「おいしいオレンジはオレンジ色」という常識は、アメリカの広告から始まったウソである
プレジデントオンライン / 2022年1月3日 13時15分
※本稿は、久野愛『視覚化する味覚』(岩波新書)の一部を再編集したものです。
■人間が食べ物の「あるべき」色を学ぶ過程
フィリピン産のバナナや、カリフォルニアのグレープフルーツ、ノルウェー産サーモンなど、今日、私たちの食卓は世界各地から運ばれた生鮮食品で溢れている。だが食のグローバル化ともいえるこのような変化は、この1世紀ほどのできごとである。それまでは、野菜や果物、肉、魚などは、地元でとれたものがほとんどで、手に入る種類も季節により大きく異なっていた。また、海外産の食品があったとしてもそれは非常に高価で、一般消費者が普段口にすることはほぼ不可能であった。
アメリカを例にみると、19世紀末になって、これまで見たこともなかった果物や野菜が遠く離れた生産地から運ばれるようになり、特に都市部に住む上流家庭の食卓はバリエーションに富んだものになっていった。
例えばバナナやオレンジ、パイナップルなどは、熱帯地域の国や、国内であっても一部の地域でしか生産されておらず、長距離輸送網や輸送技術が発達するまでは、全国市場で消費されることはなかった。1870年代に入り、鉄道や船を使った冷蔵輸送や長距離配送が可能になったことで、それまで高価で珍しかった果物や野菜は次第に富裕層のみの食べ物ではなくなっていったのである。
市場が拡大するにつれ、農産物を大量かつ安価に生産する必要が出てきた。さらに、常に一定した品質を安定供給することも国内およびグローバル市場の拡大とともに不可欠となっていった。こうした中、形や大きさと並んで、色は、野菜や果物の品質基準の指標の一つとして用いられており、常に一定基準以上の色をした農産物を生産するため、品種改良や農業技術の開発が行われるようになったのである。
人類は農業を開始して以来(もしくはもっとそれ以前から)、様々な技術を駆使して自然を開拓してきた。季節や気候に合った品種を選択し、生産性と品質を向上させるため品種改良を行うなど、自然環境と対峙し、また時に自然を管理することを目指したのだ。そして、19世紀末になり、農業の機械化や大規模生産の始まりによって、自然の「操作」は、規模・内容ともに大きく変化することとなった。
大量生産と商品・生産過程の画一化は、自動車工場のベルトコンベヤの上だけでなく、「自然」の恵みを受ける田畑にも広まったのである。
では、19世紀末以降、新しい食べ物を初めて目に、そして口にした人々は、どのようにしてそれらの食べ物の「(作られた)あるべき」色を学び、認識するようになったのだろうか。ここでは特にこの頃一般的に広まるようになったバナナとオレンジに焦点を当て、これらの果物の色が次第に画一化され、多くの人々にとって当たり前のものとなった過程を辿ることとする。
■昔は農作物の広告や宣伝は存在しなかった
今日広く親しまれている果物の一つであるオレンジも、アメリカでは地域や階級を超えて多くの消費者に日常食として消費量が拡大していった。オレンジも長距離輸送が難しく、生産拠点となっているフロリダ州やカリフォルニア州から遠い地域では高価な果物であった。例えばクリスマスプレゼントとしてオレンジを子供たちに渡す習慣があるなど、特別な日に食べるものだったのだ。
だが1910年代までに国内の大陸横断鉄道が整備され、次第にオレンジの消費が広まっていった。オレンジの宣伝も積極的に行われ、カリフォルニア州最大の柑橘類協同組合であるカリフォルニア青果協同組合(California Fruit Growers Exchange、以下CFGE)は、同州を拠点に置く鉄道会社、サザン・パシフィック鉄道の資金援助を得て大規模な広告キャンペーンに乗り出した。
当時は、家政学や栄養学が(特に女性が学ぶ学問として)大学で広く教えられるようになり、「ビタミン」という言葉が一般的に使われるようにもなっていた。このため、オレンジの栄養価を宣伝文句に取り入れるなどして販売促進が図られた。「ビタミン」という語をアメリカで初めて広告に取り入れたのがCFGEだといわれている。
