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「4人の警備に3万5000人を投入」ビートルズの伝説の日本公演でみせた警視庁の本気

プレジデントオンライン / 2022年1月1日 12時15分

ザ・ビートルズの日本公演で、会場周辺を警備する警官=1966年6月30日、東京都千代田区の日本武道館 - 写真=時事通信フォト

1966年、ビートルズは日本武道館で初の来日コンサートを行った。このとき警視庁は3万5000人を警備に投入したという。民間のイベントにかかわらない警察は、なぜそこまでの態勢をとったのか。ノンフィクション作家の野地秩嘉さんが書く——。

※本稿は、野地秩嘉『ビートルズを呼んだ男』(小学館文庫)の一部を再編集したものです。

■正式発表の前から、来日公演の詳細を把握していた

協同企画(現・キョードー東京)の永島達司とブライアン・エプスタインの間でビートルズ来日について大枠が決まったのが、1966年3月の末であり、永島が日本に戻ってきたのは4月9日だった。帰国した永島は公演の主催を東芝と読売新聞社に依頼することにした。

急に多忙になった永島が不在の時、銀座から青山に移転したばかりの協同企画の事務所に警視庁警備課の人間から一本の電話がかかってきた。

「ビートルズ来日公演の件で当日の責任者は早急に本庁の警備課までご足労願いたい」

闇ドルで逮捕された樋口玖のスワン・プロが倒産した後、協同企画に移ってきていた上條恒義は「まだ正式に発表したわけじゃないのにどうして来日を知ってるんだろう」といぶかりながらも、場内警備の担当者として桜田門の警視庁に赴いた。上條はその時の印象をこう語る。

「警察が知っていたのは来日公演の日時や場所だけじゃないんです。ビートルズがどういうグループで、日本にはファンクラブがいくつあって、そのクラブの責任者の名前から経済状態がどうなってるかまで全部調べて知っていました。イギリスに駐在している警察庁の役人まで動員して情報を集めたというから、僕は日本の警察というのは本当にすごいと、つくづく感心しました」

■いきなり「警備計画を見せろ」と詰め寄られた

桜田門に呼び出された上條は初対面の挨拶もなく、いきなり「警備計画を見せろ」と詰め寄られたのだが、もちろん、そんなものはまだできてはいない。「至急、提出すること」と注意され、作成することを約束し事務所へ戻ってきた。

その当時、警視庁を代表してビートルズ公演の警備の指揮をとり、協同企画の上條を指導する立場にあったのは本庁警備課長の山田英雄であった。

「私は永島さんのところが大した規模じゃないことが心配だった。小さな会社が責任を負えるはずもないから、協同企画には厳しく応対しなきゃいかんと思った。ビートルズの公演なんてものは民間の営利事業なんだから、本来は主催者の責任でやるものです。主催者にしっかりしてもらうことがともかく肝要だと思ったわけですな」

東大法学部からキャリア官僚として警察に進んだ山田は、この当時34歳だった。彼はその後、警察官僚としてはトップである警察庁長官まで上りつめている。彼が現役の間、日教組のストに対する全国捜査や日韓基本条約反対闘争に対する警備など大きな事件をいくつも担当することになったが、マスコミに引っ張り出される時はつねに「ビートルズ警備の担当者」の肩書きがついた。

■「脚の1本くらい折れても」という女子が大量発生する恐れ

その当時、警備課には治安、雑踏、災害の3区分があり、ビートルズ公演のような大勢の観客を集める催し物は正月の初詣と同じ雑踏警備のカテゴリーに入っていた。山田の弁にもあるように本来ならば音楽会の警備は主催者の問題であり、大スターだからといって、警察が管掌することはない。

しかし、ビートルズの場合は特別のケースとされた。彼らが香港で行った公演で会場が混乱し、負傷者が出たという情報が警察の上層部を刺激したのである。上層部より「日本では絶対に騒ぎを起こさせるな」との指示が下り、所轄の警察署でなく本庁の山田が現場の指揮をとることになったのだ。

