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「アベノミクスには効果がなかった」そう主張する人たちが無視している決定的事実

プレジデントオンライン / 2021年12月22日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Ca-ssis

「アベノミクス」は日本経済にどのような影響をもたらしたのか。元日銀副総裁で学習院大学名誉教授の岩田規久男さんは「格差が拡大したという事実はない。所得再分配後の不平等度は低下し、むしろ格差は縮小した。アベノミクスの効果で、日本はG7の中では最も平等な国になった」という――。

※本稿は、岩田規久男『資本主義経済の未来』(夕日書房)の一部を再編集したものです。

■雇用改善の原因は「団塊世代の大量退職」ではない

アベノミクスの雇用の改善は著しい。失業率は民主党政権時代の4.3%(2012年)から2.4%(19年)に低下し、有効求人倍率は0.8倍(12年)から1.6倍(19年)へと倍増した。全都道府県すべてで有効求人倍率が1倍を超えたのは、63年の「有効求人倍率」統計公表以来、初めてのことである。雇用者が大幅に増加した結果、19年の実質雇用者報酬は民主党政権が終わる12年に比べて、8%増加した。

このような、アベノミクスの期間の雇用の大幅改善に対しては、「アベノミクスの期間に、生産年齢人口が減少するとともに、団塊の世代が退職したからだ」として、雇用の改善はアベノミクスの成果ではない、という主張がある。

しかし、デフレでなく、普通の景気であれば、経営者は、団塊の世代が退職するときになって、あわてて新卒採用を増やすのではなく、彼らが退職する時期は事前にわかっているのだから、早めに新卒を採用して、彼らが退職予定の団塊の世代の知識・技術を学べるようにして、知識・技術の継承をスムーズにしようとしたであろう。

しかし、アベノミクスが始まるまでの日本の経営者は、デフレが続くことを予想して、人件費を削減することを第一に考えていたから、団塊の世代の退職による大幅な従業員の減少に備えて、事前に正規社員を補充しておく必要を感じていなかった。言い換えれば、アベノミクスで経済が回復し、デフレ状態ではなくなったからこそ、団塊の世代の退職を埋めるための求人が増えたのである。

■利益の再分配「トリクルダウン」は確かに起きた

「アベノミクスで恩恵を受けたのは、株式投資家と大企業だけで、トリクルダウン(たとえば、大企業の利益が増えれば、中小企業や労働者にその利益が及ぶという現象)は起きていない」という主張もある。

アベノミクスが始まった当初は、「雇用が増えたといっても、非正規社員ばかりで、正規社員は増えていない」といわれたが、アベノミクスの7年間で、正規社員は149万人も増え、正規社員の有効求人倍率は1.14倍まで上昇した。これはトリクルダウンである。

中小企業はアベノミクスの恩恵を受けていないとよくいわれるが、実際は、18年度の資本金1千万円以下の企業の売上高経常利益率は、全産業では、12年度の1.7%から2.6%へと1.5倍も上昇しており、バブル期のピークである89年度の2.1%をも上回っているのである。

中小の製造業は2.8%で、対12年比で1.8倍(バブルのピークの89年の3.1%をやや下回るが、16年度は3.5%を記録し、バブル期のピークを上回った)の上昇である。中小非製造業も対12年比で1.6倍へと大きく上昇しており、バブル期のピークの1.8%をも大きく上回っている。こうした中小企業の利益の大幅改善は、「トリクルダウン(大企業の利益の増加はやがて、中小企業の利益になる)」である。

アベノミクスによる就職市場の大幅改善も「トリクルダウン」である。なぜならば、学生の学力や仕事をする能力が就職氷河期の学生よりも改善したおかげで、就職市場が改善したわけではなく、改善したのは、単に景気がよくなったからである。

シャンパンタワーをイメージしたイラスト
写真=iStock.com/MaryValery
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/MaryValery

■恩恵を受けられていない企業には理由がある

こういう事実があるのに、日本ではいつまで経っても、「中小企業はアベノミクスの恩恵を受けていない」とか「トリクルダウンは起きていない」という合唱が鳴り止まない。

もちろん、アベノミクスの恩恵を少しも受けていない企業も少なからず存在するであろう。著者は日銀副総裁時代に、ある地方の女性専門の服飾店の店員に、「アベノミクスの恩恵を感じてますか?」と訊いたことがある。

その店員は、「少しも」と首を横に振った。著者はその店を一回りしてから、「それは当然だ」と感じた。衣服の飾り方は乱雑で、買いたくなるような魅力的な衣料品がまったくないのである。「少しは、ユニクロの飾り付けのマネでもしたら」とアドバイスしたいくらいであった。

