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「匿名ブログで書き捨てるとスッキリする」僕がブログを20年以上も続けている本当の理由

プレジデントオンライン / 2021年12月30日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/littlehenrabi

日々の暮らしでわきあがる悩みには、どう向き合えばいいのか。ブロガーのフミコフミオさんは「『書く』ことを始めるといい。物事を柔軟に考えられるようになり、自然と悩みも解消する」という――。

※本稿は、フミコフミオ『神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する』(KADOKAWA)の一部を再編集したものです。

■「悩み」を自分の力にすることができる

「書けるようになるためには、どうすればいいのか」という本題に入る前に、書くことによって得られるものを列挙しよう。「こんな良いことがあるのか!」というポジティブな効果を確認しておいたほうが、ヤル気が出てくるだろう。

【書くという行為を通じて得られるもの】
・悩みや迷いが消える。
・やりたいことが見つかる。
・良い人間関係が築ける。
・充実した毎日が送れるようになる。
・文章が思いのままに、爆速で書けるようになる。
・自分の武器となる個性が見つかって、さらに磨き上げられる。
・多くの人に読まれるブログが書けるようになる。

僕は、20代の終わりから30歳にかけて、大きなものから、ささいなものまで、いろいろな悩みを抱えていた。

たとえば、お決まりの

「同期の奴らが苦労なくノルマをこなしているのに、なぜ自分はノルマ達成に四苦八苦しているのだろう。能力が足りないのだろうか」
「上司が理不尽なほど自分にキツく当たってくる。嫌われているのだろうか」

といった仕事の悩みから

「このままボーッと息をしているだけで人生を終えてしまっていいのだろうか」
「なぜ人は争い、殺し合うのだろう。どうして戦争はなくならないのだろう」
「ノストラダムスの大予言で示された人類絶滅が数年遅れで現実になるのではないか」

といった哲学的な悩みまで。

数え上げれば、両手の指の数でも足りないくらいだ。でも、「書くこと」でほとんどの悩みは解消した。

今、振り返ってみると、悩みとは「可能性」だった。だから今、悩んでいる人は、安心してほしい。「悩んでいる状態」とは、真剣に人生と向き合っている状態だからだ。

「のほほ~ん」と生きている人よりも、人生を切り拓く可能性、成長する確率は高い。

書くことで、悩みと向き合える。悩みが糧(自分の力)になり、それをベースにまた新たな悩みと対峙できる自分になる。新たな悩みについて書くと、それが新たな糧になる。

「書き続けること」は地味で地道な行為だ。だが確実に、年輪を重ねる大木のごとく成長できるようになる。「書くこと」で、「悩み」を「可能性」に変えられる。「悩み」を自分の力にすることができる。

■物事を柔軟に考えられるようになった

「フミコ先生の文章は世界観がしっかりしているので、一発でわかります。今の世の中には書きたくても書けない人、世界観が持てなくて悩んでいる人がたくさんいますよ」

執筆
写真=iStock.com/J-Elgaard
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/J-Elgaard

担当編集者からそう言われて、驚いてしまった。その指摘されるまで、「自分には確固たる世界観がある」という自覚がなかったので、意表を突かれたのだ。

それから、僕の意識は180度変わった。

少々おこがましく聞こえてしまうかもしれないけれど、「書きたくても書けない人」「世界観が持てなくて悩んでいる人」に、僕が体得してきたものを届けられるのではないかと気付いたのだ。

「何の取り柄もない、普通のサラリーマンの僕だけど、『書くこと』についてなら、誰かのお役に立てるかもしれない」
「かつての僕のように必要以上に悩みを抱えてしまっている人を楽にしてあげられるかもしれない」

そう思うと、「これまでの経験とそこで得た技術をわかりやすく言語化し、ノウハウ化してみたい」という欲求がむくむくと首をもたげてきた。

そして、手始めに「書くこと」を切り口に、自分の過去を振り返ってみた。すると、書いた文章をネットにアップし始めた時期から、人生や世の中の見方や自分の態度が明確になり、物事を柔軟に考えられるようになっていたことに気付いた。

悩みとの付き合い方がうまくなり、世の中の変化への対応が苦にならなくなった。たいていのことでは、ビビらなくなっていた。

■「書くこと」は人生のトレーニング

理不尽な事件への憤りや、将来への不安。面白くない仕事や迫りくるノルマ、一筋縄ではいかない上司、わがままなクライアント……。

そういった自分を取り巻くものに対して、大相撲の取組のように真正面からぶつかるだけでなく、往年の名ボクサーであるモハメド・アリのディフェンスのように華麗にかわすことができるようになった。

たとえば、無理難題を押し付けてくる上司について、「上司」「なぜ」「無理難題」をキーワードにして書くことで、「上司自身の焦り」のあらわれだと気付き、「彼は慌てているだけなのだ」と精神的に優位に立ち、冷静に対応できるようになった。

ひとことで言えば、トレーニング不足なのだ。ボクシングであれ、現実社会であれ、インターネットであれ、トレーニングなしで実戦に臨めばノックアウトされるのは確実。「書くこと」は人生のトレーニングだ。書くことによって、明日をどう生きるかシミュレーションすれば、自分なりの戦い方を見つけられる。

