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だから私はダメなんだ…「職場で心を病む人」が無意識に唱えている"呪いの言葉"

プレジデントオンライン / 2021年11月28日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/monzenmachi

職場でメンタル不調になりやすい人にはどんな特徴があるのか。心療内科医の鈴木裕介さんは「幸せな出来事も、解釈次第で『不幸な出来事』になってしまう。『だから私はダメなんだ』という思い込みは、今すぐ手放したほうがいい」という――。

※本稿は、鈴木裕介『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)の一部を再編集したものです。

■あなたの人生の時間を奪う「DWD病」

あなたが自分のルールに基づいて自分の物語を生きるのを阻むもの、あなたの人生の時間を奪うものは、世の中にも、あなた自身の中にもたくさんあります。

ここではそのうちの一つ、「だから私はダメなんだ」病(DWD病)について話そうと思います。

「人生」という物語には、「出来事」の部分と「解釈」の部分があります。

「好きな人と結ばれた」「目標としていた学校に入れた」「希望していた仕事に就いた」「仕事で大きな成果を出した」というのは、いずれも出来事にあたりますが、これらの出来事は、解釈次第で価値が大きく変わります。

たとえば、あなたが「慶應大学に入りたい」と考え、一生懸命努力して、見事合格したとしましょう。

多くの人は、これを「努力が報われた、幸せな出来事」と解釈し、人生の物語における成功体験、輝かしいエピソードとして位置づけると思います。

ところが、世の中には、このような出来事さえ、「たまたま慶應大学にもぐりこめて、一時的には嬉しかったけど、そこで出会った友人たちは、自分なんかよりもはるかに優秀な人ばかりで、努力しても追いつけず、劣等感にさいなまれるばかりだった。だから自分はダメなんだ。慶應大学になんて、むしろ入らなければよかった」とネガティブに解釈してしまう人がいます。

血のにじむような努力をし、それが報われても、なかなか自分を認めることができないのです。

■ネガティブな解釈は、「ゼロを掛け算する」ようなもの

その結果、どんなに素晴らしい出来事も、それにネガティブな解釈をすることによって、主観的な価値はゼロになりえます。

積み重ねた努力が、あたかも無かったかのように感じてしまうのです。コツコツと足し算で積み重ねたものに、最後に「ゼロを掛け算」するようなものです。

ストレス
写真=iStock.com/AH86
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AH86

こうした人は、たとえ入った大学がハーバードだろうがスタンフォードだろうが、同じ解釈をしてしまうのです。

より良い方向を目指して発揮された努力は、それだけで尊く、賞賛に値します。ただ、それを自分自身で認めることができないのは悲しいことです。

願わくば、その過程の解釈を、できるだけポジティブなものにしてほしいと私は思うのです。

たとえいい結果につながらなかったとしても、「あれだけ頑張ったことが、自分の糧になっている」「あれだけ頑張ったから、今の自分がある」「あれだけ頑張った自分を褒めてあげたい」と思えるなら、その努力には大きな意味があり、決して無駄ではなくなります。

しかし、「自分を認める」ことができないままだと、どれほど努力を重ねても、自分を肯定できないどころか、むしろ「あれだけ頑張ったのに、まだこの程度だなんて、だから自分はダメなんだ」と、自己評価がさらに下がってしまいかねません。

そのようなネガティブな解釈はあなたの人生を幸せから遠ざけるものであり、手放すべきものです。

■ありのままの自分を肯定できない病

そして私は、素晴らしいできごとにも努力にも実績にも、解釈のところで必ずネガティブな意味づけをして、「すべては自分がダメなせいだ」「だから私はダメなんだ」という結論に持っていき、自分の人生の物語をひどいものにしてしまう考え方の癖を「だからわたしはダメなんだ」病(DWD病)と呼んでいます。

DWD病の人は、ありのままの自分を肯定することができません。

「欠点だらけでも、できないことが多くても、存在しているだけで自分には価値がある」と思うことができないため、他の多くの人たちが価値を認めてくれそうな、立派な看板(学校や職業)を追い求めやすいといえます。

でも、努力を重ねて出した成果を認められ、褒められることで上がるのは「私には~ができる」という自己効力感や自己評価であり、それは「何はなくとも、自分は自分であって大丈夫」という自己肯定感とは異なります。

努力の結果、看板を手に入れれば、一時的には満足し、自信を持ち、自己評価も高まるかもしれませんが、そうした看板は、実は自分が本当に求めているものではなく、親など、他人の評価を満たすものであるため、自分自身は満たされません。

また、看板はあくまでも看板にすぎず、その人自身の存在としての価値とはまったく関係がないため、褒められても、「嬉しいけど、何かが違う」という思いがつきまとい、時間が経てば経つほど、それは膨れ上がっていきます。

■立派な看板と自分自身の「人としての存在価値」は関係ない

しかも、多くの人たちが価値を認めてくれそうな看板は、当然のことながら人気が高く、そこには必ず競争がつきまとい、「人との比較」が発生します。

ビジネスマン
写真=iStock.com/gyro
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/gyro

