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「格別においしいわけじゃない」フランス産ホワイトアスパラが1キロ5000円で売れる本当の理由

プレジデントオンライン / 2022年1月16日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/nobtis

フランス産ホワイトアスパラガスは1キロ5000円という高値で取引される。民俗学者でレンコン農家の野口憲一さんは「美が連想されるフランス産の野菜はそれだけで価値がある。逆に『100円くらい』と思われている小松菜にはそれくらいの価格しかつかない」という――。

※本稿は、野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』(新潮新書)の一部を再編集したものです。

■「チョコレート」という商品名のチョコはない

農産物の話に入る前に、別の食品の販売方法についてお話しします。まずお菓子売り場を思い出してみてください。お菓子売り場では、チョコレートはどのようなパッケージや商品名で販売されているでしょうか? 中身が完全に透けて見える包装形態で販売されているお菓子がどれくらいあるでしょうか? 透明な包装紙で販売されている食品と言えば、麩菓子などがあるかもしれません。しかし、昭和の代表的な駄菓子である黒糖をまぶした麩菓子を、スーパーやコンビニの店頭で見かけることは少なくなっています。

板チョコ
写真=iStock.com/kyoshino
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/kyoshino

また、チョコレートが「チョコレート」という単一商品で、グミが「グミ」という単一商品として販売されている売り場は存在するでしょうか? そんなところは存在しない。チョコレートやグミには、商品分類とは別に必ず商品名が書かれているはずです。

商品名だけではありません。例えばブドウのグミであれば、メーカーやブランドのロゴ、瑞々しいブドウのイメージ写真、キャッチコピー、ブドウ果汁を何パーセント使用したかといったような成分構成まで、様々な情報が書かれています。消費者は単にグミをグミとして消費しているのではなく、このような情報をセットで購入しているのです。

■野菜に保証されているのは商品性と生産地だけ

しかし、そういった売り方は野菜では必ずしも一般的ではありません。そもそも商品名を付けて売られていないことが大半です。ほとんどのキュウリは「キュウリ」として、玉ねぎは「玉ねぎ」として販売されているからです。

もちろん、野菜にもこういった情報が全くないかというと、そういうわけではありません。例えば野菜には生産地表示やJAマーク等が存在します。JAは日本農業協同組合のロゴですが、消費者に一種の安心感をもたらす記号として機能しています。しかし、他の商品と比べれば、消費者に提供している情報量が圧倒的に少ないことは否めません。

そもそもキュウリや玉ねぎ等は、袋に小分けされて販売されることが一般的です。その袋は透明で、商品情報は何も書かれていない。それどころか、生産者から届いた箱のままでばら売りされていることもよくあります。このような単なる透明袋で販売されている野菜において保証されているのは、玉ねぎやキュウリであるという商品性と、生産地だけです。食品であるにもかかわらず、美味しささえ保証されていないのです。

■時代遅れな農産物の販売方法

他の食品であれば、消費者が商品の情報を消費するなどというのは、常識中の常識です。例えば、1981年に生まれた私が小学生の頃は、ビックリマンチョコがはやっていましたが、この商品を買っていた子供たちのほとんどは、ウエハースチョコレートそのものには興味がありませんでした。というより、食べずに捨てていた子もいました。欲しかったのは、ビックリマンシールに描かれた「情報」だったのです。

他の食品においては、「食品」の概念さえも変更しなければならないような消費のされ方をしています。例えば、コカ・コーラゼロに代表されるゼロカロリー食品を考えてみてください。コカ・コーラゼロが日本で発売されたのは2007年。それまで発売されたダイエットコークなどとは異なり、日本社会に大きく受容され、そして定番商品として定着していきました。

それどころか、13年にサントリーから発売されて大ヒット商品となった「伊右衛門 特茶」のように、体内においてカロリーが機能しないこと、すなわちマイナスカロリーを積極的に謳う商品さえ当たり前になりました。サントリーの「特茶」は特定保健用食品と呼ばれますが、似たような分類である機能性表示食品の定着から分かるのは、人々が食品に対してカロリーや栄養を求めるだけではなくなっている、という事実です。