「私の警備のやり方というのは準備が99パーセント。準備さえしておれば当日を恐れることはない、というものだった。それで私は会場が武道館と決まった時にとりあえず下見に行ったんだ。むろん公演の前のことです。確か夕暮れだった。少女が2、3人たむろしていた。中学生くらいのごく普通の女の子たちです。

私が気軽な調子で『ビートルズを見に来るの』と声をかけたら、『もちろん』と言う。そして話をしていくうちに、脚の1本くらい折れてもいいから客席から飛び降りて舞台に行ってキスしたい、と言い放ったんだよ。その少女があまりに真剣な顔だったから、私たちはなんとも驚いた。これは聞きしに勝るものがある、容易ならざらん事態になる、とね。こんな考えの女の子が大量に出現するとしたら、これは一大事だと思って驚愕したんだ」

■今回の警備では「催涙弾や放水」はNG

山田は警察官としてはアイデアの豊富な男だった。

彼が警察に入った頃、警察官の地位は戦前に比べて低くなっていた。しかも国民一般からは「国家権力の手先じゃないか」と微妙な反感を買っていた時期でもあった。一般の犯罪捜査については国民の理解を得られていたものの、デモや労働争議のような社会運動に対する捜査はやりにくい時代に警察で育ったのだった。

デモ隊めがけて放水でもしようものなら衣服に対する損害賠償裁判を起こされ法廷に立たされるような頃であり、強圧的な警備など考えられない状況だった。そのため山田はさまざまな策をひねり出さざるを得なかったのだ。

彼は警備の時に催涙弾の使用はおろか、放水もせず、相手方に怪我をさせてはいけないし、警察官も怪我をしないようなソフトな警備方法を考え出し、それをやり通すことをモットーにしたのだった。

敵にも味方にも怪我人を出さないためには相手の戦意を失わせることが必要である。そのためにひとりでも多くの警察官を動員することにした。次に装備を近代化させた。ヘルメットや籠手(こて)を着用させ、サンドイッチ警備という、機動隊員がデモ隊を両側からはさむ方式を開発した。そんな警備に関しては経験の豊富な山田が、ビートルズ公演に対して本腰を入れることになったのだった。

■舞台に近寄らせない、アリーナへの飛び降りを許さない

日本の官僚システムというのは前例があった場合はすべてそれに準拠するが、前例のないことについては現場が会議を重ねた結果、対応が大げさになってしまう傾向がある。ビートルズ来日の時がまさにそうだった。警察は海外スターの護衛という初めての事態に過剰に対応し、会議に次ぐ会議を重ねたのだった。

会議の最中、山田の頭につねに浮かぶのは、武道館にいた女子中学生の「たとえ脚が折れても」というひとことである。彼は協同企画との会議の席上で「日本武道館の一番下のフロアにあたるアリーナには客席を作らないように」と厳しく要請した。アリーナには観客の入場を許さず、警備にあたる警察官だけがビートルズの周囲を固める布陣を敷いたのである。さらに八角形のアリーナを上から見下ろす形になる2階席、3階席の最前列には、鉄パイプで作られた高さ2メートル、幅1メートルの防護柵を設置することを決めた。

武道館の外観
写真=iStock.com/Sanga Park
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Sanga Park

「何人たりとも舞台に近寄らせない。アリーナへの飛び降りを許さない」というのが警視庁の基本戦略となった。つまり、上陸を狙う敵がいる場合は水際でそれを叩くべしというのが彼の作戦意図であった。

最後に山田が決定したことは、民間を対象にした警備では空前絶後であり、当日までは協同企画にもマスコミにも伏せておくことにした。彼はビートルズの警備にあたる警察官全員に白手袋の着用を命じたのである。

