1. トップ
  2. 新着ニュース
  3. 社会
  4. 政治

多くの日本人が勘違いしている…台湾は中国からの「独立」を求めているわけではない

プレジデントオンライン / 2021年12月3日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Oleksii Liskonih

日本人の多くは台湾が中国からの「独立」を求めていると思っているのではないだろうか。フリーライターの神田桂一さんは「独立とは何かに帰属していたものが自立することを意味する。中国に帰属しているわけではない台湾が求めているのは『建国』だ」という――。

※本稿は、神田桂一『台湾対抗文化紀行』(晶文社)の一部を再編集したものです。

■同性婚を合法化できる台湾のアイデンティティ

「2019年5月17日、台湾で、アジア初となる同性婚を認める特別法が、立法院で可決された」

ブラウザを開くと、ニュースが流れてきた。なぜ、台湾は、こういうことをいち早く行うことができるのか。それは、台湾の複雑な政治や国際関係事情によるところが大きいのではないか。台湾は、常に戦っていなければならない。そのことと関係しているのではないだろうか。

台湾人の、そのよって立つアイデンティティは何なのか。政治について、国際関係について、どう考えているのか。それを聞き出すべく、一週間後、僕は、台湾に飛び立った。

5月下旬の台湾は、蒸し暑く、雨が降っていた。LCCを使っていつもの桃園国際空港に降り立ち、いつもの台北站行きのバスに乗る。晴れている台湾しか知らないので、どこか違和感がある。それは僕の心と微妙にシンクロして、より一層僕を不安にさせた。今回は、台湾人の友人、dodoに久しぶりに会って、台湾のアイデンティティの問題を取材するつもりで来た。

常日頃から仲良くしている友人だけど、いざ、政治の話や、アイデンティティの話をじっくり聞くとなると、本当にちゃんと腹を割って話してくれるのか、僕のことをそこまで信用してくれているのか、不安で仕方がなくなる。

僕は、事前にこのようなことを聞きたいということを話していない。ぶっつけ本番で聞くつもりでいた。なんとなく、事前に伝えておくことは、友人としてあるべき態度じゃない気がしたからだ。いろいろ話を聞かせて、くらいにとどめておいた。バスは、曇り空に変わった台北の空の下、台北站に着き、そこから西門(シーメン)站近くのホテルにタクシーで移動して、ホテルの部屋で、質問事項を練って、翌日に備えてその日は就寝した。

■台湾人が求めているのは「独立」ではなく「建国」

翌朝。10時に、台北のなかでも最近、気になっていた街、六張犁(リョウザンリ)站で友人のdodoと待ち合わせしていた。僕は、なんだか緊張して早起きしてしまい、朝9時には目的地に着いてしまった。

せっかくなので街をぶらぶらしていたら、dodoから30分遅れるとのLINEが入った。いつもの寝坊だ。dodoには遅刻グセがある。僕は仕方なく、近くにあったファミリーマートのイートインでコーヒーを飲みながら待っていたが、いつの間にか、僕のほうが眠っていた。

――気がついたら、dodoから着信があった。時間は10時30分。今度は僕が寝坊していた。急いで駅に向かう。すると横断歩道の向こう側にdodoの姿が見えた。ジーンズに白いシャツ、化粧っ気のないシンプルないつもの格好だ。僕の姿を見つけて手を振っている。信号が青になると、僕は横断歩道を渡り、「好久不見(ハオジョウブージエン)!(久しぶり)」と少し前から習い始めた中国語を使って挨拶してみた。

「覚えたて!」

dodoはそう僕をからかい、笑顔を見せた。さっそく僕らは近くにあるカフェに入った。

最初は、僕の習いたての中国語をみてもらったり、近況報告なんかをしたり、dodoに頼まれていた日本で開催されるマンチェスターシティのサッカーのチケットを渡したりして(dodoはサッカーの大ファンなのだ)時間はすぎていったけど、徐々に会話は核心に迫っていった。

「今日はdodoにいろんな話を聞かせてもらいたいんだけど」

僕は、恐る恐る話を切り出してみた。

「いいよ、何でも聞いて」

dodoは笑顔であっけらかんと僕に言う。

僕はもう開き直って単刀直入に聞いてみた。

「あのさ、dodoは台湾独立派なの?」

言ってしまった。しばらくの沈黙。そしてこんな回答が返ってきた。

「独立って言葉は気をつけないといけない言葉なのよ」

僕は、直感的にしまったと思った。dodoが発した言葉の意味が掴めずにいた。

「独立ってことは、わかる? 何かに帰属しているから独立ってことがありえるわけ」
「うん……」
「台湾は、別に中国に帰属してはいない。だから独立じゃなくて建国なの」

