芸術も恋も極端すぎる…結婚願望のあったゴッホの恋愛が悉く失敗に終わった理由
プレジデントオンライン / 2022年1月13日 9時15分
※本稿は、長山靖生『独身偉人伝』(新潮新書)の一部を再編集したものです。
■失恋、孤独から宗教へ傾斜を強める
生活が安定せず、また行動がエキセントリックだった画家は、印象派からエコール・ド・パリにかけてたくさんいましたが、結婚したいのに出来なかった芸術家というと、まずフィンセント・ファン・ゴッホ(1853~1890)が思い浮かびます。
ゴッホはオランダ南部のズンデルトに牧師の子として生まれました。少年時代は学校に馴染めず、友達もいなくて孤立した陰鬱な日々を過ごしたと語っており、15歳の時に国立中学を中退。
その翌年にセント伯父(本名はゴッホと同じフィンセント)の助力で、パリに本店がある大手美術商グーピル商会のハーグ支店に勤務することになりました。セント伯父はグーピル商会の経営陣で、子供がいなかったために甥が後を継いでくれるのを期待し、73年にはゴッホの弟テオ(テオドルス)も入社させています。
ゴッホははじめ、画廊の仕事にも消極的でしたが、近くにあった美術館でレンブラントやフェルメールにふれるうち、しだいに美術に目覚めていきました。
この頃、20歳のゴッホは、記録に残る最初の恋をしています。相手は遠い親戚にあたるキャロリーナ・ハーネベークです。フィンセントは勇気を出して告白しましたが、「好きな人がいるから」とあっさりフラれてしまいます。そしてほどなく、彼女は結婚。
この時、フィンセントは弟テオに手紙で、彼女をあきらめたと告げ、しかし心のなかではずっと思い続けるとも書きました。しかしそうはいかないのが情熱家のゴッホです。
その直後にロンドン支店に転任しましたが、その時は下宿先の娘さんユージニー・ロワイエに恋をして、告白しています。ところが今度も「もう婚約しているから」と言われて失恋。再び孤独感に沈んだゴッホは、宗教への傾斜を強めていきます。
この頃から仕事にも身が入らず、1875年にはパリ本店勤務となりましたが、この異動は持て余された結果だったようです。美術に目覚めた彼は、グーピル商会の金儲け至上主義に不満で、勤務態度が宜しくなく、無断欠勤もしたために、76年4月、とうとう馘首(くび)になりました。
■禁欲的過ぎて、街の富裕層から疎まれる
その後、ゴッホは聖職者を目指して神学部受験のための勉強をしましたが根気が続かず、父に叱責されて萎縮する一方、貧困層のための伝道者になることを考えました(その方が進学・資格取得が楽なため)。
そして実際、ラーケンの伝道師養成学校で3カ月間の試行期間を過ごしますが、それ以上続けるのは生活費の目途を立てねばならないとして中断。この時はその熱意が認められ、1879年1月から半年間の伝道師仮免許と月給50フランを与えられてベルギー国内の炭鉱地帯での伝道に従事しました。
ゴッホは熱心に説教し、病人や怪我人にも献身的に奉仕しました。しかしその禁欲的過ぎる態度は街の富裕層から疎まれ、また炭鉱労働者も労働運動に惹かれていたため、布教の効果が上がりませんでした。仮免許は更新されず、ゴッホの伝道者への道は断たれます。
その後のゴッホは、父からの仕送りに頼り、その後は弟テオに頼る生活が続くことになります。ちなみにテオはグーピル商会の仕事を続け1881年にはモンマルトル通りの店を任されるようになります。
■生活苦、繰り返される奇妙な恋愛
ゴッホはその後も生活費を稼げぬまま、奇妙な恋愛を繰り返しました。三度目は失業して家に戻っていた頃の出来事です。今度の相手はケー・フォス・ストリッケルという名の従姉です。
しかし彼女はゴッホの7歳年上で、既に息子もいる未亡人。おまけにゴッホの悪評は親戚中に知られており拒絶されました。こういう時は行動力があるゴッホは、テオに金を借りてケーの家を訪ねました。しかし彼女の両親から叱責され、家に入れてもらえませんでした。
この時ゴッホは「私がランプの炎に手を当てていられる間だけでいいから会わせてほしい」と懇願しましたが、そんなアブナイ思考をする人間に娘を会わせるはずもなく、罵倒されて追い返されました。もちろん父もカンカンでゴッホと激しい言い争いになりました。
