飲食店はクビ、結婚は破談…34歳男性が背負った「和歌山カレー事件の加害者家族」という十字架
プレジデントオンライン / 2021年11月22日 12時15分
■長女が自殺すると、約30人のマスコミが自宅に詰めかけた
林浩次さん(仮名・34歳)は、和歌山毒物カレー事件で死刑が確定した林真須美死刑囚の長男である。今から約23年前の1998年10月4日、両親が殺人未遂と保険金詐欺の容疑で逮捕されたのを境に、浩次さんは加害者家族「林家の息子」として、社会から想像を絶する虐げを経験する。
「早く終わりにしてほしい。毎年7月25日(※事件当日)が近づくたびに新聞記者が殺到して、『被害者の方は坊主憎けりゃ袈裟まで憎いみたいなことを言ってました』と問い詰められる。(息子だと知られると)自分の結婚もダメになって、会社の人には今でも(素性を)内緒で働いて……。仕事が終わったらワンルームの自宅に帰って、『Netflix』を見て酒を飲んで寝るだけの生活。本当に、ただ息をしているだけの暮らしをずっと続けてきた」
「早く終わりにしてほしい」と訴えたのは、今も母親の無実を信じて冤罪(えんざい)を世間に訴えているからだ。現在、和歌山地裁に再審請求を申し立て、受理されている。
無情にも今年6月9日には自分の姉である長女が大阪府内の連絡橋から4歳の娘とともに身投げをした。父親の健治さんの自宅には約30人のマスコミが詰めかけ、浩次さんの携帯電話の着信音は鳴りやまなくなった。
気丈に振る舞っていた浩次さんを、若い新聞記者はこう問いただしたという。
「泣かないんですね。悲しくないんですか?」
まさかの問いかけに絶句。言葉も失った。
■「人権はないに等しいですね」
自分を守るため、取材を拒否するのも一つの手段である。なぜ取材に応じるのか。
「お姉ちゃんが亡くなった件に対しては取材拒否とか、そんな都合の良いようにできない。何とかして、お母さんがやっていないと伝えたいんです。再審請求を認めてほしいですから」
逆にいえば、この不幸な事件によって加害者家族という位置付けが、より明確化したとも付け加えた。
「人権はないに等しいですね。お姉ちゃんが亡くなって、警察からまだ連絡も来てない状況で(マスコミが)殺到した。喪中だろうが、身内の死の当日だろうが、お構いなしなので。初めてある種の覚悟をしなきゃいけないと思ったんです。犯罪者の身内というのはこういう状況なんだと、改めて考えさせられた。いくら人権を主張したところで、この問題は一生ついて来るんだろうって」
最近になって、カレー事件当時中3だった長女の数学ノートが見つかった。自室の窓から見た光景が書き殴られている。
■家庭ゴミを出すとマスコミがすぐ開けてしまう
メディアスクラムの異質さが伝わってくる。「今考えると異常な空間だった」と浩次さんも漏らす。和歌山市の閑静な住宅街にあった林家の自宅。その周りを報道陣約200名が取り囲んで約2カ月間居座った。「マスコミの暴走」を問われる契機にもなったこの事件。過熱した当時の記者もオフレコで「弁解の余地がない」と口をそろえる。浩次さんもその記憶が残っている。
「学校にも習い事にも行けなくなった。家庭ゴミを出すとマスコミがすぐに開けてしまうので、警察に通報。その繰り返しです。最近、テレビ局の取材で当時の映像を見たら、長女がカメラから執拗に追い回されていました。僕も同じことをされたけど、長女はその当時思春期。多分めちゃくちゃ怖かったんだろうと思う」
実は最高裁で母親に死刑判決が下される2009年5月まで、浩次さんとともに長女も積極的に集会で無実を訴えていたという。
父親の健治さんがこう振り返る。
「(出所してから)毎週金曜日に晩御飯の段取りをして、4人の子どもたちがうちにご飯食べに来るのが楽しみやった。いつも材料を昼間に買ってきて、それを子どもたちも楽しみにしとって。晩御飯の後はみんなでカラオケにも行ったなあ」
■嘘に嘘を重ね、メンタルがやられていった
世間からどんな陰口をたたかれても家族だけは当時と変わらなかった。だが、死刑判決を受けて、母親代わりだった長女の何かが壊れてしまったと浩次さんはいう。
「無実だと行動しても何も変わらない。ほとんどの人が理解もしてくれない。そのショックが大きかったんだと思う。それから12年間、家族とも音信不通。お姉ちゃんは林家と袂と分かち、別の人生を歩み出した。亡くなった後に戸籍謄本を取ると、本名まで変えていた事実を知ったんです。縁を切って、名前を変えて、そこまでしてお姉ちゃんは道の真ん中を歩こうとしたんです……。
