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「友達とつながっていても孤独感は消えない」SNSで心をすり減らす人がハマる"共感の罠"

プレジデントオンライン / 2022年1月17日 10時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Satoshi-K

SNSで多くの人とつながれるのに、孤独を感じる人は減らない。『14歳からの個人主義』(大和書房)を出した、NHKエンタープライズエグゼクティブ・プロデューサーの丸山俊一さんは「SNSで自分の気持ちをシェアをしても、むしろ、自分の心をすり減らす恐れもある」という――。

■SNSがもたらした光と影

生まれたときからインターネットは常識という世代も増え、スマートフォンが日常生活で欠かせないコミュニケーションツールになっている人も多いことでしょう。

将来の夢はユーチューバーという人もいるかもしれませんね。誰もが簡単に発信できる世の中になったことは、すばらしいことです。

しかし、光もあれば影もあります。

「誰もが簡単に発信できる」ことで、表現する人々が増え、その幅も広がるところまではよいのですが、新たな現象も生まれています。

表現することへの「気軽さ」は、ときに「いい加減さ」へとつながり、その場だけの感情や思いつきで人を中傷したり攻撃したりするようなことも起こります。

皮肉なことに、人を傷つけるような言葉のほうが「ホンネを言ってくれている」と支持を集め、多くの人々の目に届くようなことも起きます。すると注目されたこと自体が面白くなり、だんだん「発信すること」自体が目的化し、発言内容をエスカレートしていく動きも出てきます。

「いいね」という反応をただもらいたいがために、自分本来の考えではないような言動を始めてしまう行為も出てきます。

ただ反応がほしいという行為で、じつは徐々に、あなた自身の心の中の大切な部分が失われているのです。

また動画サイトでは、再生回数を稼ぎたいがための過激なパフォーマンスも生まれるという具合で、こうなると、もはや「自己発信」どころか「自己欺瞞」、つまり自分を欺き、自分らしさを捨てるために「発信」しているような、皮肉な現象が生まれているのです。

■すべて「承認欲求」のしわざなのか

実際、こうしたことに疲れ果て、SNSを一切やめてしまったり、昔ながらのケータイに変えてしまったり、という人も増えているようです。

本来の意味での「自己」表現ではなく、他者の嗜好を必死になって読み取り、「いいね」や「フォロワー」の数を集めようとする行為。これでは、個人を解放したはずの技術で、むしろ精神を病まされているようなものではないでしょうか?

世に広まった「承認欲求」という言葉も、「承認欲求、強すぎ」など、なんだか妙な非難のレッテル貼りに使われているように思います。

そもそも「承認欲求」「自己実現」などの言葉が社会学などの枠組みからあふれ出し、本来の意味から少し違ったニュアンスで、幅広く使われるようになったのも、人々の発信が日常的になったからと言えるでしょう。

現代の情報技術が「便利」で「快適」な社会を作っていくほどに、じつはその反面で人々を疑心暗鬼にさせ、不安や葛藤を生み、何より、一人の人としてかけがえのない人生を歩んでいく力を削いでしまっているとしたら、なんともおかしな、残念な話です。

■「気持ちをシェア」することは必要か

そもそも、たとえば、ツイッターやフェイスブックなどを使っていいのは、一般的に13歳以上ということになっています。何の気なしに始め、いつの間にか、使うつもりが使われることにならないために、14歳のあなたと一緒に、少しだけ、最初の段階から考えておきたいことを、お話しておきましょう。

「いまどうしてる?」
これが、ツイッターを使うあなたに、表示されるメッセージです。

「その気持ち、シェアしよう」
これは、フェイスブックを使うあなたに、表示されるメッセージです。

ちょっと、考えてみましょう。なんだか少し、不思議な気がしませんか?

どうして「いまどうしているか」を、不特定多数の人々に知らせる意味があるのでしょう? どうしてあなたの「気持ち」を多くの人々に知ってもらう必要があるのでしょう? 「友だち限定」の機能にすれば意味があるという人もいるかもしれませんが、簡単につぶやいてしまう前に、自分の気持ちを共有したいという、あなたの心の状態自体を、振り返ってみてほしいのです。

さびしいから? 気持ちがまぎれるから?

こうした思いからだとしたら、既にそこに危うさが潜んでいるのではないでしょうか?

どちらの呼びかけにも、本来は答える必要はないのです。ネット上にこうしたシステムを作ったエンジニアの要請に合わせるように自分をさらすことも、感情を示すことも、必要ないのです。

夕暮れ時の渋谷交差点
写真=iStock.com/Yongyuan Dai
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Yongyuan Dai

■「自分を表現したつもり」に潜む危険性

ちょっとへそ曲がりの意地悪な言い方をし過ぎたでしょうか?

