「エリートだが、セレブにはならなかった」パウエル元国務長官が絶対にやらなかったこと
プレジデントオンライン / 2021年11月19日 15時15分
■パウエルの評価にみる米国の政治分断
10月18日(米国東部時間)、コリン・ルーサー・パウエル(ジョージ・W・ブッシュ政権期、米国国務長官)の逝去(せいきょ)が報じられた。ジャマイカ系にして初の統合参謀本部議長、国務長官の要職を歴任したパウエルの逝去に際しては、米国でも党派を超えた弔意(ちょうい)が向けられた。
ジョセフ・R・バイデン(米国大統領)は、「この国の魂のために共闘できたことに絶えず感謝している」と語った。パウエルが仕えたジョージ・W・ブッシュは、「多くの大統領がパウエル氏の助言と経験を頼りにしていた」と述懐した。こうした弔意とは裏腹に、パウエルの逝去に際し、批判の言辞を発したのが、ドナルド・J・トランプ(米国前大統領)である。
『AFP通信』記事(日本語電子版、10月20日配信)は、トランプがパウエル逝去を受けて発した声明の中で、「パウエルの訃報が、『フェイクニュースメディア』で美しく扱われているのを見るのは素晴らしい。いつの日か私もそうしてもらいたいものだ」と揶揄したことを伝えている。こうした米国政治主流とトランプにおけるパウエル評価の乖離は、そのまま米国社会における政治「分断」の相を表している。
筆者は、永らくパウエルの熱烈なファンを自認していた。本稿で筆者は、そうした個人の信条を踏まえてパウエルが生きた米国の意味を雑駁(ざっぱく)ながら考察したい。
■エリートとはそもそも何なのか
コリン・L・パウエルの人物像を語る上で示唆深いのは、彼が逝去3カ月前に受けたインタビューで、「あなたが知るなかで最も偉大だった人は誰ですか」と問われ、「それはアルマ・パウエルだ」と半世紀以上も連れ添った妻の名を挙げた挿話である。それは、幾度も妻を「トロフィー・ワイフ」として取り替えたトランプとは対照を成す姿勢である。
アレクシス・ド・トックヴィル(思想家)が1830年代に察知していたように、米国社会は、万事、「カネと才能」が幅を利かせる特性を持つ社会であるけれども、その中では、トランプは、その「カネと才能」が自分のためにあると考える「セレブ」に過ぎなかった。「セレブ」とは、「カネと才能」に恵まれているとはいえ、結局のところは、「自分がかわいい人々」なのである。そうした「セレブ」、即ち「自分がかわいい人々」をホワイトハウスに送り込んでしまったところにこそ、米国民主主義の危機が表れる。
片や、パウエルは自らの「カネや才能」で公益に貢献できると考える文字通りの「エリート」であった。後でも触れるように、「エリート」とは、自ら仕える高い「価値」を持ち、それぞれの社会における「真善美」の基準に沿って社会に規範を示す人々のことである。パウエルは、そうした姿勢を自らの公的生活において貫徹していた。トランプの4年の執政の後であればこそ、「パウエルこそが米国史上初の黒人大統領に相応しかった」という評価は、重い響きを持っている。
■パウエルが体現していた米国の「美風」
2005年1月、パウエルは、国務長官退任に際しての挨拶の中で、米国外交に携わる外交官たちを「米国の価値観の配達人」と呼んだ上で、「諸君の任務は、説教をしたり押し付けたりするのではなく、民主主義が人々に対して一層、佳(よ)い生活をもたらすのだと示すことである」と訓示した。
この訓示に醸し出されるパウエルの認識は、第二次世界大戦後、永らく「米国の良心」として語られたジョージ・F・ケナン(歴史学者)のものに近似している。ケナンもまた、冷戦期以来の米国の対外政策展開の骨子が、自由や民主主義に絡む米国の「美風」を護持することにあると主張していたのである。
■イラク戦争開戦の判断は「生涯の汚点」
実際、パウエルは、ケナンとの交誼(こうぎ)を結んでいた。2004年2月、パウエルは、プリンストン大学構内で開催された「ケナン百歳誕生日を祝う会合」に顔を出し、誠に興味深いスピーチをした。
