性に応じてメールの内容を変えたり、返事が受けられるようにしたりと機能を充実させたら、売り上げが前年比2割増になった。場末の店でこれだけの効果があるのだから、顧客データを使った販促ビジネスってありやんと思っていたんです。
■なぜ、会社をヤフーから買い戻したか
インフォキャストを売却するにあたり楽天には3つのお願いをしました。一つは投資家に損をさせないでほしい。もう一つが次の仕事を考えているのでインフォキャストは辞めるが、楽天との関係を絶ちたくないので、出資をしてほしい。3つ目は当時約20人の従業員がいたのですが、その人たちに進路を選ばせてあげてほしい。楽天に残るもよし、僕が立ち上げる会社に参加してもらうのもよしとしてほしいとお願いしました。結局、14~5人が残った。
——そうして立ち上げたシナジーマーケティングをヤフーに約93億円で売却しましたが、19年に買い戻しました。インフォキャストを売却した時と心境の変化があったのでしょうか?
まずはなぜ売却したのか。企業はCRM(顧客管理)データをもとに顧客を細かく分析し、最適な提案をする。有力なアプローチ手法はメディアを活用することです。もちろんグーグルもありますが、日本ナンバーワンはヤフーですよね。そこと組めばシナジーマーケティングの成長が見込めると思ったんです。ヤフーが競合と手を組めば、僕らは苦しい立場に置かれてしまうという危機感もありました。
米セールスフォース・ドットコムが2010年にヘロクという会社を買収しました。その発表をたまたま見ていたんですが、セールスフォースのCEOであるマーク・ベニオフが「今日、われわれは素晴らしい会社を買収した。ヘロクだ」と言ったら、ヘロクの連中が大騒ぎしていたんですよ。「俺たち、ますます成長できる」って。ヤフーへの売却はそれと似た感じだったと思います。
■共に働いた従業員のことを最大限考えた
ではなぜ買い戻したか。誤解しないでほしいのはヤフーがダメだったからというわけではないということです。売却してから2年間、僕自身もヤフーで働きましたが、従業員の能力は高かったし、フラットな組織でやりやすかった。
ただ現社長の田代正雄から、ヤフーの戦略が私たちが目指していた方向性と異なるものになっていきそうだと、グループ離脱も含めた相談を受けました。
もしかしたら、グループの再編などいろいろなことが起こるかもしれない。当時、シナジーマーケティングには約250人の従業員がいましたが、その人たちのことを考えたら、ベストな選択肢として自分が買い戻したほうが不確実性を減らせると思ったんです。
インフォキャストは売ったけれど、シナジーマーケティングは買い戻した。一見、真逆の行動をしているように見えるかもしれませんが、共に働いた従業員のことを最大限考えて行動したという点では一緒です。
——シナジーマーケティングを売却したことで、十分な創業者利益を得たと思います。買い戻さず、そのまま優雅な生活を送るという選択肢もあったのではないですか。
ありましたね。ヤフーを辞めて、最初はめっちゃ楽しかったんですよ。朝起きて、「今日は何をしようかな」って思えることが本当に幸せやった。それで最初に東南アジアへ行った。そのままずっと旅をしようかと思ったほどです。実際は日本でいくつか仕事があったから、海外と日本を行ったり来たりしていたんですけれど。
■ある日、シドニー空港に降り立ってみると…
ところが2年ちょっとたったとき、豪州で変な感覚を覚えた。シドニー空港に降り立ったんですが、全く感動がないんです。伊丹空港から羽田空港へやってきたくらいの感じでした。海外旅行が半分義務になっていたんですね。結局、豪州とニュージーランドを回ったんですけれど、全然楽しくない。もう旅行も終わりやな、仕事をせなあかんと思った。
——贅沢な生活に飽きてしまったとか。
そんな贅沢な旅行じゃないですよ。さすがに身の安全は考えたから野宿とかはしなかったけれど、基本的にはバックパッカーみたいな生活です。起業家として成功した、一財産を築いたからといって、うまいものばかり食って、高級ホテルに泊まるなんてことをしていると、マーケティングの能力は絶対に落ちる。言い方は悪いかもしれないけれど、普通の人の目線を持ち続けないとビジネスなんて考えられないと思っていたから。そう考えるとヤフーに売却はしたけれど、そのまま遊んで暮らすつもりはなかったかもしれませんね。
■「一発必中ではなく、あれこれやってみよう」
——すぐに仕事は思いついたのですか。
僕は毎年正月に未来日記を書くのが恒例なんです。かなりの長文で、その年の年末に自分が何をやっているかを書くんです。不思議なことにこれが大概当たっている。2019年の正月には年末にいくつか新規事業を立ち上げていると書いた。この「いくつか」というところがミソです。
インフォキャストは楽天に面倒をみてもらえることになった。シナジーマーケティングは幸い上場ができた。そうなると3社目はこれまでの2社を凌駕するものにしないとダメだと思ったわけです。ところが3年くらい旅行を続けていたから脳味噌がふにゃふにゃになっている。思いつかないんです。それで考え直した。一発必中ではなく、たくさん考えて、あれこれやってみよう。それでうまくいくものと、うまくいかないものがあってもええやないかと思った。