これらの事例を見れば、農作物の販売方法がどれだけ時代に取り残されているかが分かるはずです。野菜に限って言えば、情報を消費するどころか、いまだに大半の商品が栄養摂取の範疇(はんちゅう)さえ乗り越えていないのです。

■品種名や作用が書かれている農作物はまだまだ少数

「野菜や果物はコーラやお茶のように成分調整などできないでしょ?」と思う方もいるかもしれません。しかし、今や農業界では、イチゴやトマト等には葉に糖を与えたり、根っこに食用の酸の成分を与えたりして味の調整をするのは全く珍しいことではありません。自動天窓、重油暖房や冷房を用いた温度調整、電照を用いた日光・温度補正、機材を用いた光合成の促進等は、農家にとってはごく当たり前のことです。

イチゴやトマトでは、葉が光合成をすることで糖分を作り出すため、梅雨時のように雨が続き温度が低い時期には甘みが乗りません。甘みを重要視する品目においては、糖度が足りない商品は致命的です。一方、甘いだけの作物に重層的な味わいを持たせようとする時、酸味を加えるのは有効な手立てです。このため、敢えて酸を吸わせたりもするわけです。

私は、これらの作業を批判するつもりは毛頭ありません。消費者の求めに応じられなければ商品が売れないのはどの業界でも一緒だからです。私がここで指摘したいのは、農作物においても成分調整はもはや常識なのに、小売の現場では価格と生産地以外には大した情報が書かれていない、ということです。

それでもイチゴ、トマト、ブドウなどの品目は品種名や商品名などが書かれていることが多くあります。また、ブロッコリースプラウト等ではスルフォラファンの作用(抗酸化・解毒機能)などが謳われていることもあります。しかし、このような事例は農産物全体で言えば圧倒的に少数なのです。

■小松菜がどのスーパーでも1袋100円前後である理由

そもそも、日本の農産物が1袋100円くらいで販売されている理由は何でしょうか? 例えば小松菜。1袋100円ぐらいで販売されている安値安定野菜の代表格です。台風が来たり、天候不順などの理由で相場が急騰しない限り、大体このくらいの値段です。皆さんは、この小松菜の価格の理由を説明できるでしょうか?

と、聞いておいて怒られそうですが、このことに明確な理由はありません。強いて挙げれば、「みんなが100円ぐらいだと思っているから」です。

まず生産者が、大体そのくらいが適正な値段だと思っています。スーパーのバイヤーも、大体そのくらいの売価が適正だと思っている。最後に消費者も、このくらいの値段が妥当だと思っている。要するに、どの立場の人もみな、100円ぐらいが普通だと思っているのです。

こうして、小松菜の値段は1袋100円ぐらいだという相場観が成立します。最初にその相場観を作ったのは誰なのか、それは分かりませんが、相場観はそんなことはお構いなしに維持・更新され続けています。

「結局何にも分からないじゃないか」と言われそうですが、私が言いたいのは「野菜の価格の決まり方なんて所詮はその程度でしかない」ということなのです。小松菜を1袋1000円で販売しようという試みを、寡聞にして私は知りません。

「アホか。単なる野菜でしかない小松菜が1袋1000円で売れるわけがないだろ!」とお思いになるでしょうか? でも、「1袋1000円の小松菜」のような商品が、他の野菜では存在しているのです。

■フランス産アスパラが1キロ5000円もするのは「フランス産」だから

一方、「単なる野菜」であるはずのフランス産ホワイトアスパラガスは、1キロ5000円以上の値段で販売されています。ホワイトアスパラガスの瓶詰めは比較的有名ですが、瓶詰めではありません。生のホワイトアスパラガスを空輸しているのです。

ホワイトアスパラガス
※写真はイメージです(写真=iStock.com/anouchka)

噓だと思われた方は「フランス産 ホワイトアスパラガス」という検索ワードでGoogle検索してみてください。1キロ5000円どころか6000円以上の商品も普通に売っています。

どうしてフランス産アスパラガスは、「単なる野菜」であるにもかかわらず、こんなに高価でも売れるのでしょうか?

