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妻がいてくれて本当によかった…子供を持たなくても心底そう思うようになったワケ

プレジデントオンライン / 2021年11月25日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Rawpixel

人生において「結婚」はどれだけ重要なのか。編集者・ライターの中川淳一郎さんは「コロナ騒動を通じて、『妻がいてくれることのありがたさ』を痛切に感じた。考えの合うパートナーと生活を長く共にすることは、危機のときの備えになる」という――。

■妻がいてくれることのありがたさ

人生を楽に生きるには、いかにして考えの合う配偶者/パートナーを見つけるかが重要──先日9回目の結婚記念日を迎えた折に、つくづくそう思った。

人生はひとりでもなんとかなるものだが、配偶者や家族がいれば日々の暮らしはもっと楽しくなる。いやまぁ、時には家族間で衝突することもあるし、ひとりで暮らしているときには発生しなかった面倒事にも対応しなければならないから、善しあしはある。ただ、それでも配偶者がいてくれて、私はよかったと痛切に感じているのだ。

以前、この連載でも触れたように、私が昨年来のコロナ騒動を通じて得た大きな収穫のひとつは「妻がいてくれることのありがたさ」である。「結婚生活って、いいものだな」と改めて実感したことは、理不尽でバカげたことばかりのコロナ騒動において、ほぼ唯一のよい経験だった。

仮に私が結婚しておらず、ひとりで暮らしていたとしたら、果たしてどうなっていたか。私は憤懣やるかたない日々に押し潰され、廃人になっていたかもしれない。以前から認識していたことではあるが、コロナ騒動を経て「考えが合う配偶者/パートナー」に出会えるかどうかでその後の人生は大きく変わる、という思いを強くした。

■周囲に既婚者が増えると、付き合い方も変わる

20代は未婚の人も多く、既婚者に比べて時間もカネも比較的自由に使えるので、独身の友人どうしでいろいろとつるむことが可能だ。だが、30代も半ばを過ぎるころになると、家庭を持つ同世代の人間が周囲に増えてくる。家事を分担したり、育児に手を取られたりして、20代のときほど安易に友人とつるめなくなるのが一般的だ。

たとえば、未婚でパートナーもいない人間と既婚者との間で「来週飲まない?」「いいね!」なんて約束を交わしていても、当日になって既婚者から「子どもが急に熱を出した! ゴメン、家で看病しなきゃならないから、今日は行けない!」なんて連絡が入ったりすることは決して珍しくない。週末は週末で「家族サービスしなきゃ」「配偶者から『買い出しに付き合え』と言われている」「子どもの習い事がある」など、既婚者は家庭に関わる事柄で何かと忙しいものだ。

ただ、こうなってしまうのもやむを得ないことである。家庭を持つ人々は、家族を最優先するのが当然だからだ。配偶者や子どもはいちばん大事な存在なわけだから、そこをないがしろにするわけにはいかない。

■こんな時代だからこそ、パートナーを見つけて共に暮らしてみよう

そうした既婚の友人たちの振る舞いを見て、「家族がいる人間は大変だな」と同情したり、「あいつもマイホームパパか。寂しいな」と付き合いの悪さを嘆いたりするものの、「そろそろ自分も家庭を築くか」「誰かと一緒に暮らすのも、悪くなさそうだな」という気持ちになる単身者も少なからずいるだろう。

そういう気持ちを抱いたなら、私は「『一緒に暮らしてもいいな』と思えるパートナーを探してみては?」「すでにパートナーがいるなら、結婚を真剣に考えてもいいタイミングが来たのかもしれない」と、前向きに検討してみることを強く勧めたい。こんなご時世を乗り切るには、自分のそばで共に歩んでくれる人が不可欠だと、私自身が痛切に思っているからだ。

コロナ騒動以降、理不尽なこと、筋が通らないこと、違和感しか抱けないことが格段に増えた。経済的に苦しくなった人もいるだろう。社会は集団ヒステリー的になり、誰しも多かれ少なかれ、精神的に疲弊してしまったに違いない。そんなとき、自分を支えてくれるのはいつもそばにいてくれる存在──端的には、配偶者である。子どもや親、本当に親しい友人が心の支えになることもあるだろうが、信頼できる配偶者(および、それに準じるパートナー)という存在はやはり特別だ。

