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「コロナ死亡の平均年齢は82歳」それでもコロナ対策をすべてに優先させたままでいいのか

プレジデントオンライン / 2021年12月28日 15時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/roibu

■オミクロン株にビビりまくる日本人

2021年11月、南アフリカ共和国で新型コロナウイルスの新たな変異株が採取され、WHOがこれを「オミクロン株」と名付けたのは同月26日のことだった。この報を受けてほどなく、岸田文雄首相は外国人の新規入国停止を発表。直後におこなわれた読売新聞の世論調査によれば、この判断に「賛成する」と答えた人が89%にのぼり、内閣支持率は前回調査と比較して6ポイント上昇の62%となった。

オミクロン株に対する日本人のビビりっぷりは、まさに過剰反応。2020年2月にクルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス」号での集団感染が報じられたときや、同3月22日に開催された格闘技イベント「K-1 WORLD GP 2020 JAPAN」が猛烈に批判されたときと同じような雰囲気で、「オミ株、ヤバい」という論調がにわかに高まった。

「いまになって、また水際対策を強化するのか?」と違和感を抱かずにはいられない日本の対応の珍妙さは、決して「中川個人の感想でしょ」というレベルの話ではない。日本の鎖国令に対し、WHOは名指しで「理解不能」とコメントしているのだから。

■煽りのトレンドは「濃厚接触者の人数」にシフト

ここのところ陽性者数がずっと低水準だったことから、12月に入って以降、報道のトレンドは「コロナ陽性者数」から「濃厚接触者の人数」へとシフトしていった。「陽性者数を煽りに使えなくなり、どうやって視聴者を煽ればいいのだろうか……」と頭を悩ませたであろうテレビが、「濃厚接触者の人数」をやたらと問題視し始めたのである。

12月12日、神奈川県川崎市にある等々力陸上競技場でサッカー天皇杯の試合がおこなわれ、観戦した人のなかにオミクロン株の陽性者がいることが判明。この人の座った席が明らかにされ、その周囲に居合わせた80人にもPCR検査をすると発表された。個人的には明らかに過剰な対応だと思うが、「コロナ、ヤバい」界隈の人々は恐れおののくばかり。彼らはいまだに「外国人は日本に入れるな!」「水際対策を徹底せよ!」「濃厚接触者は絶対に14日間、外に出るな!」の大合唱である。この空気は、完全にコロナ騒動の初期の頃──2020年2月~3月あたりと同じにおいだ。知らぬ間に振り出しに戻されてしまったかのような失望感。もはや“コロナ恐怖依存症”のような状態に日本は陥ってしまっている。ダメだ、こりゃ。この騒動は終わらない。

■「あなたのせいで死ぬ人が出たらどうする」がキラーフレーズ

日本は他の先進国と比べて格段に低い陽性率で推移しているにもかかわらず、コロナへのビビりっぷりは世界屈指である。ゆるゆるの対策に加えて罰則規定もほぼないというのに、人々は律義にマスクを着け、ワクチンを打つ。そうした際の大義名分は「公衆衛生を考えて」や「大切な誰かを守るため」、「思いやりワクチン」などだ。

そんな日本人に対してもっとも効果のあるフレーズは「もし、あなたの身勝手な判断や行動のせいで死ぬ人が出たらどうするのだ」である。これを言われると、大抵の人は何も反論ができない。少しでも反論しようものなら「人の命をなんだと思っているのだ!」と即座に返り討ちをくらってしまう。

本当は自分が助かりたいだけなのに、「社会のため」「みんなの暮らしを守るために」といった美辞麗句を持ち出し、理不尽なくらいに命を尊重する。これは日本人が子どもの頃から刷り込まれてきた「死生観」といえるものだ。

「現実的に考えるなら、『命のトリアージ(選別)』は必要である」などと発言しようものなら、「老人の命を軽く見るのか!」と怒られてしまう。「そうじゃないでしょ、寿命が来たんですよ」などと丁寧に説いても、「オマエは人殺しだ」とまったく聞く耳を持たない。そして人工呼吸器やECMOなども駆使し、最大限の延命治療を90代の老人に対しておこなう。とにかく「生きている」ことが最重要であり、QOL(生活の質)は問われない。

■職を失う人、精神を病んで自殺する人への無配慮

先ごろ日本経済新聞で公開された「円城寺次郎記念賞 受賞者論文 対コロナ、各国の価値観影響」という記事において、論文執筆者である仲田泰祐・東京大学准教授は次のように文章を始める。

〈2020年12月から、感染症対策と社会経済活動の両立に関する研究をしている。標準的な疫学モデルに経済活動を追加して様々な分析をすると、感染症対策と経済は単純なトレードオフ(相反)の関係にはないことが見えてくる。〉

