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5時起き、一日一食、生涯独身…哲学者カントの生活が異常なほど規則的だった驚きの理由

プレジデントオンライン / 2022年1月11日 9時15分

※写真はイメージです(写真=iStock.com/Grafissimo)

哲学者のカントは教え子に「美貌の女よりも金持ちで持参金が多い女を妻にするといい」とアドバイスしていたという。しかし、カント自身は生涯独身だった。評論家の長山靖生氏は「カントの規則正しい生活には女性が入り込む余地がなかった。それだけ学問に執着していた」という――。

※本稿は、長山靖生『独身偉人伝』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■独身主義ではなく、生涯独身を貫いた理由

哲学者のイマヌエル・カント(1724~1804)も生涯独身でした。カントは東プロイセンの首都ケーニヒスベルクに、馬具職人家庭の長男として生まれています。こうした身分の者が、哲学という金に結びつかない学問をすることがいかに困難かは、容易に想像できるでしょう。

両親は信心深いルター派敬虔主義者で、カントも同派の学校を経てケーニヒスベルク大学に進み、初めはニュートンやライプニッツの自然学を研究しました。しかし1746年に父が亡くなり、学費が続かなくなります。カントには世襲財産と呼べるものはありませんでした。

卒業論文を提出した後は、家庭教師をかけ持ちしながら苦学を続ける生活に入りました。それがおよそ7年間。若い頃のカントは、常に経済的困窮にあえいでいるような状態でした。

しかし金のための労働ではなく、また聖職者として特定の宗派の中で思索するポジションも選ばず、あくまで自由な立場から道徳哲学を探求しようと努めました。

カントは生涯独身だった理由を、特に説明しておらず、独身主義を唱えていたわけでもありません。そもそも彼の苦学生活は、とうてい結婚を考える余裕があるものではなく、また自然学から倫理学、哲学、地理学と幅広い分野に関心を抱いていたので、女性に積極的な態度をとることもなかったといわれています。

■「美貌の女性より持参金の多い女性を」

子供の頃は虚弱体質だったので、自分の健康に自信がなく、自分が早く死んでしまった場合に残された妻子が生活に困ることも、先回りして心配していたのかもしれません。

後にカントが教授となり、学生たちを教えるようになってからのことですが、彼はしばしば教え子からどんな女を妻とすればよいかという相談を受けています。

その際の、カントの答えは決まっていました。誰に対しても「美貌の女よりも金持ちで持参金が多い女を選びなさい」と言ったそうです。容貌は時を経るにしたがって衰えますが、金は賢く運用すれば時と共に増加するからだ、と。

身も蓋もない、どこまで真面目かわからないアドバイス。でもあんがい本気だったのかもしれません。アドバイスを受けた門下生たちがどうしたかは知りません。

カント自身は常に手元の金が金貨20枚を下回らぬよう努め、浪費を控えて生活していました。心に余裕を持つためです。おかげで、誰がドアをノックしても安心して招き入れることが出来ました。

それが誰であれ、決して借金取りではないことが分かっていたからです。こうしたあたりにも、経済的困難のために学問継続が危機に晒された若い頃が、いかに苦しかったかが伝わってきます。

■秩序ある生活、深遠なる思考

カントが規則正しい生活を営んでいたことはよく知られていますが、それは健康を維持して長生きし、自身の仕事をやりとげるためであり、特に頭脳を明晰に保つことに気を配りました。

ただしところどころ当時の迷信にでも頼っていたのか、合理的なレベルを超えて、オタク的なこだわりに陥っている部分も感じられます。起床時間や就寝時間が決まっているのはもちろん、仕事や食事や散歩の時間も決めていました。

早起きを旨としたカントは、夏はもちろん冬も午前5時に起きました。独身の彼は召使に生活にかかわる処務を任せていましたが、長年仕えた召使は5時15分前に寝室にやってきて主人を起こしました。

時にカントが「もう少し寝かせてくれ」と言っても、5時起床は厳命であり、その場の言葉に従ったら後で自分が叱られるのを分かっているので、召使は容赦なくきちんと主人を起こします。

ここにもカントの“自由意志”がありますね。自由意志は「やりたいことをやる」のではなく、「やると決めた正しいことを貫く」意志のことです。寝たいだけ寝るのは自由ではなく、意志薄弱のあらわれです。それがカントの哲学です。

そして就眠は10時。読書や執筆で夜更かししたくなる夜もあったでしょうが、それも控えました。7時間の睡眠が心身の健康に最も適しているというのがカントの考えでした。

たとえ一時、無理をして仕事が捗ったようでも、長い目で見れば効率が下がるとカントは見ていたのです。その場しのぎの仕事ではなく、じっくりと腰を据えた生涯の仕事に取り組む男の、静かで熱い意欲がここにあります。

■会話しながらの散歩は不本意

散歩も同様。カントは毎日決まった時間に、決まった歩調で散歩をしたといわれ、街の人々はカントが家の前を通ると時計を確認して、いつもと時間が違ったら、時計のほうを直したと言われるほどです。

もっとも上には上がいるもので、カントの友人で英国商人のグリーンは、カントと散歩の約束をしたのですが、その折にはカントが少しだけ遅れました。

グリーンはカントの姿が見えていたにもかかわらず、約束の時間ちょうどに歩き出したといいます。カントが追いついたかどうかは知りません。

ちなみにカントは決まった速度で歩くよう努めていました。息が上がって口で呼吸するのは、体のためにならないと考えていたのです。そのため散歩の途中は決して口を利かなかったといい、挨拶されても帽子に手を当てるだけだったともいわれています。

