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「馬鹿になれ、恥をかけ、自分にうぬぼれろ」難病と闘うアントニオ猪木がそう叫ぶワケ

プレジデントオンライン / 2022年1月2日 12時15分

写真提供=コーラルゼット

アントニオ猪木さんは現在、アミロイドーシスという難病と闘っている。YouTubeでは病気で衰弱した姿をさらし、多くの人に衝撃を与えた。なぜ彼は闘い続けるのか。セブン‐イレブン限定書籍『最後の闘魂』(プレジデント社)より、猪木さんの思いを特別公開する――。

■「猪木だから挑戦できた」わけじゃない

思えば「挑戦」ばかりの人生だった――。

ブラジル時代に、のちの師となる力道山にスカウトされて、右も左もわからぬプロレス界に飛び込んだ。常に同期のジャイアント馬場と比較されながら、アメリカで修行をした。日本プロレスを離脱して、東京プロレス入りしたものの、すぐに崩壊して白い目で見られながら日本プロレス復帰もした。

その後、新日本プロレスを旗揚げしたが、なかなか軌道に乗らなかった。世界が認めるスーパースターであるモハメド・アリとの対戦を実現したものの、世間からは酷評され、大借金も背負うことになった。政治家に転身後はイラクの人質解放に奮闘し、国交のない北朝鮮とのパイプ役も務めた。

思い出すだけでも、いろいろなことがあった。その時々を全力で駆け抜けた結果、失ったものも当然あるけれど、それ以上に多くのものを手にした。

あらためて思うよ、「人生は挑戦の連続である」って。

誤解しないでほしいのは「猪木だから挑戦できた」わけじゃないということ。誰の人生も、大なり小なりの挑戦の結果、いまがあるということ。

挑戦するのは怖いけれど、挑戦しない人生のほうがもっと怖いんだよ。

■「修行とは出直しの連続なり」

「人生は挑戦の連続である」といったけれど、勇気を出して思い切って挑戦した結果、思い通りの結果を得られないことはもちろんある。大ダメージを受けて、「もう立ち直れない」と悲嘆に暮れることもあるかもしれない。

わたしだって、成功ばかりじゃなかった。

いや、むしろ失敗の連続だった。

だからといって、尻込みする必要なんてなにもない。

失敗したらやり直せばいい、ただそれだけのことだ。

かつて、わたしの下から離れていった藤原喜明が新日本プロレスに復帰する際に、わたしは「修行とは出直しの連続なり」とファンの前で挨拶をした。

間違えたと思ったのなら、もういちど元に戻ってやり直せばいい。

「やっぱり違う」と感じたのなら、違うやり方で歩き出せばいい。

なにかをはじめるのに遅過ぎるということは絶対にない。「失敗は成功の母」というけれど、たとえ失敗であっても、それは必ず自分の血となり、肉となる。

そこで逃げずにきちんと出直すことができたとき、あなたはすでに成功への階段を上りはじめているのだ。

■「もっと自分にうぬぼれて生きてみなよ」

かつて、テレビ朝日のアナウンサーから、「もしも、この試合に負けたら……」と、試合直前に質問され、いらだっていたわたしは、「出る前に負けることを考える馬鹿がいるかよ!」と張り手をしてしまったことがある。彼には悪いことをしたけれど仕方がない。試合前に負けることを考えるようでは、プロレスラーとして失格だからだ。

「オレは世界で最強だ」という思いで突っ走ってきた。その自信の源となっていたのは、日々のたゆまぬトレーニングだった。わたしはプロフェッショナルとして、いついかなるときでも練習に関しては妥協したことがないと自信を持っていえる。

アントニオ猪木さん
写真提供=コーラルゼット

わたしはよく、「もっと自分にうぬぼれてみろよ」とアドバイスをする。

もちろん、単に「うぬぼれ屋になれ」という意味じゃない。かなえたい夢を抱きつつ、自分で「もうこれ以上はできない」というくらい、とことんやることをやって、そのうえでうぬぼれてみろという意味だ。

徹底的に努力をして、自分で自分に自信を持つ。そして、うぬぼれる。

このサイクルを繰り返していると、自分でも思いもしない力を発揮することがある。

勝つためには努力が必要だ。きちんと努力しているならば、卑屈になるな、弱気になるな、自信を持て! もっと自分にうぬぼれて生きてみなよ。

■「馬鹿になれ、恥をかけ、自分をさらけ出せ」

馬鹿になること、恥をかくこと、そして自分をさらけ出すこと――。

現代の人たちは、常に冷静でいること、まるで他人事のようにクールに振る舞うことがカッコいいことだと思っているようだ。でも、馬鹿になり、恥をかき、自分をさらけ出すことができたとき、本当の自分が見えてくる。

思えば、これまでの人生で多くの人に馬鹿にされてきた。人になんといわれようとも、いつも「どうってことねぇよ」と思っていたから、なにも気にしたことはない。

他人の尺度を気にしていたって仕方がない。自分には自分の尺度があり、自分の人生は自分で歩んでいくものなのだ。

■「過去は、意識的に自分のなかから消し去ってしまえ」

わたしは過去を振り返らないようにして生きてきた。物心ついてから現在に至るまで、あらゆる記憶を消してきたのが、わたしの歴史だった。

いつまでも昨日にとらわれていたら、今日の旅立ちはできない。数え切れないほどリングに上がっているうちに、自然と身についた習慣だった。

目の前には昨日の敵ではなく、今日の敵がいる。気持ちを切り替えて新たな闘いに臨まなければならないのだ。ある試合で強烈なショックを受けたときに、その痛みや恐怖の記憶が残っていたら、次の試合に臨むことはできないだろう。

