1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 経済
  4. ビジネス

「バイク業界初の女性トップ」桐野英子新社長が"漢カワサキ"で認められるためにやったこと

プレジデントオンライン / 2021年12月7日 9時15分

10月6日に行われたカワサキモータース事業説明会に登壇し、スピーチするKMJ新社長の桐野英子氏 - 写真提供=カワサキモータース

今年10月、川崎重工業はバイク・エンジン部門が分社化し、「カワサキモータース」を設立した。同社子会社である「株式会社カワサキモータースジャパン」の社長には桐野英子さんが就任、四大メーカーの国内販売会社で初の女性社長になった。「漢カワサキ」とも呼ばれる特徴あるブランドを、桐野新社長はどう率いていくのか。ライターの河崎三行さんが聞いた――。

■「漢カワサキ」で誕生した女性の新社長

『カワサキ』ブランドのバイクを製造販売してきた川崎重工業モーターサイクル&エンジンカンパニーが、10月1日から分社化による新会社『カワサキモータース株式会社』へと生まれ変わった。独立経営とすることで意思決定のスピード向上、ブランド力強化などを目指すという。

そしてこの移行と日を同じくして、カワサキモータース製品の日本国内販売を担う『株式会社カワサキモータースジャパン(以下、KMJ)』の新社長に、桐野英子氏が就任した。

世界的な知名度を誇る、日本のバイクブランド。そのお膝元である日本国内の販売会社トップを女性が務めるのは、『ホンダ』『ヤマハ』『スズキ』『カワサキ』のいわゆる四大メーカー全体を通して史上初のことだ。

カワサキといえば昔から、アグレッシブでマニアックな製品作りで独特の存在感を放ってきた。それゆえ男性ユーザーの比率が他社以上に高いと言われ、彼らのマシンに対する思い入れもひときわ強いため、ライダーやメディアからしばしば“漢(おとこ)カワサキ”と称されてきたブランドだ。その国内販売の指揮を女性が執るだけでも画期的な人事であるのに、加えて学生時代の桐野氏は東京外語大でペルシャ語を専攻していたという。

日本の二輪業界においては異色づくしの彼女は、果たしてどのような人物なのか?

■どこか遠くへ行ってみたかった

札幌出身の桐野氏が進学にあたり、東京の大学で外国語を学ぶことにしたのは、故郷を出てどこか遠くへ行ってみたかったからだった。

「ただ親が非常に厳しくて、『絶対に北海道では勉強できないことを学ぶためでない限り、認めない』と。そこでいろいろ探してみると、東京外大にペルシャ語学科というのがありまして、ちょっとエキゾチックで面白そうだなというぐらいの気持ちで選んで受験したんです」(桐野氏、以下同)

晴れて合格を果たし、上京。学生生活を謳歌する中で、彼女はバイクという乗り物に出会う。

「大学ではとりあえず当時のはやりだったテニスサークルに入ったりとか、いろいろいくつかやってみたものの、どれもしっくりこない。子供の頃から、私は車が大好きでした。けれど仮に安く手に入れることができたとしても、学生の身、それも東京では置き場所の確保すらままなりません。だったら時間があるうちに、バイクにでも乗ってみようかと思い立ったんです」

中型免許を取得した彼女はいそいそとバイクショップを訪れ、意中のモデルを購入したいと店主に告げる。

「当時とてもかっこよかった『白く』て『4気筒』で『400cc』の、ヤマハFZR400です。GPライダーの平忠彦さんが、鈴鹿8耐に出場して盛り上がっていた頃でしたから」

■バイクとの出会い

だがその店主は、客の要望を受け入れてくれなかったのである。

「『そんなもん乗れるわけないだろ!』と散々お説教と説得をされて……」

FZR400はバリバリのレーサーレプリカで、免許を取ったばかりのライダーがおいそれと操れるような代物ではない。昔の町のバイク屋には、客が欲したモデルであっても、当人のためを思い首を縦に振ってくれない頑固オヤジがけっこういたものだ。

「結局、半ば強引に勧められて買ったのが、『黒く』て『2気筒』で『250cc』のカワサキGPX250Rでした」

桐野氏の人生初バイクとなった『GPX250R』
写真提供=カワサキモータース
桐野氏の人生初バイクとなった『GPX250R』 - 写真提供=カワサキモータース

基本性能がしっかりしていながら、初心者にも扱いやすいと評価が高かったモデルである。バイク屋の店主のおせっかいがきっかけとはいえ、ライダー人生のスタートから桐野氏の相棒はカワサキだったのだ。

