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「天皇家と秋篠宮家はなぜここまで差がついたのか」NYの眞子さんの笑顔がはじけているワケ

プレジデントオンライン / 2021年12月22日 15時15分

米国のニューヨークに向けて出発する眞子さん=2021年11月14日 - 写真=AFP/時事通信フォト

■「結婚以上に、外の世界に飛び出したかった」

「小室眞子さんは、もう何があっても日本に戻って生活することはないかもしれない」

こう書いたのはスポーツニッポンで眞子さんの写真を2000枚撮り続けた岸良祐記者である。

「(眞子さんの=筆者注)その表情が一転したのは、11月14日の渡米の日。羽田空港の搭乗口を通過直後、眞子さんと小室さんは目を見合わせてほほ笑みあった。

米国の空港に到着し、関係者らにガードされながら送迎車に乗り込む際には、うれしそうに笑みを浮かべた。これまでファインダーをのぞいていた自分は一度も見ることができなかった笑顔。それを見た時『眞子さんは結婚以上に、外の世界に飛び出したかったんだ』と確信した」(12月18日付スポニチより)

小室圭との婚約延期以来、公務の際にも見せることがなかった笑顔を、日本を発つ飛行機の搭乗口からニューヨークに着いても取材陣に撮らせていたと知ったら、秋篠宮と紀子さんはどう思うのだろう。

なぜ、娘はそれほどまでに皇室という世界から離れたかったのだろう。自由に育て、学習院ではなく国際基督教大学にも行かせたのに、どこでどう間違ってしまったのか。両親の頭の中では、混乱と後悔が渦巻いているのかもしれない。

週刊文春(12月9日号)は「『娘の離反』を生んだ秋篠宮家『15年の蹉跌』」と題して、宮内庁関係者にこう語らせている。

■秋篠宮家の育て方に問題があったのか

「眞子さんは、秋篠宮さまが『納采の儀は行えない』と述べざるを得なかったお立場についてはよく理解していた。しかし、自分の結婚の意志は揺らがない。だから話をしても仕方がないと考えられておられたのです。

また、眞子さんは自身の結婚問題で家庭の雰囲気が悪くなることが、思春期の悠仁さまに与える影響を非常に心配していました。だからこそ家族が集まる場で、結婚の話題が出ることはありませんでした」

秋篠宮は眞子さんの結婚問題を積極的に解決しようということもなく、ただ見守るだけで、いたずらに時間だけが過ぎていったというのである。

こうなってしまったのは秋篠宮家の育て方に問題があったのではないかと、こうもいわせている。

「秋篠宮さまが『納得できるものではない』と批判なさった小室さんの金銭トラブル説明文書も、結婚会見が一方的なものになってしまったのも、秋篠宮さまが介入も助言もされることなく、眞子さんの“自由”と“自主性”に委ねられた結果なのです」

父親が責任を放棄してしまったから、国民の多くが祝福しない結婚、渡米につながったのだといわんばかりである。

■「“娘の夫”という呼び方に気持ちが表れている」

週刊新潮(12月9日号)はさらに手厳しい。「『放任教育の果て』を省みない『秋篠宮』」として、皇室ジャーナリストにこういわせている。

「(誕生日会見で=筆者注)“娘の夫”という呼び方にも、名前すら口にしたくないというお気持ちが表れています。これから事態が覆るわけでもないのに、儀式を取り止めるという判断をなさったご自身が、他人を非難することでお考えを説明するというやり方は、皇位継承順位一位というお立場にあることを考えれば由々しきことです」

このような成り行きになったのも、

「秋篠宮家の教育の帰結であることは疑うべくもありません」

と難じるのである。

さらに家族カウンセラーの山脇由貴子は、

「これまで秋篠宮さまは、高齢になってからのご即位に難色を示されたと報じられ、また大嘗祭のありかたに疑念を呈されたりしてきました。そのように自由なご発言を繰り返すお父上から、結婚に際して親の言うことを聞くように言われても、眞子さんが“今さら何を言っているのか”と反発されて当然だと思います」