書き続けることで、自分なりの戦い方を鍛え上げていく。それが「書く」という行為だ。

■「書き残す」ではなく「書き捨てる」

「どうすれば書けるようになるのか?」という問いへの答え。

それは「『書き捨て』をしよう」である。「書き捨て」とは、僕が苦難に満ちたサラリーマン生活を経て、やっと辿たどり着いた、オリジナルのメソッド。

文字通り、紙にシャーペンやボールペンで思うがままに書いて、あとに残さないで捨てるという手法を指す。もちろんあなただって、今までに何度も「書き捨て」を経験しているはずだ。何枚もの紙にアイディアを書き、丸めては捨て、破っては捨て……。

むしろ「『書き捨て』なんて、したことがない」という人のほうが珍しいかもしれない。ただし、この手法は、無意識に行っても効果は期待できない。明確な目的意識が伴ってこそ、人生をより良いものに変える数多くのメリットをもたらしてくれる。

僕はこれをずっと続けている。心に引っかかったものについて、書いては捨てる。残さないからこそ、自由に、自分の言葉で書くことができる。

いったい、どういうことか、お話ししてみよう。

「書いたものは、残す」というマイルールを自分に課した場合。それは少なからずプレッシャーとしてのしかかってくる。ブログなんて特にそうだ。もちろん、ボタンひとつでいつでも削除できる。とはいえ「残す(世間様に公開する)」と決めた時点で、いかに慣れている僕でも肩に力が入ってしまう。

ツイッターなんて、なおさらだ。ツイッターは文面の修正がきかない。たった140文字といえども、誤字脱字の心配、“炎上”などの反響を考えると、なかなか気軽につぶやきにくい。

■書き捨てはひとりカラオケ

残すことがプレッシャーになってしまうくらいなら、あらかじめ、「書いたものは、捨てる」と決めてしまったらどうだろう。気持ちが軽くなり、いくらでもペンを動かせそうだ。

すると、心が自由にのびやかになり、それまでは感知できなかったことにまで、気付けるようになる。フィールドが広がる。それは、とても大事なことだと思う。

たとえば「筆がすべる」なんて言葉がある。「調子に乗ったあまり、余計なこと(間違ったこと)を書いてしまう」というネガティブな文脈で使われる言葉だけれども、それでいいんじゃないか。だって、自分のなかから自由自在に言葉が沸き上がってくる状態になるだけでも、素晴らしいことなのだから。書くことくらい、自由に、調子に乗ってしまおうじゃないか。

メモやノートや予定帳のように「書き残すもの」には、あとで読み返して勉強の参考にする、記憶を補塡するといった、何らかの意図と目的がある。読み返すためには、ある程度体裁を整える必要もある。

それに対して「書き捨て」は、残さないことを前提にしているので、目的や意図や必要性に縛られない。体裁を整える必要もなく、気楽に自由に書ける。むしろ、ぐちゃぐちゃでもいいくらいだ。

たとえば、同僚の前で、ふと心に浮かんだくだらないアイディア(しかも言語化されていない)をホワイトボードにそのまま書けるだろうか。難しい。「錯乱したのか」と白い目で見られてしまう危険性もある。

オーディエンスがいると自由に心のままに書けないのだ。だが、誰にも見せない、将来見返すこともない、書き捨てなら、どんなことでも書ける。自分以外には理解不能な言葉や図で書いてもいい。

書き捨てはひとりカラオケだ。観客のいない、ひとりカラオケなら、音程を外そうが歌詞がめちゃくちゃだろうが自由になれる。アレンジだって自由自在。書き捨ては、ひとりカラオケと同じように、ルールや常識から逸脱して自由になれるのである。

■「書き捨て」とは

①紙に書く(裏紙でいい)。
②残さない意識を持つ。
③消しゴムや修正液で消さない(削除は線で)。
④必ず捨てる(人に見られるのが心配な人はクシャクシャに丸めてもよい)。

フミコフミオ『神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する』(KADOKAWA)
フミコフミオ『神・文章術 圧倒的な世界観で多くの人を魅了する』(KADOKAWA)

僕の場合、書き捨てによって、自分の立ち位置が明確になり、世界観が構築された。その世界観からの観察をベースに、ブログを書くようになってから、読んでくれる人も次第に増えていった。文章を通じて僕という人間に興味を持ってくれる人が増えてきたのだ。

僕が書き捨ててきたテーマは、

「仕事がうまくいかないのはなぜか」
「若手や上司とのあいだにあるジェネレーションギャップとどう付き合えばいいのか」
「チームのマネジメント上で、経験のない問題に直面したときの打開策」
「企画提案で他社を圧倒できるアイディアを発想したい」

といったところだ。

普通に生きている人にありがちな、ありふれた、しかしながら一筋縄では解決できないものばかりだ。

書き捨てを続けていくうちに、「このままじゃダメだ」という焦りと悩みがまじったモヤモヤした気分も次第に晴れていった。以来、今日まで楽に生きられている。気が付くと、ブログと書き捨てを始めてから20年近くの年月が経っている。

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フミコ フミオ(ふみこ・ふみお)
ブロガー
1990年代末からネット上に文章を発表し始め、食品会社に勤務する普通の会社員でありながら、著名人をおさえてブログの読者登録数はトップクラスを誇る。「書くことで平凡な日常を特別なものに変えられる」を信条にネットに文章を書き続けている。目標は、誰もが他人の目を気にせず自分の言葉で語れるような真の自由があるネット社会の実現と、普通の人がブログやSNSに書くだけで充実した人生を送れるようになる土壌をつくること。

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(ブロガー フミコ フミオ)

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