そして「累計コロナ死者数と経済損失」(「経済損失」のパーセンテージをヨコ軸、「10万人あたりの累計死亡者数」をタテ軸に置いた散布図)という国別のデータを示しながら、こう続ける。

〈「コロナ死者数を1人減少させるためにどの程度の経済的犠牲を払いたいか」という試算をすると、地域間で大きな違いがあることが見えてくる。日本は約20億円、オーストラリアは約10億円で、米国の約1億円、英国の約0.5億円よりも高い。地域でも違いがあり、東京都・大阪府では約5億円だが、鳥取・島根両県では500億円以上だ。仮に1世帯の年収が500万円とすると、死者数を1人減らすために東京・大阪では年収約100年分、鳥取・島根では1万年分以上の犠牲を払いたいという価値観といえる。〉

この指摘に対しては「対策をそこまでしたからこそ、死者数を抑えることができたのだ」という反論が寄せられるだろう。だが、そうした反論をする人々は、過剰な対策や自粛の蔓延によって職を失ったり、精神を病むなどして自殺したりした人への配慮がない。あくまでも「コロナで亡くなった人」の命にのみ関心があるのだ。

■コロナ以降、自殺者数は増加し、出生数は低下

テレビをはじめとしたマスメディアが重要事項と解釈し、世間の「空気」を作っていったことに関してのみ、日本人は「生命至上主義」になる。

それまで10年連続で減少していた自殺者数は、2020年、2万1081人と対前年比912人(約4.5%)増になった。小中高校生については2019年の317人から31%増えて415人。この数字は1974年の調査開始以来、最多である。また、2020年の出生数は前年の86万5239人から84万835人に減少。日本総研の分析では、2021年は約81万人とさらに減ると見込まれている。

しかし、これらの数字はなかなか世間の「空気」にならない。コロナのほうがよほど大問題だ、という空気が支配的だからである。いまは自殺よりも、出生率の低下よりも、とにかく「オミクロン株のヤバさ」が空気を作っている。

マスクを着けたテディベア
写真=iStock.com/eranicle
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/eranicle

■メディア主導で「命」の扱いが規定される

“メディア主導で作られた世間の「空気」が「命」の扱われ方を規定する”という視点で思い出すのが、2004年の「イラク邦人人質事件」だ。外務省は紛争地区であるイラクへ渡航しないよう呼びかけていたが、日本人の若者3人がイラクへ渡った。「現地の状況を伝えたい」「現地の人を救いたい」という意思を持って行ったわけだが、彼らは武装勢力に拉致されてしまった。

このとき、小池百合子環境相(当時)が「自己責任」について触れ、その後、河村健夫文科相(当時)、中川昭一経産相(当時)らもそれに言及。政府のスポークスマン・福田康夫官房長官(当時)も3人を突き放すような物言いをした。

ネット上は、3人に対するバッシングだらけになった。「彼らの解放のため、日本政府は10億円もの身代金を支払ったらしい」といった説もネット掲示板に書き込まれ、無事帰国した3人に対する罵詈(ばり)雑言はしばらくやまなかった。

当時は確実に、3人の命よりも「自己責任論」「税金から支払われる10億円の身代金(根拠不明なのだが……)」のほうが大事だという風潮が世間に渦巻いていた。テレビはいちおう心配している体裁をとりつつ、3人に対して批判的ニュアンスも含んだ論調で報じ、ネットでは彼らを「3バカ」と蔑視する流れになった。

結局、日本国民は命の貴賤をテレビの号令により判断するのである。テレビがコロナ騒動の初期に志村けんさんの死を大きく取り上げたため、あれから1年9カ月経ったいまでも「コロナはそこまでヤバくない」派の発言に対して「志村けんさんの命を奪ったヤバいウイルスなんだぞ!」「志村けんさんの遺族の前で、オマエは同じことを言えるのか!」といった罵詈雑言がSNSに書き込まれるのだ。

一方で、コロナ陽性から順調に回復した著名人はゴマンといるのに、この人たちの予後が取り沙汰されることはほぼない。とにかく「ヤバい事象」ばかりが盛んに報じられるため、たとえばお笑いコンビ・東京ダイナマイトのハチミツ二郎氏のように、コロナが重症化して一時は危篤状態に陥った、といった人物ばかりがメディアから重宝されるのである。

■高齢者のコロナ死は「寿命」と捉えるべき

ここまで述べてきたような日本人のいびつな死生観については、本当にこの2年間でほとほと呆れ果ててしまった。

私の76歳になる両親は、20年以上前から「自分に何かあっても延命治療は不要」と言っていた。その理由は「どうせ人間はいつか必ず死ぬ。そのときが来たら、人はみな死から逃れられない。だから、科学の力で無理矢理生かす必要はない。私らはもう十分生きたし、アンタと由香(姉)も残したから、とくに悔いはない」というものだった。