いつまでも未練がましく、過ぎ去ってしまった恋人のことを思い続けていても、そこからはなにも生まれない。つらい過去は意識的に消し去ってしまわなければ、新しい出会いがやってくるはずもない。

わたしの場合は、つらい過去だけではなく、楽しい過去さえも消し去るように努めてきた。過去の楽しい体験が忘れられずに、ぬるま湯につかったままでいるのも嫌だったし、過去の成功体験にとらわれて、新しい一歩を踏み出す勇気が持てなくなるのも嫌だったからだ。

過去に縛られずに、いまを生きる。そのほうが刺激もあるし、昨日とは違う自分にもなれるはずだ。過去に縛られずに生きてみなよ。

■「限界は簡単に突破できる」

誰だって弱気になるときがある。わたしだって常に元気と勇気に満ち溢れているわけではない。だけど、はじめは「絶対に無理だな」と思っていたことが、気がつくと無事に終わっていたり、成功していたりすることを何度も経験してきた。

パキスタンで活躍するアントニオ猪木さん
写真提供=コーラルゼット

人間には、自分でも気づいていない莫大なエネルギーがあるのだろう。

ある人にとっては「もう限界だ」という事態でも、別の人にとっては「些細なことだ」と捉えられるような出来事かもしれない。

もちろん、その逆もある。他人から見たら「大変な事態ですね」と同情される事態であっても、当の本人は「どうってことねぇよ」ということもあるだろう。

そう考えると、人間には「限界」というものなどないのかもしれない。

もしあるとすれば、「限界」という言葉を口にする弱い自分なのだろう。

新しいことを思いついて、ワクワクしながら行動に移すと、事前の段階では見えていなかった難問が目の前に現れてくる。そのたびに、「もう限界だ」と思っても、気づけば無事に終わっている。

人によって、時代によって、人間の限界というものは流動的に変化する。やっぱり、限界などありはしないんだ。

弱い自分に打ち克つ勇気さえあれば、限界は簡単に突破できる。

■「大切なのは、成功を継続すること」

戦後、力道山が廃墟から立ち上がろうとする日本国民のヒーローとなり、その遺伝子を継いだわたしが、プロレスというビジネスをさらに大きくした。わたしはプロレスをよりメジャーにするために必死に闘ってきた。

1980年代の新日本プロレスはテレビの視聴率もよく、会場はいつだって超満員だった。しかし、時代は移り変わっていく。いまはむかしと同じことをやっているだけでは、同じような人気を集めることはできないだろう。成功するのは大変なことだが、それを継続させていくのはさらに大変なことなのだ。

これが老舗の料理屋だったら、伝統の味を守ることに注力すればいいのかもしれない。だが、プロレスは違う。時代のニーズを読んで発想を働かせることが求められる。

プロレスに限らず、どんなビジネスにもいえることだが、成功を継続していくためには、守るべき伝統は守りつつ、変えていかなければいけないこともある。大事なのは、変化を恐れないこと。そして現状に満足することなく、向上心を持ち続けることだ。

勇気を持って踏み出せば、必ず道は開けてくる。

アントニオ猪木さんのYouTubeサムネイル画像
画像=YouTubeチャンネル「アントニオ猪木『最後の闘魂』」より

「人は歩みを止めたとき、挑戦をあきらめたときに年老いていく」

これも、引退セレモニーでわたしが口にしたセリフだ。

人生、いちども歩みを止めたことはない。それだけは自信を持っていえることだ。

2009年2月20日、東京・新宿にあった「アントニオ猪木酒場」に多くの人が集まり、盛大にわたしの66歳の誕生パーティーが開かれた。

この席上でわたしは、「今年のテーマは『老い剝ぎ』です」と発表した。

自らの「老い」を「剝ぐ」という意味で、いつまでも若々しくいたい。そんな思いを込めた冗談だったけど、あまりウケなかったな。

アントニオ猪木『最後の闘魂』(プレジデント社)
アントニオ猪木『最後の闘魂』(プレジデント社)

長年のレスラー生活で酷使してきたわたしの肉体はボロボロだ。70代を過ぎ、80代を間近に控えたいま、わたしはアミロイドーシスという難病と闘っている。

アミロイドーシスとは、肝臓でつくられるトランスサイレチンというたんぱく質が変性し、臓器にアミロイドという物質が沈着することで障害を引き起こす病気だ。このアミロイドが心臓に沈着したことで、息切れやむくみが強くなり、心不全により命にも別状があるものだ。今回ばかりは難敵だが、わたしは絶対に負けない。

現在の病状についてはYouTubeで随時配信している。衰弱した姿を見て驚いた人もいるようだが、それでもわたしは歩みを止めるつもりはない。

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アントニオ 猪木(あんとにお・いのき)
元プロレスラー/元参議院議員
本名、猪木寛至。1943年、神奈川県生まれ。1960年に日本プロレスへ入門。東京プロレス、新日本プロレスを旗揚げし、数多くの試合で活躍した。1989年の参院選で当選し、初の国会議員プロレスラーとなる。1998年の現役引退後は、映画・CM出演など多方面で活躍した。2010年には、日本人初のWWE「殿堂(ホール・オブ・フェーム)」に認定。2013年、参院選に再出馬し当選。2019年、政界を引退し現在に至る。

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(元プロレスラー/元参議院議員 アントニオ 猪木)

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