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「〜させていただいてもよろしいですか?」なぜ日本人はこんな面倒くさい言葉が好きなのか

プレジデントオンライン / 2022年1月8日 12時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/baona

敬語を話すとき、人は何を意識しているのか。放送大学の滝浦真人教授は「この50年ほどの間に『~させていただく』を使う頻度が増えた。その背景には、丁寧な自分は見せたいけれど相手に触れることはためらいがあるという、今どきの日本人の心理が隠れている」という——。

※本稿は、国立国語研究所編『日本語の大疑問』(幻冬舎新書)の一部を再編集したものです。

■人間関係と同じように言葉にも距離がある

店員さんから「確認させていただいてもよろしいですか?」なんて言われると、目が点になります。日本語の乱れでしょうか

「させていただいてもよろしいですか?」という言い方はずいぶんと長たらしくて丁寧ですね。「ポライトネス」という用語があります。“言葉で表される対人配慮”といった意味なので、ご質問は「接客場面におけるポライトネス」に関わるものと言えます。

人間関係に遠い関係と近い関係があるように、言葉にも遠い言葉と近い言葉があります。たとえば、敬語は遠い言葉、いわゆるタメ語・ため口は近い言葉の典型です。人はそれらを人間関係に応じて使い分けたり、それらで人間関係を変えたり(調節したり)しますし、時に、使い方が相手の気持ちに沿わず不愉快にさせてしまうこともあります。

ポライトネスの観点からすると、コミュニケーション場面では、ちょうどよく感じられるポライトネスもあり、人間関係を動かすポライトネスもあり、はたまた、しくじるとインポライトネス(失礼)になってしまうこともある、という話です。そして、接客場面というのは、お客さんからお金を頂戴することもあって、ポライトネスについて最も繊細に気をつかうケースの一つと言えるでしょう。

■お店によって店員の言葉遣いが違うワケ

服を買いに行くとします。お店によって、

「いらっしゃいませ、どうぞご自由にご覧くださいませ」

と言われるだけのこともあれば、いつのまにか近づいてきていた店員さんから、

「そのパーカー、すごくいいですよね! 私も色違い持ってます!」

などと、いきなり親しげに具体的なコメントをされることもあります。大まかに言って、対象年齢層が高めで価格も高めなほど前者の傾向に、年齢層が低めで価格も抑えめなほど後者の傾向になると言えそうです。敬語をはじめ丁重な言葉遣いの前者は遠い言葉、踏み込みが強くて「ね」で共感に訴えてくる後者は近い言葉を使っていると言えます。

■「いらっしゃいませ、こんにちは〜」は遠近両用

遠い言葉は、相手になるべく触れないようにすることで、かしこまった丁重さを表現するのに向いています。反対に、近い言葉は、積極的に相手と触れ合うことで、うちとけた親しさを表現するのに向いています。

出所=『日本語の大疑問』
出所=『日本語の大疑問』

コンビニなどから始まり、あちこちで聞くようになった店員さんのあいさつ言葉に、

「いらっしゃいませ、こんにちは〜」

というのがあります。奇妙なあいさつですが、じつはこれも言葉の遠近で説明できます。「いらっしゃいませ」は丁寧なあいさつで、初めてのお客さんにも安全に使うことができます。それに対し、「こんにちは」は本来知っている相手に使うあいさつです。

この2つを並べて一度に言うのは、まずは丁重なあいさつで迎えておいて、それで(一応この場での)人間関係ができたと見なし、知っている人への親しいあいさつを重ねるという、“遠近両用”のストラテジー(作戦・戦略)と見ることができるのです。

■「サセテイタダク」は増、「サセテクダサル」は減

敬語を発達させてきた日本語には、遠い言葉が豊富です。ご質問にあった「させていただく」もそうで、本来、目上の相手の許可を得て何かをすることで相手から恩恵を受けることを表す、とても丁寧度の高い言い方です。最近頻繁に聞くようになりましたし、

「優先させていただいております」と書かれた東京メトロ半蔵門線の案内板
画像提供=滝浦真人
「優先させていただいております」と書かれた東京メトロ半蔵門線の案内板 - 画像提供=滝浦真人