普通に生きようとすればするほど、名前も素性も邪魔になる。お姉ちゃんも素性を知る友達を全部切ったみたいです。何かあるとマスコミが友達にまで取材するから、普通に生きようとすると本当の友達まで邪魔になる。
僕も会社の同僚に対しては、こんな話はできないですからね。『出身どこなの?』と聞かれたら、『大阪だよ』って嘘をつく。『お父さんは何してるの?』みたいな日常会話から全部嘘をついていかなければならない。嘘に嘘を重ねていくからメンタルがやられて、どんどん引きこもりみたいな生活をして、友達と言ったらお父さんだけみたいな状況になっていく」
■飲食店をクビになり、結婚も破談
今までの人生で一番充実していたときはいつかという問い掛けに、「みんなそろって実家で過ごしていた10年間しか、手放しで幸せを感じていないんです。あの楽しかった毎日の記憶が今でもあるから和歌山から離れたくない。だから、お父さんが出所すると自然と家族が集まった」と回想する。だが、思い出の実家も00年に何者かに放火されて全焼。更地となった。帰る場所も今はない。
預けられた児童養護施設ではいじめを受けた。社会に出て働いた飲食店でも、素性を知られると「衛生的に良くない」とクビ同然で退職。「林家の息子」と打ち明けると結婚すら破談になった。ありとあらゆる差別を、身をもって味わった。
一般的に社会からこれほどひどい仕打ちに遭えば、道を逸脱すると考える人も多いのではないか。だが、それも違う。罪を犯せば「林家」という枕詞が付いて回る。世間から「やっぱりか」とレッテル貼りされるのが嫌なのだ。
「仮に万引一つでもすると、おそらく大きなニュースになって家族にも取材が行く。子どもながらに、そう思ってました。バイク乗り回すにしても、シンナー吸うにしても全部お金がかかる。金銭的に余裕がないですから。加害者家族にはそんな余裕はないです。それだったら1食でも多く食べたい」
■マスコミに苦しめられつつ、本音で語れる相手もマスコミだけ
ところで、こうした取材を浩次さんと父親の健治さんが受けるのも、自分の兄弟に取材が向かわないようにするストッパーの役割も兼ねている。
一方で、取材を快く思っていない兄弟と次第に疎遠となった。万が一を考慮して、兄弟は住所や電話番号すらも浩次さんに伝えていないという。用があれば一方的にLINEが送られてきて、既読になるとその後ブロック。連絡が入るのも何年かに一度。普通に生きたいと思う兄弟と、母親の無実を証明したい浩次さんとの間で隔たりが生まれてしまったのだという。
取材で私生活を公にするのは、確かにさまざまなリスクも孕んでいる。父親の健治さんは根っからの話好きで、東京から記者が訪れるとまず断らない。全員自宅に招き入れてしまうから、浩次さんは「自制して」と口を尖らせる。マスコミは諸刃の剣である。健治さんも過去の経験上からそれを痛感しているが、「和歌山までわざわざ来たんだから申し訳ない」とこぼすのだ。
マスコミに人生を狂わされる一方で、本音で語れる相手もマスコミ人という矛盾を抱えたまま、19年4月に浩次さんはある行動に出る。某局に勤務するTVカメラマンから「マスコミ対策でTwitterアカウントを持った方がいい」とアドバイスされ、アカウントを開設した。これまでもテレビ局との打ち合わせで「冤罪を訴える番組構成にする」と言われても、放映を見ると事件を扱うのみということがあった。無実を訴える浩次さんのインタビューは全カットされた。そして翌年になると風物詩のように再び彼を持ち上げて、何事もなかったように出演を依頼する。
■冤罪の可能性を知らない人からの誹謗中傷
「散々利用されて腹も立ちましたけど、ある時からマスコミの玩具になると決めたんです。どんな形でも出演して、それを見た人が検索して新たな事実を知るかもしれないと割り切った」
Twitterの開設は反論できる武器を手にした半面、新たな頭痛の種も生んだ。
「開設当初に来たリアクションは、ほとんどが誹謗中傷。大半は冤罪の可能性を知らない人です。母親本人の手紙を少しずつアップして僕が説明を加えましたが、それでも中には『すでに終わった事件で被害者もいるんだから絶対にやっている』と退かない人もいた。そんな人でも議論を重ねていると本人から『何も根拠がなかった。報道で死刑だと見ているから死刑だと思っていた。あなたに言われてネットで調べたら冤罪の可能性を知った』と謝られたんです。もちろん、全員が理解を示してくれる訳ではありませんよ。『絶対にやってる』と騒いで『何をお前が被害者ぶってんだ』と怒ってくる。そういう人に対しては、弁護団の主張や記事を本人にDMで送り、説明しています。
