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「なぜ愛子天皇ではダメなのか」国民の支持がない象徴天皇制は絶対に維持できない

プレジデントオンライン / 2022年1月18日 15時15分

上皇ご夫妻にあいさつするため、高輪の仙洞仮御所へ向かわれる天皇、皇后両陛下と長女愛子さま=2022年1月1日、皇居・乾門 - 写真=時事通信フォト

■「愛子天皇」は憲法の理念にもかなうはず

愛子さんが天皇になってはなぜいけないの?

多くの国民が疑問に思っているに違いない。

新聞を始め、テレビ、通信社の世論調査、どれも「愛子天皇を望む」という声が7割以上あると報じている。

憲法第1条には「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く」とある。それなのに男性しかなれないというのはどう考えてもおかしいと思う。多くの国民が望んでいる愛子天皇は憲法の理念にもかなうはずだが、事はそう簡単ではないようだ。

憲法第2条に「皇位は、世襲のものであって、国会の議決した皇室典範の定めるところにより、これを継承する」とあり、皇室典範には「皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する」と定められているからだ。

2017年に天皇退位の特例法を制定したとき、「安定的な皇位継承を確保するための諸課題、女性宮家の創設等について、特例法施行後に速やかに検討するように」という付帯決議に基づいて「有識者会議」が立ち上がることになった。

特例法が施行されて2年以上がたってようやく設置された有識者会議が、昨年の12月22日に報告書をあげ、岸田文雄首相が衆参両院の議長に提出したが、安定的な皇位継承を確保するには程遠い内容である。

■「機が熟していない」と継承の議論を先送り

報告書では、悠仁さん以降の継承ルールを議論するには機が熟していないと、先送りしてしまっている。

一番重要な課題を切り離し、皇族数の確保こそが喫緊の課題だとして、「女性皇族が結婚後も身分を保持する」「今は認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系男子を皇族とする」という2案を示しているが、何のために有識者なる者を集め、議論したのか理解に苦しむ内容である。

「透けて見えるのは『皇位は男系男子が継がねばならない』という考えだ。継承ルールは議論しないといいながら、国民の間に一定の支持がある『女性・女系天皇』の芽を摘んでしまう仕掛けが講じられている」(朝日新聞1月13日付)

朝日は一定の支持があると過少に書いているが、女性天皇待望の声はますます大きくなっているのだ。

■「女性皇族の子は皇位に就かせない意思を表した」のか

愛子さんは昨年12月1日に20歳になった。母親似の晴れやかな姿は多くのメディアで取り上げられ、愛子天皇待望論はいやがうえにも高まっているのである。

そんな世論の背景を見てみないふりをして、“時代錯誤”のような報告書を作り上げたのはなぜなのか。

朝日が指摘しているように、女性皇族が結婚して皇室にとどまったとしても、配偶者と子どもは皇族としないとすれば、「一つの家族の中に皇族と一般国民が同居するという分かりにくい形をとってでも、女性皇族の子は皇位に就かせない意思を表したものではないか」(同)。

また、養子縁組でも、養子になれるのは男系男子に限る、対象として戦後改革で皇籍を離れた旧11宮家の男子と明記したのは、「(有識者=筆者注)会議の聞き取りに応じた複数の憲法学者が『門地(家柄、門閥=筆者注)による差別を禁じた憲法に反する恐れ』を指摘したが、無視された格好だ」(同)

■岸田首相は女系天皇反対、女性天皇は容認?

ダイバーシティをないがしろにし、女性差別、憲法違反の疑いのあるものをまとめ、何が何でも愛子天皇実現を阻止するという報告書にしたのはなぜなのか?

流布されている説として有力な一つは、安倍晋三元首相が頑なに「女性・女系天皇に反対しているから」というのがある。在任中に「女性が輝く社会」を掲げ、女性活躍推進法を成立させた張本人が、皇室だけは男尊女卑というのでは筋が通るまい。

安倍元首相だけではなく、菅義偉前首相も消極的な反対派で、ポスト菅の総裁選に出馬した岸田文雄氏、高市早苗氏も反対の意思を表明した。

岸田氏は、女系天皇を認めるかどうか質問され、「反対だ。今そういうことを言うべきではない」といい切ったが、これは安倍氏の支持を得るための方便だったといわれる。その後、歴史上前例のある女性天皇は許容してもいいのではないかと考えているといわれているようだ。

安倍氏の“寵愛”を受けている高市氏は当然女系天皇には反対だ。文藝春秋1月号でその理由をこう語っている。

■「今の時代に変えてしまったら、やり直しはききません」

「愛子さまが天皇に即位されたら、男系(父が天皇)の女性天皇になられる。その後、仮に愛子さまがAさんという民間の男性と結婚され、第一子に女子が誕生して天皇に即位されると、『女系(母親もしくは母方の先祖が天皇)の女性天皇』となられます。この天皇の祖先はA家、女系の祖先は小和田家(雅子さまの父親の姓)ということになります。最初は男系の女性天皇、次に女系の女性天皇にすると、二代で男系の祖先も女系の祖先も民間人ということになってしまいます。