あなたのような育て方をしていれば、娘が自由恋愛の末に「駆け落ち婚」するのは当然ではないか、ともとれるいい方である。

まさに四面楚歌。秋篠宮は天を仰いで嘆息するしかないのではないか。

■眞子さんを慕っていたといわれる愛子さまは…

兄・天皇と弟・秋篠宮の人生はいつから逆転してしまったのだろう。

自由奔放に生き、順調に見えた弟の人生は、長女の結婚問題を機に躓いてしまう。

一方、兄のほうは、妻の病気や一人娘の不登校などで苦労したが、妻の病気も回復に向かい、娘は見違えるように溌剌として成人を迎えた。

週刊文春(12月16日号)はグラビアページで「淑やかに麗しく」とタイトルをつけ、愛子さんの写真を掲載している。

以前よりほっそりして、母親の雅子皇后によく似てきたように思う。

兄の長女の晴れやかな姿を、秋篠宮夫妻はどのような思いで見ているのだろう。

愛子さんは子どもの頃から、10歳年上の眞子さんを慕っていたといわれる。

実の姉のような眞子さんから、成人したお祝いの言葉をかけてもらいたかったのではないか。

だが眞子さんは、追われるように皇籍を離脱しニューヨークへと旅立ってしまった。

愛子さんは、自分に結婚したい相手が現れても、私は両親を悲しませるようなことはしない、そう心に決めているのだろうか。

母親の苦労を間近で見てきた。自分もいじめや不登校を乗り越えてきたから、父親の天皇のように、家族を第一に考える男性を選ぶのであろう。

しかし、人生は何が起こるか分からない。もし女性天皇が認められることにでもなれば、愛子さんの結婚相手選びは大変なことになることは間違いない。

皇居
写真=iStock.com/EdoTealdi
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/EdoTealdi

■「愛子天皇」待望論はますます大きくなっていく

雅子皇后の適応障害は波があるようだ。週刊新潮(12月23日号)によると、「記者会に配られるご予定表には、天皇陛下のスケジュールしか記載されていません」(さる皇室ジャーナリスト)という。

だが12月9日、58歳になった雅子皇后が発表した文書の中で、今年印象に残ったこととして、「2度目となった養蚕も、初めて、全ての作業に携わることができ」と書いている。

養蚕は明治以降、代々皇后が継承してきているそうで、とりわけ美智子上皇后が熱心で、一度は蚕の飼育中止が検討されたが、美智子さんのたっての希望で残されたという。

皇太子妃のときは蚕に触ったことはなかったようだが、「今回は全工程を担われた。美智子さまもたいへん頼もしく思われているのではないでしょうか」(同)。

世論調査では「女性天皇」への賛成が9割近くになるという。愛子天皇待望論はますます大きくなっていくに違いない。

対照的に眞子さんの結婚問題で失墜する秋篠宮家。中でも紀子さんが、長女の駆け落ち婚のショックから立ち直れないという。

「眞子さんご結婚後、お知り合いらが祝意を表しても、紀子さまは“ありがとうございます”とはお返しにならないんです。無言で、時には、笑顔も見せず、目を吊り上げ、口を真一文字にして押し黙られることもあるくらいで……」(さる秋篠宮家の関係者=週刊新潮)

■天皇家と秋篠宮家は、どこで変わったのか

紀子さんは、眞子さんや佳子さんを連れて、天皇皇后(当時)に頻繁に会いに行き、美智子皇后の振る舞いを一生懸命真似ていたといわれる。

そして「皇統を救った」とまで評される悠仁さんを出産したのである。

秋篠宮も、皇太子(当時)が「人格否定発言」をした時、「事前に天皇陛下に相談すべきだった」と記者会見で苦言を呈し、毅然とした弟君と評価された。

長男とは違って、自由に生き、身内の批判も堂々とする秋篠宮に多くの国民が賛同の拍手を送った。

苦悩する皇太子一家、自由でのびのびと生きている秋篠宮一家。その流れが変化してきたのは、天皇が生前退位をした頃からではなかったか。

皇嗣家として、自身も長男悠仁さんも皇位継承者になり、国民もメディアの注目度も各段に上がった。

秋篠宮に大きな戸惑いがあったことは間違いないであろう。それが、天皇が退位した時、私はかなりの年齢になっているから「それからはできないです」発言になったのではないか。

