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「58円の野菜も丁寧に包装」日本の農家がやりがい搾取の地獄に陥った本当の理由

プレジデントオンライン / 2022年1月14日 19時15分

日本のカイワレ大根(左・写真提供=三和農林)、アメリカのスプラウト(右・写真提供=新潮社)

日本のスーパーマーケットには廉価でも見た目の美しい農産物が並ぶ。民俗学者でレンコン農家の野口憲一さんは「日本では消費者も農家も『野菜は美しくて当たり前』という価値観を持っている。それこそが農家にやりがい搾取を強いている」という――。

※本稿は、野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■海外のカイワレ大根は長さが不揃い

有機農業であろうと植物工場のような栽培方法であろうと、農業にとって重要なのは農家としての高い技術や技能、そして植物への愛情です。

このような植物に対する捉え方、すなわち農業観は何も農家の中にだけ存在しているわけではありません。このような感覚は、文化として社会全体に存在しているというのが民俗学者としての私の見解です。その証拠として、日本のスプラウト野菜の代表格であるカイワレ大根と、アメリカのスプラウト野菜を比較してみてください(図表1)。

アメリカの売り場の写真にうつっているのは、さやえんどう(snow pea)とひまわり(sunflower)のスプラウトです。カイワレ大根とは作物の違いはありますが、着目していただきたいのは、その形状です。カイワレ大根が整然とした長さに揃っているのは単なる偶然ではなく、農家の技術の結晶なのです。食物としての合理性のみを追求すれば、アメリカの売り場のようなカイワレ大根でも別に構わない。しかし、購入意欲をそそられるのはどちらでしょうか? 日本人であれば考えるまでもなく、日本のカイワレ大根型の形状を選ぶに違いありません。

このカイワレ大根に象徴されるように、日本では見た目の美しさまで重視した野菜がスーパーに並べられ続けてきました。日本の農家は、見た目の洗練さえも追求し続けてきたからです。結果的に、それこそが我々日本人にとっての農作物のイメージとなりました。見た目の美しい農作物が絶えず当たり前にスーパーに陳列され続けることによって、その商品イメージが消費者にまで浸透しているのです。

もちろん、消費者はカイワレ大根の作り方の違いなど知るはずがありません。しかし消費者は、見た目も美しい野菜を選択して購入するという消費行動を通して、知らず知らずのうちに農家の作物への眼差しを受容し、野菜という商品に対する審美眼を形成してきました。平たく言えば、我々日本人はこのような価値観をいわば文化にまで昇華させてきたわけです。

しかし、このような農家と消費者が共有する価値観こそが、実は農家にやりがい搾取を強いてしまう原因なのです。

■「労働」と「仕事」の違い

なぜ見た目まで美しい農産物を求めるという、農家と消費者が共有している価値観がやりがい搾取につながってしまうのでしょうか。それには、日本の古くからの特徴的な働き方が関係しています。

かつて日本には労働は存在しませんでした。どういうことかと言いますと、実は日本にかつてあった働き方は「労働」とは異なるものだったのです。ここではこれを「仕事」と呼びたいと思います。「一緒じゃねぇか!」という突っ込みがありそうですが、労働と仕事は異なる概念です。

労働という言葉には、「強制労働」という言葉があるように、生活や給料のためにやりたくもない作業を無理やりやるというイメージがつきまといます。明らかに働くことに対するマイナスイメージを含んでいます。

一方、仕事という言葉にはプラスのイメージが含まれます。「仕事人」という言葉から受ける響きを思い浮かべてみてください。その言葉には、自分の仕事にプライドを持ち、なおかつ社会にも認められているというプラスのイメージが含まれているはずです。

伝統的な日本社会における働き方は、労働ではなく「仕事」でした。この働き方の存在が、皮肉にも農業にやりがい搾取をもたらしてしまうのです。

■奴隷的な活動としての「労働」

日本は明治維新以後、欧米から技術を学んで国力を増強させようとしてきました。いわゆる富国強兵です。西洋からは、近代的な技術はもちろん、彼らの価値観を構成している様々な概念も輸入しました。例えば、福沢諭吉がlibertyという英語から「自由」という訳語を、西周がphilosophyから「哲学」という言葉を作ったように、西欧の概念は徐々に日本でも広まっていきました。