結婚指輪と人工花
写真=iStock.com/jreika
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/jreika

父方の血統が、初代天皇から繋がっているのが皇統です。二千六百年以上の長きにわたり、一度の例外もなく男系でした。男性の天皇であっても女性の天皇であっても、南北朝時代にあっても、父親をたどれば必ず歴代の天皇に連なるという継承を維持してきた。今の時代に変えてしまったら、やり直しはききません」

これが女系天皇に反対している人たちの典型的な考えなのだろう。

文藝春秋から、歴代の天皇の約半数が側室を母に持つ庶系(正妻の子どもではない。庶子)の天皇だから、男系男子という伝統を守り続けるのであれば側室制度を復活させなければ無理なのではと問われ、

「側室制度の復活などは、考えたこともございません(笑)」

と答えている。

■「皇室不要論」につながるのではないかと危惧

そうであれば、将来、悠仁さんが結婚すれば、その妃にはかつての雅子皇后のように、男の子を生まなくてはという強烈なプレッシャーがのしかかってくるのだ。そんな苦労を承知で嫁いでくる女性がいるだろうか。

高市氏は、男女平等だからという価値観でこの問題を議論する方がいるが、男系も女系の子孫も民間人という人間が天皇に即位したら、「皇室不要論」につながるのではないかと危惧しているようだ。

文藝春秋から、国民の間には女性天皇待望論が根強くある、NHKが2019年9月に行った世論調査では、女性天皇に賛成する人が74%、特に18歳から29歳までの若い世代では90%が賛成だったがと聞かれ、「その調査については、私は承知しておりません」と、知らないふりをしている。都合の悪いことには耳を貸さない。

高市氏は、女性天皇に反対する立場ではないと矛盾することもいっているのだが、「現実的には女性が皇位を継がれることは大変」だから無理ではないかと、体力の問題にすり替えている。

保守派の考えはここに集約されるのだろうが、愛子天皇を認めないというには、論理が薄弱だと思う。

すでに秋篠宮が天皇にはならないと表明している。皇嗣という立場で即位を拒否できるのかどうか、私には分からないが、もしそうなれば、皇位継承者は常陸宮と悠仁さんだが、常陸宮は86歳という年齢から考えても厳しいだろうから、悠仁さんしかいないのが現実である。

■悠仁さまの即位拒否も「決してあり得ないとは言えません」

週刊新潮(1月20日号)で麗澤大学の八木秀次教授がこういっている。

「“開かれた皇室”という風潮には、スマホやSNSの普及も大きく影響しています。この数年で、誰でも気軽に意見ができるようになり、皇室が身近なものになり過ぎてしまいました。畏れる存在という意識が、世間からなくなりつつあるように感じます。そんな中で眞子さんは“私”を通したわけですが、皇室においてもっぱら個人のご意思が尊重されるような流れが定着してしまえば、これに続いて先々、悠仁さまが“天皇になりたくありません”と即位を拒否なさるようなことも、決してあり得ないとは言えません」

自民党の保守派も今回の有識者たちも、仮にそうなったとしても、まだ先のことだと考えているのかもしれないが、大正天皇のときは、悠仁さんと同じ15歳で「お妃選び」が始まっていたそうだ。

皇太子が結婚したのは33歳だったが、秋篠宮は24歳だったから、残された時間は少ないのに、有識者会議の報告書にはその危機感が感じられない。

■小泉政権時代の女性・女系天皇容認論は深まらず…

悠仁さんにかかる負担を少しでも軽くするためにも、愛子天皇の実現が急務だと思う。伝え聞くところによると、上皇も愛子天皇を望んでいるといわれる。だが、そのためには皇室典範の改正がなされなければならない。

1947年に現在の皇室典範は制定された。そこでは明治の皇室典範にあった正妻以外の女性(側室)の子どもやその子孫であっても皇位継承を認めるとしていたのが、当然ながら外された。だが、継承資格の「男系男子」という縛りは残してしまったため、現在のような後継問題が常に付きまとうのである。

この問題を解決しようと動いたのは小泉純一郎首相(当時)だった。彼が設置した「皇室典範に関する有識者会議」が提出した報告書には、全員が一致したとして、こう書かれている。

「今後における皇位継承資格については、女子や女系の皇族に拡大することが適当である」

これが通っていれば、今のような事態は起きていない。だが、この報告書が出た直後に、秋篠宮紀子さんの懐妊をNHKが報道し、9月に悠仁さんが誕生した。

そのために改正案を国会へ提出することを見送ったのである。小泉の後に首相に就いた安倍氏がこの問題に手を付けることはなかった。

■女性の推古天皇が「最初の天皇」だった?

