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「鬼滅の刃は少女漫画である」プロ漫画家が『天使なんかじゃない』からの影響を断言する理由

プレジデントオンライン / 2021年11月20日 10時15分

吾峠呼世晴さんの人気漫画『鬼滅の刃』(集英社、全23巻) - 写真=時事通信フォト

なぜ『鬼滅の刃』は大ヒット作になったのか。漫画家のきたがわ翔さんは「少女漫画特有の技法がふんだんに盛り込まれている。だからこそ30~40代の女性たちが大ハマりした。とりわけ、矢沢あい先生の名作『天使なんかじゃない』の影響を強く感じる」という――。

※本稿は、きたがわ翔『プロが語る胸アツ「神」漫画 1970-2020』(インターナショナル新書)の一部を再編集したものです。

■鬼滅を読むと思い出す伝説の漫画家

『鬼滅の刃』がこれほど話題になった理由としては、読者層(ファン)が10~20代だけに留まらず、30~40代の女性も夢中になったということが挙げられます。なぜ30~40代の、それも女性たちが『鬼滅の刃』に大ハマりしたのか。僕はその理由として、『鬼滅の刃』に「少女漫画の要素」がふんだんに盛り込まれていたからだと捉えています。

『鬼滅の刃』を読んで僕が真っ先に思い出したのが、1990年代に活躍した伝説の漫画家・岩泉舞先生のことでした。岩泉先生は、1989年に「ふろん」という作品でデビューした漫画家です。94年まで『週刊少年ジャンプ』を中心に作品を発表していましたが、残念ながら現在は活動を休止されています。

読み切りの短編作品が中心で、しかも寡作な漫画家なので、2020年までに発売された単行本は『七つの海――岩泉舞短編集1』(集英社)1冊しかありませんでした。ただ、ここに収められている作品群はすべて完成度が高く、非常にすばらしい漫画なので、ぜひ読んでほしいと思います。

僕は『鬼滅の刃』のアニメを観たあとに、「岩泉先生が漫画を描き続けていたら、こんな作品を残していたのではないか」と感じ、「『鬼滅の刃』を読むと、岩泉舞を思い出す」みたいなことをツイッターでつぶやきました。すると、そのツイートが1万回以上もリツイートされ、驚くと同時に岩泉先生のことを知っている人がものすごく多いとわかって嬉しかったです。

ちなみに、このときの僕のツイートがきっかけで、単行本未収録作品と新作を加えた新たな作品集『岩泉舞作品集 MY LITTLE PLANET』(小学館)が2021年5月に発売されました。

■「心の声」が作品の魅力を惹き立てている

この岩泉先生の漫画と『鬼滅の刃』には、ある共通点があります。それは、「少年漫画と少女漫画のいい部分を、上手にミックスさせている」ことです。吾峠先生の漫画も岩泉先生の漫画も、情緒のあるモノローグが効果的に使われています。モノローグとは「独白」のことで、いわば登場人物が読者に向けて語りかける「心の声」です。少女漫画ではこのモノローグが、非常によく使われています。

こうしたモノローグを、少年漫画でふんだんに使用した作品はそれほど多くなく、岩泉先生が活動を休止されてから、そうした「少女漫画的な要素」を引き継いだ描き手は、これまでほとんど存在しませんでした。だから、吾峠先生がそれをやってくれたことに、僕はグッときてしまったのです。

■30年前に連載開始した『天使なんかじゃない』

ここまで、吾峠先生の作品に見られる「少女漫画的な要素」について、「七つの海」の岩泉舞先生との共通点を交えながら説明してきました。さらに『鬼滅の刃』にはもう1人、別の漫画家の影響が感じられます。

『鬼滅の刃』に影響を与えたと見られる、漫画家とは誰か。僕が思うに、それは90年代の少女漫画誌『りぼん』(集英社)を代表する漫画家・矢沢あい先生です。ここからは『鬼滅の刃』が矢沢あい先生の作品、とくに名作『天使なんかじゃない』から影響を受けたと僕が感じる点について論じていきます。

矢沢先生は、1985年に『りぼんオリジナル早春の号』(集英社)に掲載された「あの夏」でデビューしました。月刊少女漫画誌『Cookie(クッキー)』で2000年に連載をスタートした『NANA』がたびたび映像化されるなど人気作を多数発表しているので、ご存じの方も多いと思います。

