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「陽性=感染、陰性=非感染」はミスリード…抗原検査キットで得られる"安心"の真実

プレジデントオンライン / 2021年12月7日 15時15分

神奈川県が希望者に無償配布を始めた新型コロナウイルスの抗原検査キット=2021年8月11日、神奈川県庁 - 写真=時事通信フォト

新型コロナウイルスに感染しているかどうかを自分で調べられる「抗原検査キット」が薬局で買えるようになった。感染拡大防止に効果はあるのだろうか。日医総研の森井大一主任研究員は「検査方法や販売のあり方に問題点が多い。むしろ感染再拡大につながる恐れがある」という――。

■検査対象は「有症状でも無症状でもない」人

9月27日、厚生労働省新型コロナウイルス感染症対策推進本部は事務連絡「新型コロナウイルス感染症流行下における薬局での医療用抗原検査キットの取扱いについて」(以下、事務連絡)を発出し、薬機法の承認を得ている医療用抗原検査キットを「特例的に」薬局で販売することを認めた。

この薬局販売制度の1つ目の問題点は、検査の対象がよくわからないことだ。

9月27日の事務連絡によると、「症状がある場合は医療機関を受診」することとなっており、有症状者はこの検査キットを使う対象から外されている。その一方で、「無症状者には推奨されない」ともあり、無症状者も対象ではないという。有症状・無症状以外の類型は、普通の日本語では空集合である。

政府がまとめている「新型コロナウイルス感染症(COVID-19)病原体検査の指針 第4.1版」においても、種々の検査をどのような対象者に対して使うのかについて、有症状・無症状以外のカテゴリーは設けられていない。事務連絡は「体調が気になる場合等」の「セルフチェック」を用途として示しているが、「体調が気になる」という状態が、有症状あるいは無症状の状態とどう違うのかわからない。

実際の場面を想像すると、キットの購入者は症状があっても何らかの理由で医療機関を受診したくない場合や、無症状ではあるが「イベントに参加する前」や「人混みに入ってしまった後」などの場合の“安心”のためにこの検査を使用することが多くなるだろう。

事務連絡が、検査の対象者を曖昧な書きぶりにした以上、文面で“有症状者も無症状者も対象ではない”と言ったとしても、実質的には“自分で判断してね”ということになりはしまいか。

■鼻腔検体はPCRですら認められていない

次に、抗原検査キットの検査に用いる鼻腔検体の問題がある。このキットは、鼻咽頭ではなく鼻腔ぬぐいの検体を用いることとなっているが、そもそも医療機関の中であれば鼻腔検体を用いた抗原定性検査は(普通)行われない。

前出の病原体検査の指針によると、そもそも無症状者に対しては、鼻腔、唾液、鼻咽頭いずれの検体であっても抗原定性検査は認められていない。さらに、抗原定性検査よりも検査精度が優れるPCR検査や抗原定量検査であっても、無症状者に対しては鼻咽頭と唾液のみが認められており、鼻腔検体は認められていない。

実際の使用場面のほとんどが無症状者であると想定される中で、医療機関で、医療者によって行われる、PCR検査や抗原定量検査、でさえも認められていない鼻腔検体が、家庭で、非医療者たる一般国民によって行われる、抗原定性検査という劣位の検査、で認められることを合理的に説明できない。

もっとも、購入者が自分で検体を採取して行う検査である以上、鼻咽頭ではなく鼻腔ぬぐいとするのはやむを得ないところではある。鼻咽頭検体を取るためには、それなりに鼻の奥深くまで検体採取の棒を突っ込む必要があり、鼻血が出ることも珍しくない。血が固まりにくい薬を飲んでいたり、血が止まりにくい体質を持って暮らしている国民も一定数いることを考えれば、そのような手技を一般の国民に認めるわけにはいかない。