もっともバイクデビューを果たしたばかりの彼女は、GPXでさえ持てるポテンシャルを存分に引き出せなかった。

「必死にアクセルを開けているつもりなのに、原付にもバンバン抜かれるからメーターを見てみると、時速30キロも出てない。生まれて初めてバイクで公道を走る私にとって、それが恐怖心を感じずに出せる精一杯のスピードだったんです」

それでもめげず頻繁に箱根へ繰り出し始めるとすぐ、250ccでは登り車線でパワーが足りず、大排気量車に置いていかれる状況に不満を募らせるようになった。

「もちろん一番は、自分の力量の問題です。けれどどうしても『もっと排気量の大きいバイクに乗りたい』って思いが抑えられなくなりまして、当時は一発試験しかなかった限定解除免許を取りに行きました」

■学生時代の相棒はナナハン

初回の受験時は事前審査で大型バイクのセンタースタンドすら立てられず、あえなく撃沈。しかしそこから奮起し、男性でも5回、10回の不合格は当たり前だった時代に、わずか3度目の受験で難関を突破する。

限定解除が取れたとなるとライダーたる者、すぐにでも大排気量車が欲しい。しかし人生初のバイクを買ったばかりで、資金がない。

「あきらめかけていたところ、例の店の常連客で複数台のバイクを所有していた方が、『乗り切れないのがあるから、1台譲ってあげるよ。値段はGPXを下取りしてもらった金額でいいから』と申し出てくださったんです。どんなバイクなのかもろくに確かめず、即座に『ぜひお願いします!』と」

新車での購入からまだ4カ月しか経っていなかったけれどGPXを手放し、待望の大型車を引き取りに行ってみると、待っていたのはまたもやカワサキの、Z750GP。以降の学生時代は、ずっとそのナナハンでたくさんの道を走り抜けた。

限定解除免許の取得後、行きつけのバイクショップの常連客から譲り受けた『Z750GP』。川崎重工への就職後も、KMFに出向するまで乗り続けた
写真提供=ヤングマシン編集部
行きつけのバイクショップの常連客から譲り受けた『Z750GP』。川崎重工への就職後も、KMFに出向するまで乗り続けた(「WEBヤングマシン」URL https://young-machine.com/) - 写真提供=ヤングマシン編集部

「自由に、どこへでも行ける気分を味わえる。そして仲間とのツーリングを通して、人との交流ができる。私がバイクに心を奪われたのはそこですね。性能のいいモデルだと、アクセルを開ける楽しみというのもありますし」

■意外な志望動機

となると就職活動時に川崎重工を志望したのは、自身がライダーで、カワサキ車を乗り継いできた思い入れもあって、バイク部門の仕事がしたかったからだろうと想像してしまう。しかし、実際の動機は違う。

専攻していたペルシャ語はイランの公用語なので、桐野氏は大学在学時にイランやその隣国であるトルコを度々訪れている。何度目かのトルコ旅行の際、同国のヨーロッパ部分とアジア部分を隔てるボスポラス海峡近くでバスを待っていた時のことだった。

「たまたま居合わせたトルコ人男性と言葉を交わしていると、彼が『海峡にかかっている第二ボスポラス橋を見たか? あれは、あなたの国の日本が架けてくれたものだよ』と教えてくれたんです」

当時、同海峡には2本の橋が架かっていた。新しい方のファティーフ・スルタン・メフメト橋(通称・第二ボスポラス橋)は1988年、日本政府の開発援助によって建設されている。

「その話にすごくロマンを感じて、日本の技術力で新興国に貢献する仕事がしたいと思うようになったんです。実現できるとすれば、重工業系の会社。しかもカワサキ車に乗っていましたから、迷わず川重を志望しました」

■川崎重工初の女性駐在員

1991年4月に入社すると、早々に人事部から配属の希望を尋ねられた。

「当時の川重は入社時に勤務地と製品と職種の希望を言えて、その中のひとつは必ずかなえてくれました。私は『東京』『プラント』『営業職』と伝えたんですが、結果は『明石』『オートバイ』『営業職』。確かに就活時の面接でZ750GPに乗っているとは言っていましたから、人事にしてみれば『こいつはオートバイやらせるしかないやろ』って考えますよね」

