「あんたなんか人の子じゃない」母親の止まない暴力に中学生の少女が味わった絶望
プレジデントオンライン / 2022年1月21日 19時15分
■中学1年の時に母からビンタを受けた少女
母を殺したい。
中学1年の時に母から受けたビンタが全ての始まりだった。
マドカ(仮名)は好物のアイスを食べ終わり、使い捨てのスプーンをごみ箱に投げ入れた。ただそれだけのことで、母が突然マドカのほおを張った。
「えっ、なんで? なんで?」しかられる覚えはなく、ぼうぜんと立ち尽くした。
母は44歳でマドカを産んだ。父はマドカが10歳の時に病で亡くなり、仙台市で2人暮らしになった。社交的な母は自宅にママ友を招いたり、陶芸、パン作りを教えたりしていた。家には多くの人々が出入りした。
その母の異変は「アイス事件」だけでは終わらなかった。
マドカが洗濯物を干したそばから、どうしてか母が取り込んでしまう。乾いてないのに何をしてるの? 「やめて」と母に言った。今度は往復ビンタが飛んできた。母は、言いたいことをうまく言葉にできなくなっているようだった。そして日常的に娘に暴力を振るった。
ある日、母はものすごい勢いでマドカを罵(ののし)った。
「あんたなんか人の子じゃない、鬼の子だ!」
お母さんの子だよ、とツッコミを入れるとまた殴られた。
ある日は殴る蹴るした後、泣いているマドカに、母はきょとんとして「どうしたの?」と尋ねた。
マドカは反発した。深夜まで母と罵り合い、殴られる日々が始まった。お互いに力尽きると電池が切れたように眠る。毎日その繰り返しだった。次第に母は身の回りのことができなくなった。焦げた食事を出され、「これ、食べるの?」と聞くと殴られた。
マドカは洗濯や買い物、食事の準備を手伝った。ポン酢をかけたうどんか、冷凍食品のドリアばかりだったような気がする。別居している姉が心配しておかずの作り置きをしてくれた。ありがたく少しずつ食べた。
■豹変する母親、孤立する家族
母と深夜まで争うから、朝は起きられない。学校に遅刻するのが日常茶飯事になった。
「給食が食べられればそれでいいや」
中学の教師からは問題児扱いされ、よく呼び出されて説教された。息抜きに音楽を聴きながら自転車で登校して、音楽プレーヤーを没収された。同級生ともしょっちゅうケンカをした。
今思えば、我ながら、心のとがった嫌なやつだった。
学校でしかられる度、いっそ全部吐き出してしまおうかと思う瞬間があったが、打ち明けてもどうにもならないという諦(あきら)めがまさった。
家庭訪問の日、家は灯油が切れて寒かった。電気も切れていたかもしれない。教師と母の会話はもちろんかみ合わなかった。
それからその教師は少しだけ優しくなった。
「不良の親の顔を見てやろう」と乗り込んできたのに、あまりに悲惨でかわいそうになったのかな? 同情されるっていいもんだな、とマドカはちらっと考えた。ただ、状況は何も好転せず、教師たちはあいかわらず「頼れる大人」ではなかった。
「助けて!」夜中、母と争うマドカの悲鳴は隣近所に響いたはずだが、近所の人に何か助けてもらった記憶はない。
あれほど多かった人の出入りもぱったり無くなった。回覧板、ゴミ出しの後の掃除当番など、マドカの家庭は町内会の決まりにうまく従えなくなり、結果として「地域で浮いて」いた。
■母は前頭側頭型認知症だった
救いは20歳ほども年の離れた兄や姉の存在だった。それぞれ独立して家を出ていたが、「母の様子がおかしい」と病院に連れて行ってくれた。
50代後半だった母は「ピック病」と診断された(これは当時の呼称で、今なら前頭側頭型認知症)。でも、病名が付いたところで、マドカの生活そのものは何も変わらなかった。
友達にも相談できなかった。
給食がない日、母が作った弁当のふたを開けると、冷凍のミックスベジタブルだけがぎっしり詰まっていた。誰にも見られないようにこっそり食べた。
母は日中だけデイサービスを利用していた。ある時、同級生に聞かれた。
「マドカのお母さんってデイサービスに行ってる?」
その子は、私のお母さんがそこで働いてるんだ、と言った。
恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしい。消えたい、消えたい、消えたい。“親がまともじゃない”なんて知られたくなかった。普通の子でいたかったのに。中学生の小さなプライドが音をたてて崩れた。
でも、その子はそのことを誰にも言わず、マドカをバカにすることもなかった。学校から家に帰れば母とマドカ、2人きりの生活が続く。母の暴力や暴言はやまなかった。
今見ているのが天井なのか床なのかもわからないほど、毎日打ちのめされた。
■「母を殺して自分も死のう」
妄想ともつかない考えが頭に浮かぶようになったのは、その頃だっただろうか。母がベッドに横たわって死んでいる。隣に立つ自分は虚脱して全身に力が入らない。そんなイメージがマドカの頭を占領した。
「殺そう」。もう終わらせたかった。律義なもので、その時は自分も相応の罰を受けるべきだと思っていた。母を殺して自分も死のう、それで「落とし前」をつけよう。
授業中、母を殺す方法をじっと考えた。以前にニュースなどで見た知識を振り絞った。
①風呂に沈める。浴槽のふたを閉める。
②母の顔を枕に押しつける。
③ガス栓を開いて一緒に死ぬ。
インターネット検索がまだそこまで普及していなかった時代、ガラケーの中学生に思いつくのはそれが限度だった。結局、実行しなかった。
ふと、子どもの悩み相談ダイヤルに電話してみようと思ったことがある。学校で配られたプリントにそんな案内があったような気がした。ところが、電話の受け付けは「平日の午前9時から午後5時まで」だった。
ものすごく腹が立った。誰がそんな時間に殺したくなるかよ。殺したくなって、死にたくなるのは夜中だよ!
