「北条義時はなぜ源頼朝に気に入られたのか」教科書には載っていない2人の篤すぎる友情のワケ
プレジデントオンライン / 2022年1月7日 9時15分
■頼朝親衛隊のトップに任命されていた北条義時
2022年のNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の主人公は北条義時である。義時は鎌倉時代初期の武将であり、その後半生は二代目執権として鎌倉幕府の重鎮として権力を持った人だ。なにより、初代将軍・源頼朝にいたく気に入られた人物である。その理由を私は「洞察力だ」と考えている。
治承5年(1181)、義時は頼朝の寝所を警護する者の一人に選ばれている。鎌倉時代に成立した歴史書『吾妻鏡』には「御家人らのうち、特に弓矢の技能に長け、頼朝と心の隔たりのない者共を選び、毎夜、頼朝の御寝所の近辺を警護させることを定められた」と記されている。
寝所警護の武士は11名いるのだが、『吾妻鏡』はその先頭に義時の名を書いている。この事から、義時は頼朝親衛隊のトップに任命されたと考えられる。
■頼朝の不倫発覚で妻・北条政子が激怒
なぜ義時がこれほど厚遇されたかと言えば、一つは頼朝の妻の弟だからだ。伊豆国の豪族・北条時政の次男が義時で、長女は政子である。彼女は頼朝に嫁ぐ。
その延長上で、義時が厚遇されたと見てもおかしくはないだろう。『吾妻鑑』には、頼朝は平家方に対する挙兵に際し、真に大事なことは北条時政にしか話さなかったとあるので、いかに頼朝が北条氏を信頼し重んじていたかが分かる。
しかし、親族というだけで頼朝が義時に気に入られたとするのは物事の一面しか見ていないように思う。頼朝は義時のことを「わが子孫を守ってくれるに違いない」(『吾妻鏡』)とまで絶賛しているのだ。
頼朝がその言葉を発するそもそもの要因となったのは、彼の不倫であった。
寿永元年(1182)11月、頼朝は亀の前という女性を伏見広綱という武士の邸に住まわせて不倫をしていた。妻・政子には内緒にしていたのだが、政子の継母・牧の方が政子に告げ口してしまう。
これに怒った政子は、牧の方の父・牧宗親に命じて、伏見広綱の邸を襲撃・破壊させ、亀の前らに恥辱を与えたのである。広綱は亀の前を連れて、大多和義久の家に避難する。
数日後、大多和邸を訪問した頼朝は、襲撃した宗親を難詰し、彼の髻(もとどり)を切ってしまうのだ。これは今風に言えば、衆人環視の前でパンツを下されるような辱めである。宗親は泣きながら、邸を飛び出していったという。
■「きっと将来、わが子孫を守ってくれるだろう」
ところが、ことはそれで終わらなかった。頼朝の義父・北条時政が怒ったのである。
頼朝が政子をないがしろにしたこともそうだが、牧宗親は、時政が寵愛する牧の方の父だったからだ。時政は頼朝に一言の挨拶もなしに、鎌倉から伊豆に帰ってしまう。無言の抗議である。
さすがの頼朝も慌てただろうが、取りあえずは、部下の梶原景季(かじわら かげすえ)を呼び寄せ次のように依頼したという。
「北条義時は、穏やかな心を持っている。その父・時政は不義の恨みにより、勝手に伊豆へ下国してしまったが、義時はそれに従わないで鎌倉にいるはずだ。義時は鎌倉にいるかいないか、確かめてきてほしい」
景季は義時が鎌倉にいることを確かめ、「義時は下国しておりませんでした」と頼朝に告げる。すると、頼朝はわざわざ景季を再度、義時の邸に遣わして自らのもとに呼び寄せ「そなたはきっと将来、わが子孫を守ってくれるだろう」と褒めるのである。
それだけではなく「後で恩賞を与えよう」とまで言っている。義時は「恐縮でございます」とだけ言い退室した。
頼朝は、義時が時政に従わず鎌倉に残ったことが余程うれしかったに違いない。
■なぜ義時は父についていかず鎌倉に残ったのか
人によっては、このエピソードを「義時は何もしていない。夜、家にいたら、呼びつけられて褒められただけである。むしろ、この積極性のなさが義時の人生の特徴である」(細川重男『執権』講談社、2019年)と少し辛口に解釈するむきもある。
しかし、私は「義時が何もしていない」「棚からぼた餅で頼朝のお褒めに預かった」とは思わない。父・時政に従わず、鎌倉にとどまっていたということ自体を一つの「行為」だと感じているからだ。
義時は、実父である時政よりも頼朝を優先したのだ。時政の下国を不快に感じていた頼朝は、義時を「私の心を察し、実父に従わなかった」ので褒めているのだ。さらに、忠誠心だけでなく、先を見る力と適切な行動ができるイメージを頼朝に与えたに違いない。だから「わが子孫を守ってくれるだろう」と頼朝は感じたのである。
「義時は穏やかな奴だから」という理由だけで、褒めたのではないと思う。単なる穏やかな心の武将では、いざというときの頼りにならないし、上司には愛されない。
