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「寝たきりでもビールが飲める」制限ばかりの病院を出て、在宅死を選んだ人たちの充実した最期

プレジデントオンライン / 2022年1月20日 11時15分

ケアマネージャーの吉野清美さん

日本人の多くは「家で死にたい」と考えている。しかし、それは簡単ではない。病院であれば症状にあわせた医療を受けられるが、家では酸素吸入を受けるのも一苦労だ。在宅死には、一体どんな良さがあるのか。在宅死のサポートにまわるため、病院勤務をやめたという看護師とケアマネージャーの2人に、私は話を聞くことにした――。(第7回)

■病院では「1分1秒でも長く生かす」が最優先

「長年、医療とは“長く生かすこと”が目的だったんです」

ケアマネージャーの吉野清美さん(54)がそう指摘する。吉野さんは20代の頃に看護師として病院で勤務していたが、そんな現場がいやでたまらなかったという。

「私は看護師として、消化器内科の配属でした。そこはがん患者の人が多く、20年以上前のことですから、当時は助からない人が少なくありませんでした。患者さんたちは吐血したり、下血したり治療に苦しんでいて……家に帰りたいと言っていました。もう助からないと思われる人に対して心臓マッサージを何十分も行い、家族がそれを見て『止めてください』と叫ぶケースも。壮絶な最期を目にしました」

だから当時から吉野さんは「患者さんを家に帰す仕事がしたい」と思っていたという。

私も40年前に母を、20年前に母がわりに自分を育ててくれた祖母をがんで亡くし、またさまざまな角度から医療の現場を取材してきた経験から、たしかに医療とは「病気を治す」「1分1秒でも長く生かす」ことが最優先であったと思う。「生きる」が勝者で、「治らない=死」とはある種“敗北”と捉えられていたと感じる。治療が優先されるがゆえ、「痛みを和らげる緩和ケア」や「最後の過ごし方」については長い間、おざなりにされてきた面があるかもしれない。

ケアマネージャーの吉野清美さん。移動にはバイクを利用している。
ケアマネージャーの吉野清美さん。移動にはバイクを利用している。

■「俺はもう長くない」と言われて、励ますしかない

看護師の宮本直子さん(51)もおよそ30年前、病院勤務をしていた頃は「医療従事者は“命を救う”姿勢であることが尊ばれていた」と、振り返る。

看護師の宮本直子さん
看護師の宮本直子さん

「だから患者さんが『俺はもうそんなに長くないかなあ』といえば、『なに言っているんですか、そんなことないですよ』と返すのが通例だったんです。でも私はその対応に疑問を感じていました。それは単に“はぐらかしている”だけじゃないかって。死について患者さんともっと気軽に話せたらいいのにと思いました。

そんな時、胃がんを患う高齢の女性が入院してきたんです。私は中学を卒業して医療機関で働きながら看護学校に通って准看護師の資格を取得し、その後に高校に進学して卒業、結婚出産を経て今度は正看護師を取得するための看護学校に通ったのですが、その女性とは子供を抱えて看護学生をしていた頃に出会いました。私をとってもかわいがってくれたんです」

しばらくしてその高齢の女性患者は、身の回りの世話を宮本さんにだけお願いするようになった。「私が練習台になるから、いくらでも失敗していいんだよ」と、優しい言葉もかけてくれたという。

■女性は「サイダーが飲みたい」と私に言った

やがて患者の死が近くなり、痛みをコントロールをするため麻薬を使う段階になった。場合によってはそのまま亡くなってしまうこともある。

「すると、女性が『サイダーが飲みたいんだけど』と、私に言ったんです」(宮本さん)
「待っててね。すぐに買ってくるから!」

自分を慕って好いてくれる患者の頼みに、宮本さんは婦長に断らず、走りだした。売店でサイダーを購入し、それを吸い飲みで女性に与えた時、「あの世にもサイダーはあるのかなあ?」と聞かれたという。

「私は『あるよー。あの世にはなんでもあるし自由になれるよ』と答えました。女性は『そうかな……。ありがとね』と言って、その後私が勤務を終える頃になると『体を拭いてほしい』と頼まれました。もちろんいつも通り拭きました。そして翌日、私は休日だったのですが、女性が亡くなったという連絡をうけたんです。昨日のおだやかな彼女の顔が目に浮かびました、その時、患者さんの死の恐怖や不安をはぐらかさずに『そう思っているんだね』といったん受け入れること、その上で患者さんからでてくる望みを叶える大切さを知ったんです」

■病院では「それはやっちゃダメ」と制限されてしまう

その後、宮本さんは知人からの誘いで病院から介護老人保健福祉施設へ転職し、15年前からは訪問看護師として「患者が家で過ごすこと」をフォローしている。

以前の記事(本連載第5回)に記したが、訪問看護とは看護師が患者宅に訪問して、その患者の障害や病気に応じた看護を行うことだ。健康状態の悪化防止や回復に向けた措置のほか、訪問医の指示を受けて点滴・注射などの医療措置や痛みの軽減、服薬管理なども行う。

兵庫県豊岡市の訪問看護ステーション「ひかり」の訪問看護師のみなさん
兵庫県豊岡市の訪問看護ステーション「ひかり」の訪問看護師のみなさん

「患者さんは家で過ごすとリラックスできるので、痛みが和らぐと思います。人によっては半減するかもしれません。だってごはんは食べたい時に食べられる。入浴も、病院や施設では禁止されていたり、日時が決められていますが、自宅なら本人が入りたい希望があれば叶えられる。病院はやはり大勢の患者さんがいるため『時間の管理』が必要で、行動によるリスクが少しでもあると“それはやっちゃダメ”と制限されることが圧倒的に多いです」(宮本さん)