こういう店は、どんなに景気がよくなっても、景気の恩恵は受けられない。誰しもが何らの努力もせずに、上を向いてぽかんと口を開けていても、「利益がしたたり落ちてくる(トリクルダウン)」わけではないのである。それこそ、こういう店は、景気がよくなると、人手不足になり、人手不足倒産に追い込まれる可能性が高いのである。

■アベノミクスで賃金はどう変わったか

次に賃金であるが、厚生労働省の「毎月勤労統計調査」(通称、毎勤)に不正があったため、『資本主義経済の未来』執筆時点では比較するための時系列データが得られない状況である。そこでここでは、同省の「賃金構造基本統計調査」を利用する。

この資料は年に一度しか公表されないが、正社員と非正社員(この統計では、正規・非正規社員という用語は使われていない)および短時間労働者というように、雇用形態別のデータが得られるという点で、毎勤のように、正社員と非正社員を区別しない統計よりも優れた点がある。

この時期に、労働時間の短縮が進んだことと消費増税が実施されたことを考慮すると、賃金の変化は消費増税の影響を除いた実質時給で見ることが合理的である。消費増税の影響を除いた19年の実質時給は、12年に比べて、正社員は3.5%、非正社員は9.2%、短時間労働者は8.9%と、それぞれ上昇した。

ただし、この期間に、直接税・社会保険料負担、とくに社会保険料負担が急増したため、実質可処分所得は実質時給が上昇したほど増加していないことが、家計が景気回復を実感できない大きな要因になっている。それに対して、実質賃金、とくに正社員の実質賃金が直接税・社会保険料負担の上昇を相殺して余りあるほど上昇しなかったことをもって、成果を否定する人がいるかも知れない。これに対しては、次の逸話で応えておこう。

■労働組合がより高い賃金を要求しない理由

著者は日銀副総裁時代に、日銀が産業界の役員級の人をもっぱら懇談の相手としていることを問題であると考え、連合の幹部と懇談したことがある。その際、著者が「これだけ雇用市場が改善しているのですから、連合はもっと高い賃金を要求してもよいのではないですか?」と問うと、連合幹部は「しかし、物価が上がらなかったらどうなりますか? 企業業績も悪くなり、雇用の安定が脅かされます。賃金を上げすぎて、リーマン・ショック級の危機が起きたら、大変です」と応えた。

企業は、正社員の賃金をいったん上げると、景気が悪くなっても、なかなか下げられない。つまり、正社員の賃金の下方硬直性(景気が悪くなっても下げられない)が、賃金の上方硬直性(景気がよくなっても、あまり上げられない)をもたらしている。長い間、デフレ下に置かれた正社員は、雇用の安定(景気が悪くなっても、リストラされないこと)と賃金の安定を、すなわち、何事も「安定していること」を望むのである。

このように、連合に代表される正社員の企業別組合は、終身雇用制の下、企業と一体で、労使は運命共同体なのである。そうである限り、雇用が改善したからといって、おいそれと高い賃上げ要求はできない。これがこの時期に、正社員の賃金が非正社員(非正社員であれば、景気が悪くなれば、容易に解雇できる)よりも上がらなかった主要な要因である。

■格差が縮小し、先進国で最も平等な国に

立憲民主党のアベノミクスの総括(2021年9月21日)によると、「アベノミクスは、格差と貧困の改善につながらなかった」という。これが事実かどうかを21年9月23日現在得られる最新のデータで調べておこう。

総務省統計局「2019年全国家計構造調査」(2021年8月31日)によると、日本の等価可処分所得のジニ係数は、09年の0.283から、19年には0.274まで低下した。すなわち、アベノミクスで、所得再分配後の不平等度は低下し、格差は縮小したのである。

等価可処分所得とは、世帯の年間可処分所得を当該世帯の世帯人員数の平方根で割った値で、当該世帯の1人当たり可処分所得の指標である(世帯の可処分所得を世帯人員数で割って求めないのは、各世帯には世帯人員が共通で使用するものが存在するためである)。

同統計はG7(日、米、英、独、仏、加、伊)の等価可処分所得のジニ係数(18年か19年)も示しているが(スカンジナビア諸国のジニ係数は示されていない)、日本(19年)が最も低く、アベノミクスの効果で、日本はG7の中では最も平等な国になったのである。等価可処分所得で測った相対的貧困率と子供貧困率も、それぞれ、09年の10.1から19年の9.5と、09年の9.9から19年の8.3へと低下している。