ただ、システムにふれた最初に、少しだけ覚えたかもしれない違和感をいつの間にか忘れていってしまうことから、使うはずの技術に使われるようになってしまう道は、おそらく一直線です。

「共感してもらえた」という素朴なうれしさから、どんな言葉を連ねれば「いいね」をもらえるのか? どうしたら「人気者」になれるのか? どう書けばフォロワーを増やせるのか? あっという間に、そんなことばかりを考えるようになってしまいかねません。

あなたが投稿に夢中になっているときも、プラットフォームの運営側は、消費行動の分析や拡散の影響力をどう使うかなど、強大なシステムの論理を駆使していることも忘れないでください。

自分を表現したつもりで、自分をすり減らす逆転が、そこに生まれてしまいます。

私は発信しないで「いいね」をするだけだから平気、と考える人も危険性を見落としているかもしれません。あなたが何気なくそこで押した「いいね」も、押された側の投稿者だけでなく、第三者の目にも明らかになり、それが思わぬハレーションを起こすこともあるのです。

単なる記号である「いいね」も、見る人によって温度差があります。軽い挨拶のつもりも、強い意思表示と読み取られ、トラブルに発展する可能性もときにあります。

■SNSに「共感」を求めることの罠

楽しく「友だち」を広げる可能性もあるSNSについて、悪い面ばかり言い過ぎたでしょうか?

その特性をよく考えたうえで有効な使い方に限定し、ほほえましいやり取りをしている人たちまで、脅かしたいわけではありません。しかし、残念ながら、ネットに対する微妙な温度差から、大きな行き違いが生じることは実際にあります。

思わぬ誤解が生まれ、本来目指されるべきコミュニケーションとは真逆の方向に展開することもよく目にするようになっているのです。

もちろん、イベントなどを多くの人々に知らせるなど、情報を幅広く伝える際、有意義なものでしょう。

しかし、「いまどうしてる?」などの呼びかけに象徴されるように、あなたのプライバシーを露出させ、あなたの感情を揺さぶる仕掛けをはらんだメディアであることは、最初の段階で意識しておくべきだと思います。

本来自律した、自分というものを持っている人であれば、簡単に感情を晒す必要もないはずなのですから。さびしさから「共感」を求める、こうしたSNSの誤った使い方が、社会を幼稚化させてしまった影の部分にもやはり注意すべきだと思います。

それは本当の意味での「共感」ではないのですから。

スマートフォンでSNSを使用する女性
写真=iStock.com/Urupong
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/Urupong

■気づかないうちに溜め込まれていく負の感情

人は嫌われたくない思いがあり、「居場所」を確保したくなる生き物です。

自らに注がれるまなざしから他者の思いを読み取り、人と同じように振舞いたくなる。そうした感覚がベースにあるだけに、少し抵抗を感じるような行動でも「仲間」から嫌われることを恐れて、自分の気持ちを押し隠すことがあります。

それを繰り返すうち、だんだん、自分の気持ちを押し殺すことに慣れていくようになってしまうのです。そしてその引き換えに、グループの中に「居場所」を見つけられたように思い込むこともあります。

しかし、押し隠した感情は、確実に蓄積されています。心という巨大な氷山の水面下に、徐々にマイナスの力として溜め込まれていきます。

そしてあるとき、思いがけないことで爆発するのです。自分の心の底にある思い、どんな小さな引っかかりでも丁寧に見つめて、いい加減にやり過ごさないこと、溜め込んでいかないことが大事なのです。

それでも、まだ本当に自分が求めているものは、わからないことも多いでしょう。自分で自分がわからない。その不思議な人間の性質は、幼少期のこんな経験に秘密があるからかもしれません。精神分析を専門とする哲学者ラカンの分析に面白い説があります。

■鏡の中の「自分」から生まれる錯覚――哲学者ラカンの精神分析

ある日、お母さんに抱かれて、初めて鏡の前にやってきた幼い子ども。

子どもは、今までバラバラにしか見ることができなかった自分というものの全身の姿を、そこに見出します。この発達段階のことを、ラカンは文字通り、鏡の中に像を見出す段階、「鏡像段階」と名づけました。

幼児は喜びます、鏡の中に見つけ出したイメージこそ、自分自身だと思い込んで。この「錯覚」が、人間の自我の認識のすれ違いの原点にあるのだとしたら。

幼児が自分の姿と思っているのは鏡に映し出された像に過ぎないわけですが、それを実際の自分と同一視するところから、いわば虚構の世界へと近づこうとしても近づけない永遠のジレンマが始まります。

初めて「自分」を見出した喜びが、じつは苦しみの始まりにもなっている、というわけです。鏡の世界には誰も入ることができないのですから。

その後言葉を獲得し、客観的な認識を持つ過程で、鏡の中の「自分」は本当の自分ではないことにも気づき、この「鏡像段階」を抜け出していくわけですが、この体験は強烈なものとなり、多くの人々の心の底に残るのではないでしょうか?

