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世界一のポルシェコレクターがピカピカの新車よりも「傷物の改造車」を愛するワケ

プレジデントオンライン / 2021年11月30日 12時15分

一番気に入っている277 - 撮影=ジョン・ホワイト

マグナス・ウォーカーさんは数十台ものポルシェを所有する世界一のポルシェコレクターだ。マグナスさんは「新車よりも傷のある車のほうがいい。その車で積み上げた走行距離や時間はかけがえのないものだ」という――。

※本稿は、マグナス・ウォーカー『URBAN OUTLAW』(東洋館出版社)の一部を再編集したものです。

■7500ドルで中古のポルシェ911を購入

誰もが俺に訊きたがるのは277のことだ。本当のことを言えば、ちょっと妙な話だ。その車には、俺の特徴的なタッチはほとんど加えられていないのだから。

だがそれでも人気は高いようで、雑誌やウェブサイトにコレクションの写真が掲載される場合、必ず検索結果の上位に入る。277は二台目に買った911で、世界に1台しかない、いろいろなパーツを組み合わせた車だ。マッチングナンバーの既製の車が趣味なら、911としては不満を覚えるだろう。

初めて71年型の911Tを目にしたのは、その種のイベントとしては世界最高の1999年のポモナ・スワップ・ミートだった。無数の車が揃っているし、オイルとガソリンの匂いが充満していて、時折タイヤのきしむ音がする。そこかしこで車に関する熱心な会話がかわされ、空気はエネルギーに満ちてざわついている。

ロウアー・グランド・ストリートにて、78年SCHR(撮影=ショーン・クリンゲルヘーファー)
ロウアー・グランド・ストリートにて、78年SCHR(撮影=ショーン・クリンゲルヘーファー)

277の元所有者は航空宇宙工学の専門家で、ロッキード・ボーイングで働いていたとのことだった。俺は7500ドル出して、改造済みのその車を買った。2.7リットルのエンジン搭載だったが、車体は細身で、パーツも加えられていなかった。もともと金色だったのだが、緑色に塗り替えられ、そのあとで色合いもさまざまなホワイトに塗られていた。コンディションは良く、そんなわけで俺はそいつを手に入れたのだった。

すぐさま73年RSレプリカ式に改造を始めた。実際にその型の車に惹かれたことはない。車は1580台製造され、277は7500ドル出して買ったが、おそらく73年RSは5万ドルした(この原稿を書いている今では、状態のいいRSはおそらく100万ドルする)。要するに当時5万ドルは、俺にとって100万ドルくらいの意味があった。1万ドル以下が、予算の範囲だったからだ。

結局本物のRSフレアを750ドルで買い、所有して3カ月も経たないうちに車に溶接した。そのあと73年RSカレラのファイバーグラス・ダックテールを入手し、車体をホワイトに塗り直し、ブラックのフックスを加えた。半年も経つと71年型Tは、73年RSのような外見になっていた。

■ルックスではなくレースのための改造

その車に乗ってウィロー・スプリングスに初出場した。レースに夢中になるあまり、次々と車に改造を加え、よりよい結果を残そうとしていたのだ。格好つけようと思って改造をしているわけではない。きっかけはあまり手を加えていない車で大会に出場し、スピードが必要だと痛感したことだった。そこでパフォーマンス向上のための改造を始めた。おおむねサスペンションやブレーキ、ハンドルやタイヤの質といったところだ。

ポルシェ・オーナーズクラブ主催のより大きな大会に出るようになると、安全に関する規則をあれこれ守らなければいけなくなった。そこで対策として200ドルでMOMOの安いバケットシートを買い、5点式のシートベルトと消火器を積み込んだ。安全第一というわけだ。

71年型はスモッグチェックが導入される前の時代の産物で、つまり触媒コンバーターがついていなくてもよかった。それが初期のポルシェの長所のひとつだ。いつも言うように、あらゆるパーツが交換可能なのだ。3.6リットルのエンジンを入れたとしても、76年の排気量の規制以前に作られていたおかげで、スモッグチェックのテストを受ける必要はなかった。

