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大規模リゾートの開発に女子プロレスの試合…サウジアラビアが観光を盛り上げている切実な理由

プレジデントオンライン / 2021年12月16日 12時15分

2019年9月27日、サウジアラビアのリヤドにある歴史的なディリヤで行われた夕食会で、新しい観光ビザ制度の発表の際に、サウジアラビアのダンサーがパフォーマンスを行った。REUTERS/Stephen Kalin(サウジアラビア) - 写真=ロイター/アフロ

サウジアラビアはこれまで、非ムスリムの外国人による観光には慎重な姿勢を取ってきた。しかし2019年9月、政府は49カ国を対象に観光査証の発給を開始すると発表した。なぜサウジアラビアは観光客を歓迎するようになったのか。中東調査会研究員の高尾賢一郎さんが解説する——。

※本稿は、高尾賢一郎『サウジアラビア 「イスラーム世界の盟主」の正体』(中公新書)の一部を再編集したものです。

■非ムスリムの外国人による観光には慎重だった

今日のサウジアラビアの変革を占ううえで重要なのは観光産業である。観光はインバウンド消費、関連産業の活性化、雇用創出といった複合的な効果が見込まれるため、多くの国が基幹産業の一つに掲げている。日本では、2015年に「爆買い」がユーキャン新語・流行語大賞に選ばれたように、主にアジアからの観光客によるインバウンド消費が注目されてきた。

一方、オーバーツーリズムと呼ばれる「環境公害」や、外国人観光客に対する嫌悪感情も巻き起こるなど、経済面にとどまらない影響も見せている。2020年以降、COVID-19の影響で観光産業は世界全体で落ち込みつつあるが、経済効果にとどまらない意義も念頭に置きつつ、サウジアラビアの観光政策の試みを紹介したい。

従来、サウジアラビアは外国人への入国査証を、メッカを訪問するムスリム用の巡礼査証、外交官用の外交査証、短期滞在のビジネスマン用の商用査証、長期滞在の出稼ぎ労働者用の就労査証に限ってきた。とりわけ、非ムスリムの外国人が観光目的で自国を訪問することに対しては、イスラーム社会としての秩序や風紀を維持する観点から慎重な姿勢をとってきた。しかし2019年9月、政府は49カ国を対象に観光査証の発給を開始すると発表した。ここにいたるまでにどのような経緯があったのか。

■きっかけは1990年代の失業率の上昇

サウジアラビアの観光政策は女性の議題とつうじる点が多く、やはり1990年代の失業率の上昇がきっかけとなった。当時、アブドッラー皇太子は雇用創出の準備として世界貿易機関(WTO)への加盟申請、外国資本100%の企業進出の許可、また総合投資庁(SAGIA:Saudi Arabian General Investment Authority)の設立によって国内市場の開放を海外にアピールした。観光政策はまさしく、雇用創出、国外からの投資呼び込み、さらには当時年間160億ドルといわれた、自国民の海外消費を国内に転換することの一環として期待されたのである。

2000年代に入ると、観光政策は担当官庁の設立によって具体的な進展を見せる。2000年4月、観光最高委員会(SCT)が設立された。そして2008年3月、同機関が観光・遺跡委員会(SCTA:Saudi Commission for Tourism and Antiquities)に改称した少し後、大きな出来事が起こる。同年7月にメディナ州にある古代ナバテア人の遺跡マダーイン・サーレハが、サウジアラビアで初めて国際連合教育科学文化機関(UNESCO)の世界遺産(文化遺産)に認定されたのだ。

■世界遺産誕生がもたらした「二つの意味」

マダーイン・サーレハの世界遺産認定は、サウジアラビアの観光政策に二つの重要な意味をもたらした。一つは、歴史的に「後進地域」と見なされてきたサウジアラビアの、文明的な豊かさが掘り起こされたことである。2021年時点で、ムスリムが多数派を占めるアジア・アフリカ地域の37カ国には、合計で198の世界遺産が存在する。内訳は文化遺産166、自然遺産25、複合遺産7であり、大半が建築を中心とした文化遺産だ。

マダーイン・サーレハの墓
※写真はイメージです

国別に見ると、その数が群を抜いて多いのはイラン(文化遺産24、自然遺産2)とトルコ(文化遺産17、複合遺産2)で、それぞれの長い文明史を物語っている。一方のサウジアラビアの世界遺産は6つにとどまるが(いずれも文化遺産)、その皮切りに登録されたマダーイン・サーレハは、同国の文明史を世界にアピールする格好の材料となりえた。

もう一つの重要な意味は、古代ナバテア人の遺跡という、イスラーム以外の文明の存在が注目を浴びたことである。純粋なイスラーム社会の形成と引き換えに、サウジアラビアは文化的な多様性を放棄してきた。しかし9.11後に「テロリストの温床」といった批判が寄せられたように、その純粋さが社会の保守性を象徴するものとして、国際社会からのネガティブな評価につながったことは否めない。この点、イスラーム以外の文明が掘り起こされたことは、サウジアラビアへのイメージ刷新にむすびつくと期待された。

