「自宅を売って老母を施設に入れよう」そう考えていた52歳男性の頭を真っ白にさせた司法書士の質問
プレジデントオンライン / 2022年1月14日 20時15分
※本稿は、岡信太郎『財産消滅 老後の過酷な現実と財産を守る10の対策』(ポプラ新書)の一部を再編集したものです。
■母の所有する不動産のことが気がかりで…
宇都宮さん(52歳、男性)は急いである不動産会社に問い合わせを入れました。
「少し前から母が入院し認知症もだいぶ進んでいます。前回、御社のセミナーで民事信託がいいとお聞きしました。ぜひ、進めたいのですが……」
宇都宮さんは、先週末、問い合わせを入れた不動産会社主催のセミナーに参加していました。そこでは、【不動産の生前対策】と題して、家族で取り組むことができる対策についての講義が行われました。その時、民事信託いわゆる家族信託を使えば、子どもが親の不動産を売却できると知ったのです。
宇都宮さんは、不動産を所有する母親の認知症が進んでいるため、不動産のことが気になっていました。そこで、このままではいけないと、思い切って問い合わせを入れたのでした。
不動産会社の担当者は、「民事信託をご検討されているのですね。それでしたら、弊社提携の司法書士と一緒にお話をお伺い致します。ご予定はいつがよろしいですか?」と専門家を紹介してくれることとなりました。
宇都宮さんはすぐに予約を入れました。そして、後日担当者と一緒に司法書士の事務所に行くことになりました。
“これで大丈夫だろう。他の兄弟たちにいい報告ができる”と胸をなで下ろしました。
■「ところで、お母様は信託について同意されていますか?」
実は、その2カ月前、宇都宮さんは兄弟たちと家族会議を行っていました。
8年前に亡くなった父親は大工でした。小さな工務店を経営し、腕一本で家族を養いました。母親は子育てをしながら時間を見つけては工務店に出て、父親の手伝いをしていました。
ただ、当時は自営業だと年金の加入が任意だったこともあり、両親は年金を掛けていませんでした。そんな事情もあって、現在の母親に年金収入はありません。財産としては、父親が遺してくれた自宅と貸家があります。父親が亡くなった際に、不動産の名義は母親に変えています。
家族会議では、母親が退院したら、自宅に戻るのではなく施設に入所させることで話がまとまりました。母親が自宅で暮らすことは難しく、介護や見守りが必要となっています。
しかし、施設に入れるとなると月々の家賃収入だけでは支払いが難しい状況です。自宅を売却し、そのための資金を捻出しようという意見で一致したのです。
とはいえ、自分たちの思い通りにすぐに売却できるわけではありません。
そこで、入院中の母に代わって、必要なときに自分たちで自宅を売却できるように民事信託を利用しようという結論に至ったのでした。
家族会議を含めこれまでの経緯を司法書士に伝えました。すると、司法書士からある質問が投げかけられました。
「ところで、お母様は信託について同意されていますか?」
宇都宮さんは、心の中で“えっ! どういうこと?”と思いました。最初は、質問の意図がまったく理解できませんでした。“兄弟全員が納得していて、兄弟間で争いがないので問題ないのでは?”と考えていました。
ところが、話はそう簡単ではないようです。
■認知症になった後の契約では手遅れ
「家族信託は、財産を預ける委託者であるお母様とそれを預かる受託者である宇都宮さんとの契約になります。つまり、お母様が契約の内容を理解しないとそもそも契約が成立しないのです」
宇都宮さんは初めてそのことを聞いて、頭が真っ白になりました。“認知症になった人のための制度だと思っていたが、母親が認知症だと信託は使えないのか……”
そんなこととはつゆ知らず病院とはすでに、施設に入所する方向で話を進めています。また、今すぐ契約するのであれば退院後に入れる施設を見つけたところでした。入所手続きと並行して、不動産の売却を進めればよいだろうと考えていました。建物は老朽化していますが、立地がいいので売却は可能なはずです。
ところが、肝心の不動産を売却するすべが断たれてしまったのです。そのことを、兄弟に伝えると兄弟も唖然としています。それどころか、宇都宮さんは他の兄弟から、「何とかしてよ!」と言われてしまう始末。母親のことは任せっ切りで、自分たちはいつも口を出すだけ……。“それはこっちのセリフだ!”と言い返したくなりました。