さっきも言ったように、スタイルやルックス重視の改造というわけではない。あくまで大会でよりよい成績を残せるように、いろいろ工夫していたのだ。ストリートカーからトラックカーに移行する段階だったが、それでも277は俺にとってストリート対応可のトラックカーで、サーキットまで運転していって戻ってくることができ、道路交通法には違反していないのだった。

最初の2年ほど、車のナンバーはポルシェ・オーナーズクラブからランダムに与えられた731だった。のちに幅広のリムを取り付け、車高を下げて、サスペンションに手を加え、分厚くて重いトーションバーに替え、スピンドルをつけた。アグレッシブなストリート対応のトラックカーができあがった。

■277という数字に深い意味はない

2004年頃には、ブルモスのリバリーを塗装した。ブルモスは大のひいきのレーシングチームであり、車のディーラーで、50年以上もこの業界で生き延びている。そのチームのナンバーワンのドライバー、ハーレー・ヘイウッドはデイトナで5回、ル・マンで3回優勝している。

のちに俺はヘイウッドと対面するが、目の前に伝説の男が立っていると思うと、夢でも見ているのかと頬をつねりたくなった。そこで277の色合いはブルモスに似せた。もちろんブルモスの赤白青のリバリーはアメリカという国、エベル・ナイベル、本書に登場するさまざまなものへの愛着のあらわれでもある。

ガレージに並んだポルシェ関連のアイテム
撮影=ラリー・チェン
ガレージに並んだポルシェ関連のアイテム - 撮影=ラリー・チェン

理由はよくわからないが、途中でポルシェ・オーナーズクラブは新しいナンバーをよこした。正確には、好きなナンバーをつけていいという話で(既に取得されていなければ)、7の入った桁の少ない数字が欲しいと思った。1967年7月7日生まれだからだ。よく周りには訊かれる。

「277とはどういう意味なんだ。何か理由があるのか?」

本気で意味があるわけではない。桁が少なくて、7が入っているというだけだ。007ならパーフェクトだったが、もちろんそのナンバーは誰かが取得済みなのだった。

■馬力の強いエンジンがいいわけではない

車は四気筒で、4つ目の2.6リットルのエンジンは何度も手が加えられていた。1つ目の2.7リットルは、車を手に入れたとき少々参っていたので、中古で手に入れた2.4Sスペックのモーターと交換した。やがてそのエンジンもちょっと弱ってきたが、そこまで金をかけるつもりはなかった。

3万ドルかけて、でかいエンジンを入れるまでの心づもりはない。俺はいつもネットで中古のエンジンを探す。そんなわけで、8000ドルで手に入れた2.5リットルのエンジンをつけた。俺はただの車好きだ。2年ほど乗り回し、エンジンが弱ってきたら取り替える。くたびれて漏れもひどくなってくると、修理するかわりにネットに広告を出す。

「即使えるエンジン求む」

洒落たものである必要はない。理想的なのはショートストロークでツインプラグの2.4、2.5、2.6あたりだ。でかいものが欲しいと思ったことはない。エンジンのスペックを細かく知っている必要もない。エンジンが参ってきたら、すぐ交換できれば満足だ。べらぼうに馬力が強いエンジンを求めているわけでもない。俺にとって、ポルシェとはそういう車ではないのだ。

ターボにかける情熱。76年と77年の930ターボ、待機中
ターボにかける情熱。76年と77年の930ターボ、待機中

すぐに変化が実感できるから、3.2、3.4、3.6、3.8など、でかい心臓を取り付けるのが趣味の連中もいる。だが277は小型で瞬発力のある車で、そういった車のほうがドライバーの技量は上がると俺は思っている。昔、サーキットでは速い車を追うのが好きだった。そうしたら自分のペースも上がったからだが、コーナーで追い抜くと、こんなことを言われることもあった。

