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暴力のトラウマは、人を鬼に変えることがある…『鬼滅の刃』が大ヒットする日本で精神科医が考えたこと

プレジデントオンライン / 2022年1月10日 12時15分

映画館が入る建物の前に掲示された映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』のポスター=2020年12月4日、東京都新宿区 - 写真=時事通信フォト

『鬼滅の刃』はコロナ禍の日本で大流行した。いったいなぜなのか。精神科医の斎藤環さんは「“被害者”同士が殺し合う、トラウマ的な責任と倫理の問題を問い続ける物語だ。ひきこもりを余儀なくされる社会環境が共感を増幅させたのではないか」という。作家の佐藤優さんとの対談をお届けしよう――。

※本稿は、斎藤環・佐藤優『なぜ人に会うのはつらいのか メンタルをすり減らさない38のヒント』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

■日本国内の興行収入は歴代トップ

【斎藤】東京オリンピック・パラリンピックは、半ば力ずくで開催されましたが、新型コロナは、文化・芸術・娯楽・スポーツといった分野にも多大な影響を及ぼしました。

【佐藤】一つところに集まって、密になってもらわないと成り立たないスタイルのエンタメが受けた打撃は、計り知れません。

【斎藤】そんな中で注目されたのが、2020年10月に公開された劇場版アニメ『鬼滅(きめつ)の刃(やいば) 無限列車編』の空前のヒットです。まるで、長期化する自粛生活の息苦しさに対する反動かのような印象を、私は受けました。日本国内の興行収入は約400億円で、歴代トップ。およそ2900万人を動員したといいますから、驚くしかありません。

【佐藤】アメリカやアジアなどでも公開され、やはり人気を博しているようです。

【斎藤】まあ、物語自体はとても感動的で、かく言う私自身も映画館で滂沱(ぼうだ)の涙を抑えられなかったクチです(笑)。そもそも、コロナ禍により新作の劇場公開自体がペースダウンしていましたから、そういう飢餓感もあったのでしょう。

【佐藤】ただ、いみじくも「自粛生活の反動」とおっしゃったように、折しもコロナ禍の真っ最中に封切られた一本の映画があれほどまでに絶大な人気を博したのは、やはり当時の社会状況と無縁ではないと思うのです。精神科医にして「オタク研究家」である斎藤さんにとっては、興味深い現象だったのではないですか?

■しょっちゅう首が飛び、血が噴出する

【斎藤】そうですね。そのように思っていろんな批評や評論も読んでみたのですが、どうしてこれほどウケたのかについての分析という点では、どれもイマイチ歯切れが悪いのです。

以下、ネタバレのリスクを意識せずに述べると、「鬼滅」は留守中に鬼に家族を殺害され、妹を鬼にされた炭治郎(たんじろう)という主人公が、妹を人間に戻すべく鬼殺隊という組織に入り、そこの剣士たちとともにラスボス打倒を目指して敵を一人ずつ倒していくという物語。そのストーリー性も登場人物の異常なキャラの立ち方なども、さすがと言うしかありません。「長男なのだから」というマッチョな価値規範に基づく「王道バトル漫画」のようでいて、泣ける要素や笑いの要素が絶妙なバランスで配されてもいます。そう考えると、ウケる要素満載の、ひとことで言えば「分かりやすい」作品と評することができるでしょう。

一方で、「鬼滅」は、グロの度合いも半端ではない“ダークファンタジー”です。

【佐藤】しょっちゅう首が飛び、血が噴出しますから。

■敵も味方も、心に深い傷を負う「被害者」

【斎藤】近年のアニメであれほど「人体」が破壊される作品も珍しく、恐らく『進撃の巨人』や『東京喰種(トーキョーグール)』を凌駕しています(笑)。ですから、ディズニーやジブリ作品のような万人受けする健全さのようなものはなくて、それがいいのだ、という逆説的な評価もあるでしょう。

しかし、そうした捉え方だけでは、社会現象にまでなった理由としては弱い気がしてなりません。一歩引いて眺めてみると、「鬼滅ブーム」には、いろいろ不可解な面があるのです。

【佐藤】斎藤さんは、どのように分析するのですか?