兵庫県・明石に拠点を構える川崎重工のオートバイ部門営業職とは、市場予測と生産対応を行い、世界各国にあるカワサキ販売会社にどのモデルを何台届け、それぞれをいかなる値付けで売るかを決めるというものだ。

明石勤務の10年目、桐野氏は2001年1月からフランスでの現地販売法人『カワサキモータース・フランス(KMF)』へ出向せよとの辞令を受け取る。川崎重工として初の女性海外駐在員だった。

「KMFでの仕事は明石でのそれの延長で、フランス市場に向いたどんな製品をどのぐらい投入するかを決め、さらにマーケットでのシェアを何パーセント取り、親会社にどれほどの利益を還元するかなどの戦略を立てるというもの。初めの3年は同じく川重から出向していた日本人社長のアシスタントを務めながら、業務を覚えていきました」

フランス語などまったく話せない状態での渡仏だった。

「フランス人ってツンケンしてて、全然話をしてくれない。感じ悪い人たちだなーと思ってました。だから向こうで暮らし始めた直後は会社にこそ行っていたものの、土日はどうせ外に出ても気分を害することばかりでつまらないからと、完全に引きこもり状態。でもある時、これじゃいけない、この国の言葉でしゃべるんだと決めて、独学のフランス語でコミュニケーションを取り始めたんです」

■「なんでここに女がいるの」という視線

会社の費用で業後は現地の語学学校へ通えることになっていたのだが、忙しくてとてもそんな時間は取れない。だから意味がわからなくても他人が話している言葉にひたすら耳を澄ませ、何を言っているのか理解するよう努めた。そして自分のフランス語が文法から何から間違いだらけなのはわかっていたが、気にせずとにかく話しかけた。

「そしたらなんと、フランス人はとっても親切でした。彼らが無愛想だったのは、当時のあの国にはまだまだフランス語しか話せない人がほとんどだったから。外国人に英語で声をかけられてもわからないと、接触を避けていただけだったんですよ」

出向4年目には先任者を引き継いでKMF社長に就任、唯一の日本人として50名のフランス人スタッフを束ねる立場となった。この頃には会話と読解ならフランス語に不自由せず、社内の労働組合と折衝をこなしたり、同国の二輪事業者が集まる会議に出席して意見を述べるまでになっていた。

しかし言葉の他にもうひとつ、桐野氏には越えなければならない壁があった。フランスでも、バイク業界において女性は圧倒的な少数派だったのだ。

「私自身は、バイク業界で働く中で女性であることのデメリットを感じたことは特にないんです。ただ『なんでここに女がいるの?』という視線は、フランスに行く前も行ってからも、あったかもしれません。KMFで社長を務めていた頃の例だと、私の下についていたセールスマネージャーは身長が180cmぐらい、体重は100キロあろうかという大きなフランス人のおじさんで、アポイントが入ると一緒に出向いていたんです。すると先方にはたいてい、彼の方が社長だと思われてましたね。私のことは『日本の会社だから、日本人のアシスタントがいるのね』みたいに受け取られて、名刺も出してもらえないことが日常茶飯事で」

だからといって気色ばんだりしないのが、彼女らしさなのだろう。

「そういう経験には慣れてましたから、勘違いされているところにわざわざ出ていって、『私が社長です!』とむきになって正したりもしませんでした。そう思われるんだったら別にそれはそれでいいや、と後ろで黙っていると、慌ててセールスマネージャーが『いやいや違うんです、実はこの人が……』と言ってくれて、改めて話が始まるっていうのがいつものパターンでしたね」

そして初対面時に『女性が来たけど、バイクなんてわかるはずがない』と先入観を持たれたとしても、桐野氏がバイクにほれ込んでいるプロであることが伝わると、相手の反応は一変した。

「特に販売店さんとのやりとりの場合は、こちらに製品に対する愛や知識があるとわかると意気投合して盛り上がって、すごく打ち解けるっていうことがよくありました」

■フランスのバイク店主たちをうならせたワケ

今回のインタビュー時、非常に率直でナチュラルな桐野氏の人柄がしばしばうかがえた。構えたところ、自分を大きく見せようとするようなところがまったくないのだ。だからこそフランスでもそうであろう、頑固なバイク屋のオヤジたちが、彼女には本音をさらけ出したのではないか。