しかし、だからといって、医療機関内でさえ認められていないやり方で検査を「やったことにする」ことにどういう意味があるのだろうか。

■病院ではあり得ない判断を薬局の薬剤師に課した

3点目として、医師法17条が定める「医師でない者の医業の禁止」との関連も問題になりうる。

事務連絡では「適正な使用を確保できないと認められる場合は、販売又は授与してはならない」としている。すなわち、薬剤師は、客の希望のままに検査キットを売るのではなく、「適正な使用」についての見極めを求められることとなる。

「適正な使用」が何を指すのかは必ずしも明らかではないが、事務連絡の文言を頼りに推測すれば、①無症状でも有症状でもない「体調が気になる場合のセルフチェック」という限定された用途(そんなのあるのか?)と、②被検者自身が自ら鼻腔検体を採取できる、という2点を指すものと考えられる。

このうち、①の検査の用途についての判断は、実質的にどの患者に検査を行うのかについての判断であり、医療機関内であればこれを薬剤師が独立して行うことはあり得ない。もしそれをすれば、直ちに医師法17条違反に問われることになるからだ。それとほぼ同様の行為を、薬局に勤める薬剤師であれば認めるということについての説明が困難である。

薬局の棚に並ぶ医薬品
写真=iStock.com/AlexanderFord
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/AlexanderFord

■新制度には手続き上の問題がある

もっとも、薬剤師が、購入者に対して種々の注意事項を伝えるとともに販売するかどうかを決定することになっているとはいえ、実際の場面で購入希望者の要求を拒絶することは考えにくい。

そもそも事務連絡は行政内部の意思疎通を図るための文書である。名宛人は都道府県の担当部局であり、現場の薬剤師を法的に拘束する効力はない。この事務連絡に示された内容に沿って各自治体が事業者たる薬局に対して行政指導を行うことはあり得るが、行政指導自体が任意の協力を前提にした非権力的行為である(行政手続法32条1項)。

それどころか、行政指導に従わないことを理由に何らかの行政処分(という法的強制力のある行政の行為)を行えば、そのこと自体が違法となる(同条2項)。任意の協力であってもきめ細かい行政指導は確かに重要であるが、本当の意味でそれが機能するためには、あくまで法令の指し示す内容に沿ったものであることが前提となる。

今回の薬局販売は、従来の「法的に禁じられていたこと」の基準を実質的に変更するものである。その基準変更を担った事務連絡には薬局販売に際しての注意事項がこまごまと書かれているが、これらには法的な拘束力がない。その状態で、本来であれば刑事罰にもつながる医師法17条違反の疑いがある行為を、立法手続きを省略して認めてよいのだろうか。

■「安心」に飛びつく前にその中身を考えるべき

4つ目は、そもそも一般人には検査結果が解釈できないことである。

「陽性」は「感染」とイコールではないし、「陰性」は「非感染」を意味しない。これを具体的にみるため、これまでに最も流行が激しかった2021年8月中旬の東京を考える。この時期、捕捉されていない潜在的感染者の人口当たりの割合(有病率)は0.9%と推定される(※)

この状況下、抗原定性検査(感度50%、特異度99.9%)では、陽性となったうちの18%は実際には感染しておらず(つまり偽陽性)、検査陰性となった中で実際には感染している確率は0.5%であったということになる。陽性結果については、偽陽性をそのまま感染者として扱えば不必要な行動制限などの人権上の問題が生じ、陰性結果については、感染者である確率が元の有病率の0.9%から0.5%に下がるだけでしかないという不経済の問題が生じる。

そしてさらに注目すべきことに、不必要な行動制限と不経済が検査によってもたらされるというこの傾向は社会全体の流行が下火になるにつれてより顕著となる。

原稿執筆時点の11月下旬の感染者数は、夏のピーク時の100分の1以下である。仮に有病率を0.01%として上記と同じ計算をすると、陽性となったうち実際に感染しているのは4.8%(すなわち陽性となっても95%以上は偽陽性)にすぎない一方、検査陰性という結果を得れば99.995%が確かに感染していないことになる。