■「外国人にサウジアラビアの真の姿を見て欲しい」

こうした背景から、SCTAの観光政策は、これまで知られてこなかった国内の多様性をアピールしようと、脱イスラームともいえる性格を帯びはじめた。2010年にはリヤド郊外のサウード家の故地であるディルイーヤ・トライフ地区が、2014年には港湾都市ジッダの旧市街が新たに世界遺産に認定された。これらはいずれも「聖地を擁するイスラームの中心地」、あるいは「排他的で過激なイスラーム」といった従来のイメージとは異なる、国家の新たな顔となった(図表1)。

地図:サウジアラビアの世界文化遺産
出典=『サウジアラビア 「イスラーム世界の盟主」の正体』

※地図:サウジアラビアの世界文化遺産 2021年時点(作成:地図屋もりそん)①ヒジュル史跡(マダーイン・サーレハ、2008年認定)、②ディルイーヤ・トライフ地区(リヤド、2010年認定)、③ジッダ旧市街(ジッダ、2014年認定)、④岩絵(ハーイル州、2015年認定)、⑤アフサー・オアシス(アフサー地方、2018年認定)、⑥ヒマー文化地区(ナジュラーン州、2021年認定)

実際、2019年の観光査証の発給開始に際して、政府高官らは一様に「外国人にサウジアラビアの真の姿を見て欲しい」と語った。ここでいう「真の姿」とは、イスラームに限らない、過激主義とは異なるサウジアラビアの「新たな顔」、あるいはビジョン2030の趣旨にのっとった「1979年以前」の開放的な社会を示唆している。

逆にいえば、保守的なイスラームのあり方を象徴する風景は、「見て欲しくない」姿ということだ。たとえば、女性が顔や肌を覆い隠し、男性とは隔離されて生活する様子、また勧善懲悪委員会がパトロールをつうじて人々の言動を取り締まる様子などがそれにあたる。しかし前節で見たように、女性の服装規定は部分的に緩和され、勧善懲悪委員会のパトロールも廃止されている。女性の解放や宗教的な規制の緩和が、観光政策と連動している様子が見てとれよう。

■巡礼者をインバウンド消費の担い手にする計画

2015年6月、SCTAは観光・国家遺産委員会(SCTH:Saudi Commission for Tourism and National Heritage)に再び改称した。これは、当初こそサルマーン国王即位直後の省庁再編・人事異動の流れとして理解されたが、実際は翌年に発表されたサウジ・ビジョン2030の下準備だったことがわかる。

ビジョン2030とは、「活気ある社会」「繁栄する経済」「大望ある国家」の三つを標語とした、脱石油依存・経済多角化を目指すサウジアラビアの経済改革である。当然ながら、観光政策にも経済効果が期待される。

具体的な取り組みとして、たとえばビジョン2030の基本計画には「巡礼者数の拡大、および観光産業とのタイアップ」がある。メッカ巡礼でサウジアラビアを訪れるムスリムに、聖地以外の都市への周遊を促す政策だ。従来、外国人による巡礼後の不法滞在(オーバーステイ)が頻繁に起きたことから、政府は巡礼査証によって巡礼者の滞在先・期間を限ってきた。しかし、ビジョン2030は年間約1000万人に上る巡礼者をインバウンド消費の担い手とすべく、巡礼後の周辺都市への観光プランを用意することを国内の旅行会社に指示している。

ムスリムの巡礼
写真=iStock.com/afby71
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/afby71

■観光収入の割合を「国家収入の10%」へ

こうした取り組みの成果として、2019年1月から8月の国内旅行による消費は前年同期間より8%上昇し、また海外からの観光客の消費は前年同期間より12%上昇した(Saudi Gazette, September 13, October 11, 2019)。政府は観光査証発給をへて、2019年時点で国家収入の約3%である観光収入の割合を、2030年までに10%に上昇させることを目指している。もっとも、消費の増加を維持するには消費を促す場所が必要だ。このため政府は2016年5月、サウジ・ビジョン2030の発足に伴って新設した娯楽庁をとおして、文化・芸術やスポーツに関するさまざまな催事を企画、誘致してきた。

かつて人々が集まる国内の娯楽行事といえば、春にリヤド郊外で行われる遺産・文化の国民祭典(通称ジャナドリヤ祭)や、ヒジュラ暦の11月にあわせてメッカ州で開かれるスーク・ウカーズ(ウカーズ市場)が定番であった。いずれも伝統的な手工芸品や剣舞など、サウジアラビアの伝統文化の紹介がメインである。

■大規模リゾートを開発、自国民の消費も促す

これに対して娯楽庁が推し進める近年の催事は、ロック音楽のコンサートやアメリカの女子プロレスの試合といった具合に、海外の、興行的性格が強いものが目立つ。もちろん、これまで否定的に見られることも少なくなかった西洋文化の催しを行うことは、それ自体がサウジアラビア社会の変革を国内外にアピールする意味を持つ。他方、こうした催事は支持を集めつつも、なかには入場料が日本円にして数万円、さらには数十万円の特等席が用意されているものもある。つまり、たんなる文化開放ではなく、国内消費の増大を見込んだものであることは明らかだ。