それまで農業生産者や広告代理店の間では、果物など農産物は広告をうって宣伝をする価値はないという考え方が一般的であった。オレンジは「ただのオレンジ」であり、果物や野菜は特別な宣伝文句をつけて売り出したり、それによって消費を促進できたりするものとは考えられていなかったのだ。まして、ブランド名やトレードマークをつけることなど考えられもしなかった。
だが、1908年、CFGEの宣伝を担当していた広告代理店が、オレンジにブランド名をつけて売ることを思いつき、当協同組合を通して販売されるオレンジを「サンキスト」(英語ではSunkistで「kissed by the sun(太陽にキスされる)」をもじったもの)というブランド名で売り出した。この後、バナナの「チキータ」など農産物にブランド名をつけることが一般化していくことになる。
特定の生産地域や生産者(協同組合)と結びつけることで、そのブランド名がついた商品が常に高品質であることを、全国市場において、特に顔の見えない不特定多数の消費者に訴えることを企図したのである。
■オレンジ色のオレンジが新鮮、自然の象徴に
明るいオレンジ色で描かれたオレンジが広告など印刷メディアを彩った。これは、オレンジの完熟具合や新鮮さを視覚的に表し、「あるべき(自然な)色」が象徴的に描かれたものでもあった。歴史家ダグラス・サックマンは、カリフォルニアのオレンジ産業に関する研究の中で、CFGEは、オレンジの生産(実際の果物)および表象(広告など)を通してオレンジを技術的および文化的産物として作り出したと論じている。
そして、「自然と文化のハイブリッド(混成)」としてのオレンジは、人々が普段生活で目にする視覚環境、そして果物の色に対する見方をも変化させた。農業技術の発展によって物理的にオレンジを改良するとともに、オレンジ色で表象された果物は健康、新鮮さ、自然のシンボルとして構築されていったのである。
果物と色とを視覚的に結びつけ、オレンジを文化的産物として作り出したのは、広告や料理本だけではない。特に20世紀初頭の都市部では、道行く人々の注意を引くため、食料品店のショーウインドーに様々な商品を並べ、顧客を店に引き入れることが行われていた。
現在でも、例えばデパートや宝石店のショーウインドーなどは、季節ごとにファッショントレンドを取り入れた目にも楽しいディスプレイを見ることができる。こうしたショーウインドーは、すでに19世紀末頃にはパリなどヨーロッパを含め、都市の新たな視覚環境の一部として誕生していた。今ではファッション関連のショーウインドーが多いが、20世紀初頭には、食料品店の入り口近くに飲食物が並べられることもあり、オレンジもウインドーを飾るために用いられた。
■よく色のついた農作物の方が高値で取引された
当時の広告代理店によると、明るく色づいたオレンジをたくさん並べることで、人目を引いたり店を魅力的に見せたりするだけでなく、大量に仕入れられていることから値段が安いと思わせる効果があったという。
後に20世紀半ばのデパートのショーケースに並んだ商品についてジャン・ボードリヤールは、「食料品や衣類のお祭り騒ぎは魔法のように唾液腺を刺激する」と述べ、さらに「市場、商店街、スーパーは、異常なほど豊かな、再発見された自然を装い」、「見世物的で無尽蔵の潤沢さのイメージ」を作り出していると論じた。これらは、半世紀ほど遡った食料品店のディスプレイとは規模も内容も異なるものの、ボードリヤールのいうように「見世物的」で「再発見された自然」、「無尽蔵の潤沢さ」は、すでにオレンジやその他の食品を敷き詰めた当時のショーウインドーが物語っている。
都市を行き交う人々は、日常的に視覚化された幻想としての豊かさや自然を目にし、カラフルなモノを物理的に商品として、また豊かさを象徴する記号として消費したのである。
オレンジの色は取引価格にも影響した。これは政府が定める野菜・果物の等級の中で、色は重要な基準の一つであり、満遍なく一定の明るさで色づいている商品は品質が良いものとされたからでもある。