だから私は、人工呼吸器や胃ろうといった延命治療について、意識を失った両親に施すかどうかを医師から尋ねられたら「このままでいいです。何もしないでください」とお願いするつもりだ。そして自分も「植物状態になった場合、延命治療は不要」と折りに触れて妻に伝えている。

少し前のデータになるが、東京都のモニタリング会議が2021年4月に公表した資料によると、2020年11月1日~2021年3月31日の期間に新型コロナウイルスで亡くなった人の平均年齢は82.2歳である。さらに、亡くなった人の大多数は70代以上の高齢者だ。この数字を見て「寿命が来た」と捉えるのがまっとうだと、私は思う。だが、多くの人は「とにかくコロナが怖い」という思考が先立つせいか、日本人の平均寿命が女性は87.74歳、男性が81.64歳(どちらも2021年7月、厚労省発表)ということを念頭に置かず、ただ恐怖感しか抱かない。

■人間の致死率は100%

作家の村上春樹氏は『ノルウェイの森』のなかで「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」と主人公のワタナベに言わせた。これこそが真理なのだ。「死」を人生最大の恐怖と捉える人にとって、ワタナベのこの発言はなかなか理解できないかもしれないが、死は人生を構成する出来事のひとつとして、誰のもとにも必ず訪れる。

人間は致死率100%

断言するが、これが真実である。一切の異論は許さない。

死産の形でこの世に生まれ落ちることもあるし、暴走する自動車に轢かれて亡くなることもある。自殺、他殺、事故、自然災害などさまざまな理由で人は死ぬ。もしかしたら「人肉が宇宙一おいしい」と考えている異星人が突如地球を襲来し、人類が全員殺されることだって将来的にはあるかもしれない(コロナ騒動があまりにアホ過ぎるので、こちらもアホなたとえをしてみた)。

■死を1秒でも先送りしたい人々

2021年5月、経済学者で嘉悦大学教授の高橋洋一氏が、ツイッター上で日本と世界各国の感染者数の推移をグラフで示して「日本はこの程度の『さざ波』」と評し、炎上。高橋氏は激しい非難に晒された。いや、データを見れば、確かに「さざ波」程度なのである。

このことに限らず、日本人はさまざまなデータから「新型コロナはそれほど恐れる必要のないウイルス」ということが次々と明らかになっても、それらには目もくれず、ただ感情論や思い込みに支配され、右往左往してきた。まるで国全体が集団ヒステリー状態に陥ってしまったかのようだ。

そうなってしまったのは、なぜか。日本人の「死生観」が幼稚だったからだ。

「死」はとにかく忌むべき事柄であり、絶対に避けなければならないもの。死を1秒でも先送りできるのであれば、全身チューブまみれで意識混濁状態となり、ただ苦しく息をしているだけの肉塊となっても構わない──私の目には、多くの日本人がそんなふうに考えているように映る。しかも「絶対に回避したい死」の理由付けに関して、ほぼ全権をマスメディアに委ねているのだ。

■婚約者や友人を自殺で失った経験

正直、婚約者をうつ病からの自殺で失った経験を持つ私からすれば、「コロナよりもうつ病のほうがはるかに怖い」という感覚がある。彼女の遺体を森のなかで発見したとき、私は『ノルウェイの森』のワタナベのように「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している」ことを痛感した。そのとき、私は33歳、彼女は31歳だった。

婚約者だけではない。私は20~30代前半のうちに、身近な人の自殺を4例も経験した。全員が精神疾病を抱えていたと後に聞かされた。その4人は以下のとおりだ。

A:新卒で入った会社の同期で入社1年目の男性(20代前半)
B:大学の語学クラスで同級生だった司法修習中の女性(20代前半)
C:大学の登山サークルの先輩で、地裁の裁判官の男性(30代前半)
D:会社の取引先で営業担当だった男性(30代前半)

いずれも「こんなに素敵な人が、どうして……」と思わずにはいられない痛ましい出来事だったが、彼らはもう、この世にいない。それは厳然たる事実である。「お別れの会」で目にしたAさんの遺影であるとか、四国に住むBさんの母君に電話をし、お悔やみを述べたうえで献花の手配を有志でしたことなど、当時の記憶はいまだ色褪せることがない。

■OB訪問で出会った学生は白血病で亡くなった

そしてもうひとつ、どうしても忘れられない「死」の記憶がある。会社員時代、私のもとにOB訪問でやってきた学生だ。会った瞬間「あ、この人はわが社に合っている」と判断し、「キミのこと、オレは通すよ。きちんと人事に推薦しておく。あとは、面接対策について考えよう」という流れになった。小柄でシュッとしたイケメンであり、酒と麻雀が強い彼はトントン拍子で面接を駆け上がっていった。その都度、彼は律儀に「通りました!」と連絡をくれた。そして最終面接の日、彼から電話が来た。