台湾・台北の国立孫文記念館付近で風になびく台湾国旗
写真=iStock.com/Artit_Wongpradu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Artit_Wongpradu

■台湾で習う歴史はほとんどが中国のもの

dodoは1981年生まれで、僕とほぼ同世代。外省人(※1)の父親と南投人(※2)の母親との間に生まれたハーフ(自分で言っている)だ。でも、今どきは、外省人なんて言葉は、時代遅れの言葉だから、dodoは使わないと言っていた。昔は、外省人はタロイモ、本省人はサツマイモと呼ばれたらしい。

※1:国民党とともに中国から渡ってきた人のこと
※2:台湾の南投地方に住んでいる台湾人のこと

父親はサラリーマン。母親は、ある新聞社に勤めていた。その新聞社は、保守系の新聞として知られていた。生まれたところは、現在の大安(ダーアンチー)区、大安森林公園のあるところで、眷村(チュンスン)と呼ばれていた。そこは、外省人が集まる地区で、周りには、外省人、国民党の人間しかいなかった。

でも、中国の各地から集まっていたので、いろんな中国の方言を聞いて育ったという。眷村の周りには、台湾人が住んでいて、そこには「壁のない壁が存在した」んだそうだ。10歳頃まではそこに住み、やがて、取り壊しにあうことになって引っ越す。ちなみに通っていた小学校はエドワード・ヤンの映画『ヤンヤン夏の思い出』の舞台となった龍安国小だ。

「学校では台湾人の子どもたちとも仲良く遊んでいた、台湾語も話せたし、楽しかった。でもさ、台湾の小学校の授業の教科書って地理歴史が10%くらいなのよ。それもほとんど中国のものなの。そんなの行くこともないし、覚えても意味ないよ! ってずっと思っていた。それよりも台湾の他の地域の地理や歴史を覚えたい。私、地理歴史好きだし。でも、中国大陸も中華民国の領土だから、覚えないといけないという大義なのよ。これって本末転倒じゃない?」

■台湾人がもつ3種類のアイデンティティ

大学生のときに、陳水扁(チンスイヘン)が台湾の大統領(2000〜2008年)になった。その政策にすごくショックを受けた。台湾という国、アイデンティティを意識しはじめたのはこの頃だった。それをdodoは台湾意識と呼んだ。

「そうなんだ。じゃあさ、台湾意識ってそもそもなんなの?」

台湾アイデンティティには、3種類あるとdodoは説明してくれた。

台湾意識 中国は中国、台湾は台湾。

台湾の名前を全世界に認めさせるってこと。

中華民国意識 中国大陸は昔の領土の一部。

中国=中華民国。台湾は中華民国の合法領土。

これはかなり難しい概念。台湾ではなくて、中華民国だから、中国大陸も含まれている。今の憲法は中国大陸のことも書かれているわけ。でも、それは、私たちには関係ないことよね。

中国意識 台湾は中国の一部という考え。

これは、馬英九みたいな人のこと。

「だいたい、選挙では、中華民国意識の人が、どちらかに揺れて、勝敗が決することが多い。浮動票というやつね。ここの人たちをどう取り込むかが選挙の鍵よ。要するに、台湾意識を持っている人たちは、台湾の新しい憲法をつくりたいと思っている。ちゃんとした国として建国して、新しい憲法をつくって、国際社会の仲間入りをしたいと思っている。それが台湾意識なの。小さい頃から、中華民国として教育を受けてきて、初めて台湾意識を芽生えさせてくれた人が台湾人の大統領となった李登輝さん、その次が、民進党として、政権交代を果たした陳水扁さんよ」

■国民党の過去に触れてアイデンティティについて考える

中学校を卒業し、dodoは、進学校のとある高校に進学する。そこではバンドに明け暮れた。ギターを始めて、主にオリジナル曲を演奏した。学校のサークルだった熱音社(ロックンロール・ミュージッククラブ)には、台湾で有名なインディバンドがたくさんいた。先輩たちは、いろんな音楽を教えてくれた。ちょうど時代は、90年代。ニルヴァーナ、オアシス、ブラーと綺羅星(きらぼし)のごとくスターバンドが世界にあふれていた。

「NHKの国際放送でLUNA SEAを聴いてハマって日本の音楽も聴き出した。ビジュアル系(笑)。それからX JAPANも聴いて、スピッツ、ミスチルとかね!」

台湾のウッドストックと呼ばれた「spring scream」に出るためにみんなで頑張った。青春そのものだった。学校も自由そのもの。土曜日は私服OKで、dodoは鼻ピアスをしていたが、何も言われなかった。ここで、人間の多様性を学んだ。