「3.6リットルを取り付ける気はないのか? ちっぽけな心臓でちょろちょろ走りやがって」

でかいエンジンをつけたからといって、速くなるわけではない。俺の場合、物理的に自分の足を277のショートストロークで、ツインプラグの230馬力の2.6リットルのエンジンに載せておくことはできないのだ。300馬力なんて欲しいわけがない。小型の車にでかいモーターをつけて速度が上がるわけじゃない。そのままの状態でバランスはいいし、調子は整っているのだ。

俺は277を「偏平足の車」と呼んでいる。ほとんどのあいだ、アクセルを踏み続けていられるからだ。ばかでかいエンジンをつけた車では、そんなことをしているわけにはいかない。単純に相手の力が強すぎるのだ。277はそれができるから、気に入っている。

■277はたいして特別な改造を施していない

2006年頃、ブルモスに影響を受けたリバリーは今よく知られているスタイルに進化した。もともとのリバリーが入ったスチールのボンネットを、成り行きで赤いファイバーグラスのものに変えたときだ。わざわざ塗ることもない。ただ取り付けるだけで格好いいだろう、と思っていた。そのあとでバンパーをブルーに塗り、ホエールテイルをルーバー付きのデックリッドに交換した。

今でもその車はトーションバーとショックをつけて走っている。コイルオーバーには改造しなかったのだ。もとのスチールのトレーリングアームをつけて走っている。軽量のアルミのアームにはアップグレードしなかった。ブレーキに関してはSCブレーキにしたのだが。

これまた妙な話で、世の中の人間の大半は重いターボブレーキにアップグレードを繰り返す。だが車が2200ポンドしかない場合、そこまでブレーキの馬力は必要とされない。タイヤは粘着力が高く、路面をガッチリつかむ超優秀なフージャーだからだ。

要するに277のパーツは、とりわけ現在のスタンダードからしたら、たいして特別でもない。実際何年もかけて改造したので、多くのパーツは今や古色蒼然たる代物だ。だから最新式の超一流の目を見張るようなレーシングマシンなんかではない。もっとベーシックで、はっきり言って古い手法の改造車だ。

■新車にはパーソナリティがない

その車を見たらすぐわかるだろうが、長年のあいだに277の車体にはいろいろと傷もついた。俺にとっちゃ、お気に入りの古い靴のようなものだ。昔からの戦友だ。みんな「一番のお気に入りの車は?」と訊きたがる。俺はこう答える。

「277以外、ありえないな」

何もかもが素晴らしいのだ。車高が低いといった点も含めて、傷や傷みがあるほどいいのだ。みんなかけがえのない思い出なのだから。新品のカスタムメイドの車や、ホットロッドの911も素晴らしいが、そういった車にはまだパーソナリティが何もない。単に新車というだけだ。俺にとって277は別の意味で完璧な車だ。

完璧とはペンキを塗るという意味だけではない。あの車に乗って何マイル走ったか、見当もつかない。どれだけ金をつぎ込んだかもわからない。よくある話だがあっちに5000ドル、こっちに5000ドル、こっちに2000ドルという具合だ。別に金なんてどうだっていい。

■なぜ座席を新品と交換しなければならないのか

277に関する俺の主張はなかなか理解してもらえないし、パーソナリティや傷のある車はピカピカの新車よりいいと言っても、わかってもらえないこともある。たとえばこんな話だ。あるときスパルコとレカロから連絡があり、ご親切にも277の新しい座席を提供してくれると言ってきた。今に至るまで、タダで物をもらったことはないし、値引きを求めたこともない。だからその連中には礼だけ言った。

「新しいシートが欲しくて、それが600ドルするとしたら、自腹で買うさ。それに、どうしてあの車に新しい座席をつけなきゃいけないんだ」

ロスのダウンタウンにて、78年SCHR(撮影=ショーン・クリンゲルヘーファー)
ロスのダウンタウンにて、78年SCHR(撮影=ショーン・クリンゲルヘーファー)

俺は新品のジーンズが嫌いだ。新品の靴が嫌いだ。どうして新品の座席をつけなきゃいけないんだ。ある男からは、運転席がスパルコで助手席がMOMOなのはおかしいだろう、と言われた。もしよければ新しいシートを提供しよう、そうしたら釣り合いが取れるという話だった。だが運転席というのは、レースのたびに座る場所で、破れているし傷んでいる。シートベルトのせいで擦り傷もついている。