■配偶者を選ぶとき、絶対にチェックしておきたい5条件

そこでここからは、生活を共にするパートナーを決める際にぜひ留意しておきたいポイントを、私なりに整理していこうと思う

なお、本稿では基本的に「結婚」「配偶者」という画一的な表現を用いて話を進めるが、私がいちばんに伝えたいのは「生活を長く共にする相手を選ぶ際に、自分なりの判断基準を持っておくと後々リスクヘッジができるかもしれないよ」ということである。どのような人生、ライフスタイルを選択するかは個々人の判断であり、ましてやここで多様性やらLGBTQやらの議論を持ち出したいわけでもない。あくまで便宜上の表現であることを含み置きいただきたい。

私は、配偶者を決める場面において、以下の5点を重視すべきだと考えている。

【1】「耐えられないもの・嫌いなもの」のレベルが同じ

【2】相手が「不快」と感じる物事を知っており、その理由も理解している。そのうえで、自分は自分の道を歩く。相手もそれを否定しない

【3】食の嗜好が合う

【4】人生の重要事項について率直に話し合い、意識をすり合わせておくことができる

【5】趣味は一概に同じでなくても構わない。相手の趣味は互いに尊重する

それでは、上から順に見ていこう。

■「耐えられないもの」について擦り合わせおくことの重要性

【1】の「『耐えられないもの・嫌いなもの』のレベルが同じ」は、挙げたなかでも最重要ポイントだと考えている。私はとにかく部屋が汚い。恐らく何らかの気質的な理由、精神的な理由が絡んでいると思うのだが、どうしても「片づけられない」のだ。そして、まったく片づいていない乱雑な部屋を見ても、あまり気にならない。

昔の嫁姑問題を描いたドラマや漫画などを見ると、和服姿の姑が障子のへりのあたりを指でなぞり、こんもりと付いた指先のホコリをフッと吹いて飛ばす、といったシーンが登場したりする。この描写は、嫁の掃除が雑であることを示しており、嫁は障子のへりぐらい多少ホコリがたまっていても気にしないタイプであることがわかる。

ほこりを指でなぞって見せる女性
写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/KatarzynaBialasiewicz

そして姑は「息子にふさわしい伴侶なのか、わが山田家という名家にふさわしい嫁なのか、私が厳しく見極めなくては!」などと気負い込んで“嫁いびり”を加速させ、何かにつけて揚げ足を取るようになる……というのも、これまたよくある展開である。

その後、妻は夫に「お義母さんの指摘が細か過ぎてもう耐えられない。この家から出て、あなたと2人だけで暮らしたい」と泣きつくものの、夫は「おふくろだってキミのこと考えて言っているんだよ。頼むから我慢してくれ。わが家では障子のへりにホコリが積もっていない状態が当たり前なんだ。なっなっ、ウチに嫁いだ以上、そのくらいのことは受け入れて、おふくろとうまくやってくれよ」なんてことを言う。

夫は一見優しい理解者のように見えながら、結局、母親の肩を持ってばかり。かくして妻は「私のことを理解しないこんな夫、捨ててやる!」と離婚に向かって突っ走っていく……。

■嫁姑問題のような衝突は、夫婦間でも起こり得る

一体なんの話をしているかわからないかもしれないが、似たような状況は「嫁・姑」だけでなく「夫・妻」でも発生すると言いたかったのだ。「昭和の茶番劇」「時代遅れのモラハラ姑」と一笑に付すのは簡単だが、嫁姑問題のようなドロドロとした価値観の衝突は、現代においてもアングルを変えて残り続けている。

たとえば、きれい好きの夫が仕事から疲れて帰ってきたとき、専業主婦の妻が家のなかを乱雑な状態で放置していたとする。夫もしばらくは我慢していたが、ついに限界がきて、こんなことを口にしてしまう。

「オレが毎日、仕事で疲れ切って帰宅しているというのに、お前は最低限の掃除さえしてない。オレは汚い部屋が耐えられないんだよ。家ってのは、もっとも安心してくつろげる場所であるべきだろ。なのに何だよ、この散らかりっぷりは! こんな部屋、いるだけで気がめいるし、まったく落ち着かない。日中、時間あっただろ? せめてダイニングくらいはきれいにしておいてほしかったよ」

■「汚い部屋」の基準がズレていることで起こる不幸

そして妻は翌日「自分基準」で部屋を掃除しておくのだが、夫はそれでもまだ文句がある。

「おいおい、何でテーブルの下にモノがあるんだ? オレは床にモノが放置されているのが大嫌いなんだ。片付けって、視界に入らないようにすればそれで終わりってわけじゃないからな!」

ここまでくると、妻もキレる寸前であろう。「この男は私にいちゃもんをつけたいだけなのではないか」「そんなに汚いのが気になるのであれば、自分でやればいいでしょ?」「私が『そこまで丁寧にやる必要ナシ』と考える掃除まで要求されるのは理不尽」「いくら自分は会社で仕事をしているからといって、掃除をすべて私に押し付けて、毎日完璧にこなせと要求してくるなんて、コイツは鬼か」といった調子で、夫に対するさまざまな悪感情が渦巻くに違いない。

丹念にテーブルを消毒する女性
写真=iStock.com/insjoy
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/insjoy

「耐えられないもの・嫌いなもの」のレベルが異なると、かような衝突が起こってしまうのだ。きれい好きの夫は「オレはカネを稼いできているのだから、家にいるお前はせめて掃除くらいちゃんとしろ」と思うのだが、妻は部屋が雑然としていてもまったく気にならないし、とにかく掃除が苦痛で仕方がない。そうして妻は「きれい好きってウザすぎる!」「もう耐えられない。離婚したい!」となり、2人の結婚生活は終わりを告げることになる。

■さまつな事柄も放置すればケンカのタネになる

こうして“きれい好き男”にこりごりした女性は、これから交際する相手を選ぶ際に「部屋を片付けなくても文句を言わない男」「マメに掃除をしなくても不機嫌にならない男」という条件を加えることになるのだ。当然ながら、これは男性の場合も同じである。過去に“きれい好き女”からさまざまな苦痛を与えられた経験を持つ男性は、二度とそんな女性とは付き合わないとかたく心に決めている。そんな2人が出会えば、距離は急速に縮まるだろう。生活を共にすることになっても、「汚い部屋が気にならない」という点で価値観が一致しているので、余計な衝突は起きない。これにて円満カップルの誕生である。

この手のもめ事は他にも数多く起こり得る。「箸の使い方が汚い」「店員に横柄」「見栄のためにブランド品を買う」「無添加食材しか受け付けない」など、カップルのあいだではさまざまな考え方の相違が見られるものだ。

「箸の使い方」程度であればひとまずスルーするか、「正しく持てるほうが行儀よく見えて、好感度も上がるだろうから、人生で得するかもしれないよ」と矯正を促すことができるかもしれない。ただ、他の3点については生まれ持った気質や、成長過程で親や周囲の人々から継承し、性根に染みついてしまった価値観も多分に影響していると思われるので、意識を変えるのはなかなか難しそうだ。

こうした「一見さまつなことかもしれないが、互いの認識がズレていると徐々にストレスがたまっていく事柄」については、配偶者やパートナーを選ぶとき、過剰なくらい目を向けておくほうがいい。交際時期に「ん? 何だか気持ち悪い」「妙な感じがする」などと違和感を少しでも覚えたときは要注意だ。いまは大した問題ではないように見えても、一緒に生活するようになると、その違和感はどんどん大きくなっていく可能性がある。とくに「耐えられないもの・嫌いなもの」に関する価値観のズレは、生活を共にするようになると確実に衝突のタネになるので、ぜひ擦り合わせておきたい。

■互いに容認する姿勢が大切。でも、限界はある

次は「【2】相手が「不快」と感じる物事を知っており、その理由も理解している。そのうえで、自分は自分の道を歩く。相手もそれを否定しない」について。【1】を補足するような項目だが、要は「相手が『イヤだな、苦手だな』と思うことはできるだけしないよう心がけるが、お互いあまり神経質にならず、容認する気持ちを忘れない」ということだ。

先ほど挙げた「箸の使い方」あたりは、この【2】で回収できるかもしれない。だが、「汚さの許容範囲」については神経質になる人も多いようで、大きくズレていると結婚生活はイバラの道になるだろう。妥協案として思い付くのは「あなたの書斎だけは汚くてもいいけど、他の部屋はきれいにするよう心がけて」と協力をあおぐことくらいか。

続いて「【3】食の嗜好が合う」だが、何しろ日々の暮らしは1日2回~3回の食事によってまわっているのだから、その好みが配偶者と大きく異なっていたらやはりストレスになる。また、人生における貴重な非日常体験であり、特別な時間となる「旅行」でも「食」は非常に重要な要素だ。つまり、食の嗜好が合わないと旅行が格段につまらないものになってしまうのである。