フランスでのバイクの存在意義は、日本と大きく異なるのだと彼女は言う。

「日本よりもずっと広く深く、バイクが認知されています。自動車だとひどい渋滞に巻き込まれ、電車やバスなどの公共交通機関は各地を網羅していなかったり便数が少なかったりで、ものすごい時間がかかってしまう。だから週末にツーリングを楽しむのはもちろん、ストレスなく目的地に到着できる通勤・通学の足として、バイクを利用する人がとても多いんです。それも日本で言う大型を。彼らにとってバイクはある意味、実用品ですから価格にも厳しく、性能とのバランスをシビアに見て買っています」

そんなフランス市場において、カワサキのバイクの知名度は昔から抜群に高く、また他社にないプレゼンスを誇ってきた。

「フランス人は二輪、四輪を問わず耐久レースが大好き。カワサキのマシンは1970年代からヨーロッパの耐久レースで活躍し、さらに80年代以降はフランスに拠点を置くチームから世界耐久選手権にワークス参戦、幾度も優勝を飾ってきたので、『耐久レースに勝つメーカー』のイメージが出来上がっています」

さらに同国を舞台にした世界的スポーツイベントでの露出も、カワサキの知名度アップに大きく貢献した。

「今は別のメーカーに替わっていますが、自転車ロードレースの最高峰『ツール・ド・フランス』ではカワサキが長年、伴走車などのオフィシャルバイクを務めてきましたので、フランス人の記憶に強く残っているんです」

■言葉の壁を乗り越えた“共通言語”

しかし桐野氏のKMF赴任当時は円高で、日本のバイクメーカー全体に逆風が吹いていた。とりわけカワサキにはフランス市場に合ったモデルがなかったため、大苦戦の真っただ中。同国内のシェアで4~5位に沈んでいた。

「その頃、フランスで人気があったのは大型のネイキッド(カウルなどのないシンプルな外見のもの)でした。というのも、事故や盗難が増えたせいで保険料が一気に値上がりし、特にカウル付きの高性能バイクは車両自体が高額なため破格の保険料が必要ということで、若い層を中心に敬遠されていたんです」

にもかかわらず当時のカワサキがフランスで展開していたのは、カウル付きの高価なモデルばかり。そこで桐野氏は同じ事情を抱えた欧州他国のカワサキ現地法人も巻き込み、ヨーロッパ市場全体の要望として、使いこなせる性能でリーズナブルな価格のネイキッドモデルを開発するよう、親会社に訴えた。

その結果、欧州向けモデルとして誕生し、2003年にフランス市場へ投入されたのがZ1000である。

桐野氏がKMF社長時代に開発をリクエストし、フランス市場へ導入するや大ヒットを記録した『Z1000』
写真提供=カワサキモータース
桐野氏がKMF社長時代に開発をリクエストし、フランス市場へ導入するや大ヒットを記録した『Z1000』 - 写真提供=カワサキモータース

「おかげさまで大当たり。KMFはヨーロッパで最大数のZ1000を売り、国内シェア1位を奪い返しました」

フランスには、足かけ8年駐在。

「振り返ってみると、とても充実していたという印象しか残ってないんです。バイク愛があればどんな相手とも意思疎通できる、共通言語になり得るという経験は、日本への帰国後もいろいろな仕事を助けてくれました」

■超弩級バイク「H2」の企画担当に

KMFで確たる実績を残し、営業本部に復帰したのは2009年1月のことだった。約2年在籍した後、自ら希望を出して技術本部の商品企画部へ異動する。

「自分が直接関わって、ニューモデルを世に出してみたかったんです」

理系学部で専門の勉強をしていないことが気にかかったりはしなかった。

「設計担当の技術本部の人が知らないことを、私が知っている場合もありますから。フランスのマーケットはこんなものを求めている、こう使っているというのを8年間毎日毎晩見てきたことは、会社の中にいたのではわからない領域ですし、営業やマーケティングの観点からの意見もそう。製品開発においてはお客様のニーズを調査、分析した上で、さまざまなスタッフが専門分野を持ち寄り、モデルの方向性を決めていくのですが、商品企画担当者は船頭のような役割を果たします」