■兄と姉、教師の救いの手
しかし高校に入ると転機が来た。マドカは姉の家に身を寄せる日が増えた。
実家に戻ってきた兄が母の介護の大半を引き受けてくれた。「○○さん(母の名前)、ご飯ができましたよ」。母に敬語で接する兄を、不思議な気持ちで眺めた。
高校の授業で、何かの作文に家族のことを書いて提出した時のことだ。
「ちょっといい?」
国語の教師から個人的に呼び出された。マドカの家の事情を聴くと、教師は顔色を変えてすぐに言った。
「きょう学校が終わったら、地域包括(支援センター)に行こう」
地域包括ってなんだろう? いきなり言われてピンとこなかった。その「ちょっと熱血」な教師があれこれ世話を焼いた結果、母の入院が決まった。その教師が神さまに見えた。
■今も残る「絶対、許さない」という感情
27歳になった今も、母に対しては複雑な思いを抱えたままだ。それは病の進んだ母がマドカのことを忘れてしまったことが影響している。
父を早くに亡くし、きょうだいとも年の離れたマドカは、母の愛情を一身に受けて育った。母に「きょうだいの中で誰が一番好き?」と無邪気に尋ねる子だった。かつて、母に愛されているという自信があった頃のことだ。
高校に入って母と別々の時間が増えると、間もなく母はマドカのことがわからなくなった。こんなに簡単に忘れるのか、と衝撃を受けた。生まれてきたことさえ否定された、という気がした。
「絶対、許さない」。このとき湧いた感情をずっと引きずっている。その後、母は施設や病院で暮らしたが、訪ねて行く気にはならなかった。「大好きなお母さん」という感情は最期まで戻らなかった。
19年11月に母は亡くなった。
葬式に同級生の母親が2人来た。マドカは知らなかったが、その2人は母の病院にも見舞いに行っていたらしかった。
「たくさんの人がマドカちゃんのお母さんにお世話になったの。それは忘れないでね」
そういえば、お母さんが病気になる前、うちは人がいっぱい来る家だったなあ。「明るく輝いていた」時の母を知る人の言葉がとても新鮮に響いた。
■「今思えば」は山ほどあった…母の苦しみ
大学でマドカは福祉を学んだ。なぜその道を選んだのか、自分でもうまく説明できない。
卒業後、介護老人保健施設を経て、東京都内のグループホームで管理者として働く。介護する側とされる側、その家族を客観的に見る立場になって、自分の過去を振り返ることがある。
認知症の母はブルーベリージャムでご飯を炊いてしまったり、マドカには小さすぎる子ども用の布団を用意してしまったりした。母なりに「母親でありたい」ともがいていたのかもしれない。暴力や暴言は、言葉がうまく出てこないなりに苦しんでいたのかもしれない。
「パート先でうまく働けない」と母は悲しんでいた。その時はもう認知症が始まっていたのかもしれない。それでもマドカのために働こうとした。「今思えば」は山ほどあった。
歯磨きの仕方、自転車の乗り方、そして生きるすべを身につけさせてくれたのは母だった。華やかで活発な母のことが、やっぱり好きだったのだ。
■たまたま目にした新聞の見出し
マドカの勤め先のグループホームでは、利用する高齢者のために新聞をとっている。20年3月のある日、誰かが毎日新聞を開いていた。めったに新聞を読まないマドカだが、たまたまその見出しが目に入った。
介護する子? ヤングケアラー?