正直、もし私の配偶者がヴィーガンだったりしたら、毎日が苦痛で仕方ないだろう。豚肉が大好きで、日々ラーメンや生姜焼き、トンカツ、チャンポンなどを食べることを至福としてきた男が、豚肉を食べられない女と一緒の生活をするようになったら……想像するだけで震えがくる。

夫婦で焼きそばを食べる前に、いただきます
写真=iStock.com/Rawpixel
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■食べものの恨みは想像以上に恐ろしい

豚肉は、安価な動物性たんぱくであり、幅広い料理で活用されている食材だから、これを封じられたら相当なストレスだ。夫婦で別々のメニューを用意するにしても、それはそれで手間がかかるし、なんというか……家族としての一体感が失われてしまうように思う。「豚しゃぶ屋」「豚骨ラーメン屋」「トンカツ屋」など、豚料理メインの店で一緒に外食をする、という選択肢が失われてしまうのも痛い。

こんな男が豚肉を食べられない妻と結婚したとしよう。臨終を迎えたときに「お爺さん、最後に言いたいことは?」なんて聞かれたら、「あぁ、腹いっぱいトンカツを食いたかったぁ~」などと、コントみたいな発言を本気で残してしまうかもしれない。それほどまでに食べものの恨みは恐ろしいのである。

あと「辛いものが好き」「しょっぱいものが好き」「甘いものが好き」「酒が好き/酒が飲めない」といった食の嗜好についても、夫婦の平穏でくつろげる食卓を実現するためにぜひ擦り合わせておきたい。ただ、酒については、相手が飲めなくても大した問題にはならないカップルは多いのではないか。「酒は飲めないけど、酒席の雰囲気が好きだし、酒の肴も好き」という下戸は案外多い。さらに酒を飲んだ後はシラフのパートナーに運転を任せて、道中や帰宅してから感謝を伝えるといったことも可能だ。むしろ夫婦そろって酒好きで、どちらも記憶がなくなるまで飲んでしまう、みたいな夫婦よりもメリットは大きいかもしれない。

■「子どもの有無」や「親の介護」などデリケートな事柄ほど率直に

「【4】人生の重要事項について率直に話し合い、意識を擦り合わせておくことができる」に関することでいうと、われわれ夫婦は結婚前の同棲段階で「子どもは持たない」という重要な決定をした。

「子どもの有無」「年収が低下しても許容し、相手を追い詰めない」「実家の親はできるかぎり、自分たちで介護する。何でも業者任せにしない」「子どもは大学まで行かせる」「絶対に都会に住む」「将来的には田舎で暮らしたい」など、人生設計に絡む重要事項については、多少聞きづらいことであってもあらかじめ意識を擦り合わせておこう。相談は、早ければ早いほどいい。早いうちに決めておくほうが、年を重ねた後に「そんな考えだったとは知らなかった」などともめずに済む。

われわれ夫婦は「子どもは持たない」「生活する場所は東京にこだわらない」と早い段階で決めていたため、いま暮らしている佐賀県唐津市への移転もすんなり進められた。子どもがいないので気兼ねなく仕事を整理できたし、さまざまな準備もフットワークよく進められた。要するに、私たちは「子どもがいる暮らしより、2人で過ごす時間を大切にする人生」を選択したということだ。そのおかげで、自由気ままに移転を決断できたのである。

子どもを持たない人生を選んだことに、後悔は一切ない。それは、妻も同じである。現在30代後半の妻に対して「まだ産もうと思えば産める年齢だし、1人くらいは産んでみたら?」などと助言する人もいるのだが、彼女は「いや~、これから産むのは大変ですよ。もういらないです」と何の含みもなく返している。私も「仮に来年子どもが生まれたとして、その子が成人するとき、オレは69歳ですよ。そこまで働き続ける気力はないです」と答えている。

デリケートな事柄だからこそ、早い段階で率直に意見を交わし、考えを一致させておいてよかったと思う。おかげでいま、われわれ夫婦の関係性はとても安定しているし、一緒に過ごしていてすこぶる快適なのである。