そして、大学に進学する。最初は、一般の大学の経済学部に進学したが、合わなくて、台湾芸術大学に進学し直した。そこで、第二のショックを受けた。今まで外省人に囲まれて生きてきたけど、大学にもなると台湾の他の県や市の人たちがいる。その人たちと仲良くなるにつれ、国民党がいかに昔、二二八事件(※3)など、酷いことをしてきたかを嫌でも知ることになる。親族を殺された人もいる。そのとき、dodoは自分のアイデンティティについて考えざるをえなくなった。私は何者なのか。

※3:1947年に起こった国民党政権と外省人による本省人への白色テロ

「私の周りには国民党の人しかいなかったから教えてくれなかったのかもしれないし、偶然だったのかもしれない。それはわからないけど。でもとにかく、そういう人たちと知り合って、私の考えは変わった」

■台湾の自由は抑圧あっての自由

僕らはカフェを出た。ちょっと話しすぎて疲れたので、お昼ご飯でも食べようということになった。六張犁の街は、文化系女子が好んで集まる街だそうだ。そう言われてみれば歩いているのは圧倒的に女子が多い。オシャレなカフェやセレクトショップも点在している。

神田桂一『台湾対抗文化紀行』(晶文社)
神田桂一『台湾対抗文化紀行』(晶文社)

僕は目移りしながら、街をキョロキョロしながら歩いた。次は、dodoオススメの変わった小籠包を出すお店に入った。出てきたのは、小籠包にアイスクリームが載ったのと、麻婆豆腐が載ったのと、ふたつ。なんだこれは。まあいい。話の続きを聞こう。

「私が大学に入ったころは、インターネットの勃興期、情報が無限に入ってきた。いろんなことを知ることができた。教科書に嘘が書かれていることがすぐにわかった。それが決定的だったと思う。台湾は、いつ中国から攻め込まれるかもわからない。国としても承認されていない。いろんなアイデンティティの人の集まりでもあって、一致団結することが難しい。そういう環境のなかでは、常にファイティン! していることが大事なの。だから、みんな政治に関心があるの。フリーチベットの運動に賛同して、台北でビースティ・ボーイズのライブが行われたときは外国人がみんな台北に集まった。そのときは本当に感動した。同性婚法案が可決したときだって、感動した。矛盾するようだけど、台湾の自由は、抑圧あっての自由なのよ」

■「政治のことを考えずにすむ日本人が羨ましい」

僕は、ドキッとした。抑圧があるからこその自由。台湾より、自由が空気みたいな存在で、自由のありがたさが麻痺してしまっている日本人の僕には、ことさら響いた言葉だった。確かに、日本でも不自由だと思う瞬間はある。しかし台湾に比べたらちっぽけなものだろう。自由がなくなってからでは遅い。僕は日本の政治で今何が起きようとしているのかをちゃんと監視し、いつまでも自由があるようにしなければ、と襟を正した。

「ある意味で日本は羨ましいの。政治のことを考えなくてすむでしょ。Facebookのタイムラインは、台湾人は新聞記事のシェア、日本人はグルメ記事のシェア。私も自分がやりたいことに没頭したいけど、そうもいかないの。よく冗談で言うの。日本に帰りたいって。サンフランシスコ平和条約の台湾放棄の前の意味での、日本に帰属したいなって(笑)。でもやっぱり台湾建国は私の課題と願望だから、頑張らなきゃいけない」

笑っていいのかわからなかったけど、僕は大声で笑った。そしてdodoも笑った。しばらくふたりして大声で笑い続けた。周りから見たら奇妙な光景だったに違いない。僕は再訪を約束し、名残惜しんでdodoと別れた。

----------

神田 桂一(かんだ・けいいち)
フリーライター
1978年、大阪生まれ。写真週刊誌『FLASH』記者、『マンスリーよしもとプラス』編集を経て、海外放浪の旅へ。帰国後『ニコニコニュース』編集記者として活動し、のちにフリーランスとなる。。著書に『もし文豪たちがカップ焼きそばの作り方を書いたら』(菊池良との共著、宝島社)、『おーい、丼』(ちくま文庫編集部編、ちくま文庫)。マンガ原作に『めぞん文豪』(菊池良との共著、河尻みつる作画、少年画報社。『ヤングキング』連載中)

----------

(フリーライター 神田 桂一)

この記事に関連するニュース

トピックスRSS

ランキング

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

記事ミッション中・・・

10秒滞在

記事にリアクションする

デイリー: 参加する
ウィークリー: 参加する
マンスリー: 参加する
10秒滞在

記事にリアクションする

次の記事を探す

エラーが発生しました

ページを再読み込みして
ください