その際の互いの共通言語になるのが、まさにバイク愛なのだろう。

“船頭”としての彼女の仕事で特筆すべきは、現在もカワサキのラインナップの筆頭を飾るフラッグシップモデル、Ninja H2の担当者を務めたことだ。スーパーチャージャー付きエンジン搭載の、世界を驚かせた超弩級バイクである。破格のエンジンを積んだバイクを最終的に製品として完成させる上での、取捨選択の舵取りを行ったのだ。

桐野氏が商品開発を担当したスーパーチャージャー搭載のフラッグシップモデル『Ninja H2』。その他、競技用オフロードバイク『KX450』『KX250』も、桐野氏が担当したモデルだ
写真提供=カワサキモータース
桐野氏が商品開発を担当したスーパーチャージャー搭載のフラッグシップモデル『Ninja H2』。その他、競技用オフロードバイク『KX450』『KX250』も、桐野氏が担当したモデルだ - 写真提供=カワサキモータース

「またがった時にまず目に入る部分だから、フルカラーの液晶メーターにしてライダーの所有欲を満たすべきではないかとか、走行性能向上のためにホイールをマグネシウム製にするか否かとかを、予算など現実的な制約もにらみつつ協議して決めていく作業は、すっごくやりがいがありましたね」

■女性だから社長になれたわけではない

2015年からマーケティング部に移り、各モデルのグローバルなPR方針の策定や、ワークスとしてのレース活動のプランニング、出場ライダーの決定・契約の管理などに従事。2018年には同部部長となった。

そして川崎重工から『カワサキモータース』が独立するにあたり、同社の伊藤浩社長より直々に、KMJの経営を託されたというわけだ。

パーツメーカー主催のライディングレッスン会に参加し、現在大ヒット中のNinja-ZX-25Rでコーナーを攻める桐野氏。プライベートでの愛車はフランス駐在時代のブランクを経て、帰国してからNinja250、Ninja650と乗り継いでいる-(1)
写真提供=カワサキモータース
パーツメーカー主催のライディングレッスン会に参加し、現在大ヒット中の『Ninja ZX-25R』でコーナーを攻める桐野氏。プライベートでの愛車はフランス駐在時代のブランクを経て、帰国してから『Ninja 250』、『Ninja 650』と乗り継いでいる - 写真提供=カワサキモータース

10月6日に行われた新生カワサキモータースの事業説明会では、桐野氏もKMJのトップとして登壇し、挨拶した。ただその発表会の際に配布された資料の最後に、カワサキモータースグループにおける『多様性の実現』の例として彼女のKMJ社長就任が紹介されていたのは、得策とは言えないのではないか。

桐野氏は近頃何かとかまびすしい、SDGsへの取り組みをアピールするため社長に推されたわけではあるまい。経歴を振り返ってもわかる通り、その理由はただシンプルに、結果を残してきた優秀なビジネスパーソンだからこそだろう。

■ファンを増やすために

往年の名車Z1にオマージュを捧げたZ900RSや、4気筒250ccエンジンを復活させたNinja ZX-25Rのヒットなど、近年のカワサキは絶好調。またコロナ禍における密を避けたレジャーとして、足元での国内バイク販売数はわずかながら増加傾向にある。

しかしこの先、わが国のマーケットが往時の勢いを取り戻すことは難しい。

そんな流れにあって、カワサキといえども利益を出すためにはいつまでも硬派を標榜するだけでなく、従来は縁がなかった多様なユーザーを開拓していかなければ生き残れない。

「カワサキというメーカーやその製品が『漢カワサキ』と呼ばれ、特別なイメージができあがっているのは非常にありがたいことです。ただ残念ながら日本において、バイクは必要不可欠な乗り物ではありません。お客様の平均年齢も今の成熟市場のままではどんどん上がっていってしまいますので、女性も含めた新規層にカワサキのファンになっていただくのは、とても大事なことなんです」