2018年4月、ムハンマド皇太子が代表を務めるムハンマド・イブン・サルマーン慈善財団(MISK)は、リヤド郊外でテーマパーク「キッディーヤ」の着工を開始した。国内で初となる、大規模な滞在型リゾートの建設計画であり、この時点で年間300億ドルといわれた自国民の海外消費を、国内での消費に置き換えることが目的とされた。海外から訪れた観光客による消費はもちろん、「娯楽がないから」と海外に出かけていた市民を国内にとどめ、彼らの消費を促すことが観光政策に期待されたのである。

サウジアラビアの飛行機
写真=iStock.com/jremes84
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jremes84

■勧善懲悪委員会の取り締まりを明文化した「風紀法」

2020年2月、SCTHはとうとう観光省に格上げされた。あいにくCOVID-19の感染拡大のはじまりと重なったものの、2021年5月には湾岸諸国で初となる国連世界観光機関(UNWTO)地域支部のリヤドへの誘致に貢献するなど、海外と観光政策をタイアップする窓口としての役割を担っている。

一方、海外からの観光客の誘致に伴ってオーバーツーリズムへの懸念が高まるのは、世界各国に共通した問題であろう。とくにイスラーム諸国の場合、オーバーツーリズムは社会の宗教的な風紀を乱す事態として問題化しやすい。男女の隔離や飲酒の忌避といったイスラームの教えを守るためのルールが、観光客には適用されないケースもあるからだ。これに対して、サウジアラビアでは勧善懲悪委員会が公序良俗にかかわる事案を取り締まってきた。しかし、彼らは観光査証の発給に先立つ2016年、捜査・逮捕権を失い、公共の場からその姿を消している。

これに取って代わり、新たに公共の場で守るべき節度について定めたのが、2019年9月に施行された「風紀法」(Public Decency Law/qānūn al-dhawq al-‘āmm)である。同法にはジェンダー秩序や服装規定などが含まれ、一見すると勧善懲悪委員会による従来の取り締まり内容を明文化したもの、つまり取り締まりをより制度的にしたものとも映る。

■規範の監視が「宗教機関」から「世俗機関」に移った

しかし、ここで二つの点に注目したい。一つは、同法の執行は内務省を主管とし、「取り締まりを行うのは警察官」と明記されている点だ。これは、宗教にもとづいた規範の監視が宗教機関から世俗機関の職掌へと移ったことを意味する。もう一つは、同法を違反した人に科される刑罰は財産刑(罰金)に限られている点である。つまり、イスラーム法学のヒスバ(風紀取り締まり)論にのっとった鞭打ちなどの身体刑は科されない。宗教の規範に違反することが神ではなく、国家に対する罪と捉えられているわけだ(図表2)。

風紀法が定める取り締まり項目一覧
風紀法が定める取り締まり項目一覧 太字は従来勧善懲悪委員会が取り締まっていたもの(中東調査会「中東かわら版」より)(出典=『サウジアラビア 「イスラーム世界の盟主」の正体』)

■観光政策が「イスラーム」と「ネガティブ」の紐を断ち切る

高尾賢一郎『サウジアラビア 「イスラーム世界の盟主」の正体』(中公新書)
高尾賢一郎『サウジアラビア 「イスラーム世界の盟主」の正体』(中公新書)

政府が思い描く観光政策の理想的な行く末は、非ムスリムを含めた多くの外国人を招き入れ、彼らが国内でお金を落とすことで経済が活性化し、雇用が安定的に増えることである。そして外国人らが、女性が輝き、過激主義と呼ぶには程遠い宗教文化が根づいているサウジアラビア社会の様子を目の当たりにして、現在のビジョン2030やそれを指揮するムハンマド皇太子の開明的な政策を褒め称えることであろう。

もちろんどの国でも、少なくとも体制側の人間であれば、自国の「良い」面を外国人に見てもらい、これを実現した政府を評価してほしいと思うのが普通であろう。ただしサウジアラビアの場合、イスラームに紐づいたさまざまなネガティブな評価が、とくに西洋諸国から寄せられてきた点は大きな特徴である。さりとて、イスラームは同国の一蓮托生ともいえる金看板であり、これを放棄したり、悪者に仕立て上げたりすることはできない。この点、観光政策にはイスラームとネガティブな評価とを結ぶさまざまな紐を断ち切る意義もある。

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高尾 賢一郎(たかお・けんいちろう)
中東調査会研究員
1978年三重県生まれ。同志社大学大学院神学研究科博士後期課程単位取得満期退学。博士(神学)。在サウジアラビア日本国大使館専門調査員、日本学術振興会特別研究員PD(東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所)などを経て、2019年4月より現職.専門は宗教学ならびに現代イスラーム思想・社会史。著書『イスラーム宗教警察』(亜紀書房、2018年)、『宗教と風紀』(岩波書店、2021年、共著)。訳書 サーミー・ムバイヤド『イスラーム国の黒旗のもとに』(青土社、2016年、共訳)。

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(中東調査会研究員 高尾 賢一郎)

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