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「受験勉強が終わると学力がどんどん下がる」なぜそんな大学生活が当たり前になっているのか

プレジデントオンライン / 2021年12月21日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Drazen_

日本では難関大学への入学を目指す「受験戦争」が毎年繰り広げられている。京都大学前総長の山極寿一さんは「多くの受験生が入りたい大学ではなく偏差値に合う大学を選ぶためミスマッチが起きている」という――。

※本稿は、山極寿一『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

■留学生獲得競争に出遅れている日本

高等教育はいま、大きな転換期にある。世界の大学の学生数はこの10年間で1.5倍以上に伸び、もはや大学は少数のエリートを養成する教育機関ではなくなった。また、世界経済の大きな変動を受けて各国で国家財政が悪化し、国の資金で高等教育を担うことが困難になり、大学システムの変革を余儀なくされるようになった。

国によっては授業料を大幅に値上げし、それを学生ローンにして就職後に給料から天引きする制度を作ったり、企業の投資や個人の寄付によって大学が自己資金を集めたりして、その運用利益で大学の運営費を調達するようになった。

米国などいくつかの国では企業と同じ手法が大学の経営に適用され、資金の運用を図る専門家が雇用され、大学の評判を高めて富裕層の子弟や優秀な学生を世界から集めるようになった。学生は国を超えて動き、留学生獲得競争が大学間で熾烈(しれつ)になってきている。

この競争に日本は完全に出遅れている。2008年に立てた留学生30万人計画は2020年までに達成されたが、そのうち約9万人は日本語学校の学生で、高等教育を受けているとはとても言えない。また、欧米の大学には20%を超える25歳以上(相当数が社会人)の学生がいるのに、日本の大学で学ぶ社会人はまだ2%にも満たないのが現状である。日本の研究力や社会力を養うためには、留学生や社会人学生の大幅な増加を求めて高等教育の規模や質の向上を目指すべきだろう。

また、知識集約型社会の到来を受けて、政府はビッグデータの解析とAIを使いこなせるICT人材を、年間25万人育成することが必要との見解を示した。現在、いくつかの大学でデータ・サイエンスを学べる学部、研究科が新設され、カリキュラムが整えられつつある。

数年前に文科省は、こういった時代の要請に合った分野の増設と引き換えに、人文・社会学系の学部や研究科の縮小や転換を大学に求めた。しかし、これは大きな誤りで、これらの学問分野の重要性は減るどころかむしろ増している。それよりも理系と文系の枠を超える総合的な視野を持った学問と学びの創出が急務である。

■「日本企業に就職したい」実現できる留学生はわずか半分

現在「国大協資料集」(2020年)で、学生のうち学士課程の78%は私立大学に、修士課程の59%、博士課程の68%は国立大学に所属している。また、学部に所属する留学生の83%は私立大学、とくに人文・社会学系に多く、大学院の留学生の63%は国立大学、とくに理工系に多く、大きな偏りが見られる。

出身国はアジアが多く、とくに中国からくる留学生が半分以上を占めている。これからアジア諸国の人口が増えていくことを考えると、日本で学ぶ留学生の数も増していくだろう。留学生の多くは日本企業に就職したいという希望を持っているが、その半分ぐらいしか実際に就職できていないのが現状である。

こうした留学生の動向に日本の高等教育がどう応えるか、日本の産業界の要請を考慮しつつ、国公私立の大学がどう分担して留学生を受け入れていくかが課題となっている。

さらに、高等教育を受けるにあたっての経済格差を是正するため、授業料の無償化が始まった。日本は米国や英国に比べると大学の授業料は比較的低額に抑えられているが、私立大学、とりわけ医学系の学部では高額な授業料が必要となることがある。授業料無償のEU諸国、授業料負担をいったん国が引き受け、卒業後の給与額に応じてそれを返還する仕組みがある英国やオーストラリアなどに比べると、まだ大学進学率が低い現状にある。

英国・ロンドンへ留学
写真=iStock.com/andresr
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/andresr