「一度乗っていただければ多くの方にバイクの魅力を知っていただけると思うんですが、実際試すところへ行くまでにまだ距離がある。ですから従来の『漢カワサキ』のイメージは維持しつつ、もう少しその幅を広げ、さまざまな立場、感性、年齢の方それぞれに合った、バイクのある心が豊かな生活を提案していきたいと考えています。また、購入のハードルを下げるために従来より価格を下げたモデルの投入や、多様なニーズに合わせたラインナップの充実はもちろんのこと、これまでバイクに関わったことのないお客様でも気軽に入れる店舗環境作りを引き続き行っていきます」

その一方で、他メーカーに比べブランド愛が強いとされる既存のカワサキファンも、コアユーザーとして大切にしなければならない。

「カワサキのモデル開発には過去も今も一本の筋が通っていますし、将来にも受け継がれていきます。ですから、現在カワサキのファンでいてくださる方々の期待を裏切るようなことはないとお約束できます」

■電動化しても絶対に譲れないもの

では今後も受け継がれる一本の筋とは、つまり時代が変われど貫かれるカワサキらしさとは、いったい何なのか。

「私個人としては、『操る悦び』だと思っています。重たくて、夏には暑く、冬には寒いバイクに、なぜライダーたちは進んで乗るのか? それはやっぱり、楽しいからですよ。特にカワサキのバイクはどんなモデルでも、ハンドルを握るライダーが自分で操縦する喜びを感じられる、つまりスポーツライディングを最優先に考えているんです」

前述のカワサキモータース事業説明会では、同社の伊藤社長が伝統の継承に注力すると語った。おそらくこれは、現在の柱のひとつであるクラシック路線や、カワサキらしい乗り味の強化だと受け取れる。

だが伊藤社長は同じ説明会で、2025年までに10機種以上のハイブリッドEVやバッテリーEVを導入し、2035年までに先進国向け主要機種の電動化を完了すると宣言しているのだ。さらには、バイク用水素エンジンの開発を進めているとも。

現在開発しているハイブリッドバイクの試作車。カワサキは2025年までに10機種以上のハイブリッドEVやバッテリーEVを導入し、2035年までに先進国向け主要機種の電動化を完了すると発表した
写真提供=カワサキモータース
現在開発しているハイブリッドバイクの試作車。カワサキは2025年までに10機種以上のハイブリッドEVやバッテリーEVを導入し、2035年までに先進国向け主要機種の電動化を完了すると発表した - 写真提供=カワサキモータース

カワサキ車をカワサキ車たらしめてきた大きな要素が、ガソリンエンジンだ。脱炭素の時代になっても、果たしてカワサキならではの個性は維持できるのか? 桐野氏はこう考える。

■「機械のおもしろさをあきらめたくない」

「過去を振り返れば、キャブレターがインジェクションになったり、ABSやトラクションコントロールなどが新機構として搭載される際、『バイクらしさがなくなってしまう』と批判されたものです。しかしいざそれらが一般化すると、バイクをスポイルするどころか、ちゃんとメーカーごとの味を持った組み込まれ方をしていきました。ハイブリッドやEVの時代になっても、カワサキとしてのDNAやフィロソフィーを活かした造り込み方はできるはずですし、実現させなければいけないと思っています」

だがガソリンエンジンを、消えゆく過去の動力と捉えているわけでは、断じてない。

「カワサキ製品の長年に渡る魅力のひとつは、間違いなく内燃機関。電気で回るモーターとは異なる、燃料が爆発した力で動く極めて精巧な“機械”のおもしろさというのは、あきらめたくないんです」

開発中の電動バイクの試作車。モーター駆動でもいかにカワサキらしさを出せるかが見ものだ
写真提供=カワサキモータース
開発中の電動バイクの試作車。モーター駆動でもいかにカワサキらしさを出せるかが見ものだ - 写真提供=カワサキモータース

カワサキ車販売会社の社長は、やはりこうでなければ。そう、桐野氏は歴代のKMJ社長と同様、血管の中にガソリンが流れている『バイクガイ』なのだ。

もっともこの先、彼女の血管にはガソリンだけでなく、時に電気や水素も流れることがあるかもしれないけれど。

----------

河崎 三行(かわさき・さんぎょう)
ライター
高松市生まれ。フリーランスライターとして一般誌、ノンフィクション誌、経済誌、スポーツ誌、自動車誌などで執筆。『チュックダン!』(双葉社)で、第13回ミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。このほか、著書に『蹴る女 なでしこジャパンのリアル』(講談社)がある。

----------

(ライター 河崎 三行)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください