「仕事も家族も失い4LDKにひきこもる」すべてを諦めた中年男性が繰り返しつぶやいた"ある言葉"
プレジデントオンライン / 2021年11月29日 18時15分
■支援員の女性とひきこもり男性を訪ねる
住所の書かれたメモを片手に、坂道をひたすら上る。さっきから吹き出す汗が止まらない。ワイシャツはもう汗だくだった。熱海特有の急坂を、自分の足で上ってみようと思い立ったことを後悔せずにはいられない。
商店は海沿いに集中しているため、山の中腹に住む人は、車がなければ買い物に出かけるのもひと苦労だろう。私は一人、自宅にひきこもっている男性のもとを訪ねるべく、くねくねした蛇のような山道をひたすら上り続けていた。
男性の自宅は、ごく普通の一軒家だった。バブル期に区画整備された住宅街にあり、建物自体も一目でしっかりしたつくりだとわかる。この日の取材については、石橋さん(注:筆者が出会った、ひきこもりの支援員)が事前に電話で了解を得てくれていたので、早速インターホンを鳴らす。
現れたのは、眼鏡をかけた実直そうな男性だった。「ああ、どうぞ。上がってください」遠慮がちな口調で、迎えてくれた。伊藤茂夫さん(仮名)は、60歳になったばかりだという。
身長は180センチ以上あり大柄だったが、少し猫背で、どこか気弱そうな印象を受けた。家のなかはとてもきれいだった。床に出しっぱなしのものは一つもなく、掃除も行き届いている。几帳面な方なのだろう。
■「お金がなくなったら死ぬからほっとけ」
リビングに通され、伊藤さんと机を挟んで向かい合うと、私は思わず「きれいな部屋ですね」と口にしてしまった。伊藤さんは、「そうですか?」とはにかみながら、「気になるんですよね。散らかっていたり、中途半端な状態でものが出ているのとかが」と性格的なものだと教えてくれた。
伊藤さんは7年間、自宅にひきこもっていた。支援を受け始めたのはつい先月のことだった。石橋さんは、伊藤さんを紹介するときに、こんなことを言っていた。
「伊藤さんには最初、『何しに来たんだ、お前ら』って怒鳴られました。『お金がなくなったら死ぬからほっとけ』って。確かに、お金が尽きたら生活保護を受けるよりも、ご自身で命を絶つという選択をする人は少なくないんです。だから、お金がなくなったら死ぬんじゃなくて、なんとか手に入れようって思ってくれないものですかねって、何度も通って話したんです」
「お金がなくなったら、死ぬ」──。伊藤さんはなぜ、助けを求めずに死のうと思っていたのか。その理由が知りたかった。なかなか切り出しにくい話ではあったので、持参したバナナ型の手土産を渡し、雑談をしながらタイミングを待った。
■どうしても生活保護を受けたくなかったワケ
「生活保護は絶対に嫌だったんです。知ってます? 生活保護って、子どもにも連絡がいくんですよ。それだけは避けたかった」伊藤さんには、子どもがいた。私が少し驚いた表情を見せると、「見ます?」とちょっと照れくさそうな様子で聞いてきた。
一度、奥の和室へと消えた伊藤さんは、タンスの引き出しをまるごと抜き取って持ってきた。なかには、たくさんの写真が入っていた。
「これが長男、次男、それでこっちが三男。小さい頃のものしかないけど」
誕生日会のようだった。食卓を囲み、5人の家族が笑顔で写っている。しかし今、伊藤さんは一人で暮らしている。家族はどうしたのだろうか。
「離婚しました。7年前に。それで僕は実家に戻ってきて、両親のもとで暮らすようになったんです。だから、ここは私の実家です。子どもたちとは、それきり一度も会っていません」
離婚のきっかけは、その前年に仕事を辞めたことだという。30年近く勤めてきた職場だった。妻は、無職になった伊藤さんを責めることはなく、働きに出て生活を支えてくれた。だが、自分自身が家にいて、働いていないという負い目が募ったと打ち明けてくれた。
「子どもも異変に気づくでしょう。もう高校生くらいでしたから。親父、仕事に行ってないじゃん、何してるのって。なんとか仕事探したんですけど、なかなか見つからなくて。落ち込むし、だんだん居づらくなってしまって」
■家族との生活を失い、4LDKの実家に一人で暮らす
50歳を超えていた伊藤さんにとって、再就職のハードルは高かった。ハローワークにも通ったが、面接までたどり着けず、家で過ごす時間が増えていった。それは「父親として、一家の大黒柱でありたい」と願ってきた伊藤さんにとって、恥ずかしくて耐えがたい生活だった。
子どもたちに情けない姿を見せたくない。退職してから半年あまりで、一緒に生活することに限界を感じ、自ら離婚を切り出したという。
それまで3人の子どもを育てるために、小さなアパートで慎ましく暮らしてきたと、伊藤さんは訥々(とつとつ)と語り出した。家庭を持つようになってからは、趣味だったゴルフをやめた。好きだった飲み会にも行かなくなった。子どもたちが小さい頃は、よく虫捕りに出かけたそうだ。
毎年秋には、5人で山梨県の勝沼に出かけ、大好きなワインを買って帰ることが楽しみだったという。そうした暮らしのすべてを失い、自分には何も残っていないとうなだれた。今、4LDKの実家に一人で暮らす伊藤さんの姿と、笑顔で写真に収まる5人の家族は、あまりに対照的だった。
■両親が他界し、手元に残っていた現金は7万円
タンスの引き出しのなかには、伊藤さんの両親の写真もあった。日本庭園をバックに微笑む母と、その肩に手を添える父。旅行中の一コマが切り取られていた。両親は二人とも、実家に戻ってきた伊藤さんを何も言わずに受け入れてくれたという。
伊藤さんは写真を見つめながら、親の年金を頼りに暮らすことはつらかったと明かした。
「ひもじいもんですよ、それは。一番やってはいけないことをやっているじゃないですか。親に金を無心するなんて。自分は最低なことをやってるなと。でも、それをやるか、あとは死ぬしかないじゃないですか」
だが、3年前に父親ががんで他界。母親も4カ月前に亡くなってしまった。生活の糧を失うと、たちまち困窮してしまった。手元に残っていたのは7万円。3カ月で底を突き、追い詰められていたところ、石橋さんらの支援とつながった。
「どうして、こういう人生になってしまったんだろう」
伊藤さんは、幾度となく同じ言葉を繰り返した。やりきれない感情が詰まった重い響きだった。私は、もし戻れるとしたら、いつに戻りたいかと尋ねた。
「このときですね。この頃が一番よかった」
そう言うと、一枚の写真を見せてくれた。家族5人で撮った、七五三の写真だった。17年前、伊藤さんが43歳のときに地元の写真館で撮影したものだという。子どもたちは羽織袴(はおりはかま)、伊藤さんと奥さんはスーツ姿で、前途洋々な人生を歩んでいるように見える。この頃に、いったい何かあったのだろうか。
■「社会を頼りたくない、関わりたくないんですよね」
「んー、話せませんね、言いたくないです。それは。人には言いたくないことがあるでしょ」
今から17年前の出来事を、伊藤さんは頑なに語ろうとしなかった。ひきこもるようになった最大の理由が、そこにあるのだろうか。伊藤さんの人生は、仕事を辞めたことで一変してしまった。そのことと何か関係があるのかもしれない。それとも、想像がつかないような出来事があったのだろうか。
取材はまだ始まったばかりだった。これから伊藤さんとの付き合いを重ねるなかで、いつか教えてもらえたらありがたいなと思い、次に会う約束をして、お宅を後にした。
4カ月前、汗だくになった坂道を再び上っていた。伊藤さんへの取材のためだ。
まだ聞けていないことがあった。17年前に何があったのか。そして、どうしてひきこもってしまったのか。伊藤さんは以前と変わらず、家からほとんど出ない生活を送っていた。自宅を訪ねるのは、これで4度目になる。
この日は、取材中に亡くなった伸一さんの話をするつもりでいた。なぜ私たちがこうした取材をしているのか、より深く知ってもらいたいとの思いからだ。誰にも助けを求めずに、一人、衰弱死してしまった男性がいる。その話を聞いた伊藤さんは、「うーん、そうですか……」と言ったきり、黙り込んでしまった。
扇風機の羽根が回る音だけが響く。伊藤さんはエアコンを使わない。
「私には、その人の気持ちがわかります」
伊藤さんがおもむろに口を開いた。
「社会を頼りたくない、関わりたくないんですよね。私も、親が死んじゃって、お金が底を突いた時点で、この世からいなくなろうと思っていたんで」
なぜ、そう思うようになったのか。伊藤さんは、過去のつらい経験を語り始めた。
■目標としてきた事務職への転用試験に合格したが…
人生の転機は、やはり17年前にあった。事の発端は、職場での「栄転」だったという。伊藤さんが43歳のときのことである。もともとごみ収集の現場作業員をしていたが、事務職への転用試験に挑戦し、見事合格したのだ。長年、目標としてきたことだった。
ごみ収集の仕事に不満はなかったが、一番上の子が年頃になると、父親がごみを集めていると周囲に茶化されるようになっていたからだ。しかし、そこからが苦難の始まりだった。
「戸惑いましたよ。だってパソコンもできなかったので。現場とのギャップが大きすぎて、仕事が何もできないんですよ」
2階の自室には、その頃の努力の痕跡が残されていた。パソコン教室に通ったときの記録。半年間にわたって、毎日のように仕事終わりに通っていた。当時のノートには、几帳面な文字が並んでいる。板書を書き写したものを、家でもう一度清書していたそうだ。大事な箇所が赤や青で丁寧に色分けされたノートを改めて見返しながら、伊藤さんはか細い声でつぶやいた。
「これだけやっても、ついていけなかったんです。できて当たり前だと思われることができない。これが一番つらかったですね。情けないでしょ。年下の人にいろいろ聞くと、『なんだ、こんなのもわからないのか』って馬鹿にされて」
43歳の新人に、手を差し伸べる同僚はいなかったという。自宅でも勉強を重ねたが、職場での作業は遅れがちだった。その分、残業も常態化していったそうだ。非正規雇用の職員と能力を比較され、給料泥棒と揶揄(やゆ)されたという。伊藤さんは、次第に精神的に追い詰められていった。
■「もう社会に必要ないんです。生きていたってしょうがない」
1年が過ぎた頃から、抗うつ剤を服用するようになる。それでも伊藤さんは、部署を変えながら9年間踏ん張った。子どものためにも仕事を辞めるわけにはいかなかったと語った。だが、52歳のときに限界となる。職場に行こうとすると、吐き気や腹痛に襲われ、体がいうことをきかなくなった。
きっかけは、仕事のミスを上司から大声で叱責されたことだったと振り返った。
「職場にいてもね、必要とされてないな。私って、もう必要ないのかなって。もう悔しいを通り越して、悲しくなっちゃって。なんで自分はできないのかな、どうしようもないなって。自分を責めましたよ。責めました……」
適応障害だった。伊藤さんは、退職せざるを得なくなった。その後、再就職を目指したが、50歳を過ぎた人材を欲しがる会社は見つからない。社縁を失い、家族との縁も切れた伊藤さんには、助けを求められるような相手もいなかったという。
「全部なくなっちゃったんですよ。もう社会に必要ないんです。生きていたってしょうがないなと思いながら、ここまできてしまいました」
自分は社会に必要ない。助けを求めようとしなかったのは、社会に傷つけられ、生きることを諦めた結果だった。人知れず、自宅にひきこもっている人の多くも、同じような思いを抱えているのだろうか。「閉ざされた扉」の向こう側にこうした声があることを、私はこのときまで知らなかった。
(NHKスペシャル取材班)
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