シナジーマーケティングをヤフーに売却した後、ペイフォワードという資産管理会社を立ち上げていました。そこに思いついた事業をやる会社をぶら下げていこうと思った。いま傘下に8社ありますが、このうち3社の事業は未来日記に書いています。そんな時にシナジーマーケティングを買い戻さないかという話があった。
■お金を自分のことに使うよりも、誰かに喜んでもらいたい
——再び経営者となって以前と変わったことはありますか。
なぜ旅が楽しくないと思ったのかを考えていて気づいたことがあります。宿泊する、食事をする。おカネを払えばその見返りはあるわけです。しかし自分にとって根源的な喜びは、おカネを使って対価を得ることよりも、誰かに喜んでもらうことのほうが大きい。電車の中で座っていて、目の前におばあちゃんがいたら席を譲る。それで「ありがとう」と言われる。旅をするより、そちらのほうが自分は楽しいと思った。
ペイフォワード傘下にある会社にはシナジーマーケティングもあれば、アナログな人材派遣の会社もある。いまは農業や教育にも興味がある。事業内容はバラバラなんですが、むしろそれで良いと思っています。
なぜか。シナジーマーケティングにも50歳代の社員がいます。その人がいつまでも最先端のデジタルに関わるのは難しい。あるいは結婚して、子供が産まれたから、かつてのような働き方は難しくなったという女性従業員もいる。そういう人たちが自分のライフスタイルに合った仕事を求めて転職するのではなく、ペイフォワードの中で異動するので済むのであれば、それのほうが良いじゃないですか。おばあちゃんに「ありがとう」と言われるのと同じ発想かもしれません。
■若手起業家は高学歴で優秀な人ばかり、でも…
——起業家の先輩として、今の若い人たちはどう映りますか。
将来を嘱望されて大企業に入ったのに、リスクを背負ってスタートアップの世界に入ってきたという人をよくみかけます。すごいですよね。学歴も素晴らしいのに。僕は20年前で良かった。今の競争環境にいたら僕は負けていると思います。
ただ一攫千金狙いで起業した会社を3億円とか5億円とかで売り、それを元手にエンジェル投資家になるというのは小さくまとまっているようで少し悲しいかな。そこで立ち止まらず、日本社会を変えるぐらいの事業をやってほしいですね。
——東京で活動したほうが何かと便利な気がしますけれど、大阪を中心に活動しています。
そうですね。かれこれ20年間、大阪と東京とを往復する生活をしています。大阪は親父が商売をしていた街やし、大阪の経営者からいろんなことを教わった。東京はいつまでたってもアウェイ感がある。
しかし大阪の将来を考えると、もうマイナスしかないんですよ。ビジネスをしていておカネが落ちるのは全部東京だと言っても良いくらいです。このままでいくと、大阪はもう再浮上できない。微力だけれど、その流れを食い止められればと思っています。
■巨額の資金をもらってうまくいかなければ詐欺行為
——その思いは大阪のスタートアップ経営者に伝わっているんでしょうか。
今、大阪府から依頼を受けて、大阪府のベンチャー支援政策をいくつか立ち上げていますが、そこから上場企業が3社生まれています。その人たちが次のスタートアップを育てている。大阪って経営者の心構えとか、ファイナンスの知識とかを先輩が後輩に教える文化があるんです。僕もそれで育ててもらった一人ですから今度は僕の番だというつもりでいます。
スタートアップを立ち上げる環境は東京のほうがはるかにリッチです。営業先を紹介したり、おカネの面倒を見てくれたりするベンチャーキャピタルも多い。でも、そういう環境だと実力がないのにお客さんや巨額の資金がついてしまったりする。それでうまいこといかんかったら、それはある種の詐欺行為でしょう。
■関西から大きなインパクトを与えてほしい
大阪には支援する人があまりいない。だから起業した人は頑張るんですよね。トマトみたいなもんですよ。カラカラの土地であまり水も与えずに育てていると、トマトって旨味が凝縮するやないですか。大阪とか関西の起業家にはそういう人が多い。
だからベンチャーキャピタルからカネを集めず、多少の銀行借り入れだけで会社を黒字にしている人が結構いるんです。それは本当に立派なこと。ただ反面、それで小さくまとまっちゃっている人が多いような気もしますね。
東京には投資詐欺みたいなことをしている人もいるけれど、一方でベンチャーキャピタルから巨額の出資を受けて事業を立ち上げ、何年も赤字を垂れ流すんだけれど、5年ぐらいたってグワーっと会社を大きくする人もいる。エクイティファイナンス(新株発行)を活用し、Jカーブで会社を大きく伸ばし、世の中にインパクトを与える。関西の起業家がそんな風になってくれたらなあと思います。
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ジャーナリスト
1966年、東京生まれ。日本経済新聞社で電機、商社、電力、ゼネコンなど企業社会を幅広く取材。編集委員、日経ビジネス副編集長などを経て独立。
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(ジャーナリスト 秋場 大輔)
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