スピーチに拠(よ)れば、国務長官就任直後にケナンから様々なアドヴァイスの詰まった手紙を受け取ったパウエルは、定期にアドヴァイスをしてくれるようにケナンに要請したところ、ケナンは、「もう97歳だよ……」と一旦は断ったものの、3カ月後に再び手紙を寄越したというのである。パウエルが「笑い」とともに、このエピソードを紹介しているところに触れれば、ケナンとパウエルの遣り取りは、だいぶ、ほのぼのとしたものであったように推察される。
パウエルがイラク戦争開戦に向けて歯車を回した自らの判断を「生涯の汚点」として悔いたのも、それが往時のイラクの大量破壊兵器保有に絡むインテリジェンス部門の「誤った情報」に拠る「誤った政治判断」であった事情も然ることながら、それが米国の「美風」に照らし合わせて相容れぬものあった事情にも因(よ)るのであろう。ジョージ・W・ブッシュ政権下、イラク戦争開戦を主導するなどの影響力を持ったのは「ネオ・コン」と称された勢力であったけれども、パウエルが政権一期で去った事実は、彼と「ネオ・コン」との認識の懸隔(けんかく)を示している。
■トランプが象徴する米保守主義思潮の「堕落」
ところで、筆者が永らくコリン・L・パウエルのファンであった所以(ゆえん)は、彼がジャマイカ系として米国社会の「マイノリティ」に位置しながらも、米国の「公益」に明白に貢献しつつ、前に触れた米国の「美風」や「品位」を「マジョリティ」以上に体現する人物であったことにある。
米国の保守主義思潮は、元々、ジョージ・F・ケナンが「ニュー・イングランドの文明」と呼んだものに淵源を持ち、特に「マジョリティ」としての白人プロテスタント層の価値意識に根差した「美風」や「品位」を護持する趣旨のものであった。
パウエルが属していた共和党は、そうした保守主義の精神に裏付けられた政党であったはずである。けれども、現下の共和党は、「『マジョリティ』であることにしか自尊心の拠り処を持たない」白人層の感情の受け皿に変質してしまっているところがある。
ドナルド・J・トランプは、そうした「変質」を象徴する人士であった。トランプの振る舞いの何処に、誠実、中庸、平静、謙譲といった価値に表れる米国の「美風」や「品位」を感じることができたであろうか。トランプは、白人層の不満や遺恨の感情を煽った結果、彼らが体現してきた価値意識の基盤を決定的に侵食したのである。そこには、共和党の有り様に影響を与えてきた保守主義思潮における「堕落」の相が表れる。
■リベラルも「偏狭」と「偽善」に陥っていないか
片や、民主党の有り様に影響を及ぼす米国のリベラル思潮は、パウエルの姿勢とは異なり、「『マイノリティ』層の権利の尊重」を語り過ぎる余りに、米国の全体的な「公益」への感覚が鈍くなっている嫌いがある。そして、米国のリベラル思潮の示す「寛容」は、そうした「マイノリティ」層の立場を闇雲に称揚することによって、実質上、他に対する「偏狭」の相を示すものになっていないか。
加えて、米国のリベラル思潮を導くメディアや知識人は、そうした「寛容」の姿勢を示す自らを省みて悦に入る「偽善」に陥っていないか。ジョン・F・ケネディが示した「国が自分のために何をしてくれるかではなく、自分が国のために何ができるのか」と問う姿勢は、果してどこまで引き継がれているのか。
2008年以降、4度の大統領選挙に際して一貫して民主党候補を支持し、その故にこそトランプからは「典型的なRINO(Republican In Name Only/名ばかりの共和党員)」と揶揄されたパウエルが、それでもなお「共和党穏健派」としての声望を保った事情は、彼におけるリベラル思潮との「距離」を示唆する。
現今の米国においては、共和党・保守主義思潮における「堕落」と民主党・リベラル思潮における「偏狭」や「偽善」が、その政治「分断」を深めているものであるけれども、その双方の悪しき傾向を肯(がえ)んじなかったことにこそ、パウエルの政治上の見識がある。
