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「ムダは犯罪にも等しい」トヨタ生産方式の父・大野耐一が許さなかった"無意味な仕事7つ"

プレジデントオンライン / 2021年12月22日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/helen89

トヨタ自動車の「トヨタ生産方式」は、「カイゼン」という言葉で世界中に知られている。その狙いは、工場で常態化していた「7つのムダ」をなくすことだった。『トヨタ物語』(新潮文庫)を出したノンフィクション作家の野地秩嘉さんが解説する――。

※本稿は、野地秩嘉『トヨタ物語』(新潮文庫)の一部を再編集したものです。

■機械工場→組み立て工場→塗装、プレス、鋳造…

トヨタ生産方式が導入された順序はまず機械工場であり、次が組み立て工場、それから塗装、プレス、鍛造(鋳造)といった順番だった。

機械工場はエンジン、ミッションなどを作り、組み付ける工場のこと。機械工場、組み立て工場にはベルトコンベアもしくは床面が動くスラットコンベアが入っている。一方、塗装はオーバーヘッドコンベアと台車、溶接は台車で、プレスから検査工程へはベルトコンベア。こうした工程では搬送のムダを解決することで生産性を上げることができる。

対して鍛造、鋳造といったところはできあがった部品をローラーの滑り台のようなシューターで流すだけだ。作業それ自体を見つめて動作のムダを発見しなくてはならない。

搬送装置があるかないか、もしくはどういった搬送装置を使っている工程なのかによってムダを発見するアプローチは違ってくる。

大野は自分が機械工場の担当だったこともあるけれど、まずはベルトコンベアが入っている機械工場の工程から導入を開始した。

次いで、組み立て工程だ。組み立て工程は単純作業の繰り返しだから、標準作業も設定しやすい。また素人がやっても次第に習熟する仕事で、システム化すれば誰もが同じ時間で作業ができるようになる。

一方、鍛造、鋳造の工程は職人仕事だ。仮に標準作業を設定して、作業にかかる秒数を決めたとしても、熟練者と新人ではできあがりがまったく違ってくる。板前が刺身を切る標準時間を決めても、誰もがおいしい刺身を調理できるとは限らないのと同じだ。

■見られることを嫌がる日本人、気にしない米国人

ここから本題になるけれど、トヨタ生産方式を導入する際、現場が最も抵抗したのは標準作業の設定だった。組み立て工程では「監視されてるみたいで嫌だ」という反発を受け、鍛造、プレスの工程では「標準作業の設定に意味はない」と言われたのである。

標準作業を設定するには担当が作業者の後ろに立つ。そして、作業にかかわる動作をストップウォッチで計測し、記録する。現場の人間にとっては熟練、非熟練を問わず、それがいちばんやりにくかったという。

ただし「やりにくい」と答えたのは日本の工場で働いている人間だけだった。

ためしにケンタッキーの工場で数人に聞いてみたところ、「ストップウォッチの計測?  そんなことはノープロブレムだ」と全員が答えたのである。人に見られていたからといって作業が滞ることはないと言い切った。

「どうして、そんなことを聞くのか?」そう言ったチームメンバーもいた。

日本人は見られることを嫌がるけれど、アメリカ人作業者は「仕事の一環だから当たり前」という反応だった。

もっと言えば、日本人は第三者が見ていると、ついつい、いいカッコしようと思って張り切ってしまうのである。張り切ってやることが嫌だから計測をされたくないというのが本音だろう。

一方、アメリカ人作業者は「オレは給料分だけ働く」とはっきり決めている。誰が見ていようが、ストップウォッチで計測されようが、切り売りした時間だから、文句を言うことに意味はないと割り切っている。誰かが見ていたからと言って、いつもより頑張って仕事をすることもない。

■“現状維持”を良しとする社会風土と闘っていた

かつて大野はこう言っていた。

「アメリカの自動車工場(フォード)を見学した時、ワーカーは平気でタバコを吸っていた。だが、日本人は上司が来ると、急にタバコを消して働いているふりを始める」

つまり、日本人は自意識過剰ともいえる。働いているところを見られると落ち着かなくなる。監視されて自分の作業にムダな部分があると指摘されると、むきになって否定する。指摘されたことをカイゼンして、作業の手順が楽になったとしても、それでも、なんとなく面白くないと感じるのが日本人一般なのである。

