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「おい、AD!」と気軽に呼べない…大手テレビ局の社員がADに気を遣うようになったワケ

プレジデントオンライン / 2022年1月18日 17時15分

※写真はイメージです - 写真=iStock.com/mediaphotos

テレビ局には番組を制作するディレクターの補助をする「AD(アシスタント・ディレクター)」という職種がある。元テレビ朝日プロデューサーの鎮目博道さんは「これまでADは長時間労働が当然視されてきた。だが、派遣会社のADが増えたことで、その扱いも大きく変わりつつある」という――。

■雑用、長時間労働…変わりつつあるADの働き方

「AD」と言えば雑用や長時間労働のイメージを思い描く人は多い。1月14日の「東スポweb」によると、「AD(アシスタント・ディレクター)」という呼称を廃止する動きが出ているという。

呼称を変えることで、イメージの刷新を図り、テレビ局内の意識を変える狙いがあるという。日本テレビは、「YD(ヤング・ディレクター)」と呼ぶことになっているそうだ。

「呼び方を変えても実態が変わらなければ全く意味がない」という指摘は確かにその通りだろう。もし日本テレビが「呼び名を変えるだけ」ではなく、実態も変えるのであれば、あながち「YD」は悪くないかもしれないな、と私は思う。

本当の問題は、「局員」とそれ以外の「下請けの制作会社」社員との圧倒的な待遇格差だと思う。ADの呼称変更はこの問題の表層にすぎないと考えている。

ADの一般的なイメージとは異なり、テレビ業界でいま一番優遇されているのは、ある意味「AD」だと言っても間違いではない。それはなぜか?

びっくりするほど人手不足だからである。

どの番組の制作現場でもだいたいADの取り合いになっている。その結果ADが一番「気を遣われている」と思う。ある意味「腫れ物に触る」ような感じで扱われているとすら感じる。なぜか? それにはいくつかの理由がある。

■辞められると番組制作に支障が出る…

まず、最大の理由は「厳しくすると辞めてしまうから」である。若者のテレビ離れが言われ、ただでさえなり手が少ないADなのに、昔のように厳しく接すればすぐに辞めてしまう。そうなればたちまち番組制作に支障が出てしまうことになる。

次いで、「コンプライアンスや働き方改革についての放送局の認識が高くなったから」である。局のプロデューサーから「ADの待遇をちゃんとするように」と口を酸っぱくして指導がくる場合が多い。

そしてもう一つの理由は、ADの雇用形態だ。かつてADは局や制作会社の若手社員やフリーランスがその多くを占めたが、現在ではAD派遣会社から派遣されてきている場合が多い。

制作会社のディレクターたちにとって、自社の後輩であれば「将来のためを思って」などという建前で厳しく接しやすいだろうが、別の派遣会社から派遣されてきているとなるとなかなか厳しくしにくい。

しかも、契約の問題もあって決められた勤務時間をきっちり守らないとクレームがくるし、パワハラ的なことがあればすぐに問題になる。

PA卓を操作する音響エンジニア
写真=iStock.com/sizsus
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/sizsus

■「AD派遣会社」の功罪

ということで、実はかつてADがやっていた仕事を今では別の人たちが行っているケースが増えてきた。雑務はアシスタントプロデューサーやプロデューサーが行う場合も多いし、リサーチはリサーチャーやリサーチ会社に依頼することが多くなってきた。

そしてADの代わりに誰よりも働いているのが、他ならぬディレクター自身だ。上から怒られるから、ADは定時で帰宅させて、そのあと自分でさまざまな雑務をすることになり、ディレクターの仕事量はいま急増している。

特にフリーランスなどの立場で「1本制作していくら」という契約で仕事を受けているディレクターにそうした負担増が重くのしかかる。仕事量や拘束時間が増えても「1本いくら」という単価が上がるわけではなく、むしろ制作費削減の影響で下がっていたりするからだ。

ギャラもある意味「局員を除けばADが一番高い」と言えなくもない。派遣会社に支払う金額はかなり高い。番組制作現場の人件費は、「派遣会社に払うADのギャラ>フリーランスのディレクターのギャラ>制作会社のプロデューサー」という場合も多い。

ただし、派遣会社が「中抜き」をするのでAD本人に渡る金額は高くはない。むしろ安い。だからADのなり手は一層少なくなる。しかも、「AD派遣会社」に所属している限り、どれだけ長期間働いてもディレクターになれることはほぼない。

自力で制作会社に転職しない限り、いわば永遠にキャリアアップはあり得ないわけだから、嫌になって辞めてしまう人が多いのも無理はないのだ。

■重要なのは「隷属的な立場」の改善

このたび、日本テレビがADという呼称を廃止して「ヤングディレクター(YD)」に変更すると「東スポweb」が報じた。ネット上では批判の声が多く寄せられていた。

中でも多いのが、「呼び方を変えても実態が変わらなければ全く意味がない」という指摘だろう。確かにその通りだ。呼称として若干ダサいのもあって、私の周りのディレクターやプロデューサーたちも笑い話として雑談のネタにしている感じがある。

しかし、もし日本テレビが「呼び名を変えるだけ」ではなく、実態も変えるのであれば、あながち「YD」は悪くないかもしれないな、と私は思う。

不況でテレビの制作予算が削減される一方な現在、なかなか「金銭的待遇」の改善は難しいかもしれないが、「ADという隷属的な立場」を変えることは、本気になればできるような気がするのだ。