世界は広く、必ず「上には上がいる」ので、競争や人との比較を続けている限り、心の底から満足することはできません。

そのため、いくら努力して立派な看板を手に入れても、競争に負けたりうまくいかないことがあったりすると、すぐに「だから私はダメなんだ」と思ってしまうのです。これがDWD病のメカニズムです。

「エリート」と呼ばれ、地位や年収、世間からの評価、プライドは高いものの、自己肯定感を持てず、自分の物語を生きられず、DWD病を抱えている人もたくさんいます。

彼らが一生懸命ミッションをクリアすればするほど、世間からの評価だけが「身の丈」を飛び越え、空虚な風船のように膨れ上がっていきます。

ですが、その風船は、針の穴ほどの小さな少しのつまずきではじけ、「自分はダメなんだ」と悩み、落ち込んでしまいやすいのです。

■失敗したときこそ信頼できる人に話そう

本当は欲しくないもの、あなたを本当に満たしてくれないもの、幸せにしてくれないもののために、人生の貴重な時間を費やしたり、一喜一憂したりするのを防ぐためには、このDWD病を治療する必要があります。

ほかの多くの病気同様、DWD病治療の第一歩は、病気を認識することから始まります。

DWD病は脳の奥深くに潜み、勝手に発動するので気づきにくいのですが、失敗したときやうまくいかないことがあったとき、自分の思考を注意深く観察してみましょう。

「だから私はダメなんだ」「やっぱり私には価値がない」といった考えが浮かぶようなら、あなたはDWD病の可能性があります。

自分では「失敗だ」「うまくいかなかった」と思っていることについて、信頼している相手に話してみるのもいいでしょう。

もしかしたら、話しているうちに、自分が「だから私はダメなんだ」という考えに侵されていることがわかるかもしれないし、話した相手から「それ、別に失敗じゃないよね?」と指摘してもらえたり、「いい経験をしたね」と思いもよらない解釈をしてもらえたりするかもしれません。

仮に具体的な気づきや指摘がなくても、「他の人に自分の『失敗』や自分の欠点について話し、受け入れてもらう」ことができれば、それだけで人は救われますし、少しずつ自分を肯定できるようになります。

■自分のダメなところこそ、受け入れていく

私のクリニックには、オープン当初から事務部門を担当してくれている、Kちゃんという女性がいます。彼女は努力家で、偏差値の高い学部を出ているのに、なかなか自分を肯定できずにいました。

そして、非常に優秀で事務遂行能力も高いのに、「いい感じにポンコツ」で、1~2カ月くらいに1回のペースで、なかなか刺激なポカをしてくれます。

たとえば、クリニックのオープン当初にKちゃんが作ってくれた、あらゆる書類作成のベースとするためのマスターデータの電話番号や口座番号が違っていて、不備書類が量産されたことがありました。

Kちゃん自身はもちろん恐縮しまくり、謝りまくっていましたが、誰も彼女を責めず「またKちゃんらしいやつ、出たねー」と笑っていました。

ミスやポカを隠さずオープンにし、お互いにそれを責めたりせず、むしろ慈しむ。そんなコミュニケーションを繰り返していった結果、いくら努力しても自分に自信を持てずにいたKちゃんも、最近は「以前より生きるのが楽になった」と感じてくれているようです。

DWD病を克服するために必要なのは、自分の欠点や弱さを否定するための努力ではありません。ときには、信頼し安心できる他人の力を借りながら、自分の「ダメなところ」を少しずつ受け入れていくことです。

■「あなただけの物語を生きてほしい」

「ダメなところも、自分の一部だ」と感じられるようになることで、「だから私はダメなんだ」と落ち込んだり、世間からの評価に一喜一憂したりすることが減り、生きやすくなっていくでしょう。

鈴木裕介『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)
鈴木裕介『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)

そのプロセスは「自己受容」と呼ばれ、非常に難しいことでもありますが、自分の「ポンコツさ」「人間味」の部分をありのまま認めてくれたり、面白がったりしてくれる人たちとすごすことが大きな助けとなります。

そうした人たちとの時間を増やしていくことで、これまでに起こってきた出来事の解釈も少しずつ変わっていくでしょう。

自己を受容していくこと。それこそが、世界に二つとない、あなただけの物語を生きることなのだと、私は思うのです。

拙著『我慢して生きるほど人生は長くない』では、「だから自分はダメなんだ」病についてだけでなく、社会との関わりから生まれる「心の痛み」や「生きづらさ」と向き合うための方法を、心療内科医の立場から得た気づきをもとに記しています。

拙著があなたの人生において「安心」の土壌を育むことに少しでも役に立ち、本来の可能性を発揮する一助となることを強く願っています。

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鈴木 裕介(すずき・ゆうすけ)
内科医・心療内科医・産業医
2008年高知大学卒。内科医として高知県内の病院に勤務後、一般社団法人高知医療再生機構にて医療広報や若手医療職のメンタルヘルス支援などに従事。2015年よりハイズ株式会社に参画、コンサルタントとして経営視点から医療現場の環境改善に従事。2018年、「セーブポイント(安心の拠点)」をコンセプトとした秋葉原内科saveクリニックを高知時代の仲間と共に開業、院長に就任。著書に『我慢して生きるほど人生は長くない』(アスコム)などがある。

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(内科医・心療内科医・産業医 鈴木 裕介)

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