【斎藤】「分かりやすい」とは言いましたけど、登場人物自身は、みな相当複雑なものを抱えています。剣士たちは、鬼に親族を殺されたり、あるいは親に虐待を受けたり、といった「トラウマゆえに正義を背負ってしまった人たち」。一方の鬼も「トラウマゆえにモンスター化した人間」の隠喩だというのが、私の解釈です。

要するに、敵も味方もほぼ全員が心に深い傷を負う「被害者」なんですよ。言ってみれば、あれは心的外傷を抱えた者同士が殺し合う物語で、そこがまず、普通の“王道バトルもの”とは違います。

手で制止して身を守ろうとする青年
写真=iStock.com/Serghei Turcanu
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Serghei Turcanu

■悪にも敵にも「事情」があることを描き出している

【佐藤】なるほど。精神科医ならではの見立てだと思います。

【斎藤】作品には、炭治郎が、自分が倒して消えていく鬼の手を握るシーンが出てきます。これも、単なる「死にゆく者への同情」と捉えるわけにはいきません。悪に対してはきちんと罰を与えつつ、その上で存在自体は肯定するわけです。

【佐藤】鬼だって、もともとは人間だったのだから。

【斎藤】そう。悪にも敵にも「事情」があることを、とても丁寧に描き出しているのも、「鬼滅」の特徴と言えるでしょう。

鬼殺隊のメンバーによって殺される鬼たちは、みんな死の直前に走馬灯を見ます。そのほとんどは、忘れていた「被害の記憶」なんですね。つまり、その瞬間、「人間」に戻るのです。人間になって、初めて彼は自らの責任を自覚し、そして尊厳を持った責任の主体として消えていく。そのように見ていくと、この作品は、「加害者に転じた被害者をいかに処遇すべきか」という問いに対して、ぎりぎりの、しかしこの上なく優しい回答を試みている、と解釈できるかもしれません。

【佐藤】昨今の様々な事件に対する特にネット上の「世論」を見ていると、「とにかく悪い奴には罰を与えろ」的な単純な議論が、ますます幅を利かせる状況になっているようにも感じます。

【斎藤】そうした風潮に対する問題提起、といったら深読みのし過ぎかもしれませんが。

■暴力によるトラウマは、人を鬼に変えてしまう

【佐藤】それにしても、「加害者に転じた被害者」というのは、「虐待の世代間連鎖」のように、現実の世の中に通じるテーマですね。

【斎藤】そうなのです。虐待やDVの被害者の中にも、支援者が差し伸べた手を肘から食いちぎりに来るような人が、ごくたまにですがいます。暴力によるトラウマは、まさに人を鬼に変えてしまうことがある。

ですから、他者のトラウマに関わろうという場合には、それなりの覚悟が必要なのです。「何度裏切られても許す」というレベルではなく、「もし一線を越えたならば、被害者であっても毅然(きぜん)として裁く」という覚悟です。罪は、それを許されてしまうことが地獄につながることがあります。「鬼滅」は、許さないことが、時として本当の救済になる可能性というものを、極めて説得的に描いているわけです。

【佐藤】深い洞察だと思います。救済の現場にいる斎藤さんの言葉だけに、まさに説得力がある。

男性のカウンセリングをする医師
写真=iStock.com/Pornpak Khunatorn
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Pornpak Khunatorn

【斎藤】付け加えておくと、お話ししたように炭治郎という主人公も鬼に家族を惨殺されるわけですが、彼はひとり「空っぽ」の人間なのです。およそ想像力というものが欠如していて、他人と共感する力も持ち合わせていません。

【佐藤】ただひたすらに、正義を貫くキャラクターとして描かれます。

【斎藤】その正義も鬼にさえ見せる優しさも、理性や想像力の産物ではないのです。考えてみてほしいのですが、彼がもし鬼の境遇を共感的に理解するような人間だったなら、たび重なる「鬼退治」で、とっくに共感性疲労をきたしていたはずです。

【佐藤】他人のトラウマに寄り添った結果、自分も心に変調をきたしてしまう。

■トラウマ的な責任と倫理を問い続ける物語

【斎藤】「鬼滅」が描くような苛烈なトラウマに曝(さら)され続けたら、心が折れて戦闘どころではなくなります。

では、何が彼の正義や優しさの根源にあるのかと言えば、それは炭治郎が生得的に持つ「嗅覚」だとしか言いようがありません。心を疲弊させることなく、粛々と鬼を裁くことができたのは、この嗅覚をよすがにしたからと解釈すれば、納得がいくのです。鬼の悲しさに共感するのではなく、嗅覚でそれを感じ取ってしまう。

【佐藤】言葉は悪いですが、ほとんど考えていない。

【斎藤】そうなんですよ。戦いのさなか、しきりに「考えろ!」と自分を鼓舞しつつも、実は「空っぽ」。見方を変えれば、考えなしに勘所が掴めてしまうのが、彼の強さです。ひとことで言えば、理性のコントロールの外にある「優しさという狂気」を生まれながらに宿している、というのが私の「炭治郎論」です。そういう部分に、意識する・しないにかかわらず、人々がけっこう反応したのかな、という印象を持つのです。