自然の中を歩く女性ランナーの足元
写真=iStock.com/zoff-photo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/zoff-photo

そんな彼が友人とはいえ、なぜ連れ立っての散歩を約束したのか、謎です。もしかしたらカントは、わざと時間をずらし、会話しながらの散歩という不本意を避けたのでは……とも思えます。稚気なのか狡知なのか、カントにはそんな計算高い面もありました。

■自身には厳格で、他人には寛容な性格

そんなカントが、散歩を忘れたことがあります。街の人はカントの姿が見えないのでざわついたといわれますが、その時彼はジャン=ジャック・ルソーの『エミール』に読み耽り、時間を失念してしまったのです。

カントは自分が苦学しただけに、無知な状態にとどまっている人々を怠け者と軽蔑しているところがありました。しかしルソーを読んで、自分の非に気付き、人間への敬意を学んだと『美と崇高との感情性に関する観察』で述べています。

カントは決して人間嫌いではなく、『純粋理性批判』などの難解な書物から想像されるような気難しい人物ではありませんでした。自身には厳格でありながら、他人に対しては寛容で、交際を楽しむところもありました。他人の行為を批判したり、好意的な誘いを断って周囲と無用な軋轢(あつれき)を生じるのを避けていたのかもしれません。

講義では語り口が滑(なめ)らかで、難解な問題も平易に説き、学生たちからとても評判がよかったといわれています。座談の名人でもあり、名士たちから招かれる機会が多かったばかりでなく、招くのも好きでした。

■紅茶とタバコは頭脳の活性化のため

それにしてもカントは規則がお好き。食事を見てみると、朝はまず紅茶を二杯飲み、タバコを一服したそうです。朝食はとりませんでした。

健康に留意している自由意志の人なのに喫煙とは首を傾げますが、当時は喫煙による健康被害は知られておらず、紅茶もタバコも目覚めを促し頭脳を活性化すると信じられていました。

トルコ紅茶と紙巻きたばこ
写真=iStock.com/bilgehan yilmaz
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/bilgehan yilmaz

若い頃はコーヒーを好みましたが、コーヒーに含まれる油分が有害と考え、中年以降は遠ざけています。

そして寝巻のまま講義の準備。それが最もリラックスする服装であり、服を着替えたり整えたりする回数を減らすのも効率主義故でしょう。

7時になると着替えて、自宅内の講義室(少人数でのゼミを行う)で授業を行い、9時にそれが終わると再び寝間着になって午後1時15分まで勉強と執筆に充てました。

つまり午前中の早い時間に講義準備をし、講義2時間、自己学習並びに執筆に約4時間の仕事をし、それ以外の予定を午後に入れるようにしていました。執筆の日課は、はじめは一時までだったのが、足りなくて15分伸びたともいわれています。

■会食では黒パンにチーズ、肉料理とメドック

この後が昼食で、多くの場合、客を迎えて長く続き、通常4時までが充てられています。大食いだったわけではなく、会食を楽しむためでした。カントは食事をしながらの会話を通して、自身の専門外の新知識や、世界情勢など幅広い話題にふれるのを楽しみにしていました。

カント自身も話題が豊富で、その語り口はウィットに富み、客たちはその博識に感嘆しました。その一方で話題が哲学に及ぶのは好まなかったといいます。思想家のなかには語ることで考えをまとめていくタイプもいますが、カントはそうではなかったようです。

会食といっても贅沢なものではなく、カントが健康的だと考えている黒パン(ライ麦パン)にチーズを基調としたもので、基本的に肉料理が添えられていました。酒も飲みましたが過ごすことはなく、食事の際には赤葡萄酒のメドックを少量飲むと決めており、ビールは飲みませんでした。

勧められると「ビールは滋養分が多く、腹が張るから食べ物ですよ」と断っていました。チーズの栄養は頭によく、ビールは眠気を誘って人を怠惰にすると考えていたようです。

ちなみにカントは一日に一度、昼食しか食べませんでした。夕飯は取らず、招かれた際にも控えていたようです。夜の時間は読書に充てるため、食後に眠くなるのを恐れたからといわれています。体の弱かったカントは、講義中や食後に眠くなることがあったようですが、昼寝はしませんでした。

■生と学問に固執する濃い情念

こうした彼の生活に、女性との時間が入り込む余地はありませんでした。“予定外”が増えそうなことは、あらかじめ避けたのです。

長山靖生『独身偉人伝』(新潮新書)
長山靖生『独身偉人伝』(新潮新書)

晩年には歯が弱くなり肉を噛み難くなりましたが、滋養のために肉料理を摂るよう努め、煮込んでスープにしたり、噛めない場合は肉汁だけすすったそうで、そうなるとテーブルマナーは犠牲になりました。形より実を取るのがカントです。

それでも規則正しい生活を守り、思索を続けたカントは、年が改まると早々に町役場に行き、前年の死亡者を確認する習慣がありました。自分より長生きしている人数を確認し、今年も頑張ろうと意欲を掻き立てるためでした。

静かで規則的な彼の人生にも、生と学問に固執する濃い情念が立ち込めていたのです。

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長山 靖生(ながやま・やすお)
評論家、アンソロジスト
1962年茨城県生まれ。鶴見大学大学院歯学研究科修了。歯科医の傍ら、近代文学、SF、ミステリー、映画、アニメなど幅広い領域を新たな視点で読み解く。日本SF大賞、日本推理作家協会賞、本格ミステリ大賞(いずれも評論・研究部門)を受賞。著書多数。

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(評論家、アンソロジスト 長山 靖生)

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