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イェール大名誉教授「メールで"お世話になっています"と書く必要はない」

プレジデントオンライン / 2022年1月21日 9時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Vladimir Sukhachev

■「メリークリスマス」と言ってはいけない

新年は年賀状の季節であるが、日本と米国を行き来していると、日頃の挨拶にも国民性の違いがあることに気づく。

米国では、クリスマスカードを送る習慣がある。近年は「メリークリスマス」と言わないで、「シーズンズ・グリーティングス(季節のご挨拶)」というカードが多くなっている。これは、民族や宗教の多様性への配慮だ。

確かにポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)の配慮は必要だ。しかし、受け取る立場からすると「雪の降るクリスマス・ツリーの光景」を想像することに比べると、「季節のご挨拶」だけでは味わいはなくなる。送る立場でも、何百と違った絵柄や写真の挨拶カードが陳列されているお店に出かけて、その中からカードを選ぶことに楽しみがある。

米国では出来合いのカードから選ぶのに対して、日本の年賀状は、心のこもった文章や家族の様子をお互いに伝える素晴らしい風習だと思う。特に年配の女性からの手紙は、こまやかな導入部が俳句の季語の役割に似た形で相手に繊細なイメージを与えてくれることが多い。

挨拶に関する日米間の差の特徴を述べると、他人との間柄を重視する日本では、皆と一緒に行動する新年や盆などの時季に合わせて、「年賀の挨拶」や「暑中見舞い」などの挨拶が重要となる。これに対して、米国では誕生日祝いが最重要である。

個人主義のアメリカでは、かけがえのない一生にとって、最も重要な日は自分の誕生日であり、家族の誕生日となる。そこでパートナーの誕生日を忘れたりすると、大変なことになる。

■ビジネスメールは用件だけでいい

さて、アメリカに長く住んでいて、日本からの手紙で不思議な感じがするのは、ほとんどのビジネスメールや手紙が、「いつもお世話になっています」に始まっていることである。

文字通り、いつも取引や付き合いで世話になっている相手に、そう書くのは自然であろう。しかし、何も恩恵を授受していない相手から、そのようなメールや手紙が来ることが多い。その文面を見ると、まるで日本社会全体に義理人情の網がかかっていて、それを無視してはビジネスがうまくいかない、と信じられているように見える。

確かに、日本社会はある種、共同体を強調する側面を持っており、お互いの依存感を、挨拶で謙虚に示そうとするということであろうか。しかし、米国経験が長い私から見ると、本当にお世話になっている人以外のときには、日本人以外と同様に、率直に用件だけで始めてもいいのにと思える。

■ノーベル賞受賞者「日本に帰りたくない」

コミュニケーション論として見ると、日本人の「お世話になっています」という挨拶は、相手に交渉で打ち負かされないような技術、ディスアーミング術にほかならない。すなわち、いつも「私はあなたのお世話になっているものです」と表明して相手から警戒心を奪い、相手から攻撃されることを避けようとする、一種の武装解除術である。

現代社会は様々な問題を含み、それは同時に利害対立の場になることも多い。これをうまく解決し、警戒心を奪い、対立を最小限にしていくことが、静態的な社会では望ましいかもしれない。しかし、今の日本は問題を前向きに解決し、新たなアイデアで将来に新機軸を能動的に生むことが望まれているのではないだろうか。それによって当事者同士は利益を受け、社会全体に利益をもたらすことは、アメリカ企業などを見れば明らかである。

気候変動の数理モデル化で、2021年にノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏は、科学者が流行に走らず自己の好奇心に従って研究することを強調する。彼は、日本人がお互いに他人のことを気にして調和を重んずるので、そのような協調が苦手な自分は日本に帰りたくない旨のことを述べておられる。

2021年にノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏(米プリンストン大学)。
写真=AFLO
2021年にノーベル物理学賞を受賞した真鍋淑郎氏(米プリンストン大学)。 - 写真=AFLO

確かに、日本の高度経済成長期には、会社組織を支える自動車などの技術熟練向上に、協調性の重視(あるいは強要)が重要な役割を果たした。しかし、現在の日本が強く必要とする「創造性」や「技術革新力」の開発には、かえって制約となっているのではないか。

■先生という言葉を禁止しよう

故・青木昌彦スタンフォード大学名誉教授は、日本の会社組織とその技術形成を情報とゲーム論で解明した世界的学者であるが、スタンフォード大学から経済産業省の経済産業研究所所長に就任していた。そこで彼が行った改革は2つある。

第一に、新しい研究を議論するセミナーを昼食時に行い、ランチを袋に入れて持ち寄りつつ、食べながら約1時間の間に議論するという「ブラウンバッグ・セミナー」(昼食セミナー)の導入である。

議論というのは、必ずしも時間が長ければいいというものではない。自分の研究の本質を、短い時間で、短い文章で説明できない研究者は、自分の研究をよく理解していないことが多いからだ。忙しい人たちがお昼時に集まって、学問領域の壁を取り去った形で行われるブラウンバッグ・セミナーの導入は、そういう意味でいい刺激を与えた。

本稿で強調したいのが、第二の改革である。青木氏は、研究会でお互いに「先生、先生と呼び合うのをやめよう」と提案したのである。聞くところでは、これは1949年にノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹氏を生んだ“京大物理”の伝統でもあるという(青木氏は15年ほど京大で教鞭をとっていた)。

アメリカでは学部生や大学院生の立場では、さすがに先生を「プロフェッサー・アオキ」などと呼ぶが、博士号を取得して助教授になると、その日から「マサヒコ」「コーイチ」などと、ファーストネームで指導教官を呼ぶようになる。青木氏の第二の改革は、アメリカでは当たり前のことだった。

医師が「先生(ドクター)」と呼ばれるのは世界でも当然であるが、日本では、医師以外でもあまりに多くの人々が「先生」と呼ばれる。ただ年長であるがゆえに重んじられる儒教的な習慣が残っている。

学者にもいろいろいて、学問への貢献度は人によって違う。それを一括して「先生」と呼んで、お互いに安心し合っていては、学問に新機軸は生まれない。真理に対しては、若い学生も年寄りの学者も、対等に追究する資格があるのである。

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浜田 宏一(はまだ・こういち)
イェール大学名誉教授
1936年、東京都生まれ。東京大学法学部入学後、同大学経済学部に学士入学。イェール大学でPh.D.を取得。81年東京大学経済学部教授。86年イェール大学経済学部教授。専門は国際金融論、ゲーム理論。2012~20年内閣官房参与。現在、アメリカ・コネチカット州在住。近著に『21世紀の経済政策』(講談社)。

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(イェール大学名誉教授 浜田 宏一 写真=AFLO)

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