「どうしたの?」
「なんか、最終面接ってハンコが必要らしくて……。うっかり忘れてしまったのですが、中川さん、ハンコを貸してもらえますか?」

そう、彼の苗字は私と同じ「中川」だったのだ。残念ながら最終面接で落ちてしまったのだが、一方で大手総合商社の内定を見事獲得。その後、私が会社を辞めるあたり、OB訪問で出会った元学生の有志たちが送別会をセッティングしたくれた際にも、彼は他社の社員でありながら全力で参加してくれた。

彼のことを聞いたのは、それから7年後だった。白血病で亡くなっていたというのだ。商社に入社した2001年の秋に病が発覚し、以後は入退院を何度か繰り返して2008年にこの世を去った。訃報を耳にして私はすぐに彼の両親に電話をかけ、ある土曜の夕方、彼の家へと出向いた。位牌に手を合わせた後、彼の大好きだったビールをごちそうになったときの光景は、いまでも鮮明に覚えている。彼の生きた証しは、とにかく明るい闘病ブログで現在も読むことができる。

■そろそろ建前論はやめにしよう

かくして「死」を「生の一部」として受け入れてきた私は、この約2年にもおよぶ新型コロナ騒動にどうしても同調することができないのだ。人はいつか必ず死を迎え、大地や海へと還る。その後どうなるかは、誰もわからない――これしかないのだ。

それなのに「とにかく命こそ大事である」「そのためには、あらゆる犠牲を払っても構わない」という考え方を徹底したばかりに、自殺者が激増してしまったとは、なんたる皮肉であろうか。しかも、自死を選択しているのは「寿命」と捉えても構わない高齢者ではなく、主に将来ある若者や働き盛りの中年層なのだから。

いまの日本では、上記の一段落でさえ批判の対象になってしまうのだろう。だが、そろそろ建前論はやめにしないか? 社会に絶対的に必要なのは、若き人々による活力なのだ。高齢者はすでに青春を謳歌し、社会に出てさまざまな場面で活躍をして、無事にリタイアを迎えた人々が多い。その貢献を軽んじる気はさらさらない。ただ、もう十分生きたではないか。次の世代に社会を、そして命をつなぐという役割を果たしたのだから、後は若い世代に道を譲ればよいのだ。社会のあらゆる局面において「世代交代」は必要不可欠なサイクルである。

■シルバーポピュリズムで日本が滅んでいく

それなのに、日本はコロナ対策において、小池百合子東京都知事の「防ごう重症化、守ろう高齢者」の言葉に代表されるような、シルバーポピュリズムを徹底した。その結果が、若者の自殺増と出生減である。

2020年4月11日の新宿
写真=iStock.com/B_Lucava
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/B_Lucava

私は現在48歳だが、まぁ、やりたいことはほぼやり尽くした。自分の人生にまったく後悔はない。明日、コロナで死んでも構わないと考えている。ただ、まったくコロナにかからない。世間の大騒ぎとは別軸で、日々淡々と生きている。

森のなかで腐乱が始まった婚約者の遺体を見ていることもあり、「死」は私にとって、とても身近なもの、現実的なものになった。それゆえ、自然の流れに抗ってまで「生」に執着することの無意味さを理解できたと思っている。「死」は抗うものではなく、受け入れるものなのだ。

「死」に対して「穢れ」「忌み嫌うべき事象」「絶対に避けなければならないもの」「人の命は地球より重い」といった感覚を持つ人が多い国、日本。そうした死生観から脱却しない限り、この国のコロナ騒動は永遠に収束しない。

私としては「勝手にやってろ。自分はこのバカげた騒動から一抜けする」で終わりである。

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【まとめ】今回の「俺がもっとも言いたいこと」
・日本におけるコロナ騒動がいつまでも収まらないのは、日本人の幼稚な死生観のせいだ。
・自然の流れに抗ってまで「生」に執着することは無意味である。
・高齢者は、もう十分生きたではないか。若者や働き盛り世代に道を譲るべきである。そうした姿勢は、コロナ対応についても同じだ。

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中川 淳一郎(なかがわ・じゅんいちろう)
ライター
1973年東京都生まれ。1997年一橋大学商学部卒業後、博報堂入社。博報堂ではCC局(現PR戦略局)に配属され、企業のPR業務に携わる。2001年に退社後、雑誌ライターや『TVブロス』編集者などを経て、2006年よりさまざまなネットニュース媒体で編集業務に従事。並行してPRプランナーとしても活躍。2020年8月31日に「セミリタイア」を宣言し、ネットニュース編集およびPRプランニングの第一線から退く。以来、著述を中心にマイペースで活動中。著書に『ウェブはバカと暇人のもの』『ネットは基本、クソメディア』『電通と博報堂は何をしているのか』『恥ずかしい人たち』など多数。

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(ライター 中川 淳一郎)

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