日本にはこの時、ヨーロッパから「労働」という働き方ももたらされました。要するに「働くときは全身全霊で働く。そこに遊びを持ち込むなんて怪しからん」という価値観です。ヨーロッパにおける労働がこのような価値観だったのは、古代からヨーロッパにおいては労働とは奴隷が行うことだったからです。ドイツの政治哲学者であるハンナ・アレントは、主著『人間の条件』の中で、古代ギリシャ以来のヨーロッパ的な労働を概観した上で、次のように述べています。

「労働することは必然〔必要〕によって奴隷化されることであり、この奴隷化は人間生活の条件に固有のものであった。人間は生命の必要物によって支配されている。だからこそ、必然〔必要〕に屈服せざるをえなかった奴隷を支配することによってのみ自由を得ることができた」(『人間の条件』137頁)

要するに、労働とは生活するための必要性に迫られて、嫌々ながらもするしかない単なる苦役だということです。

それでは、ヨーロッパで実際に労働に従事している人々には、労働の楽しみがなかったのか。私にはそうは思えません。どんな辛い日常の中でも希望を見出して生きるのが人間だからです。労働を単に必要性に迫られた奴隷的な活動であると一方的に決めつける超越論的な視点は、あまりに上から目線でしょう。それでも、労働の中に楽しみを見出す考え方は、ヨーロッパ社会の支配的な価値観とはなりませんでした。

ヨーロッパは階級社会として成立したこともあり、近代化以降もこの考え方は大きく覆されることはありませんでした。身分が低い人の労働観を掬い上げて言語化し、それを支配的な労働に対する価値観の中に組み込むということにはならなかったのです。貴族にせよ資本家にせよ、労働者を雇用している人にしてみれば、労働者は労働に楽しみなど見出さず一心不乱に働いてもらった方が「合理的」だと考えたからです。

このように、日本が輸入したヨーロッパの「労働」には、必要性に迫られた「苦役」の考え方が根強く存在しており、労働に従事する労働者に対する差別意識が根強く存在していたのです。

■遊びの要素を含んだ日本の働き方

一方、日本では、ヨーロッパ由来の労働観がかなり根付いた現在でさえ、勤勉に働くこと、額に汗して働くことは美徳であるという価値観が明らかに備わっています。それは、労働に対しての差別さえ含んだ強烈なマイナスイメージとは全く異なる価値観です。この理由は様々ですが、その一つは伝統的な日本社会の働き方が「労働」ではなかったことにあります。

伝統的な日本人の働き方は、ヨーロッパ社会における労働のような必要性に迫られた苦役ではなく、「遊び」の要素を含んでいたとされます。このような働き方が「仕事」です。民俗学では、現在の日本でも農業や漁業のような自然を対象とした仕事の中には、このような古いタイプの働き方が残っているという研究がなされています。

農業のような自然を対象とした仕事は、他の産業よりもはるかに古くから存在しているため、古いタイプの価値観がより強く温存され続けてきたのでしょう。もちろん農業は色々な面で他の産業より近代化のスピードが遅れていたという面もあります。

ただ農業ではもう一つ大きな理由として、雇用労働者の多い他産業とは異なり、日本の農家が零細な家族経営だったことが挙げられます。雇用労働者でないなら、雇用主から強制されることもない。強制されなければ、どのように働こうと自由です。

しかし、仮に雇用労働者ではなく事業主であったとしても、働くことが楽しいのは「自由意志が存在している時」です。労働に限らず、どんなに楽しい趣味でも、強制されたり、生活のために何が何でもやらなければならなくなったりすると、楽しくなくなってしまう。

■仕事に「楽しさ」を見出し続けている日本の農家

人並みの生活をしていくためには、ある程度の収入が必要です。現代社会の大半の職業においては、楽しいというだけでは生活が成り立ちません。お金を稼ぐためには、社会の要求に合わせる必要があります。野菜の出荷時間を農家の都合に合わせていたら、スーパーの野菜売り場が混乱してしまいます。いくら自然を相手にしている職業だからといって、晴耕雨読では生きていけないのです。

お金に縛られるようになった時点で既に自由とは言い切れませんが、お金だけではなく制度や働き方、そして時間の使い方なども現代社会に合わせなければなりません。すると、働くことは次第に、遊びの要素を含んだ「仕事」から、いわゆる「労働」にシフトしていきます。結果として、仕事の中から遊びの部分がどんどん削られていくことになるのです。

しかし、実はそれでも農家は農業の楽しみを失いませんでした。はたから見ると、草刈りのような必要性に迫られてやる作業は「労働」そのものかもしれませんが、農家はその草刈りにさえ楽しみを見出すこともあるのです。仕事の楽しさは、あくまでも自分自身の心の持ちようにかかっているからです。