■「武官」としての存在意義
パウエルは、米国の「生粋の武官」であり、真正の「エリート」であった。一般的には、人々は高々、他人の生命や財産を護(まも)るだけのために自らの命を張ることはできない。武官にそれができるのは、彼らの職務がそれぞれの国々の「真善美」の価値の基準を護ることに結び付いているからである。
「衣食住が足っているとはいえ、自由や民主主義を喪(うしな)った」米国は、果たして米国と呼べるか。「米国を護る」とは、そういう「価値を護る」という趣旨のことである。そして、パウエルは、真正の「エリート」として、そうした米国の「真善美」の基準を体現し続けた。天皇陛下を含む皇室の方々が「真善美」の基準を体現する存在としておわす日本とは異なり、米国には、パウエルに類する一群の人々の存在が大事なのであろう。
結局のところ、パウエルの人生は、「自ら護るべきものを自ら体現してきた」というものではなかったか。それは、「誠に高貴な人生」であったという評価になるのであろう。
■日本人にとっての「湾岸敗戦」の衝撃とパウエル
スペイン史上、ミゲル・デ・ウナムーノ(哲学者)を代表として、1898年の米西戦争敗北によって露わになったスペインの「後進性」に衝撃を受けて、20世紀初頭に活躍を始めた知識人は、「1898年の世代」と呼ばれる。その伝でいえば、筆者は、「1991年の世代」である。
1991年1月に勃発した湾岸戦争に際して、日本政府が行った130億ドルに及ぶ資金拠出は、結局、「カネだけ出して済ませる」という評価を得ただけに終わり、その顚末は、「湾岸敗戦」といった言葉で語られた。筆者が位置付けるところでは、「1991年の世代」とは、その「湾岸敗戦」の衝撃を受けて、小澤一郎(衆議院議員)が「普通の国」と呼んだものに日本が脱皮することを説くようになった一群の人々のことである。
「1991年の世代」の「原風景」を彩るものの一つが、「湾岸戦争の英雄」と称されたコリン・L・パウエルの姿であった。往時、日本の自衛隊の海外派遣が語られる中で、その議論に「戦前の亡霊」を持ち出して抵抗する向きは強かった。パウエルの姿は、「民主主義国家における武官とは、どのような存在か」を鮮明に伝えた。以来、筆者にとっては、パウエルは、「理想の武官」の典型のような存在であったのである。
パウエルの逝去の翌日に公示された衆議院議員選挙の結果、自民・公明両党に日本維新の会を加えた「改憲勢力」が衆議院議席の3分の2を占めることになった。今後の政局の動向次第では、日本の「普通の国」への脱皮も、現実の日程に上ることになろう。そして、日米豪加各国や西欧諸国のような「西方世界」諸国と中国との確執が深まる中では、日本は、軍事を含む安全保障上の役割を従前よりも広範に担うことになるのであろう。
その折にこそ、「民主主義国家における武官とは、どのような存在か」を示し、自由や民主主義に絡む「価値観の配達人」たちを率いたパウエルの姿は、日本にとっては、一つの亀鑑(きかん)になるであろう。これもまた、日本が対米同盟関係を通じて手にし得た一つの「恩恵」である。(文中、敬称略)
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国際政治学者、東洋学園大学教授
1965年生まれ。北海道大学法学部卒、東京大学大学院法学政治学研究科修士課程修了。衆議院議員政策担当秘書などを経て現職。専門は国際政治学、安全保障。著書に『「常識」としての保守主義』(新潮新書)『漢書に学ぶ「正しい戦争」』(朝日新書)『「弱者救済」の幻影―福祉に構造改革を』(春秋社)など多数。
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(国際政治学者、東洋学園大学教授 櫻田 淳)
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