つまり、1万人に1人の感染者もいないような2021年秋のわが国においては、抗原定性検査が陽性だったとしてもそのうち95%以上は実際には感染しておらず、検査陰性であった者の非感染率99.995%と実はあまり変わらない。

※日医総研リサーチレポート No.118「新型コロナウイルス感染症の病原体検査について」

■安心したくても検査する意味はほとんどない

この数字をまだ検査していない人の非感染率99.99%と見比べても、検査が陽性であるか陰性であるかに実質的な違いがないことがわかる。要するに検査をする意味がほとんどない。

検査を「症状はなくても安心のため」に用いるという一般市民も少なくないと考えられるが、その安心の中身はせいぜい99.99%が99.995%になるという話である。言い換えれば、無症状者が幾ばくかのお金をかけて買おうとする安心の中身は「検査陰性を確かめることで、感染している確率が0.005%下がる」というものである。

しかしそもそも、多くの国民にとっては流行状況によって検査結果の意味が日々変わるということ自体が理解しにくい。そのため、結局は「陽性=感染」「陰性=非感染」と単純に考えることになるのではないだろうか。これはかなり大きなミスリードであり、ミスリードされたまま社会のあらゆる局面で検査を求めることになれば、社会的活動の負荷だけをもたらすことになる。

■抗原定性検査に積極的なヨーロッパ

これに関連して、そのような誤った検査の運用が何をもたらしうるかについてもみたい。そもそも医療に用いられるあらゆる検査は、被験者の症状や接触歴および地域の流行状況と併せて用いなければ意味がない。そしてそれは、医者たるものの仕事である。まして病原体検査のように事前確率(≒有病率)が目まぐるしく変化する検査を一般人の手にゆだねることは不適切である。

諸外国では、公費による抗原定性検査のバラマキさえ行われているのだから、という理由づけがなされることもある。これは一考に値する興味深い議論である。

確かに欧州では抗原定性検査へのアクセスが非常にいい。ドイツ在住者から筆者が個人的に得た伝聞によると、ドイツでは10月末まで街角のブースで無料で検査を受けることができたらしい。また、EUが運営する学校では2日に1回学校の入り口で抗原定性検査を実施しているそうだ。そこで2回連続で陽性となった場合にはPCR検査へ回される。1回目の抗原定性検査で陽性になる子供がそれなりにいたことから2回目を実施したところ、意外にも陰性になるケースが頻出したために考えられたルールだそうだ。

■失敗している海外をまねするのはやめた方が…

しかし、欧州でのこのルールは感染対策の常識からかけ離れた全くとんちんかんなルールである。感染対策として意味のあるスクリーニングを行いたいのであれば、特異度よりも感度が高い検査を最初に用いて広く陽性をひっかけてから特異度が高い検査に回すのが基本中の基本である。

抗原定性検査は感度が低いためスクリーニングで「陰性」という結果が出ても価値がない。このような間違った検査の使い方が横行している国々で、感染状況がどうなっているかは教訓的だ。2021年秋以降、欧州各国は軒並み大規模な流行に見舞われており、例えばドイツ(人口8400万人)では、連日5万人程度の新規陽性者が出ている。

欧州では、いわゆるワクチンパスポートと検査陰性証明を組み合わせたルールの下に、社会経済的活動の再開が試みられている(※)。この点につき目下の流行状況を見ると、少なくとも流行を抑えるという目的に対しては、この施策の失敗がはっきりしている。

ワクチンパスポート
写真=iStock.com/scaliger
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/scaliger

しかし、より重要なことは、それが決して意外な結果ではないということだ。感染対策の定石を無視した無謀な浪費でしかないことは最初から明らかだった。街角検査も、学校の入り口検査も、素人の思いつきにすぎない。そのような失敗のエビデンスがあるにもかかわらず、「海外もやっているのだから」と同様の施策を後追いするのはあまりいい策には思えない。感染対策ごっこをまねるのではなく、一定程度の感染とどう付き合うのかという本質的な問題にこそ向き合うべきである。