トヨタ生産方式の導入で現場が抵抗したのは他人から見られること、自分の仕事のムダな部分があらわになること、そして、現在やっている作業を変えることへの恐れからだった。いつまでも現状維持で働いていたい……、それが本音だった。

大野たち一派が闘っていたのはトヨタの社内ではなく、現状維持をよしとする日本社会の風土だった。だから、導入には時間がかかったし、また、一方的に押しつけるだけでは定着しなかったのである。現場の人間を大切にし、毎日、しつこいくらいに足を運ばなければカイゼンは進まなかった。

それでも大野一派の努力でトヨタ生産方式は少しずつ浸透していった。繰り返しになるが、最初は機械工場、それから組み立て工場に受け入れられ、プレス、鍛造といった部門は最後になった。

■大野が定義する「7つのムダ」とは

そして、全工場で導入されてからもカイゼンは続いた。現場はつねに変化していたから、その都度、新たなムダを見つけてはカイゼンしなくてはならなかったのである。

たとえば、クラウンを製造する全工程でトヨタ生産方式がある程度、形になったとする。だが、クラウンがモデルチェンジすれば部品は変わる。部品が変われば工程が変わり、新たなムダが生まれる。もう一度、大野や鈴村が出かけていき、ムダをつぶしていかなくてはならない。

モデルチェンジに限らず、作業者だって、1年ごとに新しい人間が入ってくる。メンバーが変われば作業の習熟度合いが違うから、ラインを組み直さなくてはならない。

つまり、現場から生まれたトヨタ生産方式は永遠に完成することはない。現場における前提条件が変われば運用を見直さなくてはならないから、生産方式が完成したり固定されることはない。

では、大野一派が現場を歩いて見つけるムダとはどういったものなのだろうか。

大野自身は7つに分類している。いずれもどこの工場の生産現場、事務所でもよくあることだ。

7つのムダ
ひとつ つくりすぎのムダ
ふたつ 手待ちのムダ
三つ 運搬のムダ
四つ 加工そのもののムダ
五つ 在庫のムダ
六つ 動作のムダ
七つ 不良をつくるムダ
自動車産業
写真=iStock.com/baranozdemir
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/baranozdemir

■つくりすぎは「犯罪にも等しい」

このうち、大野がもっとも排除しようとしたのは「つくりすぎのムダ」である。

「どうして、つくりすぎがムダになるんだ。足りないより、多い方がいいじゃないか」

それが一般的な判断だろう。だが、大野は足りないことはよくないが、必要以上にモノを作ることは犯罪にも等しいとさえ言っている。

つくりすぎを排除することについては大野本人だけでなく多くの関係者が説明しているが、もっともわかりやすいのは、張富士夫のそれだ。

張は文科系の出身だ。技術系の人間とは違う角度で大野に質問している。張は技術についてはほぼ素人だったから、大野に対して初歩的な質問を繰り返したのである。

技術系の人間はついついテクニカルタームやトヨタ語(見える化、自工程完結など)で説明しようとするけれど、張は説明に際して小学校5年生が理解できるような平易な言葉しか使わない。

つくりすぎのムダについて、張は次のような例話を引いている。

「ある兄弟がおります。兄は社長で弟は生産担当の専務。カーペットの生産をやっている会社です。社長は『売れ行きに従って小さなロットで作れ』と言うけれど、弟は『高い金を出して買った工作機械の稼働率が落ちるから、大きなロットでしか作れない』と反論する。お兄さんはほとほと困っている。こういう例は枚挙にいとまがないのではないでしょうか」

■在庫が生まれ、管理する場所や人件費も生まれ…

「また、こんなこともあります。

赤い色の製品を大ロットで作るとします。その間、ひとつしかないラインでは青や黄色の製品は作ることはできません。しかし、市場では赤だけでなく、青や黄色の製品も売れているわけだから、青や黄色の製品も持っていなくてはならない。そのためには各種類を半月分、一カ月分、持つということになる。

