"クソどうでもいい仕事"よりエッセンシャル・ワークのほうが「給料が低い」意外な理由
プレジデントオンライン / 2022年2月1日 11時15分
※本稿は、酒井隆史『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(講談社現代新書)の一部を再編集したものです。
■経済停止と「エッセンシャル・ワーカー」
「エッセンシャル・ワーク」ないし「エッセンシャル・ワーカー」という概念が浮上してきたのは、もちろん、COVID19パンデミックのもたらした「ロックダウン」、日本では「自粛」状況です。
それがグレーバーのかねてよりのBSJについての主張を事実によって裏づけたという感もあり、「エッセンシャル・ワーカー」という概念にひそむ認識と共振したようにもみえます。グレーバーはずっと「必要のない仕事は存在する」と論じてきました。とはいえ、「経済」を止める以外に、この世界が回っていくのになにが必要か必要でないかをみきわめる方法はありません。
だから、「経済」が停止するという事態は、実験が不可能な社会科学的領域において、そうそうある機会ではなかったのです。ところが、このパンデミック状況が、皮肉なことに、それを可能にしました。
■経済を測定する尺度への疑念
グレーバーは、パンデミック初期、2020年5月のインタビューでこう述べています。
長いこと、世界中の政府が、こんなことなんてありえないとわたしたちに説きつづけてきました。
すなわち、ほとんどすべての経済活動が停止すること、国境を閉鎖すること、そして世界規模で緊急事態が宣言されることです。
3カ月ほどまえまでは、GDPが1%減少しただけでも大惨事になるとだれもが予想していました。ゴジラみたいな経済的怪物に、わたしたちが押しつぶされてしまうかのように、です(中略)。
ところが、だれもが自宅でじっとしていましたが、経済活動の減少はたった3分の1です。すでにこれ自体、ぶっとんでますよね。だれもが自宅にじっとして、なにもしないとすれば、経済活動は少なくとも80%ぐらいは低下するようにふつう考えませんか。
ところが3分の1なんです。いったい、経済を測定する尺度ってなんですか?
■生活に不可欠な「エッセンシャル・ワーカー」がコロナの犠牲に
おそらく、そこで浮上してきたのは、『ブルシット・ジョブ』で前面にあらわれるよりは、その強力な文脈として作用していたテーマ、不要な労働ではなく、必要な労働というテーマです。
「エッセンシャル・ワーカー」が、その名の通り、この人類が生活をいとなんでいくにあたりもっとも基本的で必要不可欠であるにもかかわらず、労働条件において相対的に低劣におかれていることはたとえば、アメリカの経済政策研究所(EPI)という労働組合のシンクタンクによる統計のまとめによってもあきらかです。
2020年5月の時点で、このレポートの著者たちは、コロナ禍のもとでのエッセンシャル・ワーカーが十分な医療や安全配慮を与えられずに働いており、その結果、死亡者が多数にのぼりつつある状況を指摘しています。
そのうえで、アメリカのエッセンシャル・ワークを12(食糧・農業、緊急サービス、公共交通・保管・配達業務、工業・商業・居住設備やサービス業、医療業務、自治体・コミュニティサービス、エネルギーなど)に特定して、それに従事するおよそ5500万人の労働者の賃金やジェンダー、組合組織率などを調査しています。
![自宅でプロの配達員からの配達箱を受け入れる配達](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/b/d/670/img_bda759496efeab2f193ee50a15c470af695918.jpg)
■「必要な労働」なのに給与が低い現実
それによると、エッセンシャル・ワーカーの70%が非大卒。医療従事者における女性の割合は76%、それに対してエネルギー部門では男性が96%、食糧・農業や工業・商業・居住設備やサービス業の半数以上を非白人が占めています。
その結果もあるでしょうが、給与も非エッセンシャル・ワーカーに対してエッセンシャル・ワーカーが低くなっています。
「エッセンシャル・ワークの逆説」は、ここからも確認できます。それでは、いったいどうしてこのようなことが起きているのでしょうか? どうしてこのようなことがさしておかしいともおもわれていないのでしょうか?
■BSJに潜む“精神的暴力”
この問題については、すでに2013年のグレーバーの小論の時点でこう提起されていました。再度、確認してみます。
![酒井 隆史『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(講談社現代新書)](https://president.ismcdn.jp/mwimgs/0/5/200/img_0549878f67275e78e86d54843b9d365b244983.jpg)
・とりわけ1960年代、自由時間を確保した充足的で生産的な人々があらわれはじめた(ヒッピームーヴメントのような動きもその一端でしょう)。この状況に支配階級は大いなる脅威を感じることになる。
・それとは別に、わたしたちの社会のうちにはかねてより、労働はそれ自体がモラル上の価値であるという感性、めざめている時間の大半をある種の厳格な労働規律へと従わせようとしない人間はなんの価値もないという感性が常識として根づいていた。これは支配階級には、とても都合のよいものだった。ネオリベラリズムはこの感性を動員する。
・その感性が、有用な仕事をしている人間たちへの反感の源泉にもなる。つまり、労働そのものが至上の価値であるならば、その価値観でもって働いている人間にとっては、それ以上の価値をもった仕事に就いている人間は存在そのものが妬ましい対象である。そしてその妬みを促進するのが、BSJに就いていることにひそむ精神的暴力である。
・このようなモラルの力学が、はっきりと他者に寄与する仕事であればあるほど、対価はより少なくなるという原則を裏打ちする。
・さらには、これを矛盾ではなく、むしろあるべき状態とみなすという倒錯がある。
■市場価値と社会的価値
こういった議論の構成です。ここから確認できるのは、
(1)労働はそれ自体がモラル上の価値であるという感性がある
(2)それが有用な労働をしている人間への反感の下地となっている
(3)ここから、他者に寄与する仕事であればあるほど、対価はより少なくなるという原則が強化される
(4)さらに、それこそがあるべき姿であるという倒錯した意識がある
この逆説はこうした価値意識に根ざしています。人は労働に市場価値だけでなく社会的価値をもとめています。市場価値にすべて還元することはなかなかできません。
ところがそれが社会的価値のある労働への反感の下地にもなっているのです。
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大阪府立大学教授
1965年生まれ。専門は社会思想、都市史。著書に、『通天閣 新・日本資本主義発達史』(青土社)、『暴力の哲学』『完全版 自由論 現在性の系譜学』(ともに河出文庫)、『ブルシット・ジョブの謎 クソどうでもいい仕事はなぜ増えるか』(講談社現代新書)など。訳書に、デヴィッド・グレーバー『ブルシット・ジョブ クソどうでもいい仕事の理論』(共訳、岩波書店)、『負債論 貨幣と暴力の5000年』(共訳、以文社)、マイク・デイヴィス『スラムの惑星 都市貧困のグローバル化』(共訳、明石書店)など。
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(大阪府立大学教授 酒井 隆史)
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