■「たかが不良の音楽会にどうしてここまで」

「相手は少女だが、押し戻すためには体に触れなきゃいかん場合もある。だが、その様子をマスコミにへんに誤解されてはたまらない。それで白手袋を使うことにした。警察官は皇室や国賓の警備以外では白手袋をはめないことになっていた。白手袋をはめるのは御警衛という特別の場合に限られていた。しかし、あの時は決断した。白手袋をはめていれば御警衛の時の気持ちになる。そうなればファンがいくら過激な行動に走っても警察官は手荒なことはできないだろうと思ったのです」

山田はその後もビートルズについての情報収集を怠ることはなく、手に入れた情報は警備担当の警察官たちに即座に伝達した。公演当日までに二十数回も警備会議を重ね、さらにはイギリスへの照会や海外での警備プランを手に入れる努力もした。出席者のなかには「たかが不良の音楽会にどうしてここまで」と疑問を感じるものもいたが、山田はそのたびに「少女の覚悟」について話をし、上層部からの指示を守るのが吏としての務めであると訓示した。

ある会議の席上、レコードプレーヤーと一枚のレコードが用意された。エレキサウンドに「イエー、イエー、イエー」とかん高いコーラスがダブるビートルズの歌声が会議室に流れたのだが、出席者たちは咳ひとつせず、神妙な表情で音楽に耳を傾けた。それはとても不思議な風景ではあったが、出席していた警察官たちは真剣であった。武道館が戦場になる以上、少しでも敵を知るためにはすませておかなくてはならない大切な儀式のひとつだったからである。

■会場内管理のため消防も出動

ビートルズ来日公演の警備は警視庁が一手に引き受けたわけではない。

映画館や劇場、またはホテルへ行くと、丸に「適」と書かれたマークが貼ってある。あれは消防署が決めた防災の適合基準に合格し、しかも防火管理体制が整っている施設に対してだけ交付するマークであり、その証書をよく見ると各地域の消防署名が記載されている。つまり、劇場のような公衆集会所の場内管理は警察ではなく消防の業務となっているのだ。警察は主に場外を担当し、場内に着手する時は犯罪行為があった時に限られている。

ビートルズ公演の時は警備の規模が大きかったこと、またビートルズの4人をガードする警察官が同行していたせいもあり、警察が日本武道館のなかにまで入ってきた。しかし公共の警備の場合、基本はあくまで場外が警察、内部は消防が担当することになっているのだ。

「まあ、警察も消防もある時期までは同じ内務省に所属していましたから」

と語るのは当時、日本武道館を管轄していた麹町消防署の予防課長、新井覺である。新井はビートルズ公演の責任者として現場の指揮をとった。クラシック音楽が好きだった彼は、警備の担当者になるまでビートルズの音楽など一度も聴いたことはなかった。そもそも彼が想像できた音楽会というのは日本武道館のような広い場所で行われるものではなかった。

■署員240人を動員する計画に「君は正気か」

「警備のやり方は想像がついたのですが、ビートルズというものを理解するのに時間がかかりました。いや、結局のところ、彼らの音楽を理解することはできませんでした。もう40になってたでしょう。年代的にわからないんです。歌と言われてもカラオケもない時代のことです。どこかで一杯飲んだ時にみんなで手拍子叩いて歌うくらいでしたから。

合同会議で会った警視庁の連中は、イギリスにふたりくらい出張させて調べてたからビートルズの動静については詳しかったのですが、それでも音楽についてはぜんぜんわからん、あんな音楽のいったいどこがいいのか見当もつかんと言ってました。私もいわゆるジャズをやる連中だな、くらいにしか考えなかった。

ただ、香港の公演では怪我人が出たとか、パニックになったというから、これは大変な騒ぎが起こるだろうと覚悟しました。そこで私は都内の各消防署から合計240名の署員を動員する計画を立てて、本庁の上司に提出したわけです。警察官も加わるとはいえ、武道館の内部に240人なんてパラパラですよ。私はこれじゃ人員が少ないかな、と思ったくらいなんだ」

ところが本庁に呼び出された新井は叱り飛ばされた。

「君は何を考えておるのか。いったい正気かね。たかが音楽会にどうして240名もの人員が必要なんだ」

マイク
写真=iStock.com/Vershinin
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Vershinin

