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文豪・夏目漱石をメンタル不調から立ち直らせた「人生が好転する考え方」

プレジデントオンライン / 2021年12月23日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/ahirao_photo

文豪・夏目漱石は若い頃から成績優秀で、周囲から将来を嘱望されていた。だが、その重圧からメンタルを病みがちだった。動画クリエイターのライフハックアニメーション氏は「若い頃の漱石は、他人にどう思われるか気にしがちだった。だが、『自分の人生の目的をつくるのは自分』という考え方にたどりついたことで、文豪になることができた」という——。

※本稿は、ライフハックアニメーション『天才はみんな「鈍感」さん ありのままの私を大切にした偉人の話』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■表向きは「成績優秀」、実際は「神経衰弱」に

漱石の半生は幼少期から一貫して、精神的に心穏やかに安心して過ごせる環境ではありませんでした。ただ、そのような落ち着かない環境下でも、勉強熱心であった漱石は学校ではほとんどの教科において首席の成績を残し、特に英語において非常に優秀な成績を収めます。

1890年(漱石23歳)には帝国大学(のちの東京大学)の英文科に入学し、本格的に英文学を学びます。しかし、この時期から漱石は悲観主義・神経衰弱に陥り始めます。これは幼少期からの落ち着かない生活環境、そして青年期一歩手前の時期での親族との度重なる死別などが影響していると考えられています。

大学を卒業したのちは、英語教師として働きます。

そして1900年(漱石33歳)、文部省より英語教育法研究のために英国留学を命じられ単身イギリスに向かいます。しかし、国からもらえる生活費は少なく、見知らぬ土地での一人暮らしで漱石は困窮し神経衰弱に陥ります。

■小説『それから』に写し出された漱石の人生観

生活の困窮とメンタルの悪化もあり部屋にこもりっぱなしになった漱石のことを、下宿屋の女性主人は「驚くべきご様子、猛烈の神経衰弱」と言い残しています。その後、漱石は帰国を命じられ、再び講師として働くことになります。

しかし、漱石の分析的で堅苦しい授業は不評でした。生徒からは愚痴を言われ、さらには注意をした教え子が自殺してしまい責任問題にまで発展。そうしたストレスの多い環境を前に再び神経衰弱に陥ってしまいました。

そのようにして生きづらさや人生への行き詰まりを感じていた漱石に対して、「気晴らしに文でも書いてみては?」と友人の高浜虚子から勧められます。その勧めのままに筆をとってみたところ、漱石はその類稀なる文才を発揮し、『吾輩は猫である』『倫敦塔』『坊っちゃん』と立て続けに作品を発表。瞬く間に人気作家としての地位を固めていくことになります。

「人間はある目的を以て、生れたものではなかった。これと反対に、生れた人間に、始めてある目的が出来て来るのであった。最初から客観的にある目的を拵らえて、それを人間に附着するのは、その人間の自由な活動を、既に生れる時に奪ったと同じ事になる。だから人間の目的は、生れた本人が、本人自身に作ったものでなければならない」

これは代表作の一つ『それから』からの引用ですが、漱石自身の人生観が如実に表れています。

■人生の目的は自分で決める、これが自由

明治初期という激動の時代を背景に、幼少期から続いた私生活面の混乱、人一倍真面目で努力家だったからこそ味わう世間からのプレッシャー。紆余(うよ)曲折の上でたどり着いた作家という道。周囲の期待に応えることで実感できた自分の存在意義。ただ、周りの環境に振り回され、それに合わせてばかりでは自分を見失ってしまう。

一方で、真面目で責任感が強いからこそ、その場から逃げることもできない。しかし、そのままでは自分の自由は奪われたまま。

自分が生まれた目的も結局わからないままだ。

だからこそ、自分が生まれた目的は自分自身で作るものでなくてはならない。

目的があって自分が生まれてきたわけではない。

生まれた時から目的なんぞを決めてしまうのは当人の人生の自由を奪うことに他ならない。人生の目的というのは自分が今ここで打ち立てるべきものなのだ。自分で打ち立てた目的に従って生きていこうではないか。