その後、長女眞子さんの結婚話が起こり、さらに注目が高まった。しかし、国民揃(そろ)って祝う慶事であるはずが、婚約者と母親の金銭トラブル報道で“暗転”してしまう。

天皇即位、自身が皇嗣になるための儀式と、秋篠宮は心も身体も休まる暇がなかったであろう。

余裕のなさが、長女眞子さんの結婚問題での優柔不断とも思える対応になったのではないか。皇嗣として父親として、どう助言し、どう決断すればいいのか迷っているうちに時間だけが過ぎ去っていった。

そんな父親の姿をそばで見ていて、ここから一刻も早く離れたい、そう眞子さんは思ったのかもしれない。

■“迷い”や“弱さ”は人間味あふれるものだったが…

冒頭触れたように、婚約延期以来、報道陣の前でほとんど笑顔を見せなかった眞子さんが、日本を旅立つ時に見せた笑顔は、皇室や秋篠宮家から決別できた安堵の笑顔ではなかったか。

秋篠宮が結婚騒動の間に垣間見せた“迷い”や“弱さ”は、誰にもあるほほえましい人間味あふれるものだと思う。だが、一部の皇室贔屓の人間たちは、もっと皇嗣らしく毅然としていてもらいたかったと思うに違いない。

最後に、秋篠宮の誕生日会見で首を傾げる発言があったことに触れておきたい。

「眞子さんの体調に影響を与えたとされる週刊誌報道やインターネット上の書き込みについては『誹謗中傷、つまり深く人を傷つけるようなことばというのは、雑誌であれネットであれ許容できるものではありません。一定の基準を設けて、それを超えたときには反論を出すとか、そういう基準作りをしていく必要があると思います』と述べられました。

そして『今後もこういうことはたぶん続くでしょう。その辺も見据えて、宮内庁とも相談しながら、考えていくことは必要だと思っております』と話されました」(NHK政治マガジン11月30日より)

新聞やテレビは大きく取り上げていないが、これは皇室報道の根幹に触れる重大な発言である。

■「宮内庁主導」になれば戦前へ後戻りしかねない

たしかに眞子さんの結婚問題について、宮内庁関係者や秋篠宮家に近い筋などと匿名にしながら、誹謗中傷とも思える報道があったことは間違いない。

だからといって「皇室側が一定の基準を設ける」というのはあってはならないと、私は考える。

宮内庁主導になれば、自分たちの都合のいいように基準を設けることは想像に難くない。

報道を規制していくという発想は、一つ間違えれば戦前へ後戻りしかねない危険があると、私は考える。

サンデー毎日(12月26日号)で保阪正康は、秋篠宮がいった反論権は最も重要であり、これを論じること自体が歴史上初めてとなるとして、

「それが特に議論もなく形を作っていけば、将来由々しき問題になりかねない、との思いもしてくるのだ。なぜなら皇室の問題は報道レベルで基準を作るというのであればわからないでもないのだが、皇室から積極的に出されるということは、言論活動への干渉と受けとられかねない危険性があるだけでなく、当事者が言論活動に口を挟む前例になる恐れもある。

日本の国旗
写真=iStock.com/brize99
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/brize99

無論、秋篠宮は、宮内庁と相談してと言い、具体的にはご自身でその基準作りを主導するとの意味ではないようだが、しかしそういう事態になれば、官僚主導の基準がこの社会で、予想外の方向に向かいかねないとの懸念はある」

■ここにも兄弟の違いが表れているのではないか

秋篠宮は、言論統制にもつながりかねない重大な問題を、なぜこのような場で持ち出したのだろう。

深読みすれば、この機会をとらえ、うるさい週刊誌を規制しようと企む官僚たちが秋篠宮をそそのかし、いわせたのではないのかと勘繰りたくもなる。

秋篠宮は、意に沿わない相手と結婚してしまった娘に対する苛立ちから、うっかり口を滑らせてしまったのかもしれないが、ご自身の影響の大きさを考え、発言に慎重であるべきではなかったか。

ここにも、国民に寄り添い、常に感謝を忘れない天皇と、一時の感情に突き動かされて不用意発言をしてしまう秋篠宮との違いが表れているように思うのだが。

小室眞子さんの結婚問題は、2人がニューヨークへ移り住んでも、まだまだその余波は広がり続けている。(文中敬称略)

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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