農業の事情に詳しくない方は、「日本では作れないからだろう」と思うかもしれませんが、ホワイトアスパラガスは国内でも栽培できます。ホワイトアスパラガスは、一般的な緑色のアスパラと品種が異なるのではありません。日光を遮断することで光合成を阻害し、緑化しないように栽培しているだけです。春先に出回る白いウドと全く同じ原理であり、栽培方法としてはそれほど特殊な技術ではありません。私の友人にも、ホワイトアスパラガス農家をしている人がいます。

では、どうして日本人は国内調達できるホワイトアスパラガスを、わざわざフランスから航空燃料を使用してまで輸入しているのか。どうしてこんな値段でも売れるのか。一般のスーパーに出回ることは滅多にありませんが、国内産は高くてもこの4分の1程度の価格が普通なのです。近年は高価なホワイトアスパラガスも少しずつ増えてきましたが、まだまだ試験的な試みであるという印象です。

すぐに考え得る理由は、「日本産よりも美味しいから」でしょうか。しかし、日本産農産物の美味しさや品質の高さは、衆目の一致するところです。ホワイトアスパラガスに限って、味がフランス産に著しく劣るとは考えられません。しかもアスパラは品質劣化が比較的早い品目なので、鮮度の良さが美味しさを決める大きな要因でもあります。

わざわざフランスから輸入しているホワイトアスパラガスの鮮度が、日本産の鮮度を上回ることは基本的にはないはずです。ですから、日本産とフランス産で、その価格差に値するような「美味しさの違い」があるとは思えません。

実は、この価格差の理由はそんなに難しいことではないのです。理由は「フランス産であること」ただそれだけ。フランス産であるからこそ、1キロ5000円ホワイトアスパラガスという商品は成り立つのです。

■美味しさや機能性よりも優先される農作物の価値

一般的には、食品の商品価値は美味しさや見た目の美しさ、栄養分などの機能面にあると考えられがちです。しかし「フランス産」であるという事実に、美味しさや機能性に関する商品価値は存在しません。それとは関係なく、「フランス産」という事実それ自体が商品価値を持つのです。

エッフェル塔とフランス国旗
写真=iStock.com/querbeet
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/querbeet

フランスは言わずと知れた芸術大国であり、美についての世界的な中心地とみなされています。フランスには、その国旗を見るだけでオシャレでハイセンス、かつ高級なイメージを呼び起こす作用が存在します。ホワイトアスパラガスの「フランス産」という情報には、このようなイメージがまとわりついているのです。

農産物に限らず、工業製品においてもフランス製の商品には、商品を消費すること、保持して維持し続けることに強い満足感や優越感を生み出す効果が存在しています。このような情報の価値のことを「記号的価値」と言います。

記号的価値を持った商品の代表格は高級ブランドです。フランスの芸術性や美のイメージをまとった高級ブランドと言えば、エルメスやルイ・ヴィトンが有名です。しかし、これは必ずしもフランスに限った話ではありません。

例えば、イギリスには「紳士の国」というイメージがあるはずですが、このようなイメージを引き受けているのが、イギリス王室御用達の高級ブランド、ダンヒルです。イギリス紳士のイメージをまとったダンヒルの商品価値とは、男としてのカッコよさ、すなわち「ダンディズム」を与えてくれそうなところにあります。ダンヒル商品の価値の源泉は「機能性」にはない。収納力や使いやすさといったビジネスバッグの機能、着心地や耐久性といったスーツとしての性能ではなく、働く男性たちにダンディズムをもたらす記号性にこそあるのです。

■高級ブランドの価格が高いのは「品質が良いから」ではない

では、どうして「ダンディズム」のような形のない概念が商品性を持ち得るのか。それは、現代社会においては、人びとが機能性や必要性によって商品を購入する動機と機会がどんどん減っているからです。

例えば車。機能性だけを求めるなら動けばなんでも良いはずです。しかし、各メーカーは毎年のように新しいデザインの車種を投入しています。我々が車を選ぶ際、燃費や加速の良さ、近年では自動運転技術や電動化等の機能面も考慮しますが、それと同じか、もしかしたらそれ以上にデザインを気にしているからです。