そのように思っていたのではないでしょうか。

■すべての判断は「自分がどうしたいか」で決める

自己本位とは、「自分はどう思うのか、自分はどうしたいのか」というように「自分軸」で物事を捉え、そして行動していくこと。「相手がどう思うか、相手は何をしてほしいか」というように「他人軸」で物事を捉えて行動する生き方とは対照的な態度です。

ライフハックアニメーション『天才はみんな「鈍感」さん ありのままの私を大切にした偉人の話』(KADOKAWA)
ライフハックアニメーション『天才はみんな「鈍感」さん ありのままの私を大切にした偉人の話』(KADOKAWA)

人一倍真面目で努力家、一方で人一倍神経質で気持ちの上げ下げも激しかった漱石は、人間関係においては多くの苦労を経験したようです。

自己中心的になることと、自己本位になることは似ているようで大きく異なります。

自己中心とは他人の存在を無視し自分を中心に考えること。自己本位とはあくまでも他者の存在を前提に、その上で「自分はどうなのか」を問う態度であると言えます。

他人に振り回されて自分を見失うくらいなら、揺らぐことのない確固たる自分軸を構え、その上で他者との関係を築いていくことが大切です。

時代は違えども、「自分はどう思うのか」「自分はどうしたいのか」をしっかり考え、まずはそこを基軸にする態度は大切なのです。

一説によると漱石は被害妄想が強く、周りの人が自分の悪口を言っているのではないかとよく気にしていたようです。また、音にも敏感で、特に電話のベルの音が嫌いだったそう。敏感な感性の持ち主であった漱石は、それだけ他人にどう思われるかを人一倍気にしていたのかもしれません。

だからこそ、「自己本位」という言葉を強く意識し、そうした悩みを乗り越えていったのでしょう。

■漱石も当時はストレスから「自分を見失っていた」

学業で優秀だった漱石は、国からの支援を受けてイギリス留学に行くなど多くの人から大きな期待を持たれる人物でした。

時代は明治維新後、世界の激動を背景に日本も列国と肩を並べられる存在になろうと皆が努力する時代。漱石のイギリス留学は日本という一国を背負っていたと言っても過言ではないでしょう。

ただ、そんな大きすぎる期待からか、漱石は尋常ではないほどのプレッシャーを抱えることになります。当然、プレッシャーからくるストレスも過剰でした。気づいた時には、他人からの期待に押しつぶされ自分というものを見失ってしまっていたことでしょう。

■挫折を経験したからこそ自己の大切さを知っていた

実際、漱石は、最終的にはイギリスの下宿先に一人こもってしまい、あまりのノイローゼを心配され帰国を命じられています。そうした挫折を経験したからこそ漱石は、自分を見失わずに確固たる自己を持ち続けることの大切さを身にしみて感じていました。

悩んでいる様子
写真=iStock.com/kuppa_rock
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kuppa_rock

自分という存在を誰よりも代表しそして体現しているのは、自分自身に他ならない、そんな意識を持つようになったのでしょう。

■過度のプレッシャーをかわせる「人生の態度」

現代を生きる私たちは、当時とは比較にならないほどの情報量の中で生きています。気づかないうちに、メディアの意見、有識者やインフルエンサーの発言に同調してしまい、「結局自分はどうなのか」ということを見失ってしまいやすいことでしょう。

それだけでなく、親、きょうだい、家族、友人、上司、取引先など、複雑な人間関係の中で揉もまれに揉まれた結果、気づかないうちに本来の自分を見失い、日に日に精神的なダメージを蓄積していってしまっているかもしれません。

自分という存在を代表しているのは、反論の余地なく自分自身に他なりません。この意識を持つことは、現代社会を生きる私たちに少しばかりの自信を与えてくれます。

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ライフハックアニメーション(らいふはっくあにめーしょん)
動画クリエイター
東京大学経済学部卒。YouTubeチャンネル「ライフハックアニメーション」の運営者。過去に起業するも挫折し、燃え尽きた末、心身ともにどん底へ。数年の沈黙を経てライフハックに目覚め、心身の健康を取り戻し、社会復帰を果たす。その復活の過程で得た知識を実体験に基づき編集し、アニメーション動画で発信。「心と体の健康」をテーマにした動画コンテンツは200を超え、チャンネル登録者数は16万人(2021年10月現在)を突破。ホームページ:ライフハックアニメーション

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(動画クリエイター ライフハックアニメーション)

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