■2階の客席からアリーナまでの高さを測り…

新井はさんざん絞られ、そして「人員は半分以下にしろ」と指示された。新井はビートルズのファンのすさまじさについてしどろもどろに上司に説明したものの、「頭がどうかしたんじゃないか」とまったくとり合ってもらえない。結局、一から計画を練り直さざるを得なくなった。

「その後のことになります。私は部下と一緒に武道館へ下見に行ったんですよ。あそこは10円や20円の安い入場料をとって誰もが内部を見学できるようになっていたのですが、私たちが行った時、若い女の子が大勢、内部を見学しに来ていました。女の子たちは客席の配置図を写し取ったり、控え室への通路を調べたり、極端な連中は2階の客席からアリーナに巻き尺を垂らして寸法を測ってた。あれは飛び降りるつもりだったんですね。驚きました。あんなことがあったのはビートルズだけでした。

『何でそんなに騒ぐの、おじさんたちなんかビートルズが来たら嫌でも一緒にいなきゃならんから困っちゃうよ』とまあ、軽口を叩いて、その場を後にしたわけです。そうすると、なかのひとりがすーっと近寄ってきて、おじさんの名前と住所を教えてくれ、おじさんの言うこと何でも聞くからビートルズが触ったものをひとつ持ってきてくれ、と言うんですよ。これは冗談のひとつも言えない、と背筋が寒くなりました」

■「ビートルズは女王陛下からの音楽使節と考えられる」

現場の下見から戻った新井が警備のための署員を増員しなくてはならないのではと考えていた頃、消防庁のトップには自治省を経由して外務省から連絡が入ってきた。

〈ビートルズはわが国の皇室とゆかりの深いイギリス王室から勲章をもらっている。よって今回の来日はエリザベス2世女王陛下からの音楽使節と考えられる。関係各位は来日中のことについて、充分に考慮して接遇されたい〉

新井は再び本庁へ呼ばれた。

「新井くん、こういうわけだから計画はもう一度考え直さなくては」
「いえ、しかし、もう計画は決定し動いてます」
「いいから、とにかく君の前の計画をもう一度提出しなさい。そちらを実施にうつすことにする」

野地秩嘉『ビートルズを呼んだ男』(小学館文庫)
野地秩嘉『ビートルズを呼んだ男』(小学館文庫)

麹町署に戻った新井は前の計画書をひっぱり出し、さらに消防署員を増員した案に仕立て上げ、それを本庁に提出した。

警察がビートルズ日本公演を戦場ととらえているとすれば、消防の覚悟はそれを上回っていたかのようだ。それは消防庁始まって以来、空前の大警備計画が採用されたことにも表れている。しかし、警視庁の約4万人いる警察官に対して、消防の東京管区職員は1万8000名と規模が小さかった。ゆえに動員能力も限られている。新井は警察の山田とは違って少ない手勢を率いて、全国から大挙押し寄せてくるビートルズファンとの激突に策を練らなくてはならなかった。

なんといっても主戦場は警察が担当する日本武道館周辺ではなく、新井が指揮をとる武道館の内部だったからである。

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野地 秩嘉(のじ・つねよし)
ノンフィクション作家
1957年東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業後、出版社勤務を経てノンフィクション作家に。人物ルポルタージュをはじめ、食や美術、海外文化などの分野で活躍中。著書は『トヨタの危機管理 どんな時代でも「黒字化」できる底力』(プレジデント社)、『高倉健インタヴューズ』『日本一のまかないレシピ』『キャンティ物語』『サービスの達人たち』『一流たちの修業時代』『ヨーロッパ美食旅行』『ヤンキー社長』『京味物語』『ビートルズを呼んだ男』など多数。『TOKYOオリンピック物語』でミズノスポーツライター賞優秀賞受賞。noteで「トヨタ物語―ウーブンシティへの道」を連載中(2020年の11月連載分まで無料)

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(ノンフィクション作家 野地 秩嘉)

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