【佐藤】やはり、普通の“バトルもの”の主人公とは、だいぶ違うようです。

【斎藤】述べてきたのは、あくまでも私の解釈ですが、炭治郎の存在をそのように捉えてみると、あれは「笑って泣ける王道バトル漫画」にとどまらず、「トラウマ的な責任と倫理」の問題を問い続ける、まさに異形の物語のようにも思えてきます。パンデミックでひきこもりを余儀なくされるという異常な社会環境が、そんな物語への共感を、作り手の想像もはるかに超えて増幅させていった……。

つい、語り過ぎました(笑)。佐藤さんは、あの作品にどんな感想をお持ちなのですか?

■“鬼”を倒すには家族単位の自助しかないというメタファー

【佐藤】新型コロナとの関連性という点で言うと、私は二つの要因を感じました。一つは、鬼が登場するという文脈です。「鬼滅」と同じ頃に『約束のネバーランド』という作品がヒットしましたが、あれにも人間を食べることで知能などを維持する鬼たちが出てきました。

斎藤環・佐藤優『なぜ人に会うのはつらいのか メンタルをすり減らさない38のヒント』(中公新書ラクレ)
斎藤環・佐藤優『なぜ人に会うのはつらいのか メンタルをすり減らさない38のヒント』(中公新書ラクレ)

もともと鬼というのは、「目に見えないけれども、災いをもたらすもの」というのが起源です。そういう人知の及ばない存在との相克(そうこく)の物語が、コロナと対峙する時代状況と重なった。そのことが、「鬼滅」のヒットと無関係だとは思えないのです。

【斎藤】なるほど。確かに新型コロナウイルスは、鬼にほかならない。

【佐藤】もう一点、そういう状況下で、結局守ってくれるのは家族だけ、きょうだいだけ、というメッセージも、あの作品からは強くうかがえます。炭治郎と妹・禰豆子(ねずこ)の戦いの物語を通して、鬼をやっつけるには、家族単位の自助努力しかないのだ、と訴えているわけです(笑)。

【斎藤】作家自身が、あの作品には家族主義が通底すると、はっきり謳(うた)っています。そこが時代にフィットしたということは、確かに言えるのではないでしょうか。

■「すごいブームが起こった」で終わらせてはいけない

【佐藤】大げさではなく、こうした漫画とかアニメとかは、時代の社会構造をしっかり反映しているわけです。最近であれば、タワマンのママ友同士の葛藤を描いた『おちたらおわり』とか、三十歳を過ぎた女性二人が女子会を繰り返す『東京タラレバ娘』のシーズン2とか。あえて余計なことを言えば、こういうものを読んだほうが、下手な政治評論よりもよほど社会のことが分かるのではないかという気がします。

【斎藤】その手の漫画がよりビビッドに社会を反映しているのは、間違いないです。そういうリアリティとか、そこから生まれる共感とかがなければ、そもそも読んでもらえませんから。

【佐藤】ただ、それをどう読むのか、どんな教訓を引き出せるのかは、読み手の「責任」でもあります。「鬼滅」についても、単に「コロナ禍の中で、すごいブームが起こった」にとどまらない分析が行われるべきでしょう。

【斎藤】あれだけの現象が起こったことも含めて、さらなる検証が実行されるべきだし、それだけの価値がある作品だと思います。

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斎藤 環(さいとう・たまき)
筑波大学教授
1961年、岩手県生まれ。筑波大学医学研究科博士課程修了。爽風会佐々木病院等を経て、筑波大学医学医療系社会精神保健学教授。専門は思春期・青年期の精神病理学、「ひきこもり」の治療・支援ならびに啓蒙活動。著書に『社会的ひきこもり』、『中高年ひきこもり』、『世界が土曜の夜の夢なら』(角川財団学芸賞)、『オープンダイアローグとは何か』、『「社会的うつ病」の治し方』、『心を病んだらいけないの?』(與那覇潤との共著・小林秀雄賞)など多数。

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佐藤 優(さとう・まさる)
作家・元外務省主任分析官
1960年、東京都生まれ。85年同志社大学大学院神学研究科修了。2005年に発表した『国家の罠 外務省のラスプーチンと呼ばれて』(新潮社)で第59回毎日出版文化賞特別賞受賞。『自壊する帝国』(新潮社)で新潮ドキュメント賞、大矢壮一ノンフィクション賞受賞。『獄中記』(岩波書店)、『交渉術』(文藝春秋)など著書多数。

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(筑波大学教授 斎藤 環、作家・元外務省主任分析官 佐藤 優)

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