■2人は似たもの同士だった
頼朝の身辺に近侍していた義時だが、世の動乱がそれを許さないこともあった。
元暦元年(1184)8月、平家方討伐のため、源範頼(頼朝の異母弟)の軍に属して西国に下向した。彼らは豊後国(現在の大分県)に渡り、少弐種直(しょうに たねなお)の軍勢と合戦を行い、これを討ち取る。
その知らせを鎌倉で聞いた頼朝は大いに喜び、義時を含む御家人12名に対し、西海における大功を称賛する手紙を送った。その書状は義時のみに宛てて出されたものではないが、頼朝の義時に対するイメージはさらにアップしたに違いない。
ただ、義時には平家方追討の戦場で敵を討ち取ったなどの武勲はない。どちらかと言えば、範頼を補佐する立場であったのだろう。とはいえ、豊後に渡海する時に先陣であったので、勇気がある武将だったように私は感じる。
平家滅亡後の文治5(1189)年、奥州藤原氏を頼朝が攻めた時も義時はそれに従軍している。しかし、その戦場においても義時が武勲を立てたという話はない。頼朝に近侍していたのだろう。西国に出陣していた時を除いて、義時は常に頼朝の側にいた。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の紹介文に「源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男 二代執権・北条義時」との表現があるが、それもあながち誇張ではなかろう。頼朝の挙動を見る機会が豊富にあったからだ。
ちなみに、頼朝は幕府を開いた初代将軍ということで、さぞかし戦場で手柄を立てたように思われているかもしれないが、意外にもそうではない。治承4年(1180)、平家に対し挙兵した時に石橋山の戦いで実戦経験がある程度である。
頼朝と義時は、ある意味、似た者同士と言える。
■恋の成就に一役買うことも
建久3(1192)年には、頼朝が義時の恋のキューピッドを務めることもあった。
2年ほど前から、義時は姫の前という幕府の女官に恋をしていた。彼女は、頼朝の乳母(比企尼)の親族・比企朝宗(ひき ともむね)の娘で、相当の美女だったようだ。
義時は何とか結ばれたいと思い、幾度も手紙を送るが、全然相手にされなかった。ところが、その話を聞いた頼朝が姫の前に対し「義時から離縁しないとの誓いの文書を受け取ったうえで、義時のもとへ嫁げ」と勧めたので、最終的に義時の恋は成就するのであった。
望みを達した義時は、頼朝に対しさらなる忠勤を励むことを誓っただろう。頼朝もわが子のように手塩にかけて育てた者が喜ぶのを見て、うれしかったはずだ。
頼朝の義時への態度は、保護者的であり父親的である。とはいえ、頼朝も単に困っている義時を助けたいと思うだけで行動したわけではないだろう。
北条氏と比企氏という二大氏族を結びつけて、将来、幕府を安定させたいとの願いもあったはずだ。
■突然の主君の死に義時が思ったこと
しかし、頼朝との別れは突然やって来る。建久10年(1199)1月に突如、頼朝は死去するのだ。一説によると、御家人・稲毛重成(いなげ しげなり)の亡き妻の追善のために相模川にかけた橋の落成供養の帰途に落馬したのが死因であるという。
ちなみに、稲毛重成の亡妻は、義時の妹である。
妹の追善供養の帰途に敬愛する主君を災いが襲う。義時の悲しみは相当深かったに違いない。その一方で、義時は頼朝の嫡男・頼家を全力で支えるとの思いを深めていたのではないだろうか。
事実、頼朝の死後、北条氏は、梶原氏、比企氏、畠山氏、和田氏といった有力御家人を謀略や戦により、次々に打倒していく。
義時は、三代将軍・源実朝を廃そうとする父・時政と対立し、父を政界から追放する。
その後、彼を打倒しようとする後鳥羽上皇との戦い(承久の乱=1221年)にも勝利し、主君・頼朝が開いた鎌倉幕府を強固なものにすることに成功したのだ。
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作家
1983年生まれ、兵庫県相生市出身。歴史学者、作家、評論家。姫路日ノ本短期大学・姫路獨協大学講師を経て、現在は大阪観光大学観光学研究所客員研究員。著書に『播磨赤松一族』(新人物往来社)、『超口語訳 方丈記』(彩図社文庫)、『日本人はこうして戦争をしてきた』(青林堂)、『昔とはここまで違う!歴史教科書の新常識』(彩図社)など。近著は『北条義時 鎌倉幕府を乗っ取った武将の真実』(星海社新書)。
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(作家 濱田 浩一郎)
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