助手席に入れてある250ドルのMOMOのバケットシートは、スパルコの製品に手が届くようになるまで運転席として使っていた。実のところ2つ持っていたのだが、資金のない友人に助手席を譲ってしまった。だからスパルコのものを買って、MOMOを助手席に移したのだ。

そんな経緯があるのに、どうして片方を交換しなきゃいけないんだ。両方とも、ポルシェでサーキットに出るようになった2002年から車に積んでいる。それがこの車のDNAにしてパーソナリティなのだ。

おかしな話だが、ナンバープレートは71T24Sだ。車に近寄ってきた人間に言われることがある。「この車は何年のものだ?」俺はいつもこんなふうに答える。

「ナンバープレートを見てみろよ。なんとなく答えがわからないか」

■その車で積み上げたマイルや時間は特別

時々277には、改造以外の理由で作業を求められる。2015年、ある記者会見に参加していたときジャーナリストを乗せて走っていたら、スピンしてトラックにぶつかってしまった。本当かと言われそうだが、車で事故を起こしたのはそのときが最初で最後だった。俺はとっさに「同乗者は無事だろうか」と思った。幸いなことに何ともなく、俺もかすり傷ひとつ負わなかった。

車への打撃は大きかったが、運よくぶつかったのはロールバーで、おかげで衝撃がだいぶ分散された。たいていの人間なら廃車にしてしまっただろう。俺は保険会社に連絡すらしなかった。自分で金を払った。事故からまもなく、修理した車をレンスポート・リユニオンに持っていくと、口々に言われた。

「まさか同じ車のわけがないだろう」

俺は言った。「いやいや、同じだ。ここへ乗ってきたのさ。277だよ」車はクラッシュ以前の状態に復活していた。語り草がひとつ、思い出がひとつ増えたというわけだった。

78年SCHRのリムを交換中
撮影=ラリー・チェン
78年SCHRのリムを交換中 - 撮影=ラリー・チェン

277は俺の「普段使い」の車で、一番馴染みが深く、世間にも俺の車として一番よく知られている。改造のおかげで名前が売れるようになってから、この車はあらゆる動画や雑誌、ウェブサイトに登場している。俺と一心同体なのだ。ある意味で、車そのものがセレブだ。

マグナス・ウォーカー『URBAN OUTLAW』(東洋館出版社)
マグナス・ウォーカー『URBAN OUTLAW』(東洋館出版社)

あるとき東京で行われたポルシェのイベントに参加してみると、そこには277を細部に至るまで再現したという男がいた。277のレプリカが10台以上並んでいた。オンラインで車を設計するバーチャル世界の話ではない。本物の277と瓜二つの車があった。

ちょっと皮肉なのは、実は俺の特徴的なスタイルがあまり反映されていない点だった。ルーバー付きのデックリッドを除けば、ウィンカーもフェンダーもフードもドアハンドルもない。277はそれ以前の車だからだ。車が誕生したのは、俺が改造ポルシェを作るようになる以前のことだった。

繰り返しになるが、277はパーツのレベルでは特に言及に値するものでもない。だがその車で積み上げたマイル、時間、感情、物語、車に乗せた友人たち、ハンドルを握って作った思い出は特別だ。ある意味では象徴的な車だったといえるだろう。かけがえのない車だ。

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マグナス・ウォーカー(まぐなす・うぉーかー)
ポルシェコレクター
英国シェフィールド生まれ。10歳のとき、1977年のロンドンモーターショーに行ったことがきっかけで車に目覚める。10代の頃ロサンゼルスに移住。シリアス・クロージングを立ち上げ、マドンナ、アリス・クーパー、モトリー・クルーほか多数のロックスターに衣服を提供する。のちにLAダウンタウンの物件を入手し、ロケ地ビジネスに着手。現在ではポルシェ911のコレクションおよび改造で世界的に知られている。

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(ポルシェコレクター マグナス・ウォーカー)

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