それが草刈りなどの周縁的な作業ではなく、農作物を育てるという農家本来の仕事であれば猶更です。そこには当然、プロとしての意地もあるし、植物への愛情もあるはずです。仕事の一部が機械に代替されてしまっても、「労働」になってしまっても、自分が育てる野菜が美しい花を咲かせ、美味しい実をつけることは、農家にとって大きな喜びです。

■どんな働き方であろうと野菜の値段は同じ

しかし実は、そこにこそ「やりがい搾取」の出発点があります。「労働」としての意味合いが多分に含まれた働き方によって生産された野菜でも、楽しみを含んだかつての「仕事」によって作られた農産物と同じ価格でしか売れないからです。

農家に求められる結果は変わりません。農家に求められるのは、どこまで行っても高品質な農産物を生産することです。仮に高度な科学技術が用いられた農業であっても、高品質な農産物を栽培することの背景にあるのは、苦役としての労働ではなく作物への愛情なのです。

作物への愛情は、そう簡単に身に付くものではありません。わが子がかわいい理由と同じように、作物のことを考え続けることの中にこそ、愛情は存在しているからです。しかし働く時間は変わりませんし、やらなければならないことは結局同じ。より美味しい作物、より見栄えのよい作物、けれども値段の変わらない作物を作るとなると、やらなければならないことは増えていくばかり。仮に農業の楽しみを見出そうとするなら、働く時間を長くするしかありません。

楽しみ半分の仕事で作った野菜であれば、安くても良いかもしれません。農業をしているだけで充分楽しいなら、わざわざ休みを取って旅行に行く必要もない。しかし、現代社会ではそうはいきません。農作物の価格が変わらなかったとしたら、一心不乱に働かなければ生活が成り立っていかないのです。

■日本の300円のサラダの方がNYの15ドルのものより高品質

労働の苦労が価格で取り戻せるならまだいいでしょう。しかし、今や高品質な野菜のイメージが、デパートどころか激安スーパーでも受容されているのです。これは日本の農産物流通の特徴です。「安かろう悪かろう」どころか、「もってけ泥棒」のタダ同然で売られる激安キャベツにまで、最高品質が求められるのです。例えば普段100円で売られている小松菜が安売りで1束58円で売られていたとしても、ぐちゃぐちゃに袋詰めされていたら購入意欲が削がれるはずです。安売り大特価の場合でも、求められる品質は一緒なのです。

スーパーで買い物するマスク姿の人
写真=iStock.com/recep-bg
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/recep-bg

日本の農作物が、ヨーロッパやアメリカに比べて過剰包装だと言われる所以です。もし腑に落ちないようなら、アメリカやヨーロッパのスーパーなどをGoogle画像検索で見て、比較してみてください。日本のスーパーの様子とは明らかに異なることがお分かりになるはずです。

スーパーだけではありません。私が2019年にニューヨークにレンコンの営業に出向いた際、マンハッタンのグランド・セントラル駅近くにあるホテルの売店で買った15ドルのサラダボウルには、青虫が食べるようなゴソゴソのケールが入っていました。日本のコンビニで300円で購入できるサラダと比べて遥かに劣る品質です。物価の違いもあるので単純な比較はしにくいですが、その価格差はおよそ5倍。極めて高い品質基準を求められているのにもかかわらず、あくまでも安売りを続けてきたのが日本の農業なのです。

■経費が高騰しても愛情とプライドを持って働く日本の農家

洗練された農作物を商品化するためには、相応の資材が必要です。農業資材は年々高騰しています。燃料はもちろん、箱代、運賃、包装用のビニール袋代など数え出したらきりがありません。商品価格に変わりがないままに、商品の品質、味や見た目を維持しなければならないので、資材が高くなれば利益はますます薄くなっていきます。

一方、生活のために必要な所得の下限には限度があります。食物を生産しているからと言って、お金がなくても生活できるわけではないのです。農産物の価格は、そう簡単には上がらない。ならどうするでしょうか。普通に考えれば、大量生産の方向に進むことになります。当然、生産目標などを考える必要も出てきます。

そうなったら、遊んでいるわけにはいきません。失敗は許されなくなる。客観的に見れば、それは自由意志を奪われた単なる「労働」でしょう。しかし悲しいかな、それでも農家は、その中に楽しみや自由意志を見出し、愛情とプライドを込めた農作物を栽培しようとする生き物なのです。それこそが日本社会における働き方の特徴であり、まさしく、やりがい搾取を生み出す構造そのものです。

それだけではありません。社会は、より狡猾に農家からのやりがい搾取を図っています。どういうことでしょうか?