※BBC「Covid passes set to stay as Europe heads for winter」

■「自分の健康は自分で」という方向へ進んでいる

最後に、今回の薬局での販売制度が持つ本質的な問題をよりマクロな視点から考えたい。これまで医療が担ってきたサービスを薬局で済ますということは、医療をセルフメディケーション化するということである。言い換えれば、医療という専門性をどこまでコモディティ化して商品棚に並べることができるのかという問題だ。

専門性をあえてないがしろにするのは、利便性というもう一つの強力な価値があるからだ。確かに、医療機関を受診するよりドラッグストアに併設された薬局で片付くのであれば便利だし、それがコンビニやネットであればなおさらだ。もし、利便性の要求が圧倒的に高く、なおかつその後の医療に結び付けることで専門性の補充も信頼できるのであれば、ある種の医療をセルフメディケーション化することも許容される。

このような例としては、妊娠検査薬が挙げられる。この検査薬を購入する人は、それなりに自覚のある人がほとんどであるし、仮に陽性であった場合にそのまま放置する蓋然性(がいぜんせい)も低い。少なくともコロナよりは、検査をする購入者の行動を想定しやすい。

コロナの場合、陽性であったときにそれを隠そうとすることも考えられる。また、陰性という結果を免罪符に、かえって行動が活発化することも十分あり得る(おそらく欧州ではそういう人が多いから感染爆発しているのだろう)。コロナの抗原定性検査と妊娠検査薬を同列に論じることはできない。

■日本が誇る国民皆保険を空洞化させていいのか

コロナの検査へのアクセスを向上させることは、多くの国民が望む重要な課題だ。しかしその国民の渇望を商品棚に検査キットを並べることで満足させれば、それと引き換えにより大きなものを失うことになる。コロナ検査でセルフメディケーションが許されるなら、インフルエンザやHIVでも、という話に当然なるからだ。

日本は軽症から重症まで、さまざまな疾患に対して公的保険で厚くカバーする国民皆保険の国である。軽症の中にも重症化しうる疾患が紛れ込んでおり、それを早い段階から専門家が判断できる体制が整備されてきた。その中でセルフメディケーションの割合を増やすことは、この従来の医療提供体制の実質的空洞化でもある。

健康という需要の引き受け手を、医療という高い参入障壁を持った特定の専門家に限定するのは、およそ近代国家の体を成す国であれば当然のことである。その中でも、日本は1961年の国民皆保険の確立以降、比較的軽症の段階から専門家たる医師による医療サービスを保障してきた。このことを別の角度から言い直せば、健康という需要を医療が独占してきたということになる。規制改革に名を借りたセルフメディケーションは、そのことに対する異議申し立てであろう。

国民は、プラス0.005%の安心でもドラッグストアで買いたいのかもしれない。医療者の中にも、コロナの抗原定性検査など些末な小事にすぎないと思う者はいるだろう。

しかし、この機会にきちんと考えるべきなのは、商品棚に並べるべきではないわれわれの医療とはなんなのかというかなり重たい問題である。今、ここで国民と医療者がこの問題をスルーしてしまえば、コロナというどさくさに紛れて、行政内部の意思疎通文書である事務連絡によって、国民皆保険の空洞化の前例がいつの間にか出来上がることになる。

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森井 大一(もりい・だいいち)
日医総研主任研究員
2005年大阪大学医学部卒業。国立病院機構呉医療センターや厚生労働省医政局指導課・地域医療計画課課長補佐、公立昭和病院感染症科、大阪大学医学部附属病院感染制御部を経て、2021年4月より日医総研主任研究員。2020年8月から2021年3月まで厚生労働省技術参与として新型コロナ対策にも関わる。

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(日医総研主任研究員 森井 大一)

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