例えば、1909年11月にニューヨークで取引されたフロリダ産のオレンジでは、「よく色がついた」ものは一箱当たり2ドルだったのに対し、「緑色で色づきの悪い」ものは1.25ドルだった。取引価格は、小売店で販売される価格にも反映されたため、色鮮やかに画一的な色がついた果物の方が値段が高く高品質であるという認識を消費者の間にも促すことにつながったといえる。
■フロリダ州の緑色のオレンジ
以上のように、広告やディスプレイ、小売価格など様々な場面で、高品質のおいしいオレンジとオレンジ色とが強固に結びつけられてきた。しかし、必ずしも熟したオレンジが鮮やかなオレンジ色をしているとは限らない。あるオレンジ農家が「自然のいたずら」と呼んだように、気候や品種によっては、果肉が熟していても皮の色が綺麗なオレンジ色にならないこともある。
オレンジ色が完熟のオレンジの色だと認識するのは、果物の熟成の過程で皮の色が変化することが大きな理由の一つである。オレンジなど柑橘類は普通、熟すにつれて皮が緑からオレンジ色に変化する。この生理的現象のために、多くの消費者や生産者の間で、緑色は未熟なオレンジだという共通認識ができたといえるだろう。この緑からオレンジへの色の変化は、秋から冬にかけて夜に気温が下がることで促進される。
だが、アメリカのオレンジの一大産地であるフロリダ州では、オレンジの収穫期が始まる10月頃になっても比較的温暖なため、皮の色が変化しづらいのである。かといって、皮全体がオレンジ色に変化するまで収穫を待っていると、果肉が熟し過ぎてしまい食べられなくなるのだ。一方、アメリカのもう一つのオレンジ産地、カリフォルニア州では、その恵まれた気候のため、オレンジは果肉が熟すのに合わせて一定したオレンジ色に色づく。つまり、栽培環境や生体的な条件、品種によっては、必ずしも皮のオレンジ色が果肉の熟し具合を表しているわけではないということである。
■アメリカでは「緑色のオレンジはオレンジにあらず」
フロリダのような現象は、東南アジアや日本では九州地方などで見られ、例えば日本の場合、「早生みかん」として緑色が皮に残った状態で売られている。東南アジアでも、時期によっては緑色のみかんが一般的に市場で売買されている。これらの地域では、緑色とオレンジ色の違いは、収穫時期や品種の違いとして生産者も消費者の多くも理解しているのに対し、アメリカでは、緑色は熟したオレンジの色ではなく、市場に出しても売れないと考えられていた。
これは、後述するようにカリフォルニア州とフロリダ州とのオレンジ市場をめぐる競争が関係していると考えられる。つまりオレンジの「自然な」色(オレンジ)と「不自然な」色(緑)という線引きは、自然界の生体的変化・特徴によって規定されているとともに、市場に出回るオレンジの種類や宣伝広告など、経済的・文化的産物としても構築されてきたといえるだろう。
カリフォルニアではオレンジの収穫時期(冬から春にかけて)を通してオレンジ色に色づいたオレンジを安定的に出荷できるため、フロリダの農家たちは、自分たちも綺麗に色づいたオレンジを作らなければ全国市場で太刀打ちできないと考えていた。
19世紀末から20世紀初頭にかけてこれら二つの州が、アメリカ全土のおよそ80パーセントのオレンジを生産しており、1920-30年代にはフロリダが約38パーセント、カリフォルニアが54パーセントの生産量を占めていた。当初は、フロリダオレンジの市場は地理的に比較的近い地域、主に北東部が出荷先だったのだが、オレンジの消費量が全国的に増加すると、フロリダの農家たちは市場拡大に乗り出した。
しかし、フロリダの農家はこぞって、カリフォルニアに近い地域では自分たちの果物は売れないだろうと悲観的だった。カリフォルニア州内やその近隣地域の消費者は、見た目が綺麗なオレンジ色のカリフォルニアオレンジに馴染みがあるため、色づきがそれほど良くないフロリダオレンジには見向きもしないだろうと考えられたのである。
フロリダのオレンジ農家の一人は、カリフォルニアオレンジはフロリダよりも「見た目が良い」ため、フロリダの農家たちは「輝くような上等のオレンジ作りにもっと注意を向けるべきだ」と述べ、鮮やかな色のオレンジを生産することがカリフォルニアに対抗する手段だと訴えた。他の農家の間にも、フロリダの気候や土壌は「香りが良くジューシーな」オレンジを作り出してくれるが、その条件こそが果物の色づきを悪くしていると考える者もいた。