成長を遂げ大人になっても、自分の存在を鏡の中という、自らが映り込んだものの中に見出す傾向が無意識に残ってしまうとしたら、それは人の心のありように、深く静かに影響を与え続けることでしょう。じつは本当の自分ではない幻を、ずっと自分だと思って追い回しているようなものなのですから。

ちなみに「欲望とは他者の欲望である」という言葉もラカンは残しています。

この幼児期の強烈な経験は、自分で自分を把握できない感覚の原点だと言えます。

服を試着している子供
写真=iStock.com/zorazhuang
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/zorazhuang

■SNSが心にもたらす危険性

鏡の中に映る自分を、現実の自分と思い込む錯覚。この構造に近いものに、ぼくたちは日々接しています。あなたも毎日、「現代の鏡」をのぞいているのではありませんか?

そう、スマートフォン、そしてSNSの世界です。

何気ない思いつき、友人たちへのメッセージなどを公開し楽しんでいる人も多いでしょう。確かに便利で交友関係も広がります。

しかし、使い方を間違え、心が折れるような思いをしたことがある人もいるのではないでしょうか?

「自分のアカウント」を作り、「自分の写真」を連ねていくうちに、ネット上に生まれた自分に関するページ、自分の写真、言葉で埋め尽くされたページが、あたかも自分の分身、自分そのもののように感じ始めてしまう可能性があるのです。

そして、単なる「電子データ」に、特別な愛着を感じてしまい、その「充実」を試みることで、自己の同一化を図ろうとしてしまうのです。そこに、いつの間にか錯覚におちいる、人間の認識の危険性が潜んでいるように思えます。

そもそもネット上にあるのは、あなたではありません。

たとえば猫のキャラクターなどでやりとりする……、挨拶を交わしたり、感謝を表現したり、そうした交流は楽しいものですよね。もちろん否定する気はありません。

しかし、そのかわいいキャラクターを自分、あるいは自分の分身だと思い込むような心の働きがあることには、注意しておいたほうがよさそうです。

■自分を見失わないために

素朴なやりとりから、その表現自体を自分と同一視する感覚が生まれ、そして「自らのアカウント」を「自分」と感じるようになってしまうまで、そこに連続性があることも、自覚しておいた方がよいでしょう。

いくら自分のページを着飾っても、いくら「いいね」をもらっても、あなた自身が持つべき本来の自信にも、深い安らぎにも、最終的にはつながらないのです。

丸山俊一『14歳からの個人主義』(大和書房)
丸山俊一『14歳からの個人主義』(大和書房)

最近、ネットの中で不安や疎外感を抱くことで生まれたと思われるような事件も生まれています。事件にまでいたらずとも、自尊心を傷つけられ、本来の自分を見失う人も増えています。

スマートフォンは、使い方を誤らないよう注意が必要な、現代の「鏡」だと言えるのかもしれません。

では、こうした錯覚から抜け出し、いたずらに心を弄ばれてしまうことがない自分を維持していくにはどうしたらよいのか? こうした時代だからこそ、社会との関係性を保ちながら「自分を持つ」ということの本当の意味と大事さを、あらためて考えてみてほしいと思います。

『14歳からの個人主義』では、先人たちの思想をヒントに考えていきます。この本が、皆さんが自分らしく生きるための一助になることを願っています。

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丸山 俊一(まるやま・しゅんいち)
NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー
NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー、東京藝術大学客員教授、早稲田大学非常勤講師。1962年長野県松本市生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、NHK入局。「英語でしゃべらナイト」「爆笑問題のニッポンの教養」「ニッポンのジレンマ」「ニッポン戦後サブカルチャー史」ほか数多くの教養エンターテインメント、ドキュメントを企画開発。現在も「欲望の資本主義」「欲望の時代の哲学」「世界サブカルチャー史~欲望の系譜~」などの「欲望」シリーズのほか、「ネコメンタリー 猫も、杓子も。」「魂のタキ火」など様々なジャンルの異色企画をプロデュースし続ける。著書に『14歳からの資本主義』(大和書房)『結論は出さなくていい』(光文社新書)などがある。

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(NHKエンタープライズ エグゼクティブ・プロデューサー 丸山 俊一)

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