■「人間の扱いを受けなかった」かつてのADの働き方

私たちが業界に入った頃は、ADはまったく人間的な扱いを受けていなかった。

あたかも「ディレクターの手下、あるいは奴隷」として、言われるがままにディレクターの雑務をこなし、個人的な買い物や用事まで押し付けられて、パワハラや場合によっては暴力などを受けることすらあった。

家にもほとんど帰れず、徹夜や泊まり込みが続き、服が臭ってくる。そのイメージが現在でもあまりにも強すぎる。これでは、人権意識の高い現代の若者が「絶対やりたくない」と思うのは当然だ。

深夜暗い部屋で残業する若い女性
写真=iStock.com/K-Angle
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/K-Angle

しかし、実はいまADの仕事はそんな「雑用」の域を出つつある。

いろいろなソフトを使ってパソコンで番組制作の大半が行われているいま、時代遅れでITリテラシーの低い中高年のディレクターよりも、よっぽど若いADの方がある意味「使える存在」なのだ。

威張っているおっさんディレクターも、実はさまざまな面でADに頼っていて、彼らがいないと自分ではできない作業も増えてきている。番組制作費の削減により、ADが撮影を行ったり、1人でロケに行ったりすることも非常に多い。

いまや、実態的にADは「ディレクターとほぼ同じ、あるいは場合によってはディレクター以上の」働きをしているのがある意味テレビ業界の実態なのだ。

■「ADの呼称変更」が希望であると言える理由

だとすれば、「ADという仕事をなくし、YDとしてちゃんと認める」という日本テレビの新しい取り組みは、ある意味精神論かもしれないが、あながち意味のないことではないのではないか。

もちろんそれは今後YDと呼ばれる人たちがどう扱われるかという「実際の運用」によるとは思うが、「隷属的なADではなく、YDとして一人前のプロとして認められる」ことによって若いテレビマンたちがやる気を出す可能性もあると私は思う。

少し違う話かもしれないが、私の知っている大手IT企業では、入社したばかりの若い社員にすぐ「企業内ベンチャーを自分で起こさせ、その子会社の社長にする」ケースがある。

「入社いきなり社長」というのは、私などは責任が重くて嫌だなと思うが、見ていると彼らは嬉々として働いている。それも、多分まあまあ激務だ。肉体的にも精神的にも仕事漬けの毎日だろうが、積極的にやる気を出して嬉々として働いている感じに見える。

よく「現在の若者は働かない」とか「仕事が厳しいとすぐに辞める」と言われるが、この「入社いきなり社長」たちを見ていると、どうやら彼らが嫌なのは「仕事が忙しいということよりも、隷属的な下働き」なのではないかという気がする。

「ADという下積みを経て、先輩の仕事ぶりを観察して“盗む”ことでいつか一人前のディレクターになる」などという人生設計があり得ないのではないか。

であれば、業界に入りたての頃から「YDという一人前として扱われ、自発的に考えて仕事をしていく」というスタイルに転換していくことは、ひょっとしたら「若者のテレビ業界離れ」を食い止める可能性があるかもしれないな、と私は少し希望的に考えてしまうのだ。

■「局員」と「下請け」の待遇格差を放置してはいけない

いずれにしろ、以上のような理由で私は今回の報道を期待感を持って見守っていきたい。ただ、最後に一つどうしても付け加えたいことがある。

それが「テレビ業界における圧倒的な給与・待遇格差」の問題だ。

もうみなさんよくご存じかもしれないが、テレビ業界では圧倒的にテレビ局員の給料が高い。制作会社の正社員と比べても、優に倍ちかい差が開いている実態がある。

テレビ放送というビジネスの売り上げが縮小し、かつてのような「濡れ手で粟(あわ)」的な「おいしい商売」ではなくなった今でも、かつてほどではないとはいえ放送局の「局員」たちは世間一般より高額な給与と待遇を得ている。

一方で制作現場を実質的に支える制作会社やフリーランスのスタッフは、制作費の削減もあり待遇がどんどん悪化し、未来に希望が持てない現状は改善される見通しはまったく立っていない。

テレビのニュースで「同一労働、同一賃金」などという言葉をよく放送する割には、テレビ業界にはどこにも「同一労働、同一賃金」など存在しないのが実態だ。

こうした「制作費を削減してでも、自社の利益と従業員の高給を維持する」という放送局の姿勢が変わらない限り、本質的に放送業界を目指す若者が増えることはない。

そして、テレビ業界の地盤沈下とテレビ番組の質の低下も、改善することはないということはぜひ業界の偉い人たちに認識してもらいたい。

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鎮目 博道(しずめ・ひろみち)
テレビプロデューサー・ライター
92年テレビ朝日入社。社会部記者として阪神大震災やオウム真理教関連の取材を手がけた後、スーパーJチャンネル、スーパーモーニング、報道ステーションなどのディレクターを経てプロデューサーに。中国・朝鮮半島取材やアメリカ同時多発テロなどを始め海外取材を多く手がける。また、ABEMAのサービス立ち上げに参画。「AbemaPrime」、「Wの悲喜劇」などの番組を企画・プロデュース。2019年8月に独立し、放送番組のみならず、多メディアで活動。上智大学文学部新聞学科非常勤講師。公共コミュニケーション学会会員として地域メディアについて学び、顔ハメパネルをライフワークとして研究、記事を執筆している。 Officialwebsite:https://shizume.themedia.jp/ Twitter:@shizumehiro

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(テレビプロデューサー・ライター 鎮目 博道)

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