■あえてくすんだオレンジのイラストを広告に掲載
フロリダでは、そもそもこの色の問題――オレンジは明るいオレンジ色が高品質だという認識――はカリフォルニアの柑橘業者、特にCFGEが作り出したものだという見方があった。アメリカでオレンジを珍しい高価な果物から、より一般的な日常食へと変化させたのは、CFGEの広告キャンペーンによるところが大きかったためである。
フロリダの農家たちは、CFGEは柑橘業界全体の発展に寄与した立役者だと認めていた一方で、CFGEの広告はオレンジのカラフルなイラストを使うなど、見た目、特に色を強調していたため、「アメリカの消費者は、味や栄養価、ジューシーさなどは無視して、ただ皮の色だけを見てオレンジを買うよう[CFGEに]教育されてしまった」と批判した。
これは必ずしもフェアとはいえず、実際、CFGEは、オレンジに含まれるビタミンなど栄養面などについても広告を用いて消費者を「教育」していた。だが、このようなカリフォルニアへの批判から、フロリダ農家らがオレンジの販売・マーケティングにおける色の重要性をいかに理解していたかが見て取れるだろう。
カリフォルニアオレンジに対抗するため、フロリダでは、色の重要性をあえて強調しない宣伝も試みられた。例えば、1936年に『ニューヨーク・タイムズ・マガジン』に掲載されたフロリダオレンジの広告では、女性がオレンジを両手に一つずつ持っている白黒のイラストとともに、「グレープフルーツやオレンジは見た目(looks)ではなく、感触で(by feel)買おう」という謳い文句を掲載した。フロリダオレンジは他の地域のものより「4倍もの果汁」を含んでいるので、手で持てば重量感がある。そのため、ジューシーでおいしいオレンジは色ではわからないのだ、というメッセージが込められていた。
さらに、見た目が完璧ではなくともオレンジの味やジューシーさには影響しないことを伝えるため視覚にも訴えた。フロリダ産オレンジのブランド「シールドスイート(Seald Sweet)」を宣伝した冊子や雑誌広告では、鮮やかに色づいたオレンジのイラストの横に、皮が灰色にくすんだものや小さな傷がついたオレンジが描かれていた(図表1)。そして、皮の色では「何もわからない」が、シールドスイートというブランド名が「全てを物語っている」として、見た目が悪くとも、ブランドが品質を保証していることを強調した。
■「正しい」色と味の関係は必ずしも正しくない
このように、フロリダのオレンジ農家らは、様々な手段を用いて、消費者が思い込んでいるであろう、オレンジの「正しい」色と味の関係が、必ずしも正しくはないことを訴え、理解を促そうとした。
フロリダの農業生産者らは、カリフォルニアとの激しい市場獲得競争に直面したことで、自分たちが考える「自然な」「熟した」オレンジの色をオレンジの皮に投影していたともいえる。こうした手段をとらざるをえなかったのは、広告や果物の等級、小売価格などを通して、消費者のみならず生産者や小売・卸売業者らの間でも、果物のあるべき色・品質の高い色という認識が次第に画一化され作り出されてきたからでもある。
農産物の大量生産が進み、市場が拡大することで、競争力を強化する手段として、ある特定の色を作ったり管理したりすることが不可欠になってきたのである。
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東京大学大学院情報学環准教授
東京大学教養学部卒業、デラウエア大学歴史学研究科修了。2021年4月より現職。近著に『Visualizing Taste: How Business Changed the Look of What You Eat』(ハーバード大学出版局)がある。
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(東京大学大学院情報学環准教授 久野 愛)
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