売れ行きは工場が大ロットで生産しようが、小ロットで生産しようが変わりはありません。しかし、出費は変わってくる。大ロットで作ると在庫が増え、倉庫に製品が積み上がる。製品は寝ているが金利はかかる。また、製品が汚れないように棚を作ったりしなくてはならない。何がいくつ在庫されているかを勘定するための人員も必要になってくる……」

つくりすぎのムダは在庫というムダを生み、在庫がたまると管理する場所や人間を確保しなくてはならなくなる。つくりすぎのムダはさまざまに波及するから諸悪の根源なのだ。

次に、手待ちのムダとは何か。手待ちとは作業をしたいけれど、部品が届かず、ラインでやることがない状態をいう。ラインに必要以上の人間がいると起こるムダだ。解決するにはラインの人員を減らすしかない。

ただし、「人を減らす」という指示は現場の反発を受けた。現場にしてみれば、せっかく仲良く働いていたチームのなかから仲間が抜けていくわけだ。

■人を増やせばモノがたくさんできるわけではない

抜けたからといって、クビになるわけではない。違うラインに行くだけのことなのだが、残った人間にしてみれば寂しいし、また、仕事が増えることが懸念される。

手待ちのムダについて、張は大野がバレーボールを例に挙げたと説明している。

「大野さんがある日、張、お前はバレーボールを知っているか、と。はい、僕らの学生時代は9人制でしたけれど、いまは6人制ですね。そう答えたら、そうだ、その通りだ、と。

コートのなかに9人もいるのは、果たして強いのだろうか。回転レシーブをやったらぶつかるんじゃないか? 私(大野)は聞いたことはないけれど、6人のチームと9人のチームが試合をしたら、勝つのは6人じゃないか。

これは現場でも同じだと大野さんは言いました。人が増えればモノがたくさんできるかと言えば、そんなことはない。僕(張)にも経験があるのですが、能力が足りません、どうしても数が出ませんというところへ行って、いろいろ直して、結果的に人を減らしたら、できるようになったということは何度も経験しています」

■作業者を苦労させるのではなく、やりやすくする

現場に中間倉庫、あるいは部品の山があるとする。すると、作業者は仕事の合間に部品を取りに行かなくてはならない。トヨタ生産方式を導入した当時、まだ中間在庫の置き場が現場にあった。大野が見ていると、作業者が部品を組み付けている時間よりも、部品を探しに行ったり、運んでいる時間の方が長かったのである。それもあって、大野は倉庫や部品置き場を一掃しようと決めた。

動作のムダとは現場の人の動きを見て、ムダを見つけることだ。

たとえば、ある部品が作業者の背中側に置いてあったとする。すると、取り上げる時にいちいち振り向かなくてはならない。こうした、「振り向き作業」などをチェックして、部品を置く位置を変えることでムダをなくす。作業台の高さを変えたり、ベルトコンベアの速度なども調整する。ムダのない作業とは作業者を働かせることではなく、作業をやりやすくすることだ。

■「どこまでがムダですか?」質問に大野は…

トヨタ生産方式と聞くと、ベルトコンベアのスピードを上げて生産台数を増やすことだと書いてある記事もあるけれど、書いた人はまったく理解していない。

いくらベルトコンベアのスピードを上げたからといって生産性が向上することはない。人は自分が嫌だと思った作業を長くやることはできないし、必ずどこかでサボタージュを始める。

動作のムダについて、「どこまでがムダなのですか?」と訊ねた張に対して大野は次のように答えた。

ある時、ふたりは組み立てラインの横にいた。大野は張に向かって、「目をつぶれ」と言った。

「目をつぶって、耳を澄ませ」

いったい、なんのことかと目を閉じたら、大野が言った。

「張、ウィーンという音は聞こえたか」
「はい」

張は答えた。

「あれはインパクトレンチがネジを締めている音だ。いいか、仕事とはインパクトレンチがネジを締めている時間のことだ。あとの時間はすべてムダだ」

現実には、労働時間すべてを仕事時間にすることは不可能だ。だが、ゼロにするくらいの気持ちでムダを見つけろと発破をかけたのである。

ロボット溶接
写真=iStock.com/WangAnQi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/WangAnQi