数ある矢沢先生の漫画のなかで僕が最も好きなのが、1991年から94年まで『りぼん』に連載された『天使なんかじゃない』という作品です。この『天使なんかじゃない』を読んでいた層が、現在『鬼滅の刃』にハマっているのではないかと僕は推察しています。

矢沢先生の『天使なんかじゃない』と吾峠先生の『鬼滅の刃』――。一見、ジャンルも読者層もまったく違うように思えるこの2作品の、どこに共通点があるのか。まずは矢沢あい作品の魅力について解説していきます。

■紡木たく先生から続く「少女漫画の系譜」

大ヒット作をいくつも描かれた矢沢先生に、最も強く影響を与えたと言われている漫画家が、『ホットロード』の著者・紡木たく先生です。紡木先生は、80年代中頃に『別冊マーガレット』(集英社)で絶大な人気を獲得した漫画家で、代表作である『ホットロード』は700万部を超えるヒットを記録しています。

この『ホットロード』でも、少女漫画特有の情緒的なモノローグやセリフ回しが効果的に使われていました。つまり、『鬼滅の刃』に溢(あふ)れる「少女漫画的な要素」は、紡木たく先生からの系譜に連なるものと言えます。

『鬼滅の刃』において特筆すべきなのは、「情緒的なモノローグなどの少女漫画的な要素」と「バトルや修行、必殺技などを使った少年漫画的な要素」を組み合わせるという「離れ業」をやってのけたところです。そこに『鬼滅の刃』が大ヒットした最大の理由があります。

『天使なんかじゃない』が連載されていた90年代、『りぼん』の発行部数は250万部を超えていました。矢沢先生の『天使なんかじゃない』は、その「『りぼん』黄金時代」の看板漫画だったのです。

■女子高校生の恋愛マンガと何が共通するのか

ここで『天使なんかじゃない』のストーリーについて、簡単に触れておきましょう。『天使なんかじゃない』の舞台は、創設されたばかりの高校・私立聖学園です。絵を描くのが大好きな天真爛漫な主人公・冴島翠は、2学期になって早々に行われた生徒会選挙で選出され、副会長に就任しました。彼女は入学式で出会った「ちょっと不良っぽい」雰囲気の男子生徒・須藤晃のことがずっと気になっていたのですが、なんと、その須藤くんが生徒会長に就任します。

基本的には「翠の晃への恋心」を中心に、のちに翠の大親友となるプライドの高いお嬢様・麻宮裕子や、長髪でクールなイケメンの瀧川秀一、翠と同じ中学出身のラグビー部員・河野文太ら生徒会メンバーの友情や恋愛、学園生活を描いた青春漫画です。矢沢あい先生の出世作とも言える作品で、芸能界でも多くの人たちが「この漫画のファンです」と公言しています。

当時、相当な数の少女たちが、この『天使なんかじゃない』を読んでいました。先述したように、「『鬼滅の刃』に夢中になっているのは、かつて『天使なんかじゃない』にハマっていた、現在30~40代の女性が多いのでは」と僕は推察しています。彼女たちは、無意識のうちに自分のなかにある『天使なんかじゃない』のイメージを、『鬼滅の刃』という作品に重ね合わせて読んでいるというわけです。

『鬼滅の刃』と『天使なんかじゃない』の共通する部分とは何か。ここで注目するのは、『天使なんかじゃない』の主要登場人物の一人で主人公・翠の親友である「マミリン」こと麻宮裕子です。

読書をする小さな女の子
写真=iStock.com/ChuangTzuDreaming
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ChuangTzuDreaming

■主人公に「近すぎず、遠すぎず」の孤高キャラ

このマミリンはちょっとクールな性格で、自分の感情をあまり表に出す女の子ではありません。けれども、マミリンは翠のことを心の底から信頼し、彼女が落ち込んだときには、早く立ち直ることができるよう優しく寄り添います。

『鬼滅の刃』でこのポジションに近いのが、炭治郎の能力を見いだして剣士へと導く「冨岡義勇」です。この冨岡義勇も、クールで口数が少ないキャラクターとして描かれています。

両作品とも主人公のすぐ近くに、「友人などいないし、いらない」と考えているような孤高のキャラクターが配置されている。そうした主人公と重要な登場人物との「近すぎず、遠すぎず」という関係は、少女漫画でよく描かれる構図です。