日本の国民が平等に高等教育を受ける権利を行使でき、高度な知識と技術をもって社会に貢献するために高等教育を正しく位置づけ推進する必要がある。

■少子化社会でいかに質の高い教育を提供するか

しかし、大学も運営上の大きな問題を抱えている。少子化の影響を受けて18歳人口が減少し、大学入学希望者数が定員を下回って定員割れをする大学が出始めている。それを防ごうとして各大学は多様な入学試験を考案して、学生獲得に熱を入れ始めた。高校の推薦だけで入学させる大学や、高大一貫校として高校からそのまま入学させる大学も増えた。

また、入学してくる学生の能力の多様化や資格取得の希望に応じて、専門学校に近いカリキュラムを提供する大学もある。このように大学が多様化する中で、国立大学は運営費交付金に過度に依存しないように自己資金を獲得し、いかに質の高い教育を提供するかが問われている。

■「落とすため」の選抜試験に成り下がった大学入試

高等教育は社会のためにあるのか、それとも個人のためにあるのか。

現状は、社会のためから個人のための教育へと大きく傾斜している。国立大学はこれまで入試日を統一し、5(6)教科7科目を課して試験を実施してきた。私立大学が無試験からせいぜい3教科3科目までの試験に終始している現状とは対照的である。

これは一定の水準以上の学力を持つ学生を総合的に選別し、その能力をさらに高め、洗練された市民として社会に送り出すことを国立大学の共通な使命としているからである。授業料を統一し、入学者を定員の枠内に留めているのも、特定の大学に志願者が集中しないように、大学間に格差が生じないようにする配慮の結果である。

しかし、それでも大学間、分野間(とくに医学部と他学部)の格差は生じる。それは、大学や分野によって卒業後の社会的地位に差が生じると見なされているためであり、大学入試が「落とすため」の選抜試験に成り下がっているからである。そのため、なるべく社会の上層部へ通じる大学へ入学させようとして、親たちは早くから子どもたちを受験勉強に駆り立て、受験産業は難関大学や難関学部の入学を目標にして勉学のコースを提供する。

その結果、入りたい大学ではなく、偏差値の合う大学を目指すことになる。入学後にミスマッチが生じて勉学意欲が減退し、学力が上がるどころか低下して卒業できない学生が増加する。つまり、現代の大学は個人(あるいは親)の希望に沿った教育システムに変化を遂げつつあるが、社会の期待に応えるような人材育成からは遠ざかっていると言えるのではないだろうか。

■日本には高校生の学力を測る共通基準がない

これには、日本の教育が抱える特殊事情がある。

まず、日本では高校生の学力を測る全国テストを国レベルで実施してこなかった。ヨーロッパではフランスのバカロレアをはじめとして、各国で一斉テストを行い、大学へ進学する資格を得る。大学はこの成績を元に、独自の選抜評価基準を設ければいい。

しかし、日本では各高校が学生の卒業を認定し、それが大学の入学資格となっている。全国に共通する基準がないので、大学が独自に入学選抜試験を実施しなければならなくなっているのだ。大学入試が「落とすため」の試験に成り下がっている理由がここにある。

実は、2015年に始まった文科省による「高大接続システム改革会議」はそれを改善し、大学教育、大学入試、高校教育を三位一体として改革していくことを目指していた。それが、大もめにもめた挙句、本来の目的を見失って記述式問題や英語の4技能という入試の問題だけに縮小してしまったのは何とも残念な気持ちである。

米国の企業型経営方式を採用するにも問題がある。米国の大学は全国標準テストのACTやSATを利用し、大学がプロの面接官を採用したりして能力のある学生を選抜している。しかし、これは個人や企業の寄付を可能にする税制の後押しにより、大学が自己資金を集めやすいことが前提となっている。

米国政府は自国の高等教育が世界に波及することを国際戦略としており、留学生を増やし、他国に米国の大学が進出することを支援している。学生や研究者の流動性が高まることは米国の外交戦略の柱なのである。日本ではとてもこのような税制改革や外交戦略は望めない。

■日本の大学進学率は50%台半ば

では、日本の国立大学はいったいどういう将来の道を模索すべきなのか。これまで述べてきたように日本の大学は、ヨーロッパのように公立主体で学生の負担を減らすような方向にも、米国のように私立主体で大学の自己資金を大幅に増やすような方向にも進めない。