「このたび私たちは入籍させていただきました」

のように、相手は何も関与していないのに使われるものも少なくありません。この言い方をめぐって、この100年ぐらいの日本語で調べてみると、面白いことがわかります。

“やりもらい”の授受動詞には、受ける側から言う言葉として「クレル」と「モラウ」があって、それぞれに非敬語形と敬語形がありますから、全部で4つの形があります。

それらに「サセテ……」を付けた形を、数十年離れた2つのコーパス(大きな言語資料体)で比較検討した調査によると、非敬語形では「サセテクレル」が増えたのに対し、敬語形では「サセテクダサル」が減った一方、「サセテイタダク」が増えたことがわかりました*1。勢いを増した形が、非敬語ではクレル系なのに敬語ではモラウ系だったという現象は不思議とも見えます。

■クレルとモラウは何が違うのか

ポイントは、クレルとモラウの違いです。文例を見ながら説明してみましょう。

a「財布を落として困っているときにお金を貸してクレて、とても助かりました」
b「財布を落として困っているときにお金を貸してモラって、とても助かりました」

どちらも同じように使えますが、クレルのとモラウのはそれぞれ誰か? と考えてみると違いがわかります。各々の主語ということになりますが、クレルの主語はこの人にお金を与えた人です。それに対して、モラウの主語はこの文を言っているこの人自身です。

日本語では主語を言わないことも多いですが、仮に言っていなくても、たとえばaの文を言えば、「(あなたが)クレて」のようにお金の与え手に言及していることになります。これがbだと、「モラウ」のはあくまで「私」などですから、自分のことを言っているだけです。

クレルとモラウの使用頻度の変化
出所=『日本語の大疑問』

■「させていただく」だと相手に触れずにすむ

じつはこの違いが効いてきます。言及するとは言葉でその人に触れることとも言えるので、aのクレル系では必ず主語である他者に触れざるを得ないのに対して、bのモラウ系では他者に触れずにすむという違いがあることになります。

ここで、先ほど「遠い言葉」と「近い言葉」についてお話ししたことを思い出してください。敬語は遠い言葉、タメ語は近い言葉でした。遠い言葉でありたい敬語形では、なるべく相手に触れずにいる方が安全です。一方、非敬語形ではその必要がなく、むしろ相手に触れるくらいで丁度の距離感となります。

非敬語形でクレル系、敬語形でモラウ系が増えていたという結果は、このことと見事に合致していますね。というわけで、非敬語ではより近い言葉へ、敬語ではより遠い言葉へ、というのが現在の日本語におけるポライトネス意識だと言えそうです。

■日本人は面倒くさい言葉が好き

では、遠い言葉であれば丁寧でよいとして受け入れられるのでしょうか? そうではないということが、別の調査からも明らかになっています。

国立国語研究所『日本語の大疑問』(幻冬舎新書)
国立国語研究所編『日本語の大疑問』(幻冬舎新書)

先ほどの「このたび私たちは入籍させていただきました」という例のような、相手の関与がない用法になるほど人々の違和感が強い、という結果が出ています。また、「よろしいですか?」のような許可求めを含んだ言い方の方が好印象だとの調査結果もあります*1

つまり、ただ遠ざかっておけばいいわけではなく、相手との関わり合いも表したい(聞き手からすれば、表してほしい)という意識です。「させていただいてもよろしいですか?」という形は面妖ですが、「よろしいですか?」という許可求めを加えることで、相手とのつながりを表している形であることがわかります。つまり、これまた“遠近両用”の言葉なのでした。

なんとめんどくさい世の中よ! とも言いたくなります。しかし、日本語は、この種の面倒くささがどうも好きなようなのです。ちょうどいい距離感=敬意の度合いを求める日本人の旅は、どうやら終着駅がなさそうです。

*1:椎名美智(2021)『「させていただく」の語用論 人はなぜ使いたくなるのか』ひつじ書房

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滝浦 真人(たきうら・まさと)
放送大学教授
1962年生まれ。東京大学文学部卒業、同大学院人文科学研究科言語学専門課程博士課程中退。博士(文学)北海道大学。専門は言語学、とくに語用論と対人コミュニケーション論。日本語用論学会会長。著書に『お喋りなことば コミュニケーションが伝えるもの』(小学館)、『日本語は親しさを伝えられるか』(岩波書店)など。

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(放送大学教授 滝浦 真人)

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