■「趣味」は違っても大きな問題にはならない

さて、ここまでは「2人の価値観をできるだけ一致させておくほうがよい」事柄について書いてきたが、「【5】趣味は一概に同じでなくても構わない。相手の趣味は互いに尊重する」は少し毛色が異なる。趣味は互いに束縛しあってまで楽しむようなものではない。「あなたはコレが好き。私はソレが好き」でも別に関係は悪化しないから、同じ趣味にこだわる必要はないのだ。

ロックダウン中にシンセを弾く夫とPCに向かう妻
写真=iStock.com/visualspace
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たとえば、鉄道好きと飛行機好きが結婚したとしても、日ごろはソロ活動で楽しめばいいし、旅に出たときは同じ時間を共有しながら、それぞれの興味を満たすことだってできるだろう。漫画好きとゲーム好きも同様で、2人で同じベッドの上に寝転んだり、一緒に移動したりしながら、各々の趣味に没頭すればいいだけだ。もちろん、同じ作品が好きで一緒に「聖地巡礼」などをするのもいいだろうが、趣味というものは思想や主義主張より圧倒的に軽いものなので、違っていても仲違いをするほどの障害にはつながらない。

■相手の趣味に余計な口を挟まず、むやみに批評もしない

むしろ趣味に関連して気をつけたいのは「一致するか、しないか」ということではなく、相手の趣味に余計な口を挟んだり、自分には魅力が理解できないからといって不用意に批判したりしないこと──つまりは、相手の趣味を尊重する姿勢である。

たとえば「競馬やパチンコにハマり過ぎてカネを失う」「配偶者に黙って生活費に手を付け、高価なフィギュアを買い集める」「手芸の材料が溢れかえり、リビングや廊下など共有空間にも山と積まれる」「早朝のゴルフに間に合うよう、いつも相手に『起こしてくれ』と要求する(うっかり寝過ごしたら、キレる)」など、家庭全体に迷惑が及んだり、配偶者に無理を強いたりするのは当然論外であり、いくらでも文句を言って構わない。ただ、そうした状況に陥らないのであれば、互いの趣味については「あ、やってるな」とたまに横目で見つつも放置し、鷹揚に構えておくほうが確実にうまくいく。

■迷う気持ちがあるなら、まずは一步踏み出してみる

配偶者との良好な関係は、人生の活力になる。日々の暮らしが安定すれば心身も充実して、仕事にも全力で取り組めるようになるし、ちょっとくらい人間関係でトラブルがあっても大きなダメージを受けずに済むはずだ。

「自分はひとりで生きると覚悟を決めている」「以前、結婚(同棲)していたこともあるが、イヤなことばかりでこりごりした。今後、パートナーを持つつもりはない」など、生き方や考え方が人それぞれであることは重々承知している。私も「絶対に結婚せよ!」「結婚しない人は損な人生を送ることになるぞ!」などと脅すつもりはないし、「結婚すれば、みんな幸せになれる!」と手放しで礼賛したいわけでもない。

ただ「どうしようかな」と少しでも迷う気持ちがあるのであれば、ちょっとだけやる気を出して、同棲や結婚を現実的に考えてみてはどうだろう。「幸せや喜びが2倍になりますよ!」などと浮ついたことは言うつもりもないが、「こういう人生の楽しみ方もあったのか」「面倒なこともあるけど、なかなか面白くもあるな」とこれまで知り得なかった世界を見ることができるのは確かだ。

このバカげた世界において、たったひとりでも自分を根っこの部分から理解し、受け入れてくれる人が存在するということは、それだけで大きなよりどころになる。

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【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・理不尽なことばかりのコロナ騒動で疲弊した自分を支えてくれたのは、配偶者だった。改めて「結婚してよかった」と実感できたのは、コロナ騒動における唯一の収穫だ。
・「パートナーと結婚してもいいな」「相手を見つけて、同棲してみようかな」と少しでも考えるのであれば、ぜひ前向きに取り組みたい。共に暮らす人の存在は、あなたをさまざまな場面で支えてくれる。
・ただし、相手を選ぶ際に注意しておきたいポイントはある。とくに「『耐えられないもの・嫌いなもの』のレベルが同じ」かどうかは影響が大きいので、絶対に擦り合わせておきたい。

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中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ライター
1973年東京都生まれ。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年よりさまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。並行してPRプランナーとしても活躍。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、ネットニュース編集およびPRプランニングの第一線から退く。以来、著述を中心にマイペースで活動中。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など多数。

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(ライター 中川 淳一郎)

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