■病室を「家のように安らぐ場所」とするのは難しい

前出の吉野清美さんからは「『病院が臭い』といって在宅を選んだ患者さんもいる」と教えてもらった。

「その方は70代男性で、大腸がんを発症し、肝臓にも転移している状態でした。ストーマ(人工膀胱:手術によっておなかに作られる便や尿の排泄口)があって入院していたのですが、時々おなかが痛くなってトイレにこもりたい時に、ゆっくりいられないと訴えていました。2時間くらいトイレにいると、看護師さんが心配して来る。ありがたい反面、自分のペースで過ごすことができない、そして病院は臭い、と。一人暮らしだったのですが退院して家で過ごすことを選びました」

本連載第1回に登場した訪問看護師の小畑雅子さんは、「家での死」と「病院での死」の違いをこう話す。

看護師の小畑雅子さんが訪問看護をしている様子。
看護師の小畑雅子さんが訪問看護をしている様子。

「一言でいうなら、『病院での死』は主体が医療者であって、治療もケアも医師や看護師主導です。病室は家とは違い、患者さんにとって“安らぐ場所”になるのが難しいです。一方で『家での死』は医療介入はありますが、主体は患者さんとご家族で、人生を完結させるという違いがあります。人生の振り返りやこれからの希望について話す機会も多くあって、ご家族も介護の中で徐々に死別を受け入れ、最期は落ち着いて看取りをされた方もたくさんいました」

患者や家族が最後に何をしたいのか。一日でも長く生きたいなら、つらくても安らげなくても病院で治療を受けるのもいい。けれども、“望み”は家で過ごしたほうが叶いやすい。

■「私はもう一生、何も食べられないんですか?」

訪問看護師の宮本直子さんが受け持った80代男性の最後の日々が印象的だ。過去に所長を務めていた職場で出会ったという。

「認知症を患ったおじいちゃんだったのですが、転んで大腿骨の骨折をして寝たきりになってしまいました。独身だったので面倒みてくれる人がいなくて……。親戚は時々尋ねてくる姪っ子さんぐらい。でも本人や姪っ子さんの希望で、家で過ごすことにしたんです」

だがしばらくしてその男性は認知症、骨折に加えて、誤嚥性肺炎も発症してしまった。点滴で栄養を補給し、ゼリーのみOKという、ほぼ絶飲食の状態に。

男性の88歳の誕生日、宮本さんが訪問すると、普段ははっきり話さない彼が驚くほどしっかりこう言った。

「私はもう一生、何も食べられないんですか?」

宮本さんは内心男性の変貌ぶりに驚きつつ「何が食べたいの?」と穏やかに尋ねた。

「……寿司が食べたい」

■「好きなものを食べられるのは本当に自由なことだ」

「私はその場で訪問医の先生に電話しました。『本人が寿司を食べたいと言っているのですが、いいでしょうか』と聞くと、その先生は『好きなようにさせてあげて』と許可してくれて。今度は生活支援を行うホームヘルパーさんに連絡して『先生の許可が出たから、患者さんにお寿司を食べさせてあげてほしい』と頼んだんです。するとホームヘルパーさんは『宮本さん、まだそこにいてくださる? 私、今すぐ買ってきます!』と言ってくれたんです。本当にまぐろ寿司を抱えて、すぐ駆けつけてくれました。私たちはにぎり寿司1個を包丁で4分の1くらいに切って食べさせてあげました。そしたらおじいちゃんは、むせずに食べられたんです!」

男性は寿司を飲みこむと、「ああ、こんなにうまいものを……」とつぶやいた。

その様子を目の当たりにした宮本さんは感動した。「好きなものを食べられるのは本当に自由なことだ」と実感したのだという。「ビールも飲んでもらったんですよ。酔っ払っても、寝たきりですから」と、おどけてみせる。

「その誕生日の後、おじいちゃんは明らかに元気な日が増えました。89歳の誕生日は迎えられなかったものの、それから半年以上たって家で亡くなりました」

匂い、目にするもの、それまでと変わらない空間——家なら、誰にも邪魔されることなく自分のペースで日々を過ごせる。だから死の間際の痛みは和らぎやすく、本人は「こうしたい」という希望もわきおこる。

高齢者だけでなく、もっと若い人も「家で死にたい」という思いはある。

吉野清美さんは今から7年前、40代でがんを発症した。医師から「退院はさせられない」という言葉を聞いたが、「家に帰りたい」という気持ちに揺らぎはなかった。(続く。第8回は1月21日11時公開予定)

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笹井 恵里子(ささい・えりこ)
ジャーナリスト
1978年生まれ。「サンデー毎日」記者を経て、2018年よりフリーランスに。著書に『週刊文春 老けない最強食』(文藝春秋)、『救急車が来なくなる日 医療崩壊と再生への道』(NHK出版新書)、『室温を2度上げると健康寿命は4歳のびる』(光文社新書)など。新著に、プレジデントオンラインでの人気連載「こんな家に住んでいると人は死にます」に加筆した『潜入・ゴミ屋敷 孤立社会が生む新しい病』(中公新書ラクレ)がある。

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(ジャーナリスト 笹井 恵里子)

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