反対に、どんなに説明してもたたいていた人が、お姉ちゃんが亡くなった途端『頑張れよ。負けたらダメ』とすごく励ましてくれることもあった」
■誹謗中傷する人にも手を差し伸べる
長女の死は浩次さんの倫理観にも影響を及ぼしたという。ネット上での誹謗中傷に対しても今は俯瞰(ふかん)して捉えている。
「お姉ちゃんが亡くなった時も『死ね』とか、『早く首をくくれ』と言われた。おそらく若い子だと思うんですね。でも、身内の死を経験してしまうと、こんなつらい言葉は絶対に書けなくなると思うんです。僕も画面越しで3・11の光景を見てても死の実感が湧かなかった。すごく遠い出来事のようにも思えた。でも、いま自分の大切な人が亡くなって、命の尊さに改めて気づかされた。若い子は経験がないから『死ね』とか、『消えろ』とか簡単に使ってしまうんだと思う」
当然ながら誹謗中傷は厳しく取り締まるべきで、浩次さんも決して認めているわけではない。だが、誹謗中傷する人に「若さゆえの過ちではないか」と手を差し伸べる。
■日本独特のゆがんだ正義感が引き起こす誹謗中傷
配慮や気遣い、人の胸中を察して同調するバランス感覚が浩次さんにはある。取材陣はそんな彼と会話をして、大半の第一声が「普通なんですね」と驚嘆するのだという。豪快な父親に対して、浩次さんはすごく繊細だ。「普通」に見せるのは、生き抜く上で身につけた防衛本能。社会に迎合するため、自然と培った処世術ではないか。
「いじめられないように生きてきたから。どうやったら人からいじめられないようになるんだろうって……。人の目ばかり気にして、この人、本当はこんな風に思ってんじゃないかとか勘ぐってしまう。
人として1回死んでいるんですね。それで感情を失ってしまった。こう淡々と喋っている時も、心の片隅ではどこか諦めもあるんです」
加害者家族を断罪する行為の異質さを、刑事事件に多く取り組む荒井俊英弁護士はこう語る。
「一応司法制度が機能しているはずなのに、一般市民が本来同じ立場にある一般市民(加害者やその関係者)をリンチする現象が見られるのは真の法治国家に成熟していない証でしょう」
■加害者家族が守られる日は来るのか
犯罪被害者に関する法律の支援は充実しているが、加害者家族に対してはまだまだ理解不足で、重大な人権侵害を生んでいる。
「加害者の家族だとしてもプライバシー権や名誉権の侵害に対しては、法的手段を駆使して堂々と対抗すべきです。しかし、インターネット上に掲載された情報は、無制限に拡散される可能性もあり、完全に削除することは極めて困難です。そのため対象とされた人やその周囲の人たちが将来にわたり苦しむ重大な人権侵害を引き起こす危険があります。かと言って、インターネット上の情報の規制を法的に行うのは表現の自由等とのせめぎ合いから簡単ではないでしょう。非常に困難な問題です」(荒井弁護士)
取材後、浩次さんは帰る道中でも「被害者」の立場を非常に尊重していた。長女の死と向き合って悲しみも癒えない中、自らを戒めるようにこう語気を強めた。
「判決文を読んだんです。遺族の方の最後の言葉もありました。もし母親がやっているとしたら、取り返しがつかないし、えらいところに足を突っ込んでいるという感情が改めて芽生えたんです。ただ、母親の首にロープを掛けられるとなると……。被害者の方と対立したくて冤罪を訴えている訳じゃない。それだけは分かってほしいです」
この悲痛な声が、果たして報われる日が来るのだろうか。
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ライター、フォトグラファー
愛知県出身、大阪在住。1998年から月刊誌や週刊誌などに執筆、撮影。事件からスポーツ、政治からグルメまで取材する。2002年から編集プロダクション「スタジオKEIF」を主宰。共著に『プロ野球 戦力外通告を受けた男たちの涙』(宝島SUGOI文庫)などがある。
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(ライター、フォトグラファー 加藤 慶)
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