また、主人公の翠が好きになる生徒会長の晃には、広子という幼い妹がいます。晃が中学生の頃に両親が離婚したことから、晃と広子はずっと離れて暮らしていました。

晃は7歳下の広子のことを大切に思い、妹に優しい晃のことを翠はますます好きになります。晃と妹の広子とのやりとりを見て、翠が「キュンキュン」しちゃうわけです。

この「晃と広子」という兄妹関係は、どことなく「炭治郎と禰豆子」に似ています。吾峠先生が「炭治郎と禰豆子」の関係性に抱いているイメージは、おそらくこの「晃と広子」に近いのではないでしょうか。

■少女漫画によく登場する「切ない表情」

次は「漫画表現」の共通点について見ていきましょう。少女漫画独特の表現方法として、「切ない顔(表情)の演出」というものがあります。少女漫画を描いていた私自身の経験から言わせてもらうと、女性はこの「切ない顔(表情)」が大好きです。

たとえば『鬼滅の刃』には「錆兎」という男性キャラクターが登場します。彼は炭治郎の兄弟子にあたるのですが、すでに鬼に殺されていて、炭治郎の前には幽霊として姿を現しました。この錆兎というキャラクターは女性からの人気も高いのですが、その理由のひとつに、彼が見せる「切ない表情」があります。

錆兎が「切ない表情」を見せるのは、炭治郎が剣の修行をしていたときです。錆兎は、厳しい試練に挫けそうだった炭治郎の前に現れ、彼の修行を手助けします。そして炭治郎が試練を乗り越えたとき、錆兎は〈泣きそうな 嬉しそうな〉切ない表情を浮かべるのでした。

■優しさを印象付けた炭治郎の表情

炭治郎もまた、この「切ない表情」を見せます。コミックス第2巻、炭治郎との戦いに敗れて首を切り落とされた鬼が、間もなく死を迎えようとしていたときです。

倒された鬼は〈どうせアイツも汚いものを見るような目をするんだろう 蔑んだ目で俺を見るんだ くそっ 目を閉じるのは怖い でも首の向きを変えられない 最後に見るのが鬼狩りの顔だなんて――〉とグチグチと恨み言を述べながら炭治郎を見上げようとします。

すると、そこには切ない表情を浮かべた炭治郎が立っていました。炭治郎の切ない顔を見た鬼は、「自分が人間だった頃のこと」「慕っていた兄を咬み殺してしまったこと」を思い出します。

鬼は泣きながら炭治郎へと手を差し伸べました。炭治郎はその手をぎゅっと握り、〈悲しい匂い……〉〈神様どうか この人が今度生まれてくる時は 鬼になんてなりませんように〉と祈りを捧げます。そうして鬼は消滅するのですが、こうした「切ない表情の演出」は少女漫画特有の手法です。

■『天使なんかじゃない』の名シーンにも

たとえば『天使なんかじゃない』では、「文化祭の夜に生徒会室で晃がうたた寝をしている」場面があります。そこへ翠がやってきて、「後夜祭のダンスパーティで、誰ともペアになれずあぶれてしまった」と、寝ている晃につぶやくのですが、そのときダンスパーティの曲が変わって『スタンド・バイ・ミー』が流れてきました。すると、寝ていたはずの晃が急に目を覚まし、「俺、この曲好きなんだ。踊ろうぜ」と言って、翠の手を取って踊り始めるのです。

2人きりの生徒会室で一緒に踊りながら、翠はドキドキしていました。そして翠は、「まさか自分のことが好きなの」「それとも本当にこの曲が好きなだけなの」と、晃の真意をあれこれ推測します。

曲が終わりに近づき、翠がふと晃の顔を見上げると、なんと彼はこれまで見せたことのないような切ない表情を浮かべていました。もう「切ない顔、大爆発」です。意図的かどうかはわかりませんが、こうした少女漫画的な手法は、吾峠先生にも引き継がれています。

■最大の見せ場だった「あなたになりたい」

さらにもう1点、『天使なんかじゃない』に出てくる感動的なシーンを取り上げてみましょう。マミリンに関するエピソードです。

ある日の学校からの帰り道で、翠はマミリンに「将来なりたいものある?」と尋ねました。するとマミリンは、一瞬「切ない顔」をしてから翠を振り返り、「あたしは冴島翠みたいになりたい」と言います。マミリンは、〈嬉しい時はちゃんと喜んで 悲しい時はちゃんと泣けるような そんなあたり前のことが みんな意外と出来なかったりするのよ〉〈あんたがみんなに好かれる理由がわかるわ〉〈須藤くんが あんたを選んだ気持ちがわかるわ〉と翠に告げました。

