箱根駅伝の優勝本命「男だろ!」が物議の駒大・大八木監督、"秘伝のデータ"をささやき選手伸ばす知られざる側面
プレジデントオンライン / 2022年1月2日 6時15分
■箱根駅伝の優勝候補・駒澤大学、大八木監督の「知られざる側面」
「男だろ!」
前を走る選手を後方の車から鼓舞するその力強い声が沿道に響く……。もはや箱根駅伝名物と言ってもいいだろう。日焼けした肌に、鋭い眼光。還暦をすぎてなお、ギラギラしたものを放っている。
駒澤大・大八木弘明監督(63)。
多くの読者は、「体育会体質の昭和の人」だと感じているだろう。筆者も最初はそう思っていた。でも違った。実際は逆で、非常に緻密で繊細でインテリジェントな人だったのだ。
指導者としてはこれまで、出雲・全日本・箱根の学生3大駅伝でチームを最多「24」の優勝に導くなど「超一流」の実績を誇る。では、自身の選手時代はどうだったのか。聞けば、これがかなりの苦労をしたようだ。
「辛酸をなめた経験が現在の指導スタイルの“源”になっていますね」
■若き日の大八木弘明、その苦労
福島県出身の大八木監督は中学3年時にジュニア選手権(現在のジュニアオリンピック)の3000mで5位に入ったが、会津工業高では故障と貧血で思うような活躍はできなかった。
さらに家庭の事情により大学進学を諦めざるをえず、高校卒業後は小森印刷(現・小森コーポレーション)に就職。そこで競技を続けることになった。
当時は競技面で優遇される現在の実業団とはまったく異なる。
大八木監督は「部品管理」を任されており、主にラインに決められた部品を運ぶのが仕事だった。季節によって使える時間帯は変わるものの、就業中の練習時間は1~2時間しかない。その後はまた通常業務に戻り、残業もこなして、帰宅は22時ごろになることも多かったという。フルタイム勤務に近いかたちのなかで、ガムシャラに練習を続けた。そのなかで競技力をあげていくと、高校時代に抱いていた“夢”が大きくなっていった。
「やはり箱根駅伝への憧れがありましたね。福島県内の同学年でも大学に進学して箱根を走った選手もいました。だから箱根を走ってみたいなという気持ちと、大学に行くなら強くなってから進学しようという考えがあったんです。なぜかというと、自分ひとりでやれるものを身に付けてから行けば、監督を頼りにしなくても結果を残せると思ったからです。また将来は指導者になりたいなという気持ちもありました」
![駒澤大学駅伝部のHP](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/a/670/img_9acaf94471b08f20a5771ed8f903018f379574.jpg)
大八木監督が駒澤大学経済学部2部(夜間部)に入学したのは24歳。「勤労学生」として川崎市役所で働きながら夢を追いかけた。川崎市役所の出社は朝8時半。16時半に退社して、夜は大学に通った。一体、いつトレーニングをしていたのか。
「朝練習はやったりやらなかったりでしたけど、昼休みにやっていましたね。12時から8kmくらい走って、すぐに昼食を食べて、13時から仕事をしていました。夕方は授業までの間に1時間半くらいは練習できたんです。職場近くに東急のグラウンドがあったので、そこでよく練習をさせてもらっていました。かなり集中してやっていましたね。平日はスピード練習が中心で仕事のない土日に時間のかかる距離走。そういうパターンを自分で確立してやっていました」
そのなかで箱根駅伝は1年時(84年)に5区で区間賞、2年時は2区で区間5位、3年時に2区で区間賞。4年時は年齢制限(当時は27歳以下)のため出場できず、伴走のジープに乗り込み、選手たちを鼓舞している。
「練習後は、バイクで丸子橋を渡って大学まで行くと20分もかからない。とにかく時間が限られているので、自分で細かくスケジュールを立ててやっていました。分刻みで、毎日かけずりまわっている感じでした。昔から逆算しながら自分で計画を立てて動いていたので、その経験が今の指導にも生きていますね。スケジュールがパンッと当たると、結果も出るんです。ただ、あんなことを今やれと言われてもやりたくないよ。無我夢中で箱根を目指したし、指導者にもなりたかった。当時は『絶対にやるんだ』という気持ちだったのでできたんだと思います」
現在、箱根駅伝を本気で目指しているチームでアルバイトをしている選手はまずいないし、授業料免除の選手も少なくない。興味深いのは、大八木監督は当時の苦労話を選手たちにあまりしていないことだ。
「今の選手は想像できないですよ。ぽかんとなっちゃうから(笑)」
これだけ多忙なスケジュールは決して「気合」や「根性」だけでは乗り切れない。緻密な計画と、自己管理があったからこそなせる業だ。
■過去のデータを参考にして、0.5秒遅くても注意する
大学卒業後はヤクルトで6年間の実業団生活を送り、選手として4年、残り2年はコーチとして活躍した。そして36歳のときに母校に戻ってきた。1995年のことだ。当時の駒大はどうにか予選会を通過できるようなレベルだった。チーム力を伸ばすために、大八木監督は“スーパーエース”を育てることを一番意識したという。
「とにかくエースを育てないとチームはまとまらないと思ったので、最初にエースを育てたいと思っていました。エースがいれば、みながついていき、チームの方向性が固まる。組織はまっすぐ進んでいきますよ」
