超重要なところは太字になっている…独裁者スターリンが初自著に記した"恐怖の一文"
プレジデントオンライン / 2021年11月25日 9時15分
1937年に撮影されたスターリンの写真の一部を切り取ったもの。オリジナルの写真では、左にモロトフ、右にボロシロフが写っている。(写真=Unknown creator/public domain/Wikimedia Commons)
※本稿は、佐藤優『危ない読書 教養の幅を広げる「悪書」のすすめ』(SB新書)の一部を再編集したものです。
■29年間、スターリンが独裁者であり続けたワケ
29年間にわたってソビエト連邦の最高指導者を務めたヨセフ・スターリンが1923年に発表した『レーニン主義の基礎』は、かつて世界の共産主義運動に多大な影響を与えた、世界的なベストセラーだ。
70年前の日本人もみんな熱中して読み、当時のトレンドは「プロレタリアート独裁の国をつくりたい」「自分も独裁の国のなかで生きたい」と語り合うことだった。
しかし現在はほとんどその存在は忘れられ、本も古書でしか手に入らない。戦後に大月書店から出た文庫本か『スターリン全集』に収められているものである。
この作品を読み解くうえでは、マルクス、レーニン、スターリンの三人の関係についてあらかじめ知っておく必要があるので、一度整理する。
まず、マルクスとは、1848年に『共産党宣言』『資本論』などを記した、共産主義の祖である。彼の歴史観・政治観・経済学的理論などをマルクス主義と呼ぶ。
次に、レーニンとは、1917年にロシアで「十月革命」を率いて成功させ、ソ連を樹立させた革命家である。マルクス主義を継承した彼の政治思想を、レーニン主義と呼ぶ。
スターリンは、1923年にレーニンが死去した後に、ソ連の最高指導者としての地位を勝ち取った政治家である。また、彼の政治思想をスターリン主義と呼ぶ。
そして、スターリンが記した『レーニン主義の基礎』は、レーニン後のソ連で彼が影響力を増すべく出版した本だと見ることができる。
この作品の内容としては、「レーニン主義とは何なのか?」「党員や労働者はどんな思想を持ち、どう振る舞えばいいのか?」「国家はどう運営されればよいのか?」といった主題を、スターリンが説いていく形になっている。
しかし、なぜ、新しい指導者としての地位を確立したいスターリンが、先代であるレーニンの思想を持ち出して、本としてまとめたのだろうか? そこがこの作品の読みどころだ。
■初自著『レーニン主義の基礎』の中身
この作品を読み解く上で重要なのは、スターリンのいう「レーニン主義」を額面通りに受け取ってはいけない、ということである。
実はスターリンが唯一の真理だと主張したレーニン主義とは、スターリン主義のことである。この本に書かれているレーニン主義とは、あくまでも「スターリンなりに解釈した理論や戦術」にすぎず、換骨奪胎されているのだ。
ソ連をベンチャー企業にたとえるならば、レーニンが創業者であり、側近として支えたのがスターリンやトロツキーだった。
創業者の死後、スターリンは経営を受け継いだ二代目社長として、「創業者の経営哲学」なる小冊子をつくり、社員に配ったようなものだ。
そして、「先代はこう考えていた」「先代ならこうしていた」という語り口のなかに、自分の意向を反映させていくことで、先代の影響力をそのまま利用しながら自らの仕事をしやすくする。それを露骨にやったのがスターリンなのである。
このやり方は何もスターリンの専売特許であるというわけではない。レーニンもまた、「マルクス主義」という言葉を用いながら、レーニン自身の思惑を実現させていった。そもそも、マルクスもレーニンもスターリンも自分の名前を冠した「◯◯主義」という言葉は使っていない。それを使うのは、常に後継者の人間である。
■「まるでビジネス書」太字で書かれた恐怖の一文
『レーニン主義の基礎』でユニークなのはその体裁だ。国民への教科書として広まることを意識して書かれているため文体自体は硬い。
しかし、一部の文章、キーワード、あるいは接続詞などが、ところどころ太字のゴシック体で書かれており、どこに注意して読めばいいかがわかるようになっている。まるで最近のビジネス書のような親切な記述だ。
こうした体裁が採られた理由は、想定読者が労働者だったからである。
当時のソ連は高等教育どころかようやく識字率が上がっていく段階にあった。本を一冊読むことは、市井の人々には大変なことだった。そこで本に不慣れな人でも、太字で強調された箇所だけを読むことで、肝心なメッセージは拾っていくことができるようにつくられたのである。
たとえばレーニンの『国家と革命』から引用された次の文章は、まるまる太字のゴシック体で書かれている。
(『レーニン主義の基礎』スターリン著 大月書店 p.59)
たった一文ではあるが、相当なことを言っている。「プロレタリアートの独裁」とは、つまるところスターリンが率いる共産党の独裁を指している。これが法律によって制限されず、暴力に立脚するという。たとえば反乱分子が共産党の一存で粛清されることも、この一文は正当化してしまう。さらに、この独裁は大衆に支持されていることになっている。