グラフを手書きする男性の手
写真=iStock.com/domin_domin
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■金融ショック時も名目賃金は大きく変動しなかった

上で、アベノミクス実施前のデフレ期の正社員の名目賃金の下方硬直性が、アベノミクスで雇用市場が売り手市場になっても、正社員の名目賃金があまり上がらないという上方硬直性の原因になっていることに言及した。

そこで、ここでは、この問題に関する理論的・実証的研究を紹介しておこう。

山本[2007]は「慶應義塾家計パネル調査」(2004~07年調査)のパネル・データを用いて、デフレが緩和しつつあった2004~06年の日本経済において、労働者個々人の賃金がどの程度伸縮的であったかを検証し、国際比較を試みている。

この山本[2007]の分析と黒田・山本[2006]やKuroda and Yamamoto[2014]の分析を合わせて考慮すると、「日本ではバブル崩壊、その後の長期不況、リーマン・ショックなどの大規模なショックに見舞われてきたが、それに対する賃金調整は賞与や残業調整によって行われ、必ずしも所定内給与は伸縮的に変動してこなかった可能性がある」(山本・黒田[2017])という結論が得られる。

■賃金を上げも下げもしない企業心理

この結論を補足するとすれば、企業は賃金が正社員よりも低い非正社員の雇用を増やすことによって、企業にとっての総賃金費用を調整してきたという点である。

それでは、景気が悪く失業率が高いときにも、正社員の所定内給与という名目賃金の基本的な部分が下方に硬直的なのはなぜであろうか。

日本のような長期デフレ期には、名目賃金が低下しても、物価も下がっているのであるから、両者が同じ率で低下しても、働く人の生活にとって重要な実質賃金は変化しない。しかし、ケインズ『一般理論』によると、非自発的失業が存在し、物価が下落している状況でも、労働者は名目賃金の引下げに抵抗するという。

この点を説明する仮説として、これまで、「効率賃金仮説」などいくつかの仮説が提示されてきたが、最近は行動経済学による知見が有力になっている。

岩田規久男『資本主義経済の未来』(夕日書房)
岩田規久男『資本主義経済の未来』(夕日書房)

20世紀後半から発展した行動経済学によると、「人々は一度手に入れたものを価値判断の基準にする傾向があり、それを失うと、非常に落胆する認知特性(これを、損失回避特性という)を持っている」という。この「損失回避特性」を賃金に当てはめると、いったん支給された名目賃金が引き下げられると、労働者は大きく落胆して、労働意欲が減退する可能性がある。

そうであれば、企業は景気が悪化して、利益が減少しても、名目賃金、とくに、その基本部分の所定内給与を引き下げることに躊躇するであろう。実際に、Bewley[1999]やKawaguchi and Ohtake[2007]などは企業へのヒアリング調査やアンケート調査から、賃金引下げが生産性の低下をもたらしていることを示している。

「名目賃金の下方硬直性」は、景気が回復したときには、将来、景気が悪化したときに賃金を引き下げられないことが予想されるため、企業は賃金引上げに消極的になるという「名目賃金の上方硬直性」を生み出す原因になる。

(参考文献)
山本勲[2007]「デフレ脱却期における賃金の伸縮性――国際比較の観点から」『三田商学研究』50(5)、慶應義塾大学出版会
黒田祥子・山本勲[2006]『デフレ下の賃金変動――名目賃金の下方硬直性と金融政策』東京大学出版会
Kuroda, Sachiko and Yamamoto, Isamu[2014]“Is Downward Wage Flexibility the Primary Factor of Japan’s Prolonged Deflation?”, Asian Economic Policy Review 9
山本勲・黒田祥子[2017]「給与の下方硬直性がもたらす上方硬直性」(玄田有史編[2017]『人手不足なのになぜ賃金が上がらないのか』に所収)
Bewley, Truman Fassett[1999]“Why Wages Don’t Fall During a Recession”, Harvard University Press
Kawaguchi, Daiji and Ohtake, Fumio[2007]“Testing the Morale Theory of Nominal Wage Rigidity”, Industrial and Labor Relations Review 61(1)

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岩田 規久男(いわた・きくお)
学習院大学名誉教授
1942年生まれ。東京大学経済学部卒業、同大学院単位取得満期退学。学習院大学経済学部教授などを経て、2013年3月から18年3月まで5年間、日本銀行副総裁を務めた。専門は金融論・都市経済学。著書に『「日本型格差社会」からの脱却』 (光文社新書)、『日銀日記――五年間のデフレとの闘い』(筑摩書房)など多数。

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(学習院大学名誉教授 岩田 規久男)

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