このマミリンの言葉に、翠は〈額に入れて胸の真ん中に一生飾っておきたいようなセリフだった〉〈どんなに辛い時でもそれを見れば勇気を取り戻せる賞状のように〉とモノローグでつぶやきます。ここは僕が最も大好きなシーンです。

基本的に「他人に自分の気持ちを伝えられない」はずの女の子だったマミリンが、翠に対して素直な思いを口にする。ここは『天使なんかじゃない』で最も感動する場面です。「私はあなたになりたい」というのは、友人にとって「最高の褒め言葉」だと思います。

物語全体から言っても、この場面は最大の見せ場のひとつです。だから、「もし『鬼滅の刃』が本当に『天使なんかじゃない』をリスペクトしているとしたら、吾峠先生は絶対にこのエピソードを持ってくるはず」と僕は予測していました。そして、その場面を『鬼滅の刃』第20巻で発見します。

■鬼滅の名シーンにもやはり登場

そのシーンが現れたのは、次のような展開からです。鬼舞辻無惨は多数の鬼を従えていますが、そのなかでも最強クラスの実力を誇る「12名の鬼の集団」がいました。鬼舞辻無惨が直接率いる「十二鬼月」です。

その十二鬼月の序列1位(上弦の壱)に、「黒死牟」という鬼がいます。当該のシーンが出てきたのは、鬼殺隊に撃破された黒死牟が、自分の過去を振り返る場面でした。

〈死にたくなかったのか? こんな惨めな生き物に成り下がってまで 違う 私は 私はただ縁壱 お前になりたかったのだ〉。「縁壱」というのは、黒死牟こと継国巌勝の双子の弟であり、かつて戦国時代に鬼殺隊の基盤をつくった鬼狩りの1人・継国縁壱のことです。黒死牟と縁壱の兄弟は、「1人は鬼、もう1人は鬼狩りになる」という数奇な運命を辿ります。

弟の縁壱は、無惨でさえも敵わないほどの剣の達人でした。そのたぐいまれな才能により、兄の巌勝から嫉妬と憎悪の念を抱かれていた縁壱は、母親の死を契機に7歳で自ら出奔します。あてもなくひたすら山のなかを走っていた縁壱は、家族を流行り病で失った「うた」という少女と出会い、共に暮らすようになりました。10年後、うたを妻に娶(めと)り、幸せに暮らしていた縁壱ですが、ある日、妻とお腹の子を鬼に殺されてしまいます。

■30~40代女性が鬼滅を愛するのは当然だった

妻の亡骸を抱えて呆然としていたときに、縁壱は「鬼狩り」の剣士と出会い、鬼たちとの闘いの道へ進むことを決めました。その後、兄・巌勝も縁壱の強さに追いつくため、家庭や剣士としての地位を捨て鬼殺隊へ入るのですが、彼は組織を裏切り、鬼となってしまいます。

きたがわ翔『プロが語る胸アツ「神」漫画 1970-2020』(インターナショナル新書)
きたがわ翔『プロが語る胸アツ「神」漫画 1970-2020』(インターナショナル新書)

数十年後、年老いた縁壱は「巌勝=黒死牟」と再会しました。縁壱はまったく衰えぬ剣技で巌勝を圧倒しますが、80歳を過ぎていた彼は戦いの最中に寿命を迎え、死亡してしまいます。先ほどの〈縁壱 お前になりたかったのだ〉は、黒死牟が鬼殺隊に敗れたときに弟の縁壱を思い出した場面でのセリフです。

僕はこの場面を見つけたとき、「『鬼滅の刃』に『天使なんかじゃない』のあのシーンがあったよ!」と、思わず親しい漫画家仲間の山田玲司先生にメールしてしまいました。

このように『鬼滅の刃』には、岩泉舞先生、矢沢あい先生、さらには紡木たく先生の少女漫画的なエッセンスがたくさん詰まっています。だからこそ、「現在の30代、40代の女性の心を鷲づかみにしているのもうなずける」というのが僕の推察です。

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きたがわ 翔(きたがわ・しょう)
漫画家
1967年、静岡県生まれ。1981年、13歳のときに少女誌『別冊マーガレット』(集英社)に投稿した『番長くんはごきげんななめ』でデビュー。86年からは活動の場を『週刊ヤングジャンプ』(集英社)に移す。漫画の技法や歴史に詳しく、その豊富な知識をウェブやラジオ番組などで披露している。代表作に『19〈NINETEEN〉』『B.B.フィッシュ』『C』『ホットマン』(すべて集英社)などがある。

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(漫画家 きたがわ 翔)

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