だとすれば、このままの体制を維持しつつも、公立、私立を問わず大学同士が連携して役割分担を行い、個人と社会の期待に応えるように、教育の質を整えることから始めるしかないと思う。最重要課題は、18歳人口の減少とグローバル化、国際化への対応である。

大学入学者の数が減り続ければ、大学の数や規模を縮小せざるを得ない。しかし、日本の大学進学率はまだ50%台半ばで、世界の30位にも入っていない。韓国(89%)や米国(82%)に比べれば、まだまだ進学率は上がることが期待できる。しかも、大学で学ぶ社会人の数は全大学生の2%に過ぎず(OECD諸国の平均は22%)、留学生の数(全学生の数の3%)も欧米諸国(10〜30%)に比べて圧倒的に少ない。これらの数値を上げれば、大学の入学者はもっと増えるはずである。それには以下のことに留意する必要がある。

■大学であらゆる世代の人が学び、未来を模索することが重要

まず、国立大学の共通の使命は、洗練された市民となる高い教養を与えることである。世界の状況は急速に変わっていく。いまある職業の半分以上が10年後には消滅しているという予測もある。歴史や社会、自然、人間についての広い知識と、それを応用して新しい世界観を構築できる能力を磨かなければ、未来の社会で活躍できない。

その必要性に迫られているのは、18歳とその周辺の世代だけではない。すべての世代の人びとがともに学び、対話を通じて未来を模索することが重要なのである。大学はその学びと対話を作る貴重な場である。

そのために、大学は古今東西の学問を俯瞰できる知が得られる場所でなければならず、現代の世界で通用する知識や技術だけではなく、多様な知の拠点としてさまざまな研究者コミュニティに支えられていることが不可欠になる。大学はそこに所属する研究者だけで作られるのではなく、国内はもとより国際的な研究者のネットワークをその存立の基盤にしているのである。

■大学の知は公共、社会のため

また、留学生や外国人教員の数を増やし、国際的な知の発信を促進していくならば、教育研究は国際的に開かれたものでなければならない。日本の大学を海外の学生にとって魅力あるものであるためには、英語ばかりでなく、他の言語でも対話の可能な講義やセミナーを開講する必要があるし、何より教育研究の質を高めなければならない。

山極寿一『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』(朝日新書)
山極寿一『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』(朝日新書)

海外のどの大学でも学部生を長期間海外に出すことにはためらいがある。自国の学生の基礎・教養課程は、自国の大学で責任を持って実施したいという意識が強いからだ。であれば、異文化理解や国際感覚の習得のため、短期の留学を大規模に展開したほうがいい。学部に受け入れる留学生の数を増やすためには「日本文化の理解」を中核にした短期の学習コースを提供する。

これはそれぞれの大学が独自に展開するより、協力して海外の大学と連携するほうがコストも効率もずっと向上するだろう。コロナ禍のオンライン授業の普及で、もうそれはすぐにでも実施可能になっている。

21世紀の日本の国際戦略は科学技術外交である。それに日本の高度な教育を付け加えれば、日本が世界に果たす役割は格段に上がるだろう。大学の知は私的な利益追求のためにあるのではなく、常に公共のため、社会のためにあるという矜持を忘れてはならないと思う。

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山極 寿一(やまぎわ・じゅいち)
霊長類学者・人類学者
1952年、東京都生まれ。総合地球環境学研究所所長。京都大学前総長(2014~20年)。人類進化をテーマにゴリラを主たる研究対象として人類の起源をさぐり、アフリカなどを舞台に実績を積んでいる。著書に著書に、『ゴリラとヒトの間』(講談社現代新書)、『家族の起源 父性の登場』『家族進化論』『ゴリラ』(東京大学出版会)、『「サル化」する人間社会』(集英社インターナショナル)、『ゴリラが胸をたたくわけ』(福音館書店)、『京大総長、ゴリラから生き方を学ぶ』(朝日文庫)などがある。

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(霊長類学者・人類学者 山極 寿一)

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