しかしこうしたメッセージが太字で強調されていることによって、「きっとこれは大事なことに違いない」と、読者にすんなりと受け取られるようになっている。
■カルト的ブラック企業との共通点
「大事なところはここにちゃんと太字で書いてある。だから他の本は一切読む必要はない。疑念を持たず、与えられた仕事に専念しろ。そうすれば君たちの生活は保障しよう——」。
これがレーニン主義(のちのマルクス・レーニン主義)の本質である。
日本で生きる読者にとっては、大いに違和感があることだろう。「そんな国では人が離れていくのではないか」と感じる人もいるかもしれない。
しかし、そんな独裁体制で、70年も巨大国家を維持できたのがソ連である。
何も考えず指導者の価値観に染まりさえすれば、不自由を感じないどころか、それなりに幸せでいられるのである。自由な社会と比べると息苦しいが、ロボットのように扱われるわけでもない。組織に同化してしまっても、生活のなかには喜怒哀楽の物語もあるし競争もある。
全体主義がいとも簡単に人の価値観を染めてしまうことを、私たちはこの本から学ぶことができる。
これは何も共産主義国の話ではなく、日本の至るところでも再現されている。
最近も日本のある化粧品メーカーが、競合他社に対して公に人種差別発言を繰り返していた。それを取材したメディアに対しても暴言を吐く。従業員数は2000人以上、通販会員数は1500万人という大きな組織で、なぜそのような異常事態になっているのかといえば、レーニン主義的な経営をしているからだ。
外から見るとカルトのように思えるが、なかで働く従業員にとっては普通の感覚なのである。
■日本は本当に自由な社会なのか
1991年にソ連が崩壊し、ロシア連邦が生まれた。2000年から20年以上にわたって国家指導者として君臨しているのがプーチンである。
ソ連とロシアでいったいなにが変わったのか。実は体制はスターリン時代とあまり変わっていない。
一方で、プーチン政権になってわかりやすい変化もあった。それは言論の自由である。国民が公然と政権批判やスターリン批判、レーニン批判をする権利が与えられた。
ただし、それは建前でもある。言論の自由はあるが、それを行使するときは相応の責任が伴うのだ。
たとえばロシアのあるタブロイド紙はプーチンに愛人がいることを書いた。しかしその結果、編集長が辞任するだけではなく、新聞社のオーナーが自発的に発行を停止してしまった。「政府からの圧力はなかった」と言っているが、なんの圧力もなくビジネスをたたむ人などいない。
ちなみにウィキペディアでも日本語版や英語版ではプーチンには愛人がいて非嫡出子が二人いると書いてあるが、ロシア語版には書いていない。ウィキペディアは誰でも自由に書き込めるメディアのはずだが、大きなリスクを取ってまで書き込む必要性を誰も感じないのである。
■自由な社会にも「見えざる線」が…
こうした「見えざる線(=タブー)」は、民主的な国家でもいくらでも存在する。
たとえば皇族にまつわるスキャンダルがそれである。「見えざる線」を踏み越えたとき、特定の思想を持つ団体からの圧力や攻撃がある。それにもかかわらず民主国家の人が自由だと感じているのは、「見えざる線」を無意識に避けているからだ。
逆に、『レーニン主義の基礎』の世界観では、タブーははっきりとした「見える線」として表れている。それに従って暮らす人は、ある意味安心できる。特定の枠内で考え、行動していれば、タブーに触れてしまう恐れがないのだ。
『レーニン主義の基礎』を読むとすべてがマニュアルに定義された社会を垣間見ることができ、そこにグロテスクさを感じる人も多いだろう。
しかし、この作品を正視することで、一見自由に思われる私たちの社会や、会社、交友関係に、『レーニン主義の基礎』のようなマニュアルがあるのではないか、知らず知らずのうちにそのマニュアルの上でのルールで動いているのではないか、と省みることができる。
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作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠―外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大矢壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。
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(作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)
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