「おばあちゃん、ちょっと待って。その新聞ちょうだい」。思わず声をかけた。
取材班のキャンペーン報道の最初の記事だった。これ、まるで私だ。「子どもによる家族ケアは美談ではない」という識者のコメントが印象に残った。
その後はヤングケアラーの記事に気づく度に切り抜いた。ところどころ蛍光ペンで線を引いて読み込んだ。ネットのニュースも注意して見るようになった。半年後、思い切って取材班にメールを送った。
20年の10月中旬、駅の改札前で初めて会ったマドカは、カジュアルな装いで肩にトートバッグをかけていた。緊張からか表情は少し固かったが、話し方は親しみやすく、飾らない人柄を感じさせた。駅に近いファミリーレストランで話を聞くことになった。
マドカはトートバッグから、毎日新聞の切り抜きが入ったクリアファイルを取り出した。「読んだ時、これはヤバいって思いました」と笑った。取材を受ける人には珍しく、テーブルにノートを広げてメモを取った。綺麗(きれい)な字だった。
マドカは、切り抜いた新聞記事や姉から改めて聞いた話のメモを携えて取材に臨んだ「本当に、毎日、毎晩、母親を殺そうと思っていたんで」。話は尽きず、別の日も、また別の日も同じファミレスで会った。インタビューは合計10時間に及んだ。
マドカと2回目に会ったのは、神戸市のAが起こした介護殺人の記事が配信された直後だった。毎日新聞神戸支局が執筆した記事を読んで、介護する家族に殺意を抱くほど追い詰められたAを自分に重ね、かつての自分が呼び起こされたと言った。
■介護を家族だけで抱え込む必要はない
中学生の頃のマドカも、誰にも相談できなかった。姉がやりとりをしていたケアマネジャーは見慣れない「大人」で、会う度に緊張してしまったという。もしAが相談してきたら何を言ってあげられただろう、と自問していた。
「Aは周りが見えなくなっていたんだと思う。幼いと自分の世界は狭い。それだけが全てだと思ってしまうんですよ」
「子どもの知識の無さをなめちゃいけない。はんぱなく知識が無い。だから『助けて』と外の世界に手は伸ばせない」
独特の言い回しでマドカは熱を込めた。
SNSやネットニュースのコメント欄でAの親族が中傷されていることに、マドカは心を痛めていた。「一緒に介護しても、一緒に疲れ果てていたかもしれない。家族を責めるだけでは事件はなくならないですよね」
Aの祖母を施設にぶちこめ、と罵倒するネットのコメントには怒りを隠さなかった。
「Aのおばあちゃんは家で暮らしたかったんでしょ? 家族も福祉の人も、じゃあ施設で、と簡単には割り切れない」
介護を家族だけで抱え込む必要はない、と自分も専門家になったマドカは理解していた。
■母を理解してあげられなかった後悔
バランスを取って介護計画を考えるのが福祉の仕事のはずだ。専門家たちはいったい何をしていたの? 彼女はそう言うと歯がゆそうな顔をした。
そして「また間に合わなかった」と悔いていた。福祉の仕事に携わる自分ももっと何かできたんじゃないか──。繰り返される介護殺人や虐待事件に、福祉や医療の力不足を感じるという。
福祉の知識を得て、施設で高齢者と接した実感があった。介護現場は創意工夫に満ちていて、介護する方も、される方も笑顔になれる。
27歳のマドカは、介護とはつらいだけのものではない、と思うようになっていた。
「私は母を理解してあげられなかった後悔がある。それと、中学生の頃の私に手を差し伸べられるような人間になりたい」
あなたはなぜ、お母さんを殺すことを思いとどまったんですか?
そう問うと、マドカは言葉を一生懸命探していた。
「勇気がなかったのかもしれない。人を殺すからには、自分も死なないといけないと思っていたから」「いや、勇気って言うとちょっと違うかも……」「神戸の人よりも、私は少し周りに恵まれていたのかもしれない」
■「あの時、母を殺さなかった自分に感謝しています」
あの頃は未来が全く見えなかった。明日も明後日もこうなんだ、と生き延びることで精一杯だった。神戸の人もそうだったんじゃないか。
「殺し方を考えている間は、たぶんやれない。介護をやっていると、ふっと真っ白になる瞬間があるんですよ。その時に彼女は殺しちゃったんだなって思う。当時、真っ白になる瞬間があったら私も殺していたと思う」
しかし、母の暴力に暴力でやり返すことだけはしなかった。それが自分を人間としてつなぎとめてきたように感じている。
「あの時、母を殺さなかった自分に感謝しています」
故郷を離れ、高齢者グループホームで働くマドカ。11月の良く晴れた日、マドカと一緒に商店街を歩いた。ある花屋の前を通りかかると、マドカは笑って店を指した。
「グループホームに飾る花をここで買ったんです。すっごく高かった」
彼女の半生を描いた記事は、この時に撮影した写真とともに毎日新聞に掲載された。
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(毎日新聞取材班)
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