■「現場に行け、帰ってくるな」

張、池渕のようなトヨタ生産方式を伝える者たちは「現場に行け、帰ってくるな」と命じられている。

社会人だからむろんスーツは持っていたけれど、仕事中に着ることはなかった。朝から晩まで作業服を着て、現場にいた。「ムダを見つけろ」と言われているから、ラインの横に立っているのだが、ただ立っているだけでは現場の作業者から「邪魔だ」と怒鳴られる。

張も池渕もラインが止まったら飛んで行って、一緒になって不具合を見つけたり、作業者が「部品を持ってきてくれ」と言ったら、急いで取りに行ったり……。作業服を油で汚すことで作業者との距離を詰め、そして、世間話ができる関係になってから、ムダを見つけたのである。

見つける、指摘するという上から目線ではなく、相談にのったり、教えてもらうことで現場のカイゼンを行った。

大野や鈴村ならばひと目見て、管理者を一喝すればカイゼンは行われるのだが、入社8年前後の張、池渕にはそういった手法は取れない。愚直に「教えを請(こ)う」という姿勢でなくては作業者は話をしてくれない。

考えてみれば、最初のうちは手を動かすこともなく、冷たい視線のなかで、ただ立っているしかない仕事だった。しかし、彼らはそこから始めたのである。

■ライン作業を眺めていると突然立ち止まり…

わたし自身、7年の間に70回、トヨタの工場を見学し、ラインを見つめた。では、何かムダを発見できたかと問われたら、まったくできなかったと答えるほかはない。ひとつくらい見つけられるんじゃないかと思って、現場に立ったけれど、現実は甘くなかった。いつ見ても、現場のライン作業は同じように見えたし、たとえ、ラインが止まったとしても、そこで何が起こったかは、作業者に聞いてみない限り、まったくわからなかった。

野地秩嘉『トヨタ物語』(新潮文庫)
野地秩嘉『トヨタ物語』(新潮文庫)

ある時、生産調査室室長だった二之夕(にのゆ)裕美(現・東海理化社長)と一緒に元町工場の組み立てラインを見ていたことがある。

見学コースからラインを眺めていたのだが、二之夕は突然、立ち止まり、「あそこを変えなきゃ」とつぶやいた。

えっ、どこですかと訊ねたら、「あの作業者が見えますか?」と言った。

「ほら、彼です。バンパーを取り付ける前に包装のセロファンを外しているでしょう?」

確かに、その作業者はいちいちセロファンをはがしてからバンパーを車体に取り付けていた。

「張りついたセロファンをひきはがすのは面倒です。一日に何度もやっていると嫌になる。あれはセロファンを外す工程をどこかに作らなきゃいけない。もしくはセロファンではない包装材に変えることも考えなくてはならない」

■マニュアルを作って配れば済むことではない

二之夕はラインを一瞥(いちべつ)しただけで、問題点を発見し、同時に改善案を考え出し、次の瞬間には部下を呼んで、すぐに実現化するよう言い渡していた。もっと言えば、カイゼンが進んでいる現在でさえ、ラインを見つめればムダを発見することができるわけだ。

トヨタ生産方式を定着させる仕事とは、つまりこういうことだ。見る目を持ったプロが、人がやりにくそうにしているところを探し、ひとつずつ、その場で解決する。

「カイゼンの方法と本質」といったマニュアルを作って配ればそれで済むことではない。現場のカイゼンは大野、鈴村が張や池渕に伝授したように人から人へ手渡しで教えていくことだ。その後に体系化を考える。こうして細かな現場の技術は会社全体に蓄積され、系統立てて教育されていく。トヨタ生産方式の伝承とは現場から始まり、解決した事例を全社に伝えていくことだ。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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