都心部の狭い道を走るなら、小回りのきく軽自動車や小型車の方がずっと便利なはず。なのに、都心部の高級住宅地にはBMWやベンツ、ポルシェなどの外車、それも近年はSUVタイプの大型車が目立ちます。自分と他の人との違いを明確にし、自分の独自性を演出したり、特別感を享受したいという欲求に突き動かされることで消費行動が行われるのが現代社会なのです。そのような欲求を商品に投影させた存在がブランドです。ですから、ブランドにおいては消費者の持つ商品に対するイメージが重要になるのです。

エルメスやダンヒルのような高級ブランドだけでなく、廉価な商品ブランドであっても同じような効果を持っていますが、他の人との差異を演出するためには高級ブランドの方が手っ取り早い。なぜなら、そこには圧倒的な価格差があって、普通の人にはおいそれと購入できないからです。エルメスの鞄は、本当に高級なものには1000万円近い価格がつけられることがあります。1000万円もする鞄を普通の人が買えるわけがありません。エルメスを持てるということは、それだけで「金持ち」「成功者の証」となるのです。

高級ブランドにおいては、商品が高い品質を持つから高い価格になっている、という構造にはなっていません。商品の品質は、高級ブランドの本質ではありません。話は逆で、「そもそも商品価格が高い」ということこそが出発点で、高級ブランドをブランドとして機能させる肝なのです。

■形骸化した日本の農産物ブランド戦略

こう説明すると、「何だ、ブランドか。ブランド野菜なら日本にもいくらでもあるじゃないか」というご指摘もあるかと思います。確かに、日本にも「ブランド野菜」と呼ばれる商品はいくらでも存在しています。すぐに思いつくのは、地域名を冠した農産物です。例えば京野菜、加賀野菜、鎌倉野菜のようなものです。京都、加賀、鎌倉の持つ伝統的で洗練されたイメージを野菜に張り付けているわけです。これらはフランス産という情報の持つ記号的価値と全く同じ使われ方です。

この他にも、夕張メロン、賀茂ナス、九条ネギなどの特定の地域と結びついた野菜もあります。ただし、北海道夕張市で栽培されたメロンだけを示す夕張メロンと違って、賀茂ナスや九条ネギは現在、特定の形状をした品種のナスやネギの総称として流通してしまっている傾向があります。このため、農水省では2015年からGI(地理的表示)登録制度を運用し、登録された産地以外には登録名称を用いることができないという政策を実施しています。

GIは地域ブランド保護のための知的財産の一つとして国際的に広く認知されており、とくに有名なのはフランスのシャンパンです。シャンパン(フランス語では「シャンパーニュ」)と呼ばれるのは、シャンパーニュ地方で作られた発泡性ワインに限られており、それ以外の地域で作られる発泡性ワインは、シャンパンを名乗ることはできません。

ただ、日本のGI制度は、国内では既に形骸化している、というのが私の見解です。2021年10月7日時点で111品目の登録がなされていますが、一般的には全く知名度がない商品が大半を占めています。経産省が推進している地域団体商標制度との違いも一般的には全く認識されておらず、知的財産とは言うものの、ブランドとしての大きな記号的価値を古くから持つシャンパン等と違って、高価な商品価値を持つブランドであるとは到底言えない状況です。

■「麦わら帽のお爺さん」のイメージでは高価にはなり得ない

一方、既に例として挙げたJAマークは、まぎれもないブランドとして機能しています。JAマークには、麦わら帽子をかぶった田舎のお爺さんが真面目に畑を耕しているイメージを想起させる効果があるはずです。これはまさに日本の農業イメージそのものであり、農作物に安心感を与える記号としての価値を確かに有しています。

ただ、JAマークがひとりひとりの消費者の最終的な購買行動にまで影響を与えているかどうかは疑問です。麦わら帽子をかぶった田舎のお爺さんが真面目に畑を耕す農業イメージは、日本の農業全体に言えることであり、それでは「差異」を作れないからです。