■「DASH村」が変えた日本の農業へのイメージ

一昔前の農業イメージと言えば、3K(きつい、汚い、危険)が当たり前でした。私の実感では、バブル崩壊後の1990年代くらいまでは、そんなイメージがほとんどだったと思います。

しかし2000年頃から、農村生活をノスタルジーと掛け合わせるような形で賛美するイメージが流れるようになりました。ある種のロマンチックな農業イメージです。具体的には、日本テレビ系列「ザ!鉄腕!DASH‼」の人気コーナーである「DASH村」や、TBS系列「金スマ」内の「金スマひとり農業」などをイメージしてください。

「DASH村」が始まったのがちょうど2000年です。いわゆる「失われた20年」の真っ最中。日本はデフレから抜け出せず、社会全体に行き詰まり感が漂っていました。所得は頭打ちどころかマイナス。ストレス解消をしようと思っても先立つものがなく、海外旅行などもおいそれとは行けない。そのような時に注目されたのが、国内での地方への観光や農業でした。

同じ頃、民俗文化や地域的な伝統文化にも社会的な関心が向けられるようになりました。都市住民にとって、文化的他者の確認作業としてのエキゾチシズムを日帰りで体験できる地方や農村・農業が、消費の対象となったのです。こうして3K一辺倒だった農村・農業イメージも、次第に変化していったのです。

米を収穫した農家の老夫婦
写真=iStock.com/kazoka30
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kazoka30

このような農業イメージは農村や農家にも好意的に受け入れられました。農産物直売所が大流行し、あちこちで建設ラッシュが続いていたのがこの頃です。林立した農産物直売所にやってくる都市住民は、農村にとってまさしく救世主でした。新たな農村・農業イメージは確かに福音として機能しました。

■テレビの演出は都市住民のマイナスな農業観の裏返し

しかし、それは一時的なものでしかありませんでした。都市と農村では、農業に抱くイメージが全く異なっていたからです。テレビ番組で放映される農業には、過剰な演出が加えられていました。ゆっくりとした時間が流れる自然の中で、晴れの日には外に出て畑を耕し、雨の日には家の中で蕎麦を打つ。実りの秋には豊作を祝い、ご近所づきあいも楽しく、気の良い仲間たちが集まって酒盛りをする。農家でさえ憧れてしまうような素敵な生活です。

実際の農業はそんなものではありません。特に真剣に農業に打ち込む人であればあるほど、大変な労働をしています。値段が安いのに高品質な野菜を作るために手間をかけていれば猶更です。

このような演出過剰なロマンチックな農業イメージは、都市住民にだけ影響を与えたのではありません。農家の側も農家の本質的な働き方をようやく社会が認めてくれるようになった結果ではないか、というある種の希望をもって受け止めました。これが不幸の始まりでした。農家へのイメージの好転は、実際には都市住民の持つマイナスな農業観の裏返しに過ぎなかったからです。

農家が農業を通して仕事に自信を持ち、高い収入を得、社会から尊敬される職業になるのであれば言うことはないでしょう。人の一生のほとんどは働くことだからです。しかし、ロマンチックな農業イメージには、農業に対する尊敬は何一つ存在しません。

野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』(新潮新書)
野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』(新潮新書)

これまでの3Kイメージや同情よりはずっとましに見えるかもしれません。しかし、都市住民の農業への憧れは、あくまでも農家が自分たちとは異なる人であるというところに起因しています。自分たちの生活とは異なるからこそ、「スローライフ」が癒しになるのです。

かつての農業は、大変な仕事というイメージだったかもしれません。それが3Kイメージの根幹であったはずです。しかし、逆に言えばだからこそ、かつての農業には尊敬が集まったのです。大変な仕事に従事しながら、自分たちに食糧を作ってくれているという事実は尊敬に値するからです。楽して儲けていると見られている仕事には、尊敬は集まりません。

ですから私は、農家の仕事に対する農家自身の向き合い方のアップデートが重要であると考えています。

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野口 憲一(のぐち・けんいち)
民俗学者
1981年茨城県生まれ。株式会社野口農園取締役。日本大学文理学部非常勤講師。日本大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程修了。博士(社会学)。専門は民俗学、食と農業の社会学。著書に『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』(新潮新書)がある。

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(民俗学者 野口 憲一)

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