■成年後見制度や遺言ではできない「生前の財産の運用や処分」ができる
成年後見制度は、様々な弊害が指摘されています。また、遺言は、相続で使用するものであり生前に活用することはできません。
そんな中、今注目されているのが民事信託です。家族で資産対策を取るので、家族信託と呼ばれることが多いです。信託銀行のように営利を目的としている「商事信託」とは区別しなければなりません。
家族信託のすごいところは、生前に財産の運用や処分まで家族ができることです。後見は保全がメインであり、かつ、第三者の管理下におかれることが多いです。これに対し、家族信託はとても柔軟に財産管理の設計ができるようになっています。
家族信託の理解にあたっては、登場人物を押さえておく必要があります。「委託者」「受託者」「受益者」という3人の人物が登場しますので、常に3者間の関係を頭に入れておきましょう。
まず、「委託者」とは財産を預ける人のことを指します。次に、「受託者」とは財産を託される人のことを指します。最後に、「受益者」は、対象となった財産から経済的利益を受ける人を指します。この3者間で、財産管理のスキームを組んでいきます。
■「信託口座」で預貯金の管理もできる
家族信託においては、自分の財産(「信託財産」と呼ばれます)を信頼できる家族に託して、所有者に代わりに管理してもらいます。
先程の「委託者」を父親、「受託者」を息子、「受益者」を父親とし、アパートのような収益物件を信託するイメージだと分かり易いのではないでしょうか。
なお、「委託者」と「受益者」を同じ人にすることが可能ですし、第2「受益者」として、母親など次の人を設定しておく方法もあります。
このスキームを使うためには、「委託者」(例えば父親)と「受託者」(例えば息子)とで信託契約というものを交わします。そこで、どういった目的のためにどの財産を信託するのかを盛り込んでいきます。
契約が完了すれば、不動産の名義を「受託者」(例えば息子)に移します。登記を見れば、信託財産であることが分かるようになっています。「受託者」に名義が移っていますので、不動産を管理するだけではなく、委託者に代わって処分することも可能です。
不動産だけではなく、銀行に信託口座を開設すれば、委託者に代わって預貯金を管理していくことができます。
■「認知症になる前に対策を打つ」が大鉄則
家族信託を上手く使えば、強力な認知症対策となります。「委託者」である本人が認知症になっても、すでに信託財産となっている部分については、「受託者」が管理できるようになっているからです。しかも、経済的利益は「受益者」が受けるようになっています。ここがはっきりしていれば、安心して財産を預けることができるはずです。
もっとも、本人の希望があって初めて利用可能となる点は、任意後見契約と同じです。したがって、財産を預かりたい人が一方的に利用できるものではありません。自分のいいようにできると勘違いしてしまうと、親族後見人でも稀にある使い込みにつながるリスクをはらんでいます。
やはり、対策を打つためには、元気なうちというのが大原則です。中には、「そのうちでいいよ」「誰々に任せているから大丈夫」と安易に考えている方も多数おられます。
しかしそうしている内に、いざという時に本人はおろか家族さえも動けず、財産消滅の世界に入り込んでしまうのが今の時代です。
“思い立ったが吉日”で対策を打っていきましょう。これに優るタイミングはありません。
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司法書士
合気道家、坂本龍馬研究家。1983年生まれ。北九州市出身。関西学院大学法学部卒業後、司法書士のぞみ総合事務所を開設。政令指定都市の中で最も高齢化が進む北九州市で、不動産登記・遺産相続・後見業務を多数扱う。介護施設などの顧問を務め、法的サポートに関する相談を受けている。『新版 身内が亡くなったあとの「手続」と「相続」』(監修、三笠書房)、『坂本龍馬 志の貫き方』(カンゼン)、『子どもなくても老後安心読本』(朝日新聞出版)、『済ませておきたい死後の手続き』(KADOKAWA)など著書多数。
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(司法書士 岡 信太郎)
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