麦わら帽子をかぶって畑を耕すお爺さん
写真=iStock.com/José Antonio Luque Olmedo
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/José Antonio Luque Olmedo

しかもこのイメージは、安心や安全を想起させることはあっても、高価な商品価値とは結びつかない。麦わら帽子をかぶった田舎のお爺さんはむしろ、「清貧」イメージと結びついています。既に大量に流通している日本産の農産物を見れば明らかですが、オシャレや高級などと対極にある「清貧」イメージが高価な商品価値と結びつくことは論理的にあり得ません。

■日本の農産物は「ブランド」の本質を理解していない

この他にも、糖度の高さや品種の希少性を謳うような、様々なブランド野菜と呼ばれるものが存在します。この場合のブランドとは、単に少し高価な野菜や、文字通り甘くて美味しい野菜などを指していることがほとんどです。

糖度の高さや希少な品種を謳う情報は美味しさを想起させる記号的価値を有しているのは確かですが、その場合、商品価値のほとんどは農作物の美味しさそのものです。これらの情報はイメージよりも、品質という事実に関わるものだからです。

糖度を保証している作物として代表的なものにミカンがありますが、ミカンの「ブランド」には品質の高さや美味しさ以外のイメージを想像させる要素はほとんど存在していません(「西宇和みかん」がCMキャラクターのクレヨンしんちゃんを想像させる、といったことはありそうですが)。

有機農業で栽培された有機野菜なども、自然環境への配慮や安心安全、さらには美容などを想起させる比較的高価な記号的価値を持つ、ある種のブランドとして機能しています。しかし、有機農業運動が発展してきた歴史的経緯から、有機野菜は農家の労働力に比べて割に合わない価格で流通してしまっています。

ブランドについて消費者にとってもっとも重要なのは商品イメージですが、生産者にとってもっとも重要なのは、商品の品質です。商品の確かな品質を保証するためには、商品を作るために要する作業時間は言うに及ばず、機械や材料も揃えなければなりません。高い技能や技術を持った職人はそう簡単に育ちません。生産者の立場で言えば、高級ブランドの価格が高いのには、高いだけの理由があるのです。

例えばイギリスの自動車会社であるマクラーレンは1億円以上もするスーパーカーを販売していますが、このスペックが軽自動車と同じであったら消費者は怒るでしょう。当然、スーパーカーに求められる品質基準は軽自動車の比ではありません。例えばブレーキの性能一つとってみても、時速300キロも出せる超弩級のスペックを持ったスーパーカーのブレーキが、軽自動車と同じであるはずがない。商品当たりの売価を高くしなければ、品質を維持し続けていくことは難しくなる。すなわち、生産するのに高度な技術や手間のかかる商品を製造するためには、相応の売価設定が必要不可欠なのです。

野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』(新潮新書)
野口憲一『「やりがい搾取」の農業論』(新潮新書)

しかし、既に語ってきたように、高価な商品を販売するためにはスペックだけではなく、商品に張り付いているイメージが重要です。超高額なマクラーレンが消費の対象となるのは、それを消費して維持することが他者との違いを明確に演出し、証明するためのツールとなるからです。超高額であることこそが、マクラーレンのブランド力の根幹なのです。これは、フランス産ホワイトアスパラガスでも全く同じです。

日本の農作物において、このような価格で販売されている商品がどれほど存在するでしょうか? ブランド野菜などと言っても、この次元まで記号的価値を高められている野菜などほとんどない、というのが私の実感です。そして、商品自体の記号的価値を高められているブランド野菜がないこと、そもそも「ブランド」の本質が充分に理解されていないことは、日本産農産物全体の価値を毀損(きそん)するような事態にも繫がっているのです。

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野口 憲一(のぐち・けんいち)
民俗学者
1981年茨城県生まれ。株式会社野口農園取締役。日本大学文理学部非常勤講師。日本大学大学院文学研究科社会学専攻博士後期課程修了。博士(社会学)。専門は民俗学、食と農業の社会学。著書に『1本5000円のレンコンがバカ売れする理由』(新潮新書)がある。

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(民俗学者 野口 憲一)

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