コーチ就任1年目に入学した藤田敦史(現・駒大コーチ)がスーパーエースに育つと、チームは変わっていく。箱根駅伝は就任2年目の1997年に復路優勝。同4年目の1999年には往路を初めて制した。藤田の背中を追いかけてきた選手たちが育ったことで、2000年に初の総合優勝に輝くと、2002年からは4連覇を達成。いつしか駒大は「平成の常勝軍団」と呼ばれるようになっていた。
近年はGPSウオッチなどでさまざまなデータを蓄積できるが、大八木監督はアナログなやり方ながら過去の練習日誌などを丁寧に保管。継ぎ足しながら作られる“秘伝のタレ”のように長年蓄積してきたデータを指導の“スパイス”にしてきた。
筆者が驚いたのは、夏合宿で使用している長野・野尻湖のデータだ。大八木監督が現役時代から使用しているコースでもあり、ある特定区間のラップタイムをすごく気にしていた。大八木監督のなかでは参考にすべき数字があったのだろう。
「藤田が福岡国際マラソンを2時間6分51秒で走ったときのデータもありますし、もちろん箱根駅伝のものもある。どこのコースでどれだけのタイムで何人やったとか。過去のデータを参考にしながらチームの状態を確認しています」
![ストップウオッチ](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/9/5/670/img_95b42222f7cadde999a517957fcc1948344280.jpg)
また大八木監督は設定タイムについても非常に厳しい。トラックのスピード練習では400mトラック1周で「0.5秒」遅くても注意する。反対に「1秒」速くても許さない。
ペースをキッチリ守るということはトレーニング成果にもかかわってくるだけでなく、単独走となる駅伝では非常に重要なスキルとなる。4連覇時代、駒大のミスが非常に少なかったのは、練習時の細かいタイム設定があったからだ。
しかし、駒大は2008年を最後に箱根駅伝の栄光から遠ざかることになる。
■指導の仕方を変えて、再び勝てるようになった
大学に入学してくる選手たちの“質”は徐々に変わってきている。同じ指導をしても、駒大は勝てなくなった。しかし、大八木監督は柔軟に対応する。時代にマッチした指導をするように切り替えたのだ。昔と今で選手への声かけはずいぶん違うという。
![箱根駅伝/会見する大八木監督](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/6/b/250/img_6b04671b212818edb729fdc50f305cf0357376.jpg)
「コーチ就任当初は今のようなやさしいことは言ってないですよ。『バカたれ、このやろー』『やめちまえ~』とか始まっていたよね(笑)。でも、今は叱り方が全然違います。20年前と時代が違いますし、選手の性格・気質も変わってきました。昔は指導者からの一方通行でも選手に伝わっていた部分があるんですけど、今では通用しません。昔は選手たちがいい意味で反発してきて、『なにくそ』という気持ちがありました。最近は反発力がない選手が多いですよね。強く言うと、シュンとなってしまいます」
また体育会系特有の組織づくりを見直したことで、1年生が活躍できるようになったという。
「会社のように3カ月間は『研修期間』だと思っていたので、1年生は4~6月は丸刈りにさせていたんです。当初はいい感じできていたんですけど、途中から『丸刈りなんてやっていられない』『丸刈りにさせられるチームなんて行きたくない』という選手が出てきたんです。7~8年くらい前にやめさせました。そうしたら好選手が入ってくるようになりましたからね(笑)。時代だと思いますけど、チームのルールも少しずつ変えていきました」
寮の掃除は下級生が担当していたが、今は学年に関係なく全員でやっているという。1年生の負担を減らして、走りやすい環境、学校に行かせやすい状況をつくるようになった。そのなかで強くなったのが、絶対的エースである田澤廉(3年)や鈴木芽吹(2年)らだ。
昨季は全日本大学駅伝で6年ぶりの優勝を飾ると、箱根駅伝は13年ぶりの総合優勝。今季も11月の全日本大学駅伝で連覇を果たした。駒大は「令和の常勝軍団」への道を突き進んでいる。
まもなく始まる箱根駅伝。今年もアグレッシブな大八木監督の姿を見ることができるだろう。しかし、「男だろ!」の声は決して連発しているわけではない。「ここぞ」というときに計算して発しているのだ。
大八木監督の意外な一面を知れば、駒大の“強さ”を理解できるのではないだろうか。
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スポーツライター
1977年、愛知県生まれ。箱根駅伝に出場した経験を生かして、陸上競技・ランニングを中心に取材。現在は、『月刊陸上競技』をはじめ様々なメディアに執筆中。著書に『新・箱根駅伝 5区短縮で変わる勢力図』『東京五輪マラソンで日本がメダルを取るために必要なこと』など。最新刊に『箱根駅伝ノート』(ベストセラーズ)
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(スポーツライター 酒井 政人)
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