ちなみにケーの父も牧師で、二人の牧師から激しく罵倒されたことで、ゴッホは聖職者全体に不信感を持つようになったといわれます。もちろん、この件で悪いのはゴッホの方でしょう。
家に居づらくなった彼は、写実派の画家アントン・モーヴを頼ってハーグに向かいました。ここでまた恋愛騒動を引き起こします。街で出会った女性に惚れてしまうのです。彼女はシーン・マリア・ホールニケといい、なんと妊娠している娼婦でした。しかも彼女には既に娘もいた。
ゴッホは極貧の彼女のために家賃や食事を負担します。でもその金は、すべてテオからの仕送りです。自立していないのに貢ぐ。そんな状態にも相手の品性にも嫌悪を感じたモーヴは、ゴッホと距離を置くようになりました。ゴッホはシーンをモデルに絵を描きましたが、粗い写実的画風の暗い絵が多く、生活の辛さが滲み出ている感じです。
それでも結婚を真剣に考えたゴッホは、家族の反対に耳を貸さず、同棲をはじめました。その生活は18カ月で破綻しました。貧困に加えて、自分の芸術を彼女が全く理解しないことが不満だったのです。もっとも女性側としては、働かないで売れない絵を描くだけの男を、理解のしようがなかったでしょう。
■「破滅的なゴッホとの結婚は無理がある」
シーンと別れたゴッホは、1883年に実家に戻り、家族との関係がやや好転しましたが、相変わらず絵は売れません。他の仕事にも就きません。しかしやはり恋だけはして、隣人で12歳年上のマルガレータと恋仲になりました。
しかし彼女はゴッホ同様、精神的に不安定なところがあり、悪い噂が立ったのを苦にして自殺未遂を引き起こします。一命はとりとめたものの、その事件をきっかけに二人の関係は終息しました。
その後もゴッホは、テオから経済援助を受けながら絵を描き続け、さすがにそれには打ち込みますが、相変わらず売れないままでした。1885年には絵のモデルをしていたホルディナ・ドゥ・フロートが妊娠していることが発覚し、ゴッホが父親なのではないかとの噂が立ちました。
なお彼女を描いた作品には、写実的ながら醜さと紙一重のデロリとしたリアルさがあり、「ああ岸田劉生が好きそうだな」と感じる、ちょっと「麗子像」を連想させるものがあります。
翌86年にゴッホは、弟テオがいたパリに出ました。そしてここでも早速、カフェ・タンブランの女主人アゴスティーナに恋をしました。彼女はコローやドラクロワ、マネなどのモデルも務めたことがある、芸術に理解の深い女性でした。
二人は一時付き合ったようですが、ゴッホがプロポーズすると、カフェの店員や友人が反対し、彼女も生活力がなく破滅的なゴッホとの結婚は無理があると思い、二人の仲は終わりをつげます。
■自分の「好き」にハマったゴッホ流
このパリ時代に、ゴッホは浮世絵に刺激されて作風を大きく転換させています。アゴスティーナを描いた絵には大胆なデフォルメが見られ、背景に浮世絵の模写も現れ“ゴッホらしさ”が明確になってきました。
その後、さらにアルルに転じて強い日差しの下での色彩のきらめきを掴んだゴッホは、芸術家との共同生活という理想を求めてゴーギャンをアルルに招きます(この時期は兄を心配したテオもゴーギャンに頼み、ゴーギャンを迎えるための費用を兄に送っています)。
しかしゴーギャンに絵を批評されて苛立った挙句、自分の耳を切り落とす……などいろいろ奇行もあるのですが、それらすべてを書いていたらページがいくらあっても足りません。
絵画でも女性でも、ゴッホは好きとなったら社会常識や周囲の思惑など考慮せずに、自分の「好き」にハマってしまいました。そのどちらにおいても極端なのが、ゴッホ流なのかもしれません。芸術でも恋でも、周囲に迷惑をかけてしまうことも含めて。
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評論家、アンソロジスト
1962年茨城県生まれ。鶴見大学大学院歯学研究科修了。歯科医の傍ら、近代文学、SF、ミステリー、映画、アニメなど幅広い領域を新たな視点で読み解く。日本SF大賞、日本推理作家協会賞、本格ミステリ大賞(いずれも評論・研究部門)を受賞。著書多数。
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(評論家、アンソロジスト 長山 靖生)
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