保守派が常に振りかざす「天皇は万世一系」という言葉も、多くの歴史研究家たちから疑問が投げかけられているようだが、それはさておき、千数百年、125代という皇位継承の歴史の中には、10代、8人の女性天皇が登場することはよく知られている。

私のような無学な者でも、神話の中で頂点に君臨した最高神は“太陽の女神”である天照大御神で、伊勢神宮に祀られ、歴代天皇が崇拝していることは知っている。

中でも推古天皇は、強いリーダーシップを持っていたという。

『女性天皇の成立』(幻冬舎新書)を上梓した皇室研究家の高森明勅氏によると、「現在にまでつながる『天皇』という君主の称号が、この天皇の時代に成立した事実だ。これは、日本の歴史上、すこぶる重大な意義をもつ“飛躍”だ。推古天皇は厳密な意味で『最初の天皇』だった」可能性が高いというのである。

雑誌『青鞜』の創刊号に寄せた平塚らいてうの言葉、

「元始、女性は実に太陽であった。真正の人であった。今、女性は月である。他に依って生き、他の光によって輝く、病人のやうな青白い顔の月である」を思い起こす。

さらに高森氏は、日本という国号の制定は689年で、持統天皇の即位は翌年だから、最初の天皇も、“日本初”の天皇も「女性」だった可能性が高いといっている。

■皇室典範はさっさと改正すべき

また高森氏は、第44代の元正天皇は女系天皇だったと指摘している。父親が草壁皇子で天武天皇につながるから「男系天皇」といわれているが、母親は元明天皇だから「女帝の子」、当時の「大宝令」に照らし合わせて、女系天皇とされていたことに疑問はないといっている。

さまざまな解釈はあるにせよ、天皇の歴史において、中継ぎではない実力派の女性天皇が幾人も現れてきたことは間違いないようだ。

シナ(中国)や韓国と違って、日本では古代、女性が比較的高い地位を認められていたようだと高森氏はいう。

日本の美
写真=iStock.com/miko315
※写真はイメージです - 写真=iStock.com/miko315

さらに付け加えれば、『天皇はなぜ生き残ったか』などの著作がある東京大学史料編纂所の本郷和人教授は、

「江戸末期になるまで、ほとんどの庶民は『天皇』という存在すら知りませんでした。それ以降、本居宣長らをはじめ国学が興ったことで、古事記などを読んだ人々が天皇を再発見したのです。“日本人とは何なのか”というアイデンティティ確立の過程で、庶民の側から天皇を“見つけた”わけです」(週刊新潮1月13日号)

庶民が天皇を発見した江戸時代は男尊女卑が激しい時代で、「男児が生まれなければお家断絶・取り潰し」が行われていたが、そんな時代に明正天皇と後桜町天皇という2人の女性天皇がいたことは驚きである。

それなのに男女平等といわれる現代で、天皇だけが男でなければいけないなどとする皇室典範はさっさと改正すべきこというまでもない。

政治家たちの自分勝手な思い込みで、皇室典範の改正を遅らせ、安定的な皇位継承の方策を遅延させることは批判されてしかるべきである。

■「女性天皇になるか主婦になるか」極端な選択肢しかない

成人になった愛子さんは、発表した感想の中でこう述べている。

「これからは成年皇族の一員として、一つ一つのお務めに真摯に向き合い、できる限り両陛下をお助けしていきたいと考えております。そして、日頃から思いやりと感謝の気持ちを忘れず、小さな喜びを大切にしながら自分を磨き、人の役に立つことのできる大人に成長できますよう、一歩一歩進んでまいりたいと思います。

まだまだ未熟ではございますが、今後とも温かく見守っていただけましたら幸いに存じます」

天皇皇后も彼女が幼い頃から、将来の天皇としてどうあるべきかを折に触れて教えてこられたに違いない。

20歳になり、天皇に即位するのか、一般人と結婚して国民の一人として生きていくのか、自分ではどうにもならない“運命”を嘆くことも、ときにはあるのではないか。

「制度の見直しがいたずらに“先延ばし”され、その結果、ご自身の将来が『皇室に残るか、ご結婚と共に国民の仲間入りをされるか』鋭く二つに分裂したまま、いつまでも宙ぶらりんの状態で放置され続けてきた事実こそ、残酷この上ない仕打ちだったと言えるだろう。特に敬宮殿下(愛子さん=筆者注)の場合は、女性天皇になられるか、それとも主婦になられるかという、極端に異なる二つの未来像に引き裂かれたまま、これまで二十年間の歳月をすごしてこられたことになる」(高森氏)

岸田政権は、多くの国民の意思に反した有識者会議の報告書を破棄し、国民の大多数が望んでいる愛子天皇の実現に向けて、すぐに動き出すべきである。

国民が支持しない、敬愛しない象徴天皇制が存続できるはずはないのだから。

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元木 昌彦(もとき・まさひこ)
ジャーナリスト
1945年生まれ。講談社で『フライデー』『週刊現代』『Web現代』の編集長を歴任する。上智大学、明治学院大学などでマスコミ論を講義。主な著書に『編集者の学校』(講談社編著)『編集者の教室』(徳間書店)『週刊誌は死なず』(朝日新聞出版)『「週刊現代」編集長戦記』(イーストプレス)、近著に『野垂れ死に ある講談社・雑誌編集者の回想』(現代書館)などがある。

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(ジャーナリスト 元木 昌彦)

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